プロローグ


「2回目だけど、おはよっ。ネイマールちゃんっ!」


 アミューズブーシュ本社の受付カウンターに顔をのぞかせて、レイチェルが手鏡を見ていたネイマールに挨拶をした。


「2回目のおはよう。レイチェルちゃん」


 茶色の近い髪の毛のカール具合を気にしながら言うネイマール。


「そんなにお化粧直ししなきゃダメなの?」


「そんなにしてないよ。レイチェルちゃんが化粧をしないだけよ」


 紺色のベストのような受付用の制服から白いブラウスが伸びている。エメラルド色のカフスボタンは彼女なりのお洒落なのだろうか。


「そっかなぁ。だってさ、眉を書くと左右対称に書けないじゃん。イーっ‼ってなっちゃう」


「慣れだよ慣れ。アイラインだって眉だって、練習すれば路面電車の中でだって引けるようになるもの」


 狭い額と形のよい目元、小さな鼻と控えめの口元。それらが、やや丸みの強い輪郭にバランス良く収まっている。オフの日のナチュラルメイクと比べると、さすがに職務中は厚化粧気味になるのだろう。

 素顔美人画台無しだ。レイチェルは、同性ながらネイマールにそんな感想を抱いていた。

 だが、世の中には常に上には上がいるものである。


「あら、レイチェル。また、ネイマールの邪魔してるの?ネイマールもいちいち相手にしなくっていいのよぉ」


 レイチェルによる調査比較によるところの厚化粧ランキングにおいて、燦然と首位を守り続けている厚化粧クイーンこと、キャシー・ミンスが豊満な胸元をこれ見よがしに誇張しながらレイチェルに言った。


「ねぇねぇ、キャシー、そんなに高いヒール履いて足痛くないの?」


 レイチェルが、キャシーの足元を見て、眉を顰めた。


「いい年をして、スニーカーで走り回ってるあなたの方がレディとしてどうなのかしら。と言いたいわね」


 勝ち誇ったように顎をくいっとやると、それと一緒に、銀髪の縦にカールした髪も波打つように揺れた。

 

「まぁ、レイチェルの場合はその他にも色々と足りないみたいだけれどねぇ」


続けてそう言いながら腕を組むキャシー。ただでさえ自己主張の強い胸元が、さらに主張を激しくする。

 

レイチェルの慎ましやかな体型を見て、意図してやってるなとレイチェルは思った。


「けしからんのは、この尻もかっ!」


 レイチェルはそう言いながら、目にも止まらぬステップでキャシーの後ろに回りこむと、全力で突き出すように形の良い尻を鷲掴みにした。




 

「公衆の面前でなんってことをしてくれるのよっ‼」


 レイチェルにひとしきり尻を揉みしだかれたキャシーは、涙目になりながらその場に座り込んでしまった。


「この触り心地、さてはっ!今日のパンツはTバッ、わっちょっと何をするんだー放せぇー」


「言わせないわ!それ以上は絶対に言わせないっ‼」


 勝ち誇ったように暴露しよとしたレイチェルに、キャシーが掴みかかると、口を押さえたままレイチェルを押し倒した。

 ジタバタするレイチェルはせめてもの抵抗と、主にキャシーの胸を触りたおしていたのだが、そんなことは構いなしに、キャシーは得意の拘束術を掛ける。


「いだだだだだっ、外れる!肩が持ってかれるっ‼降参!降参するから‼」


 うつ伏せにされ、後ろ手に腕を捩じ上げられたレイチェルは、涙を浮かべながら降参した。


「まったく!おいたが過ぎたわねっ」


 パンパンと手の埃を叩いて見せたキャシーは、朝一番のキャットファイトを喜々として見守っていた男性写真達に向かって「見せ物じゃないのっ!散りなさいっ‼」と人だかりを一蹴した。


「仲いいねぇ。2人ともぉ」


 一部始終を見守っていたネイマールが微笑ましい視線を2人にくべて優しく言った。


「どこがっ!」

「どこがよっ!」


 2人の抗議の声は見事にハモった。


「そうだ、キャシー。エマがね、これ広告部に渡してほしいって」


 レイチェルは、ポケットから四つ折りにした紙を取り出すと、キャシーに差し出した。


「うげっ、何よこれ⁉インクが乾かない内に折ったでしょ!文字が掠れてほとんど読めないじゃない!」


 ほとんど読解不明な印刷文字を見て、キャシーは受け取ろうと伸ばした手をひっこめた。


「あ、ほんとうだ……てへっ」


 とりあえず。ごまかしてみるレイチェルだった。


「てへっ、じゃないわよ。これ、どうするのよ」


「うーん。エマにまた書いてもらうしかないなぁ」

 

 読めないのでは仕方がない。素早く自己完結したレイチェルは、紙を再びポケットに戻そうとしたのだが……


「ちょっ!それ以上掠れたら、本当に意味不明になるから折っちゃダメ!」


 とキャシーに紙を引っ手繰られた。


「キャシーどうにかしてくれるの?」


「私は本社付きの記者で忙しいの、寄稿文店にいるエマの方がそりゃ暇でしょうね。でも、その……書類整理とか執筆とか……大変だと思うし……」


 どんどん語尾に行くにしたがって声が小さくなってゆくキャシー。


「最後の方、良く聞こえなかったんだけど?」とニカニカしながらレイチェル。


「キャシーちゃんは優しいねぇ」とマイネール。


「ちがっ、そっ、そんなんじゃっ!違うわよっ‼お情けよっお慈悲なのよっ!」  


 違う意味で耳の先まで真っ赤にして言うキャシー。


 エマもキャシーもわかりやすいなぁ。レイチェルは2人が変な男に騙されやしないか心配になってしまった。


とは言え、


「んじゃ、キャシー後よろしくっ!」


 エマに怒られる心配がなくなったのだから良しとしよう。そう言うと、レイチェルは、鼻歌を歌いながら、キャシーに背を向けた。


「ちょっと!レイチェルッ!一言くらい言う事があるでしょ」


「ほへっ」


 振り返るレイチェル。


「ほへ、じゃないでしょ。ここは『キャシーさんよろしくお願いします』でしょ!」


「うわー、自分のこと『さん』つけとかアホっぽい~プップ~ッ」


「ちょっと、トイレの裏で話そうか」


 キャシーの目がマジだったので、これ以上からかうのはやめた。


「わかりました。言わせて頂きます」


「最初から素直に言えばいいのよ」


「キャシーちゃんってば、大人げなーい」


「ネイマールは黙ってなさい。この子は普段ダメ過ぎるの、たまには常識って言う縛りを課さないと、もっとダメな子になるの」 


 むっ。嫌な頭の一つでも下げよう。そう思って珍しく素直にお願いしようと思っていたレイチェルは、


「キャシーさん……あれだけ暴れても汗かいても崩れない厚化粧はもはや呪いの仮面レベルですねっ!」っと満面の笑みで言うと、そのまま脱兎した。


「待てこらッ‼」


 キャシーは間髪入れず鬼の形相でレイチェルを追いかけて行く。

 いつもの風景。

 2人の背中を見ながら「あらあら、うふふ」ネイマールは1人微笑んでいたのであった。


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