第13話 発作

軽いと言えば良いのかノリが良いのいか。

大月先生は講義の途中で脱線してネットで活動報告や近況をアップしていることを笑顔で話している。

「森山先生が撮ったポートレートを見て僕は感動してね。森山先生を師と仰いでいるんだ。まぁ、あまりにもしつこく付き纏うから嫌われちゃったけどね。こうして森山先生の後任に着けるなんて光栄で思わずUPしちゃったよ」

「でも、森山先生がポートレート撮っていたなんて知らなかったです」

「理由は分からないけれど撮るのを止めてしまったんだ」

講義に身が入らないと言うか心に響かない。撮影技術は凄いと思うけれど何かが足りない気がする。

それでも色々な事を学ぶことは大事なのだろう。


「だから汐音はつまらなさそうにしているんだ」

「確かに大月先生の技術も写真も凄いと思うけどあまり好きになれないんだよね」

放課後に写真部に顔を出すのが日課になって来たのは森山先生に会うため。

暗室では栞が徳丸君に現像の仕方を習っている。

「大月君の講義はどうかな」

「きちんと勉強してますよ。でも表面的な感じがして」

「そうか。ファッション雑誌などはモデルを引き立たせるのではなくファッションがメインだからね」

私から告白して受け止めてもらえたのにお互いの距離は今までとあまり変わらない。

時々、都内に2人で出掛ければいいのだろうけれど私の体の事があり。そんな事さえ儘ならない。

手術をして元気になるまでのお預けと言った所だろうか。


他愛のない会話を森山先生としているといきなり写真部部室のドアが開き女の人が入ってきて声を失ってしまう。

歳は20代後半か30代でシンプルな真っ白なウエディングドレスを着ている。

ジューンブライドで言えば今は6月の終わりで季節は確かに正しい。だけどここはチャペルでもなく結婚式場でもなく酢酸の臭いが染み付いてしまった写真部の部室だ。

「啓祐君は何で私の申し出を断るの」

「ちゃんと理由を言って断りを入れたはずだ」

森山先生との会話で彼女が先生と顔見知りかそれ以上の関係だということが分かる。

何の申し出なの? プロポーズじゃないよね。

「あんなに沢山の綾ちゃんの写真を撮っていたのに綾ちゃんが心臓の病気で死んでしまったから人の写真は撮るのをやめてしまったの? そんなのおかしいよ。綾ちゃんがそんな啓介くんの姿を見たらどう思うの?」

「…………」

何も答えない森山先生にもだけど絢ちゃんって? 

心臓病で死んだって?

