第3話 お気に入り


週明けに学校にいくと栞と友達が飛んできてこれでもかって謝ってくれた。

でも、あんな事が起きなければ私は森山先生と遊びに行くこともなかったのだし。何もなければ多分皆と楽しく遊んだのだろうと思う。

「汐音が一人で東京をブラブラね」

「わ、私だってもう子どもじゃないんだから体調を見ながら遊べるわよ」

「へぇ、ナンパされたりしなかったわよね。もちろん」

「当たり前でしょ。ナンパな男なんかに着いて行かないもん」

栞の感の鋭さにはいつも驚かされる。あれは多分ナンパじゃないよね……それにナンパな男じゃなかったし。

フォトグラフ学科は水曜と金曜の午後にあり。

今は水曜日の3限目が終わり教室移動で廊下を栞と歩いていると階段の方から誰かが飛び出してきて立ち止まった。

「お、瑞樹に若菜か」

「もう森山先生は危ないじゃないですか。廊下は走らない」

「ごめん、急いでいるんで」

森山先生はいつものヨレヨレの白衣で階段を駆け下りて行った。

すると今度は階段の上から担任の声がする。

「森山啓祐!」

「あっ、ユッコ先生。廊下では静かにですよ」

「け、啓祐! てめえ!」

担任でフォトグラフ学科の常勤講師の秋川先生がいつもの格好で私達を一瞥し眉を顰めてから顔を真っ赤にして森山先生を追い掛けて行ってしまう。

「し、汐音。今の誰?」

「髪を切った森山先生でしょ」

「じゃ、じゃあ。ユッコ先生って?」

「ん、秋川先生のアダ名かな。遅れるといけないから行くよ」

森山先生の素顔を一度見ていた私は完全に墓穴を掘ってしまい。

その上に更に追い打ちをかけてしまい惚ける為に何とか平静を装って次の教室に急ぐ。


昼休みにはいつも栞とお喋りしながらお弁当を食べる。でも今日は栞が黙々とお弁当を食べ不穏な雰囲気が漂い……

「何で私が不機嫌か分かるよね。汐音なら」

「ん、あの日かな」

「本気で言っているの?」

「ごめん」

周りではクラスメイトが楽しそうにお弁当や購買で買ったパンを食べているのに。私と栞の席だけ夏だというのにヒンヤリしている。

「多分だけど学校では絶対にできない話になっているんだよね」

「話せなくはないけれど大変な事になると思うけど」


午後はフォトグラフ学科の授業から始まるので教室を移動するけれど栞は一言も言葉を発しない。

視聴覚室に入り空いている席に座りチャイムが鳴り森山先生がドアから入ってくると教室を静寂が包み込んだ。そんな先生の手には大きな黒いバッグが。

「ん? そんな顔をして皆はどうしたのかな?」

「本当に森山先生ですか?」

「暑いから髪を短くしただけだけど」

ヨレヨレの白衣に黒縁のメガネは変わらないけれどボサボサの髪の毛が短くなっている。

「それじゃ、授業を始めようか。今日は光についてですね」

「「宜しくお願いします」」

いつもの挨拶で授業に入ると皆が集中し始める。

突然の森山先生のイメージチェンジに生徒が騒ぎ出すような事は無かった。

それは森山先生のバックに秋山先生がいるところが大きいのかもしれない。

「前回、話した構図も重要ですが一番大事なのは今回の光に関してです。光が強すぎて被写体が飛んでしまったり逆に暗すぎて被写体が何処にあるのか分からなかったり。そんな経験をした人も多いと思います。今日はフラッシュを使っての撮影や光の探し方について話します」

「先生、フラッシュは安易に使うと安ぽい写真になると思うのですが」

「フラッシュも使い方次第で色々な写真が撮ることが出来ます。どの撮影にも一長一短はあるものです」

前回の構図は三分割・日の丸・二分割・三角・シンメトリ・対角線に縦に四分割を組み合わせた鉄道写真を撮る人が考案したレイルマン構図の話で。

何をどう撮るかを考えて主役と脇役のバランスが大切だと教えてくれた。

それとカメラポジションとアングルの違い。

ポジションはカメラの位置を現しアングルはカメラの角度のことだった。

そして今日は光の話で基本中の基本だと思うのだけど日を追うごとに難しくなっていく。

シャッタースピードと絞りの関係にISO(感度)その上にフラッシュをうまく使う方法。森山先生が大きなバッグから色々な条件で撮影された写真を出しながら授業が進んでいく。

