第16話 春の目覚め
「森山先生が発見されて病院に運ばれたって」
「徳丸君、今なんて言ったの?」
「だから森山先生が救助されて病院に」
教室に飛び込むように徳丸君が駆け込んできて吉報を知らせてくれたのに身体が動かない。
今更、私が会いに行ってどうするの? 今行かなくていつ行くの?
色々な言葉が私に浴びせられ今までの事がグルグルと回る。
初めてだった池袋でのデート。
夏の燕ヶ岳での合宿。
森山先生が飛んでいるように見えたバスケの試合。
海浜公園でも七瀬ヶ浜でも私を助けてくれた。
初詣で先生と偶然会い家に招待された事。
壁ドンは衝撃的だったそして綾ちゃんの事を聞いて私は。
「汐音、しっかりしてよ。今動かないと一生後悔するよ」
「分かってる。そんな事は分かってる」
「けどなんて言ったら張り倒すからね。今の汐音は走ることだって出来るんだよ」
そう私は守ってもらってばかりいたあの頃の私とは違う。ポケットからスマホを取り出して家に電話する。
するとお父さんが電話をとった。
「お父さん、ごめんね」
「森山先生が見つかったんだね。行っておいで。汐音が品川に遊びに行った日に一緒に帰って来てくれたのは森山先生なんだろ。それに海浜公園に遊びに行った時に森山先生は汐音を助けてくれたよね。先生が悪い訳じゃないのに謝ってくれたんだよ。今度は汐音が森山先生を助ける番だね」
「うん、ありがとう」
溢れそうになる涙を堪えるの精一杯になってしまう。
お父さんは森山先生に会いに行くことを認めてくれたけれど高校生の私には先生の所まで行く手段が無い。
「問題はどうやって行くかだよね」
「栞、あれを見て」
クラクションの音がして徳丸君が窓の外を指さしている。
その指の先には大月先生のオレンジ色のロードスターが見え教室を飛び出そうとすると秋川先生の姿が。
「秋川先生が止めても無駄ですよ」
「止めはしない。汐音には覚悟があるのか?」
「例え啓祐さんの意識が醒めなくても私は一生添い遂げます」
「まるでプロポーズだな。啓祐を叩き起こして連れて帰って来い。それが条件だ」
秋川先生の顔に笑みが浮かび廊下を走り抜けた。
校門まで駆けて来ると流石に息が上がる。
「何で大月先生がここに?」
「そんな事は後だよ。今は森山先生の側に行くのが先決だ」
「はい」
私が助手席に座ると大月先生がタイヤを鳴らしながら車を発進させ。後ろを振り返ると栞と徳丸君が手を繋ぎながら頑張れと拳を翳してエールを送ってくれた。
大月先生の車は関越自動車を走り富山に向かっている。
辺りは暗くなり夜の帳が降りようとしていた。
「先生は何で学校に?」
「仲間から森山先生の事は聞いていたんだけど仕事が忙しくてね。何とか仕事を終わらせた時に見つかったと聞いてね。これじゃ答えになってないよね」
何だか意味深な言い方をしているのが引っ掛かる。
「実は森山先生に言われて瑞樹さんの様子を伺っていたんだ。元気がなさそうだと伝えたら撮影現場でも見させてくれないかって。もし個人的に話すのが難しかったら鳥の羽を使ってみろって言われたよ」
「それじゃ、あの鳥の羽は森山先生が」
「それはちょっと違うよ。あの羽、今は僕の物だからね。僕が森山先生に憧れているのは知っているよね。あの羽は森山先生がいつも身に付けていた物なんだ。僕が羽に興味を持って聞いてみると楽しい事が訪れるお守りだって言ってね。僕に譲ってくれたんだ」
森山先生が私の事をいつも気にしていてくれたなんて、あんなに酷い事をしてしまったのに。
そして羽飾りはやっぱり森山先生の物だった。あの男の子と森山先生がオーバーラップする。
「瑞樹さんには感謝しているんだ」
「私は何も」
「スタジオで写真を撮る楽しさを教えてくれたのは瑞樹さんだよ」
本当に私は何もしていない。ただカメラの向こうにいるかもしれない森山先生に……
もしかしたら森山先生は大月先生の事を思って私を撮影に連れ出すように仕向けたのかも。
私が雑誌に掲載されてから仕事が急増して講義まで手が回らなかったと教えてくれた。
富山に着いた時には真っ暗でもう少しで日付が変わろうとしている。
大月先生がビジネスホテルを用意してくれて翌朝病院に向かうことになった。
翌朝、病院に着くと直ぐに大月先生が森山先生の病室を聞いてくれた。