胸が締め付けられそうになり無意識にシャツの第三ボタン辺りを右手で握りしめていた。

「もしかしてその子も心臓病なの? そんなのあんまりでしょ、綾ちゃんが可愛そうだよ。その子が綾ちゃんの身代わりなんて」

「不法侵入に個人情報の漏洩とは良い度胸してんじゃねえか。田嶋奈央。何をベラベラと下らねえ事をほざいてんだ。ここは神聖な学校だぞ」

「ユッコ……」

秋川先生が突然現れその後ろに息を切らした栞の姿が見える。

恐らく徳丸君が機転を利かせ栞に窓から秋川先生を呼びに行かせたのだろう。

それにしても秋川先生は神聖な学校では有り得ない言葉遣いと恐ろしい形相をしている。

ウエディングドレスを着て写真部に乱入してきた田嶋奈央さんは秋川先生の古い友人らしい。

森山先生とも面識があり先生に結婚式の撮影を頼んだが式の打ち合わせをしている時に旦那さんになる人に撮影を断られた事を告げられ学校まで来てしまい。

本来なら事務室で止められる筈なのにウエディングドレスを着ていたので事務員が慌てて助けを呼ぼうとした隙に校内に侵入し部室を突き止めたと。

そして警備員が駆けつけ腕を拘束され部室から出て行く時に旦那になる人が現れ田嶋さんに止めを刺した。

「元々母から薦められた縁談を断るために君からの交際をOKしたんだ。こんな騒ぎを起こすなら婚約は解消だ。結婚する前でホッとしたよ」

泣くことも騒ぐこともなく呆然自失としたまま警備員に連れて行かれてしまった。


今は部室の机を森山先生と秋川先生、それに栞と色々な事に関わってしまった徳丸君と私で囲んでいる。

「田嶋が言っていた綾と言うのは啓祐の妹だ。生まれつき心臓が弱くてな小学生の時に手術をして手術自体は成功したんだが術後に体調を崩し亡くなってしまったんだ」

「何で森山先生の口から教えてくれなかったのですか?」

「俺が口止めをしたからだ。もし瑞樹が知ることになれば不安になり手術をする時に躊躇すると思ってな」

私のためにと言われても腑に落ちない。

きちんと森山先生の口で言われ私は大丈夫だからと言ってくれたほうが心強かったのに。

「瑞樹のためと言ったがこれは啓祐のためでもあったんだ」

「森山先生のため?」

そこで今までの出来事が走馬灯のように流れた。

品川駅で偶然に森山先生にあった時に心疾患で妹さんを亡くしている先生に何を言ったの。

合宿で本気で怒ってくれたのは。

バスケットボールの試合で凄いシュートを見せてくれたのは。

七瀬ヶ浜の砂浜で木崎先輩から助けてくれたのもお正月に家に招待してくれて優しくしてくれたのも妹さんの姿を私に重ねていたからなの。

そんなのずるい……

心疾患を持つ私が、まだ雪深い田沢湖まで森山先生を追っていき必死の覚悟で告白すれば妹さんを心臓病で亡くしている森山先生は断れるはずがない。

ずるいのは私だ。

「汐音? 大丈夫か?」

「嫌! こな……」

胸に激しい痛みが走り森山先生が私の名を呼ぶ声が遠くなっていく。


子どもの頃から聞き慣れた少し乱れた私自身の心電図の音がする。

目を開けると病室の天井が見え部室で発作を起こしたことを思い出した。多分、天罰だろう。

病室のドアの向こうからお母さんと森山先生の声が微かに聞こえる。

「頭を上げて下さい。先生の責任じゃありません。先生のお陰で汐音は手術を」

「全て僕の不徳の致すところです」

「責任なんて感じないで下さい。これからも。そんな」

静寂が訪れ病室のドアが開いてお母さんが入ってきた。

「もう、手術は待てないそうよ。主治医の先生がこのまま入院して手術を受けた方がいいって」

「そうだね。これ以上皆に迷惑をかける訳にいかないもんね」

「誰も迷惑だなんて思ってないわよ。皆のために頑張りなさい」

「うん、分かった」

夏休みを待たずに手術する事になってしまう。今回の発作は今までの中でかなり深刻なものだと主治医が言っていた。

今度、同じような発作が起きた時にはどうなるか分からないと付け加えて。


手術の当日は担当医が説明に来てくれてお母さんと説明を聞き着替えを済ませる。

術着はモスグリーンでペラペラしていて心許なく下にはT字帯と言う簡単に言うとふんどしをしていてストレッチャーに乗せられ手術室に向かう。

手術室もモスグリーンの壁だった。

「これから少しだけチクっとするからね」

そう言われて直ぐに深い眠りについた

「瑞樹さん。瑞樹汐音さん。終わりましたよ」

眠りに就いたばかりなのに遠くで看護師さんの声がして自分の呼吸音がうるさく感じそれが人工呼吸器のせいだと分かるまでかなり時間が経った。

まだ朧気だが目を開けると看護師さんの顔が見えどうやら意識を確認しているようだ。

上半身のあちこちが引っ張られているような感じがするのは電極や色々な管が身体に付けられているからだろう。

それに下腹部に違和感があるのは多分尿管が入っているからだ。

