第24話 急転直下
「おはようございます」
「おはよう、汐音」
「どうしたんですか? 理沙さん」
「どこから情報が漏れたのか汐音の写真集についての問い合わせが引っ切り無しに来るんだよ」
出社すると編集部の電話の音が聞こえる。
栞に話してから数日経っていてそれまでは何事もなかったのに。背中に冷たいものが流れる。
愛理さんは電話をしていて編集長の姿は見えなかった。
するとカリーノ編集部のドアが開いて朝から難しい顔をした有佐編集長が現れた。
「編集長、おはようございます」
「おはよう、汐音。全く参ったよ。まだ写真集のタイトルが決まって無いのに上が早く進めろと煩くって」
「そうなんですか。そうだ啓祐さんからこれを編集長に渡すように言われまして」
「ん、どれどれ」
封筒から書類のような物を取り出してからこちらを見ている有佐編集長の視線がちょっと怖い。
「汐音、汐音の名前の由来を教えて欲しい」
「はい。私がまだ母のお腹にいる時に聞いた心音が波の音の様に聞こえたからだと」
「波の音?」
「心雑音は聞く人によって波の音のように聞こえることがあるんです。私が生まれて検診の時に心雑音だっと知った両親のショックは私にはわかりません。しばらくしてごめんねって言われた時に素敵な名前をありがとうって」
有佐編集長が啓祐さんに渡すように言われた書面にメモをしている。
「写真集のタイトルが決まったぞ。汐音の汐のに彩りの彩と書いて『汐彩』だ」
「素敵なタイトルですね」
「理沙、これを回して」
「はい」
有佐編集長から渡された書類を持って理沙さんが飛び出していく。
本当は私も写真集の仕事をしなければいけないのだけど汐音の仕事は撮影と取材だと言われ関わらせてもらっていない。
それにカリーノ編集部が主体とはなっているけれど今は社を上げての企画になっている。
その為に新たなプロジェクトチームが組まれ動いているのが実情だ今日は取材の予定もなく新しい取材先と電話で打ち合わせしたり電話番をしたりと編集部に詰めている。
いつもの様に手が空いた時間に昼休みを取り編集部に戻って来ると愛理さんにお客さんだと言われソファーを見ると関口先生の姿が。
「関口先生、ご無沙汰してます。その節は本当に有難うございました」
「そうだったね。あの時は酷いことを言ってしまって申し訳なかったって思っているんだよ」
「でもそれは啓祐さんと私のために言って下さったことですから。本当に感謝しているんですよ。でも今日は何で関口先生がここに?」
「先日、栞ちゃんに偶然会ってね。写真集の事を聞いて来たんだけど」
関口先生とは啓祐さんが滑落して担ぎ込まれた病院で会った以来で。
私が写真集を出すからここに来たと言われてもピンと来ない。
「汐音ちゃん、僕が何の専門医か覚えているかな」
「忘れる訳ないじゃないですか。関口先生は心臓病の専門医で……もしかして」
「僕等心臓病に関わる医者として特に若い女の子に対するケアに付いては難しい問題でね。傷が残るからと手術を嫌がる子もいる。傷は目立たなくすることも出来るけれど金銭的負担は軽くない。そんな中で汐音ちゃんの写真集はどれだけ心強いか。そんな写真集を是非僕等にバックアップさせて欲しいんだ」
「関口先生、有難う御座います。今、担当の上司を呼んできます」
私が立とうとすると理沙さんが編集長を呼んでくれた。
「瑞樹さん、こちらは」
「心臓病の専門医の関口先生です。高校の時に大変お世話になって」
「私、カリーノ編集部の編集長の有佐と申します」
もう若輩者の私では手に負えない域をはるかに超越してしまっていて有佐編集長が関口先生と話を進めてくれた。
そして関口先生があんなに凄い先生だなんて今まで知らなかった。
学会の副理事で神の手なんて言われているスーパードクターだったなんて。
「汐音、凄いじゃない。学会がタイアップしたいなんてこんな力強い事なんて無いわよ」
「何だか怖いです。私の一言がこんな事になるなんて。皆に助けてもらってばかりいるのに」
「汐音だからこそ何じゃないかしら」
「私だからこそですか」
有佐編集長には私だからこそなんて言われるけれど私は何もしていないし。
皆に心配をかけて皆に助けてもらって私はここにいる。
「汐音ちゃんは何を不景気な顔をしているの?」
「愛理さん。私って皆に何をしてあげられるんですか?」
「そのままで良いんじゃない。一生懸命に頑張っている汐音ちゃんを見て皆は応援しようと思っている。頑張っている汐音ちゃんを見ていると元気をもらえるの。私も頑張ろうって」
「私はただ必死なだけで」
「だけで?」
初めて啓祐さんに怒られた燕ヶ岳での合宿の事が鮮明に浮かんでくる。
「啓祐さんに教えられたんです。何でもまずは楽しむことを」
「汐音ちゃんが楽しんでいる笑顔が皆に伝染するんだね。楽しいことばかりだと良いんだけど写真集はこれからが正念場だから、森山さんとの結婚式は当分お預けかな」
「ええ!」
「それだ!」
私の抗議の声が有佐編集長の雄叫びにも似た声でかき消され。
