『星影祭当日』 その5
「ふざけんなよ!」
そう叫んだドスの聞いた声は、周囲の喧騒にかき消された。
頼み事を聞いてもらうには、順序がある。然るべき言葉遣いも必要だ。
けれど、それらを経て「お願い」してもなお、叶えてもらえないことなんて、世の中にはざらにある。
例えば、「お願い」をしてくる相手が、どうしても気に食わない奴だったのなら、あまりの図々しさに拳の一発でも顔にぶちかましたくなるところだろう。
眞白に布の調達を、司狼に演出プランの変更を頼んで、旭姫はというと、衣装と小道具の調達に来ていた。向かった先は『美術学科』の『舞台大道具家』の生徒。彼らなら『プレライ』に参加するわけではないし、『プレライ』のための大道具の制作も当日には終わっているわけで、今はちょっとした調整に駆り出されているだけだ。
旭姫は、そんな彼らの中に乗り込んだ。衣装を貸してくださいというお願いをするために。
「お前さ、自分が何言ってんのか分かってるわけ?」
小馬鹿にしたような表情を浮かべる大男三人が、旭姫を取り囲んでいる。
場所は、大道具が閉まってある学園内の倉庫の裏。ちょうど物陰になっており、教師や専門スタッフといった大人の目が届かない場所であるところが小賢しい。
「自分の立場もわきまえずよくそんな図々しいことが言えるよなあ!?」
そう凄まれて、腹に一発拳を食らう。思わず膝をついて、げほげほと嗚咽を漏らしてしまう。
アイドルだから顔を殴らないというのは向こうなりの気遣いか、それとも、教師にバレたらヤバいという姑息な判断か。
「……っ、だから……こうして、頼んでる……のに……っ」
息を吸って、吐くだけのことなのに、身体が軋む。軋んだ後、焼けるような痛みが腹の底から湧き上がってくる。
「頼んでる、だってよ! こんな反抗的な目しちゃってさあ!」
げらげらと下卑た笑い声が頭上から降ってくる。あまりの痛みに蹲っていたら、今度は頭の上に踵を落とされた。頬と地面が擦れて掠り傷ができる。アイドルだから顔を傷つけないというのはこちらの思い違いだったか。だが、これくらいならメイクでいくらでも隠すことができる。向こうもそれを見越して暴力を振るっているのだろう。
プライドの高い旭姫は、こんな風に地面に這いつくばっている姿など、誰にも教えたくないはずだ。
誰よりもアイドルになりたいと望んでいる旭姫は、在学中に問題を起こすことを好まず、このことを誰にも言わないはずだ。
そう、相手もたかをくくっているし、旭姫本人も、まったくもってその通りだと思っている。
こうしてまた、身体中に、痣や傷が出来ていく。そしてそんな貧相な身体を、ステージの上で晒したくないと思ってしまう。だから、着る衣装がどんどん限られていく。
「俺らはさあ、お前らのせいでまだデビューできないわけ。分かる? なのにいいよなあお前は! 学園長のコネで天生目家に引き取ってもらって、学園長の息子がいるユニットに入って、将来安泰だもんなあ!?」
学園長のコネがあったって、学園の試験は平等に与えられる。
将来安泰なら、今頃こんな場所をかけずり回っていない。
そう言い返してやりたいのに、身体が言うことを聞かない。そもそも、ここで言い返してしまったら、彼らが自分の願いを聞いてくれないかもしれない。そうしたら、『プレライ』も成功できない。
それに、彼らが言っていることも、分からなくはないのだ。
彼らは、自分と同級生ではあるものの、年齢は違う。いわゆる、『美術学科』の試験に通ることができずに、卒業するはずの年齢に達していながらも、まだ学園に在籍している立年組だ。
そして、彼らが通ることのできないほどの試験を出すというシステムを作り上げてしまったのは、他でもない自分なのだ。
「……僕のことは、どう扱ってもいい。ステージに上がることのできる範囲でなら、どれだけ痛めつけても構わない」
だから衣装と小道具を貸してくれ。
そう言うと、また「お前が条件をつけて頼める立場か」と蹴りを入れられた。
「じゃあ土下座。土下座しろよ。土下座して俺らの靴を舐めたら考えてやってもいいからさあ!」
俯いている旭姫の視線の先に、ぐいぐいと靴を押し付けてくる。彼らの靴なんて、臭い上に汚いし、舐めるだなんてたまったものじゃない。唇を噛みしめる。しかしこのまま噛みしめているだけでは後にも先にも進めない。
どうしようもない。
そう思って顔を汚物に近づけてしまいそうになった時、背後から足音が聞こえた。
いつもなら、このあたりで口を出してくるのは司狼だ。けれど、足音は彼のものよりもいくらか軽い。小柄な生徒なのだろう。
「……ねえ、何してんの?」
一度だけ聞いたことのある声。この前聞いた時は、自分の知っている彼の声より少し低くなっていて、思わず戸惑ってしまったけれど。
この声は、もう忘れない。忘れることができない。
「誰だよ、お前」
誰も来るはずのない倉庫の裏に、知らない人物が現れた。それだけで、大の男は情けなく動揺してしまうものらしい。
「えっと、初めまして」
