アンリエッタ・ドアー登場‼


「こらこら、妹よ。お姉ちゃんの鞄を漁っては駄目だよぉ」


 ロンドン郊外にある屋敷にレイチェルが帰ると、リビングに入る前に、「お帰りなさーいっ!」と駆けて来た妹のアンリエッタが、レイチェルの腰回りに抱き着いた。


 肩の所で切り揃えられたレイチェルと同じ色の髪に深みのある瞳、つんとした鼻に小さな靨。レイチェルにそっくりとよく言われる妹のアンリエッタ・ドアー。


 忙しい両親が不在が当たり前のドアー家に居て、アンリエッタはすっかりお姉ちゃん子になってしまった。


 「お姉ちゃんっ!」と猫のようにくっついて離れないアンリエッタが可愛くて仕方がないレイチェルは、鞄をソファの上に放り投げた傍から、鞄の中味を漁るアンリエッタを見ても、怒る気すら起きない。


 今日は明るい青色の魔女服を着ている。

アンリエッタお気に入りの絵本『魔女っ子の大冒険』に出てくる主人公の魔女っ子が来ている魔女衣装である。絶対に似合うと踏んだ、レイチェルが特注で誂た物だ。


「天才の私のお姉ちゃん。今日はお菓子ないの?」


 加えて、アンリエッタはレイチェルのことを尊敬していた。毎夜、投書をもじった話をしてくれるレイチェルはアンリエッタには物知りな姉以外に映らない。


 そして、『天才』と言うと、レイチェルが気を良くして街に売っているお菓子をくれるので、味を占めたアンリエッタは事あるごとにレイチェルの事を『天才』と言うようになった。


 我が妹ながら、賢い。レイチェルはアンリエッタのあざとささえも、愛おしく思っていたのである。

 この全てを許し、受容してしまえる愛情さえあれば、世の中に争いなどは有り得ないのだろう。

レイチェルは悟りさえ開いてしまったほどである。


「お姉ちゃん。これ読んでも良い?」


「んー、どれ~?」

 

 レイチェルが、パンを齧りながら、覗くと、アンリエッタが鞄から取り出した、茶色い紙ファイルを見ていた。

 あれは、没ファイルだ。どうしてそんなものが鞄の中に入っているのだろうか……?

 レイチェルは、首を傾げたが、


「いいよぉ」と即答した。


 どうせ、没になった投書など笑い話しかありはしないのだから。


「アンはもうお風呂入った?」


「うん。さっき入っちゃった」


「そっか。じゃ、お姉ちゃん入ってくるねぇ~」 


「は~いっ!」


 レイチェルは、アンリエッタを残して、長い廊下を1人で浴室へと向かった。


「むぅ」


 とても静かな浴室で、湯船に浸かりながら、ソファに座り込んでファイルを覗き込む様にして読み耽っているアンリエッタの姿を思い出して、レイチェルは、一抹の寂しさを感じていた。

 それと言うのも、最近、読書に目覚めてしまったアンリエッタはレイチェルがいる時でも読書をしている時がしばしば見うけられるようになったからだ。

 

 「天才のお姉ちゃん、遊びましょ」と四六時中レイチェルの傍を離れなかったというのに。

お風呂だって、今までは必ずレイチェルの帰りを待って一緒に入っていたと言うのにっ! 