驚いた私と理沙さんや愛理さんが編集長のほうを見ている。
「企画段階でも何かが足りなかったのよ。今のままじゃただのグラビア写真集と変わらないと言う意見もあってね」
「あの編集長、それが私の結婚式と何か関係があるんですか?」
「これを見て」
有佐編集長がデスクの上にレイアウトされている写真を広げていく。
「何を感じるかしら」
「そうですね。心臓手術した女の子がこんなに元気になったのは感じるけど。幸せ感は薄いかな」
「ああ、汐音ちゃんと森山さんがタキシードとウエディングドレスを着てと言った写真。凄く幸せそうだった」
「も、もしかして私達の結婚式も写真集に載せるんですか?」
有佐編集長に理沙副編集長それに愛理さんの瞳が光り輝いている。
写真集が動き始めた時の輝きなんて比じゃない。
既に有佐編集長はプロジェクトチームに話を持っていき。もう誰にも止められない。
帰宅すると明かりが点いていて啓祐さんが帰って来ているのが分かる。
何から話せば良いのだろう。玄関の前で悩んでいると玄関の戸が開いて。
「汐音、お帰り。どうしたの? そんな所で」
「ただいま。啓祐さん」
「気分でも悪いの?」
優しく声を掛けてくれた啓祐さんに対して首を横に振ることしか出来ない。
「さっきまでユッコと瑛梨が来ててね。晩御飯を用意してくれたんだ。一緒に食べよう」
「うん」
啓祐さんに優しくされればされるほど申し訳ない気持ちが抑えきれない。
俯くと涙が足元に落ちていく。名を呼ばれた気がして何とか顔をあげるけど限界だった。
声を上げて泣くことしか出来ない無力な自分が悔しくって自分が情けなくって。
そんな私をいつも啓祐さんは優しく包み込んでくれる。そんな啓祐さんとの大事な節目がこんな事で。
「良いんだよ」
「えっ……」
「汐音は気にし過ぎなんだ」
「啓祐さん?」
手を引かれ縁側に連れて行かれると頬を渡る風が冷たく感じる。
でも、啓祐さんの手はとても温かい。
「今日、有佐さんから聞いたよ。僕と汐音の結婚式をどうしても撮影したいって」
「ごめんなさい、私」
「僕は嫌じゃないけど汐音は嫌なの? 僕は嬉しいけどな。だって延び延びになっていた汐音との結婚式がやっと出来るんだよ」
「嫌じゃないけど啓祐さんは本当に良いの?」
戸惑っている私の心に心地良い風が再び流れ込んでくる。
「結婚式は形じゃないと僕は思うんだ。こうして僕と汐音が縁側にいて。この庭に汐音の両親にユッコと瑛梨。栞に汐音のクラスメイト、フォトグラフ学科の皆や関口先生も」
「それじゃF・イーグルスの人達も」
「そうだね、考えただけでワクワクするでしょ」
「うん、とっても楽しい結婚式になりそう。そうだお父さんとお母さんに連絡しなきゃ」
急に式が決まりそうな事を告げると大喜びしてくれた。
メールで栞にも連絡すると直ぐに返事が返って来た。何があっても絶対に参加するからって。
翌日、啓祐さんと結婚指輪を選びに行ってから出社した。
「おはようございます」
「おはよう。指輪は良いのが有ったの?」
「はい」
「それじゃスタイリストと打ち合わせをしてドレスの試着をお願いね」
有佐編集長に言われスタイリストさんと打ち合わせをする。打ち合せと言ってもスタイリストさんと少し話しただけで直ぐにドレスが決まった。
式の日取りも一ヶ月後の吉日に決まり。それに向かい全てが動き出す。
直ぐに両親に知らせ栞に連絡をすると皆から参加の連絡が続々と届いた。
「編集長、もしですよ式の当日の天気が雨だったら」
「大丈夫よ、神様はそんな酷いことをしないわ。汐音と森山君の結婚式だもの」
有佐編集長は笑顔でそんな事を言うが雨が降れば外での撮影はできない。
普通の撮影なら日を変えて撮影することも可能だけど本当の式ともなればそんなこと不可能だ。
「確かにね。ただの撮影なら雨でも日をずらせば良い。だけどね読者には真実を伝えたいの。私達が見たものをそのまま。心からの感動を。その為にはどうしても必要なの」
「そうね。今まで何度か式の撮影に立ち会った事があるけれど。綺麗な写真は確かに撮れるだけど何かが物足りないの。写真には決して写らないんだけど。それに楽しいじゃない皆で汐音ちゃんと森山さんの結婚式を作り上げる事が出来るんだもの。こんな体験は二度と出来ないと思うから」
有佐編集長と理沙副編集長に思いっきり背中を押された気がする。
撮影と取材、式の打ち合わせ。
仕事と結婚式の準備を平行して行うことがこんなに大変だったなんて。皆はどうしているのだろうと感心する。
挙式・披露宴会場、指輪にドレスにブーケ、写真・ビデオ、引き出物・招待状・席次表、演出・ウエルカムボード、二次会。
私の場合は式場の手配もなにもしないで自分達で決めたのは指輪くらいだ。
それに式だけで披露宴の事は考えなくていいと言うか啓祐さんと後日内々でと言う話をしている。
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