面会時間は午後からだと言われたが大月先生が僕の師匠なのに何故会えないのかと詰め寄ると病院側が渋々許可してくれる。
しかし、病室には面会謝絶の赤い文字があり。このドアの向こう側で森山先生が苦しんでいるのに傍に行くことが出来ない。
「瑞樹さんが何でこんな所に? 君は確か……大月君だったよね」
「はい、今、藤倉高校でフォトグラフ学科の講師をしています」
「そうか、それじゃ私はここで」
突然、関口先生の声が聞こえ八方塞がりの状態に光が刺した気がしたのに、あまりにも素っ気なく森山先生の病室のドアノブに手を掛けた。
「ん? まだ、何か様かな。今の瑞樹さんを森山君に合わせる訳にいかないよ」
「何でそんな事を」
「森山君が滑落したのはこの布の所為でね。瑞樹さんは何か知っているんじゃないのかな」
目の前に関口先生が差し出した布は森山先生が天女の羽衣だと言っていたストールだった。
でも今は見る影もなくボロボロになってしまっていて言葉が出てこない。
「そんな布を追い掛けて滑落するなんて森山先生も」
「君は黙っていなさい。この布は森山君にとって掛け替えのないものなんだよ。唯一の肉親と言っていい妹の綾さんを心臓病で失いどん底に落ちてしまった時にこのストールをくれた1人の女の子に救われたんだ」
森山先生はあの時に心が折れてしまいそうに悲しい時と言っていた。
折れてしまいそうだったんじゃなくて砕けてしまっていたなんて。
「山頂からこれを風に流すつもりだったのだろう。女の子の事をもう傷付けないように忘れる為か女の子の健康を願ってかは今となっては分からないけどね。だが山頂手前の尾根で突風に吹かれてストールが飛ばされそうになりバランスを崩して」
「関口先生は妹さんの事を知っているんですね」
「こんな事をするのは本意ではないが綾さんの主治医に話を聞きに行ったよ。彼女は兄の為に必死になって身体を動かし体力をつけて手術に挑もうとした。だけどそれが裏目に出てしまったんだ。リハビリでもそうだが度を越せば必ず自分自身の身体に返ってくる。手術事態は成功した。しかし度を越して身体を動かしていた幼い彼女の身体は疲労困憊していたのだろう、術後に軽い風邪を引きそれが元で帰らない人になってしまった」
「でも、そんなことを言っても体力を付けないと手術には」
大月先生が関口先生に意見しようとして一瞥されてしまう。
「頑張る気持ちはとても大切だ。しかし無理はしてはいけない」
「それじゃどうすれば」
「ここからの話は医師である私が言うことではないが。楽しむことだよ。確かに手術は不安だろう。それでも身体が良くなった時の事を考え楽しむことだ。生きるためにね。リハビリでも今日はここまで出来たから。明日はここまで頑張ってみようとね。必死になることがいけないと言っているんではない。限界を超えてはいけない、必ず悲しむ人が居るのだから」
森山先生が何故楽しむことをあれほど言っていたのかが今ならよく分かる。
そして知れば知るほど私自身が無力だと感じてしまう。
「妹の綾さんが亡くなった時に森山君は自分自身を攻め続けていたと聞いた。妹さんの笑顔の裏にある必死さを多分見ぬくことが出来なかったんだろうね。森山君は命に別条はないけれど意識が戻らないんだ。多分、心を閉ざしてしまっているんだろうね」
「このままだとどうなってしまうんですか?」
私の質問に関口先生は首を傾げるだけだった。
「僕の専門ではないからハッキリしたことは言えないが。今の彼に必要なのは生きようとする力なのかもしれないね」
「生きようとする力ですか?」
「そう。誰かを守ろうとする力。誰かを愛する強い気持ち。愛する人を包み込む広い心。医者の僕がこんな非科学的な事を言うのは可笑しいかもしれないが病は気からと言う諺があるように気の持ちようだと思うんだ。そして彷徨う命を救えるのは愛する人だと私は考えている」
関口先生が私の瞳を真っ直ぐまるで帰れと威圧するように見ている。
違う関口先生の瞳は私に覚悟があるのか試しているんだ。その瞳の奥にはきっと私が駆けつけてくると信じて居たに違いない。
今の私には何故だかそう思えた。
「啓祐さんの意識が一生戻らなくても啓祐さんの名前をいつまでも呼び続け。そして必ず私が目を覚まさせます」
「やはり僕の目は間違っていなかった。森山君を救えるのは瑞樹ちゃんだけだよ。行って来なさい」