これは由々しき事態である。


レイチェルは『お姉ちゃん離れ』と言う文字に日々怯えていたのであった。


「アン。やっぱり、読んだらめっ!」


 レイチェルはバスタオルを巻いたまま、浴室を駆けだすと、未だソファでファイルを読んでいるアンリエッタからファイルを引っ手繰った。


「なんで、なんで?どうしてそんな意地悪するの?一通り読んだからもういいけど」


「えっ!もう読んだの?」


 ファイルを見ると、それは、いつだったか、『見て見てレイチェル‼初投書が来たのっ!』とエマが小躍りをして喜んでいた投書だった。

 確か、燻製にしん、とか言うふざけたペンネームだったな。どこか引っかかる感じがしたが、思い出せなかったのでほったらかしにしたファイルでもあった。


「うん。でもわからない言葉が一杯あった!」


 新しい発見でもあったかのように、アンリエッタはとても嬉しそうにニカニカと笑っている。


 それからが大変だった。


 アンリエッタが、『天才で何でも知っているお姉ちゃん』にわからなかった言葉の意味を聞いてきたからである。


「お姉ちゃん、『焼死』ってなぁに」


「えっと……それは『笑止』を書き間違えたんだよきっとっ!ウケなかったんだよ。渾身のギャグが、滑っちゃったんだねっ!」


「へぇ~じゃあ、このトリカブトってなぁに?」


「トリカブトはね……あれだよ。カブトムシトリを略してトリカブト!」


 苦しい…我ながら、苦しいこじ付けだと思った。だが、こんな幼気で可愛らしくて無垢なアンリエッタに本当の事を教える事など、慕われるお姉ちゃんとしてはできなかった。アンリエッタにはいつまでもネバーランドの住人で居てほしい。

 薄汚れないで欲しい。


「やっぱり姉ちゃんは天才だねっ!でもねっ、これアンも絵本で読んだのっ!」


 アンリエッタは無邪気な笑顔を輝せながら、7人の殺され方が羅列された箇所を指さした。


「えっ⁉どんな絵本?アンちょっとその絵本持っといで」


 こんな凄惨な殺害方法が記された絵本とはなんぞや。そんなものを製本した出版社と作者は、叔父の権力と財力を駆使して、駆逐しなければならない。

 レイチェルは、3年ぶりくらいに本気になった。


「これっ‼」


「これ?これってマザーグースじゃんか。これのどこに書いてあるのかにゃ?」


「えっとねぇ。ここだにゃ‼」


 アンリエッタが見開いたページには『10人のインディアン』と言うタイトルがあった。


「アン。冷蔵庫にプリンがあるから、それ食べていいよ~」


「本当‼でも、アンもう歯磨きしちゃった……」


「寝る前にお姉ちゃんと一緒にすれば大丈夫!」


「うんっ!わーいっ」


スイーツ用に設置された冷蔵庫に駆けて行くアンリエッタの背中を「かぁいいなぁ」と、うっとりしながら見送ってから、レイチェルは『10人のインディアン』を読み始めた。

 

「うげぇ。なんじゃこりゃ……」

 

 マザーグースは元々は伝承童謡であるから、この絵本のように物語にしようとすると、作者によって多少の着色がなされるのだが……

 それにしたって、10人が10人共に死ぬなんて……


「むぅ」

 

 レイチェルは絵本を閉じると、眉間に皺を寄せた。確かに、このファイルにはこの童話との類似点が多数ある。主に、登場人物の死に方に……


f:食事に混ぜられた毒によって絶命。

m:食事を喉に詰まらせて絶命。

f:薪を拾いに出かけ、頭を斧で割られた状態で発見。

m:薪をしていて真っ二つ。

f:脱出しようと、乗ったボートが沖で転覆。

m:海でニシンに飲まれて絶命

f:森へ逃げ、狼に食い殺される。

m:動物園で熊に抱かれて絶命。

f:ベッドに潜り込んだ猛毒蜘蛛によって死亡。

m:蜂の巣で遊んで刺されて絶命。

f:燃料コンロが爆発し焼死。

m:日光浴をして熱で焦げて絶命。

f:孤独に耐えられず、自ら命を絶った。

m:1人ぽっちになって自分で首をくくって絶命。

 

