『星影祭当日』 その4
コンコン、と二回ノックの音がする。しかし、司狼は気づかない。
コンコンコン、と三回ノックの音がする。しかし、司狼は反応を返さない。「どうぞ」とも「取り込み中だ」とも言わないのだから、素っ気ないものだ。
というのも、今は集中しなければならない時だから。
衣装と小道具の調達は、眞白と旭姫が請け負ってくれた。
リーダーである自分に任されたものはといえば、より詳細な演出プランだ。旭姫の案が上手くいけば、『プレライ』は成功する。より成功の確率を高めるためには、より詳細なプランが必要となる。それも、本番までという早急さで。
急にプランが変更するのだ。三人の立ち位置や細かい振りつけはもちろん、場合によっては、MCの大まかな筋すら変更になるだろう。
この短時間にそれらすべてをこなしてこそのリーダーだ。
悠長なノックになど、構っている暇はなかった。
コンコンコンコン。四回目のノックを無視した直後だろうか。
ドゴンッ
という音がした。扉の前で。
ノックの主が痺れを切らした――と言えばこちらが悪いような気もするが、明らかに今のは扉を破壊する意図が込められていたように司狼には思えた。ノックを無視して苛立ったのか、いい加減気づいて外に出ろと苛立ったのか……どちらにせよ、苛立ち、力任せに、思いっきり、加減もなく、扉を足蹴にしたように思えた。
「……うるさいぞ」
本当は「うるせえぞこのクソ野郎」とまで吐き捨ててやりたいところだが、残念ながら、今の司狼はライブモードではないのだ。
演出の変更も大まかなところまでは決定した。仕方ない。出てやろう。
そんな上から目線で、司狼は楽屋の扉を開けた。
目の前には、意外な人物がいた。
いや、この場にいることが意外というわけではない。彼だって、この学園の生徒で、『星影祭』で開催される『プレライ』の参加者だ。この場にいても何の不思議もない。
意外だったのは、司狼には、目の前の人物が苛立ちに任せて、力任せに扉を蹴り上げるとはとうてい思えなかったからだ。
「……織田美琴」
思わず名前を呟いた。
御曹司。優雅。気品。王子様。先日、旭姫や眞白に説明した単語が浮かんでは消えていく。事実、目の前で微笑む彼に、その単語はぴたりと当てはまった。彼が扉を蹴り上げていなければの話だが。
「こんにちは」
美琴はといえば、「僕にそんな足癖なんてありませんよ。あなたの幻聴じゃないんですか」とばかりに有無を言わさない笑顔のままだ。
「互いに『プレライ』前の試練に対処している最中だろう? こんな時に他ユニットの楽屋に何の用だ?」
「嫌だなあ。あんな試練、すぐ乗り越えたに決まってる。それに、『何の用だ』なんて、仮説すら思い浮かばないほど、君の脳みそはおが屑なんですか?」
「おが屑とは失礼な奴だな」
「本当だ。すみません。失礼ですよね。君なんかと比べられたおが屑に」
美琴の言葉には、あからさまな棘があった。
「新人ユニットである『Bell Ciel』がライブ前に学園一のアイドルユニットである『Nacht』の楽屋に来るなんて理由はひとつしかない。挨拶ですよ。挨拶」
こんな言葉が下の者から上の者に向けての挨拶であるならば、この世界はもっと殺伐とした嫌味だらけのものになっているに違いない。
「あれ? 『息子くん』だけなんですか? 『姫ちゃん』と『色白ちゃん』はどこにいったのかなあ……」
入っていいと言ったわけでもないのに、美琴はずかずかと『Nacht』の楽屋へと入り込んでくる。司狼の隣を通り抜けた途端、肩口で切りそろえられたさらさらの金髪からふわりといい香りがするあたり、こんな奴でも王子様系アイドルをやっているんだなあと感心してしまった司狼である。
「妙なあだ名をつけないでもらいたい。……それも含めて、先ほどからの貴様の言動は、俺達に喧嘩を売っているとしか思えない」
しかしながら、そんな司狼の忠告は、当たり前のように無視されてしまった。苛立ちばかりが募るが、なんとか落ち着くよう自分に言い聞かせる。
