その日は朝から雨が降っていた。

 雨の日は必然と客足が遠のく。例によって、その日は来客も少なく、その男か訪れた夕暮れ時も店内に他の客はいなかった。


「店長、少しよろしいでしょうか……」


 時計売り場のレイアウト変更の作業をしていたデュークの元にナイフ売り場の担当者であるサラが、怯えるような表情をして、デュークの元へと小走りにやってきた。


「どうかしたのかい?」


「はい……それがその……あちらのお客様が……」


肩越しに、サラが視線を向けた先には、頭の先から足の先までズブ濡れになった中年の男がナイフの陳列されてあるガラスのショーケースの前にただ立っていた。


「自殺用のナイフが欲しいと……」


「自殺用⁉」


 デュークは思わず聞き返してしまった。


「はい。何度もお伺いしたんですけど、自殺用で間違いないって言うんです。私、薄気味が悪くなってしまって……」


 今にも泣きだしそうなサラにデュークは「大丈夫だから。すぐ、表に臨時休業の看板を出してくれないか。それが終わったら、俺が引き継ぐから、君はこのレイアウトの続きを頼む」そう言ってナイフ売り場へと足早に向かったのであった。


「(ほうほう。これはなかなかいい線いってますにゃ。久々の大物の予感!あっ、そこに置いといて。そうだ、ハニートースト、ハニー多め。で追加でお願いします‼)」


 男は青白い顔色に頬がこけ、見るからにやせ細っていたのがわかった。何日も食事をしていないのかもしれない。


「お待たせいたしました。どのようなナイフをお探しでしょうか?」


「一思いに死ねる刃渡りのあるものならどれでもかまわない。そうだな。あの後ろに飾っているのは売り物かね」


 男は、ショーケースのずっと置く、在庫棚の一番上段に飾っている、一振りのナイフを指さして行った。

 

「あれはダイヤモンドのナイフでして、ほぼ、非売品となっております」


「面白いことを言う。ダイヤモンドなわけがあるか、あの光り方すれば、ガラスだろう」


「はい。お客様のおっしゃる通り、あれは、スワロフウスキー社製の記念ナイフになります」


 『ダイヤモンドの輝きを』と言う売り文句の元に作られた、ダイヤモンドと見まがう輝きを放つガラスのナイフである。

 この店が開店にするにあたって、記念として贈られたものであった。


「そうか、そうだな。私のような人間にあの輝きは眩しすぎる……」


 男性は、虚ろな目元に涙を浮かべた。


「失礼ですが、話を伺っても?」


「もう絶望してしまったんだよ。私は長年に神を信じ神を愛してきた。なのに!神は妻も息子も助けてはくれなかった。今度は娘まで……明日、娘は手術を受けるんだ、主治医の話では成功確率は相当低い……手術しなければ、助からない……だから、私は、娘と一緒に妻と息子の所へ行こうと思っているんだ」


「奥様とご子息様にはお悔やみを申し上げます。ですが、どうして、当店なのでしょうか?」


 自殺するのであれば、方法はいくらでもある。どうしてナイフなのだろうか。そして、今時、選びさえしなければ、刃物は食料品店でも買える。だと言うのに、わざわざこの男性は接客対応型のこの店を選んだ……デュークはそこにこの男性の真意がるように思えた。


「理由なんてありはしない。ただ歩いていたら目についただけだ」


「左様でございますか。お客様、大変申し訳ありませんが、お客様にはナイフをお売りすることはできません」


「金は払う。どうせ持っていても仕方のない物だ。付値の倍支払う。それでもか」


男は胸ポケットから財布を取り出すと、くたびれた財布から50ポンド紙幣を何枚か取り出して見せた。

デュークは驚いた。20ポンドが一般的なポンド紙幣の最高額として使用される。本当の最高額紙幣は50ポンド紙幣なのだが、小売店などでは使用を断られることも多く。財布に、複数枚持っている人間は少ない。


「お客様、私が申しておりますのはそのようなことではありません。もしも、私がお客様にナイフを売れば、お客様はそのナイフで自殺をしてしまう。そうですよね?」


「ああ、そのつもりで買い求めに来たと話しただろう」


「では、お客様の死後、凶器に使われたナイフが、この支店で販売された物であると、新聞記者たちはこぞって書き立てる事でしょう。そんなことにでもなったら、その風評被害は付値の倍額くらいでは到底足りません。自殺に使用されたブランドのナイフなんて誰も使いたがりませんからね」


 デュークは毅然ともせず、言い捨てるでもなく、物腰柔らかく諭すように言うのである。


「面白い人だな。普通、自殺を仄めかす人間に出くわしたら、思い止まらせようと説得するものだろうに」


「生半可な同情はただ虚しいだけでしょうから」


「なるほど、確かにそうだ。もしも、あなたに安っぽい同情をされていたら、あなたを殴り飛ばすくらいはしていたかもしれない」


 男は、何度も頷きながら、しみじみと話した。


 ボーォーン ボーォーン


 夕刻を示した柱時計が、店内にその刻限を告げた。


「決めたよ。あなたにここで会えたのも何かの縁だ、そのダイヤモンドのナイフを売ってはもらえないだろか」


「いえですからこれは……」


「さっき、『ほぼ、非売品』と言ったのはあなただよ」


「これは参りました。ですが、お譲りするにしても、この品に関しまして、小切手などは使えません。現金でのお支払いになりますが……」


 デュークはそう言いながら、値段をメモ用紙に記して男に見せた。


「なるほど、これは銀行に行かなければ、手持ちでは到底足りんな」


 値段を見た男は顎に手をやって、唸るように言った。


「ですが、お客様。幸いなことに銀行の取引時間は終わってしまっております」


 デュークが視線で時計を指して言うと、男は驚いたように目を見開いてデュークの顔を見ていた。


「本当に面白い人だ。無関心なのか計算の内だったのか……すっかり手玉に取られてしまったな。わかった、今日のところはおとなしく引き下がるとするよ」


 男は諦めたように頷くと、そう言ってデュークに背を向けて歩き出した。


 その背中へ向けて、デュークは「そうでした。お客様。当店、明日は商品入れ替えの為、臨時休業を致します」


「なん…だと……」 


 男はデュークに促され、女性店員がレイアウト変更に悪戦苦闘をしている姿を見て、呟くようにそう漏らした。

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