 ファイルとマザーグースを比較してみてレイチェルは、もう一度「むぅ」と唸った。

 微妙だ。

 類似していると言えばしているが、こじ付けだと言えばそれで一蹴できてしまうレベルなのだから。

 そもそも、マザーグースの方は10人でファイルは7人なので人数からして合わない。


「うん。やめっ!」


 推理なんて珍しいことをしそうになったせいで、レイチェルは軽い発熱を感じた。レイチェル・ドアーはいつでもどこでもノリと勢い真っ向正面直球勝負なのである。頭の中でグルグル解けないパズルゲームをするのは性格的に合わない。

 ファイルを鞄の中に突っ込んだレイチェルは、自分のお気に入りのテーブルでプリンを頬張る天使の姿を観察することにした。



  O



「うへぇ」


レイチェルは、最悪な目覚めを迎えていた。

今日は大切なミッションがあると言うのに……永久ネバーランド居住権を有するアンリエッタに、あんな俗っぽい夢も希望もない絵本を買い与えた本人を駆逐すると言うミッションがっ‼

 昨日、歯磨きの時に「そういやマザーグースをくれたのは誰なの?お姉ちゃんアン買ってあげた記憶がないんだけど」と言うと、アンリエッタは「シェランおじさまがプレゼントしてくれたっ‼」と歯磨き粉満載の口元で元気に答えてくれた。


「(あんのタコオヤジっ‼なんて物をアンに与えてくれたんだっ‼)」


 むぅ。検閲を強化せねば。


 金と時間を持て余しているシェラン・・バーナードは、ひょっこり、遊びに来ては、持参した玩具やお菓子でアンリエッタに取り入ろうとする。いつも、レイチェルの分のお菓子を置いて行ってくれるので大目に見ていたが……どうしてくれようか……そうだ、バーナード叔母様に、叔父のあることないことを吹き込んでやろう。うむ。メイド辺りにでも吹聴して回れば叔母様の耳にはいるだろう。


 レイチェルはそんなネバーランドから強制退去させられそうな悪だくみを巡らせてから、


「アン。シェラン叔父様からもらった、玩具と絵本は開けないでお姉ちゃんに見せてね。お礼言わないといけないから」と笑顔で言った。


「はーい。お姉ちゃん。お菓子は食べても良い?アンね、我慢できないと思うの」


 レイチェルに抱っこされる腕の中でアンリエッタは唇を尖らせて言う。上目遣いがたまらなく可愛い。


 あぁ、なんて愛らしいのだろう。このまま食べてしまいたい。


「うん。お菓子はいいよぉ。でも食べ過ぎちゃめよ。ご飯が食べられなくなっちゃうからぁ」


 レイチェルがなんとか一握りの理性でもって現実へ戻ってきて姉らしいことを言うと、


「うんっ!」とアンリエッタは眩いばかりの笑顔をレイチェルに向けたのであった。


 なのに、ベッドに入ってからいつも通り、今日の出来事を面白おかしくアンリエッタに聞かせていると、不意にアンリエッタが「お姉ちゃんが持って帰ってきたご本書いた人ってすごいね」と言い出して、「どうしてそう思うの?」と聞くと「だって、みんな死んじゃったのに、ご本に書いているのだものっ!」と言うのだ。

 レイチェルは、はっとなったがとりあえずは「あれは作り話だからねぇ。誰でも書こうと思えば書けるんだよ~」と誤魔化しておいた。


 最後の1人が自殺をして生存者がいなくなった島での出来事。ファイルに書かれていることが全てであったとしたなら、自殺をした最後の1人が犯人であることは明白だ。なら、犯人であるはずの最後の一人が死んだ後の話がどうして綴られているのだろうか。


 本来なら誰も記せるはずがない。

 

 そうだ、この投書を初めて読んだ時感じた違和感……それは、大き過ぎる矛盾だったのだ。

 あまりにも堂々と当然と書かれていたのですっかり、ピンポイントに迫れなかった。


「(燻製にしん)」


 これも、引っかかる……『燻製されたニシン』以外に別の意味があったような……


 気になってしまったレイチェルはすっかり眼が冴えてしまった。仕方がないので、寝室の窓側に据えてある本棚から辞書を取り出して、窓から差し込む月明かりの下で調べてみることにした。


