成長
「人の指ってさー、芋虫みたいよね」
柵に肘をかけ、遠くを見ながらササイ先輩はそう言った。
「どういう意味ですか?」
俺にはさっぱり意味が解らなくて、先輩に問い返す。
「同じ成長過程をたどってるってことだよ。トウヤ君」
部活を終えた後の夕方の校庭の隅っこ。
水飲み場と校庭との間に立つ柵に、ササイ先輩は頬杖をついて
返事を返す。
長いまつ毛。
汗でしっとりと先輩の背に張り付く黒くて長い髪。
夕日に照らされる疲れた顔。
夕日を映してなお黒い瞳。
あまりの綺麗さにトウヤはごくりと唾をのみこむ。
最近のササイ先輩はずっと様子がおかしかった。
一見普通に見える。
でも、何かが圧倒的に今までと違っていた。
焦点が定まっているようで定まっていない。
自分や他の誰かと会話している時も、
意識だけは遠く違うところにあるように見える。
たまに近くで目を覗き込むと黒い黒い瞳の奥に覗いてはいけない深淵が見えた。
トウヤはササイ先輩が好きだけど、大好きだけど、同時に怖い。
何を抱えているんだろう。
それを少しでも引き受けられたらいいのに。
「同じ成長過程、ですか?」
トウヤはササイ先輩の言うことがわからなくて
さらに聞き返す。
今は、聞けない。
ササイ先輩の抱えている黒くて深い何かを。
「そう。同じなの。
最初は小さくて少ししか動けない。
それが、いずれざわざわとうごめきまわるようになる。
次に固くなっていく。
固くなって動かなくなって、しまいに外側を残して
中身は羽ばたいていってしまう」
ササイ先輩はすっと目を伏せる。
ササイ先輩のやつれた白い頬にまつ毛の影が落ちる。
つまり人の一生を表しているんだろうか。
そうだとしたら、かなり詩的な表現だ。
サトリには理解できないんだろうな、とトウヤは思う。
「綺麗な表現ですね」
「そうかな」
「ええ。でも少し悲しいですね。
もし芋虫なら羽ばたいていった後も捕えられますが
人が外側だけ残して羽ばたいていってしまったら
もう、捕えられない。
羽ばたく姿を見ることもできません」
「そうだね」
くるり、とササイ先輩がこちらに向き直った。
「トウヤ君は、大切な人っている?」
「いますよ」
あなたです。とは言えない自分がなさけない。
「私にもね、大切な、大切な子がいたの。
でもその子はもうじき私の手元を離れて羽ばたいていってしまうわ。
さみしいな」
ササイ先輩はうつむく。
肩がかすかに震えている。
トウヤには何の話をしているのかわからない。
ササイ先輩にはケイスケ以外に兄弟はいないはずだし、
一体誰のことだろう。
「でも、きっとそれが成長なんだよね。
羽ばたいて、空を自由に舞うことが、幸せなんだよね」
涙声でササイ先輩は続ける。
トウヤにできるのはタオルでササイ先輩の顔を隠すことだけだった。
「ありがとう。ごめんね、いきなり。
いきなりこんな話されてもわけわかんないよね。
困らせてごめん。
でも聞いてくれてありがとう」
目を赤くしたササイ先輩が、涙で濡れた顔に無理やり笑顔を作って
トウヤに笑いかける。
「あの、たしかに全然何の話か分からないし、
サトリみたいに気の利いたことも言えません。
でも聞くだけなら、いくらでも聞きます」
勢いよく飛び出したトウヤの言葉は止まらない。
自分でもわからない勢いで話しかける。
「泣きたかったら泣いてください。
タオルでも、俺の胸でも何でも貸します。
俺は、好きです。ササイ先輩が好きです。
だから、一人で抱え込まないでください」
ササイ先輩がぽかんとした顔でこちらを見ている。
あれ?
今、何言った?
トウヤは頭の中で自分の言ったことをリフレインする。
うわああああああ。
何言ってんの俺!!
恥ずかしい!!
穴!どこかに隠れられる穴!!
トウヤがテンパっているとササイ先輩がクスリと微笑んだ。
それは先ほどのような無理な笑顔じゃなくて。
「ありがとう。トウヤ君。嬉しいよ。
今すぐ付き合おうとかは言えないけど
私のこと好きって言ってくれる人がいて
それが、かわいい後輩だってことが嬉しいよ。
そうか。トウヤ君も成長してるんだね。
私も、後輩の成長を喜べるくらいには成長しているのかな」
「先輩…」
「心配かけてごめん。
気にしてくれてありがとう。
好きって言ってくれてありがとう。
タオル、洗って返すね」
そう言ってササイ先輩は、またクルリと振り返ってすたすたと部室の方へ歩いて行った。
とりあえず、失敗ではなかったのかな。
トウヤはまだドキドキしている。
さっきの笑顔。
ちゃんとした笑顔だった。
それを見れただけでも良かったのかな。
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