美琴の表情から察するに、彼は司狼をおちょくり、苛立たせようとしている。もともとそういう性格なのか、『プレライ』前に動揺させることでライバルユニットの失墜を狙っているのか――あるいはその両方か。
「ああ、演出プランを練ってたんだね。君のところも衣装に不備が? お互い大変だ」
「勝手にノートを覗くな。スパイしに来たと疑うぞ」
その言葉に、美琴は心外だという顔をする。
「言ったはずだよ。先ほど、対処は済ませてきたって。今さら君達のメモを見て何になる? 噂になってる。今回の『プレライ』、『Nacht』は冒険しないって。教科書に載っているようなありきたりなプランでいくわけ?」
美琴の言葉に、司狼も「心外だ」と返す。
「俺達がそんなありきたりのユニットに見えるか?」
「見えない。それに、その案は『姫ちゃん』が嫌がりそうだ」
言外に、「お前のユニットの実情は知っている」と、そう言いたげな口調だった。
御曹司が学ぶべき帝王学を放棄して、アイドルをやっている。そんな「物好きな奴」。
あるいは、「企業の広告塔をやらされている可哀想な一人息子」。
そんな噂だけの印象など、どこかへ吹っ飛んだ。
今、この瞬間から、天生目司狼にとっての織田美琴は、「食えない奴」――否、「食えない嫌な奴」だ。
「まあ、君達がどんな演出を用意していようと、僕達の『プレライ』は、その上をいくよ」
面と向かっての宣告に、司狼は何を言われているのか分からなかった。「人を指さすんじゃない」なんて、そんなありきたりな文句すら出てこない。脳が言葉の意味を把握しない。まるで、この場所だけ時を止められてしまったかのような沈黙が流れる。
「先ほど、『息子くん』は僕に言ったよね。「喧嘩を売っているようだ」って。……お望みなら、もっと喧嘩を売ってあげようか?」
『Nacht』は『星影学園』一のトップアイドルユニットだ。今まで面と向かって色々言われなかったわけがない。
「目標だ」と言われたことがある。「気に食わない」と言われたこともあるし、『プレライ』前の嫌がらせが日常茶飯事だったこともある。
けれどそれらすべてが、「下に位置する者」からの言葉と行為だった。
だというのに、この織田美琴ときたら、どうだ。
最初のうちこそ、「下の者がへりくだって挨拶に来ました」なんて言ってみせたが、そんなもの、文字通りの口からでまかせだ。
彼は、結成されたばかりのユニットでありながら、『Nacht』と並ぶユニットのリーダーとして、『Nacht』のリーダーである司狼に喧嘩を売っているのだ。
「ふふ。いいね、その顔。もっと僕を見て嫌そうな顔してみせてよ」
下から覗き込むようにして、美琴が目を合わせて来る。頬を指でつうっと撫でられ、肌が粟立った。
「君はさっき、自分達のユニットの実情を知られているのが気に食わないって顔をしてたよね。でも、君達なんて、知られていて当然なんだよ? 何しろ学園内ではトップの成績。その上、リーダーとセンターは有名人の御子息と来ている」
「有名人の御子息」。その一言が、一見落ち着いている司狼の神経を刺激する。
「……それ以上口にしたらどうなるか、分かってるか?」
「おっと、地雷でも踏んじゃった? ごめんね?」
謝る気もないくせに。
この部屋に来てから、美琴はずっと笑顔だった。
最初は、貼り付けたような王子様の笑み。けれど今は、司狼に食って掛かるのが心底楽しいという笑みだ。
「ふざけてんじゃねえぞ、てめぇ……」
「怖い怖い。それが噂の、「ライブ時の狼モード」ってやつ? 色んな人から好評なんだってね。ギャップがあってぞくぞくするって。でもね、その欠点を僕は知ってる」
教えようかな、どうしようかな、と美琴がもったいぶる。
「いいぜ、言ってみろよ。てめえなんかに俺様がとうてい理解できてるとは思えねえけどな」
久しぶりに、司狼はステージ以外で凄んでみせた。
「スイッチ、入ったね」