先日『星影学園』に転校してきたばかりです、と、彼は律儀に自己紹介をした。普通、リンチ現場に参上したらまずしないであろうズレた反応に、男たちがたじろいでいるのが分かる。
「俺、鷲崎空翔っていいます。この間、『Bell Ciel』っていうユニットを結成しました。よければこの後の『プレライ』にも参加しますので、来てください」
ちゃっかりと名刺まで渡して営業もしている。
「で、本題に戻るんですけど、先輩方、何してるんですか?」
「なにって、あれだよなあ」「ちょっと言うこと聞かない下級生に、なあ」と、しどろもどろに説明にならない説明が繰り返された。語彙力のない人達である。
「僕が、お願いをしてたんだよ」
ようやく腹部の痛みにも慣れてきた。ゆっくりと、埃を払って立ち上がりながら旭姫が言うと、彼らも便乗して「そうだよ」だのなんだのわめき出す。
「で、そのお願い事っていうのは、叶ったんですか?」
「まだだよ。それで、話し合いをしてた」
話し合いというより、正確には、一方的な蹴り蹴られだったんだけど。
「じゃあ、先輩方は早くお願いを聞いてあげてください。俺、この人に用があって探してたんで」
敬語で、下の者が上の者を敬う口調であるはずなのに、それはまるで有無を言わせない命令だった。彼らが、自分より年下で、体格からしても明らかに勝てそうな空翔の命令には、あっさり従っている。旭姫がお願いしていたものを持ってきて、旭姫ではなく空翔に手渡すと、彼は「ありがとうございます」と微笑んだ。その微笑に、彼らが少し赤くなっているのが分かる。絆された、とでも言うべきか。
これが、旭姫もよく知っている、空翔の才能のひとつ。彼に何かを頼まれたら断れないし、彼に笑顔を向けられたら絆されてしまう。空翔は周囲の愛情とか信頼とかいった柔らかいものを受け取って、それを生きる糧にする。
「はい、これ」
満身創痍であることを微塵にも出さない旭姫にも、その笑顔は向けられた。
「……ありがと」
それじゃあ、と言って、旭姫はその場を去ろうと踵を返した。
本当なら、彼とここでこうして話すことすら憚られた。彼がここにやってくる前に、自分の手で彼を完膚なきまでに潰しておくべきだった。そこはもう、自分の実力不足を呪うしかない。
「待って! あさ……旭姫!」
肩を掴んで強引に呼び止められた。その手の力強さに思わず眉をひそめてしまう。
空翔は、「旭姫」と呼んだ。かつて、彼が自分を呼んでいたのとは違う呼び方で、旭姫を呼んだ。それが、自分に何らかの理由があることを彼は本能的に理解していて、それを気遣った末での行為であることが手に取るように分かってしまうから、余計、腹立たしかった。
「俺、旭姫に聞きたいことがあったんだ。だから旭姫を探してた」
どうして、と、彼は恐々と、手探りで闇の中を進んでいくような頼りなさげな声で、旭姫に尋ねる。
「……どうして、急に俺の前から消えたの? どうして、十年間一度も会いに来てくれなかったの? どうして……」
次々と彼が口にする質問は、ぶつけるというよりは、こちらにそっと差し出してくるかのようだ。まるで、旭姫を問い詰めることを拒んでいるように。
空翔は、優しい子だったから。きっと、今も、優しい子のままだから。
こうして、質問という形にして、あくまでも旭姫を責めるようなことはしない。
「……何のことを言ってるのか、さっぱり分からないよ」
「しらばっくれないで! 俺は、会いに来たんだ。旭姫に会いたくて、この学園に来た。旭姫に伝えたいことがあって、この学園に入った。……あの日の夢を叶えようって、一緒にアイドルしようって、ずっと、そう言いたかったんだ……っ!」
それは、旭姫を揺さぶる言葉だった。結局、空翔の本質は十年前から何一つとして変わっていない。
けれど、揺さぶられてはならない。これから『プレライ』に臨まなければならない。動揺していては、『プレライ』は成功しないのだ。
「……君が何のことを言っているかは分からない。でも、僕に会いに来たって? ここはそんな生半可な覚悟で足を踏み入れていい世界じゃない。そんな中途半端な気持ちでステージに上がるのはやめた方がいい。それに、この学園に入ったって、僕達がこの世界にいる以上、君達がトップになる日は来ない。諦めた方が得策なんだよ」
でも、衣装と小道具の調達に協力してくれたことだけは、礼を言う。ありがとう。
それだけ、呟くように早口で言い残して、旭姫は空翔を置き去りにした。後ろは振り向かなかった。空翔ももう、呼び止めることも追ってくることもしなかった。
これから、『Nacht』の、『プレライ』が始まる。記念すべき六回目の『プレライ』。心を乱していては『魔法』も乱れてしまう。
忘れよう。今日空翔に言われたことも。今日空翔に会ったことさえも。
そう決意して旭姫は急いでユニットメンバーのもとに戻り、『プレライ』の最終確認を始めた。
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