沢山の中の、ただ一人

「はー」


夕暮れ時の防波堤。

サトリは自転車を引きながら大きくため息をついた。


「何だよ、まーだ古文のテスト気にしてんのかよ」


隣を歩くトウヤはどんよりしたサトリとは真逆に足取り軽く自転車を引く。

サトリはふてくされ気味にトウヤをちら見する。


「そりゃ、トウヤは文系得意だからいいだろうけどさ。

あんな点数ありえないだろ」


理系科目全般において学年トップを争うサトリだが

文系科目はまったく苦手だ。

件の古文はその最たる例だった。

文系科目の成績は上の下、理系科目の成績は下の上のトウヤからみれば

その日帰ってきたサトリの古文のテスト結果は決して悪くはない。

トウヤよりも若干低いことには低いが学年全体でみれば上3分の1には入るだろう。


それでも理系科目は90点台が当たり前のサトリにはショックが大きかったようだ。


「はーー」


サトリは相変わらずため息をついている。


「サトリ、ため息うっとうしいんだけど」


「ストレートすぎるだろ…。ちょっとは慰めろよ」


「慰めるほど低い点でもなかったろうが」


トウヤは呆れ顔で答える。


サトリの理想はかなり高い。

同世代とは思うえないほどに。

トウヤはそれを知っているから適当に流すが、

他の級友が聞いたら激怒するだろう。

それくらい、サトリの成績はいいのだ。

ただ、成績がいい中で一科目だけ他の科目より成績が悪かったから

余計に気にしているに過ぎない。


「別に古文のテストの結果が悪かったからって死ぬわけでもないんだし

気にしすぎ」


「トウヤは気にしなさすぎ」


渋い顔でサトリがトウヤを見る。


「あのなあ、いいじゃん。古文の成績悪かったって。

他の教科でカバーできるだろ。

そんな、いつまでもため息つくほどのことじゃないじゃん。

世界人口60億人だっけ?

そんだけいるんだから、お前の古文の成績なんて大した問題じゃないよ」


トウヤは適当に続ける。


「たかが高校のテストの一回じゃん。

他にもやることも考えることもいっぱいあるじゃん。

60億人中のたった一人が古文の成績悪くったって

そうそう困ったことにはなんねえから」


「まあ、そうなんだけどね」


川面を眺めながらサトリがつぶやく。

たぶんサトリだってわかっているんだろう。

古文のテスト結果がちょっと悪くたって、他の科目で十分カバーできるし

いきなり死ぬわけでもない。


「あのさ、さっきも言ったけど60億分の1だぜ?

数字がデカすぎて言ってる俺でも意味わかんないよ。

そんぐらいでかい数字のたった一人なんて、だれも気にしないんだよ。

テレビの中のニュースと同じでさ。

リアリティが無いっていうか」


「そうだよな。どうでもいいのかな」


「正直、俺はサトリの成績なんてどうでもいい」


トウヤはきっぱりと言い切り、続ける。


「でも、何億人の人間がいたって、俺と学校帰りにくだんないことだべって

昼休みに一緒にバスケしたり、テスト前に勉強教えあったりするのは

サトリじゃないとダメだろ」


ニカっとトウヤはサトリに笑顔を向けた。

サトリはびっくりしたような、照れたような、困った顔でトウヤを見る。

そしてわたわたする。


「なーに、照れてんだよ。今さらじゃん」


トウヤは自分で言ったことが恥ずかしかったが、サトリに悟られまいと

にやにやしながら前を向く。


何億人いたって、サトリは一人だけだし。

何億人もいるなら一人ぐらいサトリでも、一人ぐらい俺でもいいじゃん。


そうだろ?





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