けれど、それこそ美琴の思うつぼだった。
「君はステージの上でこそ乱暴粗暴横暴に振る舞っているものの、お育ちの良さが抜け切れていない。一昔前のロックバンドのライブを見てごらん? まさにステージの上での殴り合いと言って差し支えないほどの激しいパフォーマンスで溢れている。だけど、君にはその激しさが感じられない。まるで、いい子に育ってきたお坊ちゃんが、一生懸命悪ぶって吠えているようだね。はっきり言って、滑稽でしかない。さしずめ、負け犬の遠吠えだよ」
君だけじゃない、と、口を挟む隙もなく美琴はつづけた。
「犬色眞白はミステリアスで売っているみたいだけど、本当は自分を知られるのが怖い臆病者に過ぎない。見る人が見れば、それはステージで手に取るように分かってしまうんだよ。ステージ衣装もまともに脱ぎ着できないポンコツだしね。木虎旭姫は、その出自からして、叩けば埃がいくらでも出るだろうね。以上を考えれば、君達が立っているその場所は、いくら学園一だと名高くとも、所詮は砂上の楼閣だ」
「よくもまあ、あることないことぺらぺら喋ってくれるなあ、このクソ御曹司が……ッ!」
「そうだよ。僕は君の言う通り、クソ御曹司だ。比べて、君はいつもお金はちらつかせるくせに、ケチで、お父様の権力を利用するのがたいそう苦手みたいだ。一度利用してみなよ。クソ息子にはなるかもしれないけど、たくさんの情報が得られる。もっと上の立場にいける。独裁だって可能になるかもしれないよ?」
「俺のことはどうたっていいんだよクソ野郎! ……ただ、俺のユニットのメンバーを侮辱することだけは許さねえ……てめぇ、潰されてえのか?」
司狼の脅しめいた言葉にも屈することなく、美琴は嬉しそうに目を細めている。
「……言ったでしょう? 僕は君達に喧嘩を売りに来たんだ。『息子くん』しかいなかったのはちょっと残念だけど、今は君だけでよしとするよ」
宣戦布告、っていうやつだよ。
ゆっくりと、けれどもはっきりと、織田美琴は言い切った。
「僕は君達との関係を、ライバルだなんていう生ぬるいものにはしたくない。君達は、正真正銘、僕達の敵だ」
君達がトップに上り詰める前に、叩き潰す。
それが、『Bell Ciel』の目的だという。
「てめえ、俺達に何か恨みでもあんのかよ」
「個人的な恨みならいくらでもあるけれど……。そうだ、じゃあ、ユニットメンバーのためってことで、どうかな? この前、君達が僕達のリハーサルを盗み見していたことがあったでしょう?」
遠巻きに見ていただけのつもりだったが、どうやらばっちりバレてしまっていたらしい。
この『Nacht』に鑑賞されていると知りながら、気づかない振りをして、何事もな
いようにリハーサルを続けていたのだから、恐れ入る。
「あの時にね、僕のチームのセンターが君のチームの『姫ちゃん』と、目が合ったらしいんだよ。可哀想に、動揺しちゃってね。その後の本番は過去最低点、ギリギリ通過って感じだったかな」
「当然の結果だろうが。そんなくだらねえことで動揺してるんなら、とうていアイドルにはなれねえな」
「くだらないことなんかじゃない。そのくらい、「木虎旭姫」を引き取った天生目家の一人息子なら、知っているでしょう?」
「てめえ、その事情をどこで……」
「さっき言ったでしょ。クソ御曹司だって。クソ御曹司にはクソ御曹司なりの情報網があるんだよ」
互いに距離を取って、にらみ合った。まるで、相手の腹を探るように。眼光だけで、相手のすべてが見抜ければいいとでもいうように。
先に動いたのは美琴の方だった。
「ま、今日の宣戦布告の理由っていうのは、うちの空翔くんから君のところの姫ちゃんへの敵討ちってことで」
それじゃあね、と、美琴は手をひらひらさせて、何事もなかったかのように、爽やかな笑顔で『Nacht』の楽屋を後にした。
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