基本的な事とはいえもう机に突っ伏している生徒なんて一人もいない。

真剣な眼差しで誰もが講義を自分の物にしようとしている。

「今日で基本的な講義は終わりになります。次回からはもっと実践的に実際に撮影して皆で感想を述べていきたいと思います」

「それは校内で撮影するということですか?」

「そうです。授業中なので邪魔にならないと言うことが絶対条件です。特に1年生の撮影は禁止します」

2年生と3年生はフォトグラフ学科の授業で写真を撮られる事があることを経験から知っているからだろう。

そして森山先生は見て欲しい写真があると前置きをして写真を取り出した。

写真を見た瞬間に頬が紅潮するのが分かる。

「この写真の感想を聞かせてくれないかな」

「構図もバラバラでカメラに不慣れな人が撮った写真だと思います」

目の前に有るのは先生と行ったサンシャイン水族館で色とりどりの魚やクラゲの写真で、それはド素人の私が撮った写真なのだから当たり前の感想だと思う。

あの時、カメラを返した時にメモリーカードを貰うのをすっかり忘れていた事を思い出した。

「他にはないかな」

「凄くワクワク感が伝わってくる写真だと思います」

「そうだね。この写真は普通の女の子がミラーレス一眼のPモードで撮った写真だからね」

隣に座っている栞がワクワクする写真だと言ったことより先生の普通の女の子と言う言葉で何故だかドキドキしてしまう。

「全ての事において基本はとても大切だと思う。でも基本に縛られてしまうと人を感動させるような写真を撮ることは出来ないと僕は思っています」

「でも基本を知らないと綺麗な写真は撮れないんじゃないですか」

「正しい知識は大切です。それよりも大切なのは自分自身が楽しむことだと思います」

「それじゃ先生はなんで写真を始めたのですか?」

生徒の質問に森山先生が少しだけ考えて真っ直ぐに生徒を見渡した。

「僕も初めはカメラの事なんて何にも知りませんでした。好きな物を自由気ままに撮っていると偶然からとても素敵な写真が撮れたのがきっかけです。もっと綺麗な写真を撮りたくって勉強して今に至ります」

「最近の先生のお気に入りの写真はどんな写真ですか?」

再び隣のアクティブの塊のような栞が声を上げている。

すると一瞬だけ森山先生と目が合った気がして先生が一枚のパネルを取り出した。

「うわぁ」

「綺麗……」

栞の驚きの声と共に思わず言葉が漏れ、我に返り赤面して机に突っ伏してしまう。

そして視聴覚室はどよめきに似た感嘆の声に包まれている。

右手には薄いブルーの光を放つ大きな水槽があり中では色々な魚が泳いでいて。

左に向かう程に青から濃紺になっていきまるで深海のようだ。そしてその中央には水槽の方に顔を向ける女の人の後ろ姿が。

その女の人は白地に赤と黒のレトロな感じがする花模様の浴衣を身にまといラベンダー色の帯を締め髪には淡いブルーの朝顔の簪が挿され。

まるで海の中にいるような幻想的な写真になっている。

「先生、その写真は作品ですか?」

「僕のプライベートな写真です」

「モデルは先生の恋人ですか?」

「残念ながら違います。あくまでもプライベートな写真なので突っ込んだ質問には一切お答えできません」

隣から『ふーん』と鼻を鳴らす様な音が聞こえ冷凍庫を開けた時のような冷気が流れてきてシャツを掴まれてしまう。

授業が終わると同時に森山先生の周りには生徒が集まっているけれど私は栞にシャツを掴まれたまま教室に戻った。


「汐音。今日はたっぷり時間があるよね」

「特に予定はないけど」

「予定があってもキャンセルさせるから大丈夫だよ」

顔は笑っているけれど心の中では拳を握りしめている栞がサラッと怖いことを言っている。

今日は少し帰りが遅くなるってお母さんにメールしなきゃ。

ショートホームルームが終わり栞と帰ろうとすると秋川先生に茶封筒を渡された。中身は多分メモリーカードだと思う。

栞に連れられて藤倉高校の近くにある唯一の喫茶店にいた。

目の前のテーブルの上にはアイスティーが置かれてグラスには水滴ができている。

そして氷がカランと音を立てるのを合図にしたかのように栞が口を開いた。

「あの写真に写っていた浴衣って汐音の一番のお気に入りだよね。確かお母さんに仕立ててもらった」

「う、うん」

「何で汐音が水族館であんな素敵な写真に収まっているのかしら」

浴衣で遊びに行こうとしてドタキャンになった日に森山先生に偶然出会い電車が復旧するまで池袋に行ったことを詳細に栞に告げる。

水族館に行きプラネタリウムで星を見てカフェでゆっくりして。

「モーリとデートか」

「森山先生とナツメヤシがどうかしたの?」

「整腸作用や貧血改善にダイエット効果があって、その他にも生活習慣予防や免疫力向上に抗酸化作用、目にも良いし精神安定に骨粗しょう症の予防にもなって女の子の味方だよね。デーツは」