「うへぁ。調べるんじゃなかった」


 思わず、辞書を床に落としてしまった。絨毯が敷いてあるので、音はさほどしなかったが、そのかわり、舞い上がった埃が月明かりに照らされてキラキラと光って綺麗だった。 


 明らかにピースの足りないパズルは、はなから手を付けようと思わない。だが、足りるか足りないか不明な場合は、ついやり始めてしまう。

 レイチェルは、リビングに戻って、悶々とパズルに手を出してしまったことを激しく後悔した。

 元々強い好奇心がそれをさせるわけだが、レイチェル自身でもそれは時と場合を選んでほしいと思う。

 

「あっキャシー?やっぱり、まだいた~働き者だねぇ」


 時刻はすでに深夜に突入していたが、特集記事をいくつも抱えているキャシーならまだ残業しているだろう。レイチェルはそう思って、本社に電話を掛けた。


「嫌みの電話なら切るわよっ!」


「違う違う。実はちょっと頼みたいことがあってさ」


「あら、やけに素直ね。どうしたの?もしかして拾い食いでもした⁉」 


 深夜残業突入でキャシーも変なスイッチが入ってしまっているようだ。

 キャシーはリアクションが面白いから、いつもからかうのだが、今夜に関してはキャシーの機嫌を損ねると、ごねられて面倒くさいことになりそうだったので、素直に話を切り出した。

 レイチェルはその辺の聞き分けはある子なのである。


「あのさ、随分前にエマが投書のことで調べもの頼んだと思うんだけどさ」


「投書についての調べもの?色々と頼まれてるから、エマには随分と頼られてるから、もっと具体的に言ってくれないとわからないわ」


 エマの名前が出ると、親しいアピールが酷いなぁ。レイチェルは電話口で頬を掻いた。


「んーと。無人島で7人が殺されるやつ。これで思い出す?」


「あー30年前の事件ね。それなら、夕方頃にヴェラさんからも問い合わせがあったわよ」


「えっヴェラが?何聞いたの」


「事件の犯人は誰か。と被害者の殺害のされ方だけど……どうしたの?今頃になって……」


「えっとね。ヴェラがその事件を小説にネタにしたいって。ほじくり返した」


「なるほどねっ。でもこんな猟奇的で未解決事件には触れない方が良いと思うけどね、私は」


「えっ⁉未解決なの‼」


 レイチェルは、背筋に冷たい何かが走るのを感じた。


「なんだ知らなかったの?スコットランドヤードでもコールドケース案件扱いよ」


「うへぇ。てっきり解決してると思ってたよぉ」


「大体、無人島に居た7人中7人が死んでるんだから、犯人が捕まるわけないじゃないよ」


 受話器の向こうからキャシーの笑い声が聞こえている。


「でもさ、だったら、通報したのは誰なのさ」


 むぅ。レイチェルは、少し意地悪をすることにした。


「通報って?」 


「無人島で人が死んでるって警察に通報した人のこと」


「さぁ、そんなこと記事には書かれてなかったけど……んーちょっと待ってて、当時の取材記録、調べてみるから」


 なんだかんだ言って、付き合いが良いなぁ。忙しいだろうに、レイチェルはニヤニヤしていた。


「時間かかりそうだからまた掛けなおすわね」


 数分後にキャシーがそう言って電話を切ってしまった。


「あっ、いや、別に、」


 ツーツーツー


 しまった。ただの意地悪のつもりだったのに、悪戯半分だったのに……


「寝れないじゃないかーっ‼」


 ツーツーを繰り返す受話器に、そう大声で言ってから、乱暴に受話器を戻したレイチェルは、


「うん。寝よう」


 ベッドに戻ることにした。


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