ここは集中治療室だろうか白衣を着て白いキャップを付けたお父さんとお母さんの顔が見えた。


翌朝には人工呼吸器も取れ少しだけ会話することも出来るようになった。

体中が怠いのは全身麻酔のせいだと教えてもらえてけれどそれ以上に背中や脇腹にに痛みを感じる。

「先生、背中や脇が痛い」

「胸骨を開いて手術をしたからね。あまりに痛みが強かったら痛み止めを出すから」

「我慢出来ない程じゃないから大丈夫です」

その日の午後には一般病棟に移されたけれどベッドからベッドに移動する度に胸に痛みが走る。

それはまるで森山先生との事を暗示しているようで唇を噛み締めて我慢した。

数日もすると胸の管も抜かれ身体が自由になる。

そしてリハビリが始まった。最初はベッドに座る事からだと言われ数日寝ていただけでと馬鹿にしていたけれど身体を起こしただけで激しい目眩がする。

目眩がしなくなりベッドの柵に手を掛けて立ち上がると今度は膝が震え。

震えがなくなれば徐々に歩く距離を長くしていき、色々な検査を受け2週間目に退院することが出来た。

やはり自分の家が一番だ。

1周間ほど自宅療養をしてまだ暑くない早朝にお母さんと一緒に散歩をする。

夏休みも半ばを過ぎた頃から学校に行き補習授業と学期末テストを特別に受けさせてもらう。

そして夏休みの終わりにテスト結果と通知表を受け取り直ぐに2学期が始まる。


「汐音!」

後ろから栞の声がして振り返るとものすごい勢いで栞が走ってきた。

「おはよう、栞」

「うん、それよりお見舞いに行けなくてごめんね」

「気にしなくていいよ。期末が近かったから大変だったんでしょ」

「そうだよ。神頼みならぬ汐音頼みがいないんだからさ。今回は徳丸頼みだったけどね」

お互いに顔を見て笑い合うと頬を海風がくすぐる。やっぱり学校は楽しい。

きちんと薬を飲み主治医に言われた検査をしていれば運動だって何だって出来る体になれた。

今までの制約ばかりの生活から考えればまるで生まれ変わったようなものだ。

教室に入ると朋ちゃんが笑顔で手を振ってくれて周りのクラスメイトも良かったねって言ってくれた。

「お、瑞樹も2学期から復帰したんだな。これからは今まで以上にビシビシ行くからな。そのつもりでいろ」

「お手柔らかにお願いします」

手厳しい秋川先生の言葉さえ今は嬉しい。授業も休み時間も全てが輝いて見えるのは何故だろう。

そして待ちに待った放課後がやってきた。

きちんと森山先生に謝り元気になった私の姿を見てもらいたいと思い栞と共に写真部の部室に向かう。


ドアを開けるといつもの様に徳丸君がパソコンを覗いている。

「徳丸君、森山先生は何処かな?」

「もう、森山先生は居ないよ」

「えっ、栞。何を言っているの?」

私は徳丸君に聞いたのに少し後ろにいる栞が答え、その答えに自分の耳を疑った。

「もう、森山先生はこの学校にはいないんだよ」

「どうして栞はそんな酷い嘘を付くの?」

「嘘じゃないよ。本当の話だよ。ね、貴博君」

「うん」

いつの間にか徳丸君から貴博君に呼び名が変わっている以上に驚いてしまう。驚くという表現が正しいのかさえ今の私には分からない。

「仕方が無かったんだと思うよ。部外者の校内乱入に生徒が心臓発作を起こして緊急入院だからね。どちらも森山先生のプライベートな事が起因じゃない」

「でもそれは」

「部外者の乱入は事務室の落ち度もあっての事で事情を説明すればいい事だけど、汐音が心臓発作を起こして救急車で搬送されたかと言うことを学校側に説明を求められたら森山先生は何て答えれば良いの?」

栞の言葉が氷水を浴びせられた様に冷たく感じ胸が苦しくなる。

私が森山先生に告白して承諾して貰った事は公に出来ることではない。ましてや森山先生の妹さんの事を聞いて私が発作を起こしたなんて口が裂けても言えないだろう。

それじゃ写真部の顧問は誰が引き継いだのだろう。

「俺が写真部の顧問を仮にだが引き受けたんだ。それと学校側には乱入者が突然写真部の部室に現れ驚いた瑞樹が発作を起こしたと説明してある」

「それじゃ何で森山先生が学校を」

「啓祐自身の問題だ。お前が気に病むことはない」

「気にしないなんて事が出来る訳ないじゃないですか!」

心臓が、いや心が張り裂けそうに痛む。

森山先生は私の所為で藤倉高校を去ってしまった。

あれほど楽しみにして今日のことを思い痛みに耐えてきたのに全てのものが抜け落ちてしまう。

帰りに栞がきつい口調でごめんねと謝ってくれた。今までは私の体のことを考えて親友だからこそ加減をしていてくれたのだろう。

でも、これからは親友だからこそ手加減なしで付き合っていこうと言ってくれる。

これで同じ土俵に上がれたんだよとさり気なく気づかせてくれたんだ。

やっぱり栞は優しい。

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