「ごめんなさい」

英単語のdateにはナツメヤシの意味もある事を栞も知っていたみたい。それに森山先生がいつの間にかモーリになっている。

目の前には栞の怖い顔があるので笑ってもらおうとしたら余計に怒らせてしまった。

「デートじゃなくて一緒に出掛けただけだよ」

「私はそう言う事を言っているんじゃないの。汐音のことだから友達と一緒だからってお母さんには言ったんでしょ」

栞にまで森山先生と同じことを言われて正直凹んでしまう。私の行動は簡単に見透かされてしまうようだ。

「万が一にでもこの間の事がお母さん達にバレたらどうする気だったの? 何かあった時にはちゃんと教えてくれないとフォロー出来ないんだよ」

「でも疚しい事なんてひとつもないし。恋愛感情なんて微塵もないもん」

「それじゃ汐音は誰かを好きになったことが有るの?」

そんな事は栞に言われるまでもない。

私自身の体のことは自分が一番知っているし自分自身の事で精一杯で異性に興味を持つ余裕なんて無かったし意識したことすら皆無だ。

それに誰かを好きになって結婚して子どもを産んでなんて夢のまた夢だと思い半ば諦めていた。

「まぁ、汐音のネガティブな性格じゃ仕方がないけどね。汐音はモーリの事をどう思っているの?」

「何だか酷い事を言われている気がするのは分かる。私はただ」

「そっか。汐音は天使の男の子を探しているんだもんね」

「そんな事は……ないけど」


あれはまだ私が小学生の時に入院していた頃だ。

季節はよく覚えていない。春かもしれないし小春日和の初冬だったかもしれない。

暖かかったことだけが記憶に残っている。

そんな優しいお日様の下。私は砂浜で独り泣いていた。

不意に優しいお日様の光が遮られ視線を上げると真っ青な空に真っ白なシャツが舞っていて天使の羽根のように見え。

目の前の砂浜に男の子が舞い降りてきた。

その男の子が私の顔を見るなり不思議な顔をしている。

「何で泣いているの? 泣いていると楽しい事が逃げちゃうよ」

「楽しい事なんてないもん」

「それじゃ楽しい事が来るお守りをあげる」

男の子が何処からとも無く取り出したのは一枚の大きな真っ白な羽根だった。

綺麗な羽を貰えて嬉しくなり男の子を見ると両手の親指と人差し指で四角を作っていた。

「やっぱり笑った顔のほうが可愛いよ」

「ありがとう」

恥ずかしくって俯くと後ろからお母さんの声がして気が付くと男の子は何処にもいなかった。

今もあの時の羽根は大切ににしまってある。


天使のような男の子と水族館で両手の親指と人差し指で四角を作り構図を決めている森山先生の姿がダブって鼓動が跳ね上がる。

「汐音、大丈夫なの?」

「う、うん。大丈夫だよ。あの男の子も両手の人差し指と親指でこうして構図を切り取るポーズをしてたから」

栞の言葉で現実に引き戻されると無意識に胸の辺りを掴んでいた。

「恋の予感かもね、。ああ、明日から学校中が大騒ぎだよ、きっと」

「恋なんて知らないし。何で大騒ぎなの?」

「でも何でモーリはイメチェンしたのかな?」

「わ、私の責任じゃないからね。暑いからって本人も言ってたし」

意味深な目で私を見る栞の肩を軽く小突いた。


栞の言うとおり次の日は学校中が大騒ぎになっていた。特に一年生の騒ぎ方が凄く一日中森山先生の話題で持ちきりだった。

「フォトグラフ学科を選べばよかった」

「2次で行けた人はラッキーだよね」

「恋人はいるのかな?」

そんな話題が一人歩きしているけれど非常勤なので森山先生は講義がある日以外は不在で騒ぎは徐々に収束していく。

どこからの情報か森山先生が秋川先生の従姉弟だと分かっても秋川先生に直接話しを聞きに行く強者はいないようだ。

一人を覗いては。

「ユッコ先生。森山先生って今日は何処に居るんですか?」

「さぁな。その呼び方は何とかしてくれないかな。若菜 栞」

「ええ、こっちの方が親しみがあって良いじゃないですか」

明らかに栞は秋川先生を弄って楽しんでいる。それに秋川先生も強く否定しないということは容認しているのかもしれない。

ヒクヒクと顔を引き攣らせているけれど。





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