そっとドアを開けてくれた関口先生の瞳にはいつの間にか優しさが溢れていた。
病室には森山先生が横になっているベッドだけで個室だった。
どれだけ重傷なのかがそれだけで私には分かる。そして森山先生の顔には火傷のような跡があり恐らく凍傷になっていたのだろう。
規則正しい呼吸音と心電図の音だけが病室に響き渡っている。
ベッドの傍らにあった小さな椅子に腰掛けて先生の手を触るとひんやりした。
ゆっくり手を包み込み温める。
「森山先生、聞こえる? 私、手術して元気になれたんだよ。胸の傷が気になるけれど森山先生なら気にしないって言ってくれるよね。お願いだから目を覚まして。また汐音って呼んでよ。一緒に楽しいことを沢山しようよ」
声を上げて叫んでいるのに病室に看護師さんが来ないのは関口先生が口添えしてくれたか病室が防音されているかだけどドアの感じから前者だと思う。
どれだけ関口先生や秋川先生が私に森山先生を託しているのかがよく分かり、迷子になった幼子が泣きじゃくりながら母を呼ぶように私は全身全霊で森山先生を呼び続ける。
やがて精も根も尽き果て知らない間にベッドに突っ伏して眠りに落ちていた。
夢を見た。
私は森山先生と結婚して新しい命が宿り悩んでいて直ぐに夢だと分かったけれどここが何処かは分からない。
でも、物凄く温かい光に包み込まれている
「もしも、生まれてくる子に心疾患が遺伝していたらどうしよう」
「大丈夫、僕と汐音は心疾患のスペシャリストだからね」
「ありがとう、啓祐さん」
森山先生が優しく私にキスをしてくれるとお腹の子が動いた所で目が覚めた。
辺りを見回すと森山先生が寝ている病室で時間さえ曖昧だ。それなのに手に感じた私と森山先生の子どもが動いた感触は夢では無い気がする。
そっと森山先生の手を包み込んでいた手を開くと僅かに動いたような気がして夢の中で森山先生がしてくれたように目を覚ましてと優しくキスをした。
「し・お・ね」
微かに森山先生の口が動き私の名を呼んでくれ、僅かに開いた瞳には優しい光が戻っている。
頬に熱いものが伝わると力ない指で森山先生が涙を拭ってくれた。
この人はいつも人の事ばかり心配して本当に馬鹿なんだから。何かが決壊したかのように心の底から泣いた。
ドアが開いた音がして関口先生の温かい手が私の肩に置かれ更に声を上げて泣いてしまう。
「愛の力は凄いね。意識が戻ればもう安心だよ。でも大腿骨を骨折しているから手術はこれからだけどね」
「骨折って」
森山先生の足を見ると確かに重りを付けられ牽引されている事に初めて気付いた。
その後、主治医が駆けつけてくれて森山先生の容態はもう大丈夫だと太鼓判を押してくれて、直ぐに秋川先生に知らせると電話口の向こうで栞と徳丸君が大喜びする声がして秋川先生の嬉しそうな怒鳴り声が聞こえる。
泣き疲れたのと安心感のダブルパンチで倒れそうになり昨日の夜から何も食べていないことに気付いた時には既に遅く。
お腹の虫が病室で盛大に鳴り響いて関口先生と大月先生に大笑いされてしまい森山先生の顔を見ると優しい笑顔を見せてくれた。
そして関口先生に富山の名物をお腹いっぱいご馳走になるというおまけが付いた。
週末になり再び私は森山先生が入院している病院に来ている。
大腿骨の骨折の方は骨がやっと元の位置に戻り水曜日に手術の予定になったと教えてくれた。
「汐音はここまでの交通費はどうしているの?」
「お年玉を貯金していたし。お父さんが」
「僕の為に汐音やご両親に負担を掛ける訳にはからこれを使いなさい」
森山先生が私に差し出したのはSuicaのオートチャージ機能が付いたクレジットカードだった。
「こんな事を言うのは今更なんだけど僕の彼女なら甘えて欲しいな」
「何で私が断れないような事を言うんですか?」
「汐音の事が大好きだからだよ」
ストレートにさらりと言われてしまい顔が赤くなるのが分かる。
そんな私を見て森山先生は微笑んでいるけれどまともに顔を見ることが出来ない。
「あの、先生」
「ん? どうした、汐音」
「お弁当を作ってきたんですけど」
バックからゴソゴソと保温が出来るランチジャーを取り出し床頭台の上に置く。
床頭台とは病院のベッドの脇に置いてあるあれの事。
