第8話



「誘拐なんて真似するつもり無かったんだ」

男がぽつりぽつりと話しだす。


「1ヶ月前くらいに初めてお前を見かけた。ポニーテールを揺らしながら部活をしていた。その後姿が似ていたんだよ、俺の娘にな。昔よく俺が結んでやったんだ。あまりにも不格好なもんで妻に何度も直されたがな。それから俺はパチンコ屋の帰りにはお前の学校の近くを通って帰ってたんだ。どうせ家に帰ったって、なにもすることなんてない」

男の吐き捨てるような口調の中に滲み出る悲しさが私の心にチクリと刺さった。


「それで今日、なんというか嫌なことがあってな。全部馬鹿らしくなったんだ。朝起きて、ロクに味もしねえ飯を食って寝る。1日で変化のあることなんてパチンコで勝っただの負けただの、そんなことだけだ。もう死んでやろうと思ってみたが、自分の度胸のなさを改めて実感しただけだったよ。」

男がタバコに火をつけようとライターを擦るが中々点かないようで、とうとう床に放り投げた。


「家に帰ろうとしてその途中学校を通りがかった。そん時にお前が1人で片付けをしているのを見かけて後をつけた。全部終わってしまうくらいならその前にお前と話がしたいと思った。それからはまあ、この通りだ。」

「そんな……」

何か言うべきかと思ったが、何も思い浮かばなかった。

「悪かったな。こんなしょーもないことに巻き込んじまってよ」


 大きく丸め込んだ男の背中がさっきより小さく感じられた。

ボロボロの服に、まばらに生えた無精髭。

この男は今までどんな人生を送ってきたのだろう。人を自殺に追い込み、果てには誘拐なんて行動に走らせるほどの理由が私には見当もつかなかった。


「娘さんは、いくつなの?」

「多分お前と同じくらいだろうな。16、7といったところか」

「そう、私のほうが1つ先輩かもね。…きっと、こんなことしたら娘さんは悲しむわ。私にはあなたの辛さや悲しみは理解できないかも知れないけれど、私が娘さんの立場なら“頼って欲しかった”そう思うのは確かよ」

だいぶ年上に、それも自分を誘拐した張本人に説教じみた言い方をしてしまった。

それでもわかって欲しかった。きっと娘さんもそう思うはずだから。

男がパパと重なって見えた。


「私もパパにもっと頼って欲しかったから。小さい頃はかっこよくて自慢のパパだったのにある日から変わっちゃって、私や母に暴力を振るうようになった。母はどうにかしようと頑張っていたけれど結局ダメでパパは出て行った。お節介でも無駄かもしれなくても何かできていればよかったって、いまでも後悔する。パパが出て行ってから母も変わった。異常なほど私に目を光らせて、多分1人で私を育てることにプレッシャーを感じているんだと思う。段々私も母に気を使っちゃって、結局家族はつぎはぎだらけ。

私に弱音を吐けるなら、その前に家族に頼るべきよ。」


私が話している間、男は1度たりとも顔を上げなかった。私の声が、気持ちが届いて欲しいと思うのはわがままなのだろうか。


「娘とはもう10年以上あっていない。5歳の頃妻が娘を連れて出て行った。引き止める権利なんて俺にはなかったよ。俺が悪いのはわかってる。会いに行くつもりもない」

しまったと思った。頼るべき相手がいない人だっているのかもしれない。そんな配慮もできていなかった。


今度こそ、なにも言うことがなかった。自分の振りかざした正義感の押し付けがましさを理解した。

頭の中を引っ掻き回して言葉を探したが何も出てこない。


「いいんだよ。悪かった、もう終わりにしよう。」

男が立ち上がる。

「警察に行こう。行き当たりばったりの行動だったんだ、お前を殺すつもりもないし金なんてあったところで意味が無い。荷物を取ってくるよ」


 扉から出て行く男を見ながら唇を噛み締めた。

私はどうしたらいいのだろうか。あんな話をするなんて卑怯だと思った。

あまりにも想像とかけ離れた誘拐犯。

パパに何もしてあげられなかったあの時を思い出し胸が苦しくなる。

もっと遊びたかった。あの大きな手で頭を沢山撫でて欲しかったし、色々お話を聞かせて欲しかった。

テストで満点をとった時も母に褒められただけではどこか足りないものを感じた。

足りないものを埋めたくて、いつもウズウズしていた。

母の、私の顔色を窺うような目つきも、私の満たされない喉の渇きのような苦しさも全部嫌だった。



 男の声がした。ドサリと私の鞄が目の前に置かれる。男は鞄を開けると中から携帯を取り出す。

「俺は携帯を持ってねえから、借りてもいいか?」

「何をするの」


「何って警察にかけるんだよ、それともお前からかけるか?」

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