「良い匂いがしてお腹が鳴りそうだ」
「ああ、森山先生が酷い事を言おうとしてる」
「ごめん、ごめん。本当に良い匂いがするんだから仕方がないだろ」
ご飯は干し貝柱と鶏がらスープで炊いた中華粥でオカズはトマトとキャベツに白身魚の蒸し煮、スープは鶏つくねのみぞれスープにしてみた。
「ん、ま! 汐音は料理が得意だったんだね」
「お母さんに教えて貰っいながらですけど料理とか家の中で出来ることは好きですよ。あんな身体だったからって言うのもあるんですけど」
「家事全般が得意でこれからは外でも色々な事が出来る様になって、将来は良い奥さんになれそうだね」
出来れば森山先生のなんて恥ずかしすぎて言えなかった。
この場に栞が居れば確実に突っ込まれ赤面して撃沈することになっていただろう。
予定通り水曜日に手術が行われ無事に終了し私が週末に顔を出す度に森山先生は順調に回復していった。
「また、居ない」
運動神経抜群の森山先生は松葉杖にもすっかり慣れてしまい。病室に顔を出すと居ない事が増え、松葉杖でまたどこかに行っているのだろう。
病棟の中を探してナースセンターの前まで行くと看護師さんがリハビリに行っていると教えてくれた。
1階に降りてリハビリルームに行くと森山先生が真剣な顔をしてリハビリに取り組んでいる姿があり思わず見入ってしまう。
すると理学療法士さんに何かを言われて先生が笑顔で手を振った。
手術して一ヶ月で退院出来る事になり森山先生は主治医と今後の事について話をしている。
転院と言う形になり藤倉の病院でリハビリを続けるらしい。それでもまだ松葉杖は取れないので生活するのは大変だろう。
と言う事で私は森山先生の自宅に通い詰める事に決めた。
「啓祐さん! ケンケンなんかで動き回っていて転んだらどうするんですか?」
「運動神経が良いから大丈夫だよ」
「もう!」
何度同じ事を言っても云うことを聞いてくれないで困っている。
すると玄関が開く音がして瑛梨ちゃんが駆け寄ってきた。
「汐音おねえたん。あやといしゅう」
「瑛梨ちゃん、それじゃ一緒に遊ぼうか」
「うん!」
秋川先生も瑛梨ちゃんを連れて時々顔を出してくれる。
「啓祐、新妻の言う事はちゃんと聞けよ」
「秋川先生、新妻じゃありません。先生が名前で呼ばないと通う事を許可しないって言うから」
「まぁ、どの道同じことだろう。啓祐が愛想尽かされるかもしれないがな」
「それは否めないですね」
女二人では太刀打ち出来な事を身を持って知っているのか森山先生は聞こえない振りをしている。
仕方がないので瑛梨ちゃんにあやとりを伝授しよう。
縁側であやとりをし始めると瑛梨ちゃんの目が真剣になり秋川先生とよく似ていると思える。
「しかし啓祐は汐音にこの借りをどうやって返すつもりなんだ」
「私の方こそ命まで助けてもらえたんですから仮なんてとんでもないです」
「そこまで汐音が言うのならもう何も聞かないよ。それより啓祐、フォトコンはどう言う事なんだ今直ぐに説明しろ」
聞くのを忘れていたと言うのが正しいのか。考えるのを止めていたと言う方が正しいのだろう。
それと森山先生の事で頭が一杯一杯でパンク寸前だったが正解かもしれない。
「春に写真部の部室に汐音と若菜が来た時に汐音が撮ったイロハモミジの写真の中で良い物が在ったからフォトコンに出展してみたんだ」
「それが入賞してしまったとそれもネイチャー部門の大賞に?」
「た、大賞って何ですか?」
「今回のフォトコンはカメラ会社が主催でかなり有名なフォトコンでな。自由部門・ネイチャー部門・スポーツ・モータースポーツ部門に分かれていてその中からグランプリと準グランプリが選ばれ、部門別に大賞・準大賞・推薦・入賞と言う賞があるんだよ」
入賞としか聞いていなかったのに大賞だなんて私には重すぎる。
それなのに秋川先生はここまで来たら仕方がないから行って来いとそれに入賞作品を集めた作品集が販売され全国で作品展が開催されるらしい。
「汐音おねえたん。ちゅぎは?」
「ゴメン、えーと次はこうかな」
「あ~ まちあえたでしょ」
あやとりの紐が伸びきってしまい取り違えてしまったらしく瑛梨ちゃんに恨めしそうに見つめられてしまった。
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