鬱彼女#6
数日後の昼休み。俺は藤崎冬弥と追瀬悟、そして笹井慶介と昼飯を食べていた。
「勅さあ、ちょっと前に笹井先輩と喋ってたよな。なに話してたの? 殴っていい?」
冬弥に唐突に訪ねられた。なんで知ってんだよ。ていうか、なんでいきなり暴力沙汰になるんだよ。
「一回しかしゃべったことないよ。それも三日月と笹井先輩が話してんのみてただけ。つーか何でお前知ってんだよ」
「本当かよ。三日月だけに飽き足らず笹井先輩にまで手出したりしてねえだろうな」
「ないない。無理無理」
冬弥の疑いの眼差しに思わず即答する。先日のこともあり、俺はすっかり笹井先輩が苦手だ。よほどのことがない限り、いや、よほどのことがあったとしても、笹井先輩との恋愛沙汰なんて考えられない。正直今だっていつ刺されるか怯えているくらいなのに。
「笹井先輩が無理とかお前贅沢だろ」
冬弥が口を尖らせる。
「冬弥は勅にどうしてほしいのさ」
一緒にいた悟が呆れたような顔をした。まったく同感だ。
「正直、勅はどうでもいい。俺が笹井先輩と付き合いたい」
「「正直すぎるだろ」」
うっかり悟とハモってしまった。悪かったなどうでもよくて。しかし冬弥は笹井先輩のどこにそこまで惹かれているんだろう。笹井先輩とのファーストコンタクトが最悪だった俺にはまったく理解できない。
「冬弥の笹井先輩好きは…もはやオタクとかマニアの勢いだよな。そろそろ俺の耳にタコができそうなんだけど」
悟がうんざりしたような顔をした。
「悟、普段冬弥とどんな会話してんだよ」
「会話っていうか、冬弥がいかに笹井先輩を好きかを延々聞かされてる。意味がわからない」
「冬弥……」
なんか悟が可哀想になってきた。他人の恋愛事情なんてどうでもいいもん、悟は冬弥に延々聞かされているなんて。ふと普段自分が沙斗子について慶介に語っているのを思い出した。俺も冬弥と同じ穴の狢でした。すまんかった、慶介。
「まあ、お前らにはわかんなくていいんだけどさあ。笹井先輩超かわいいじゃん」
「見かけはな」
適当に相槌をうつ。
「ばっか、勅。見かけだけじゃねえんだよ。面倒見よくて優しくて、でも甘くはなくて……言い出したらキリないぞ?」
と、何故か冬弥がドヤ顔する。
「俺が困ってるときに誰よりも早く手を貸してくれたり、少しでもタイム良くなったら一緒に喜んでくれてさあ」
「もう付き合っちゃえよ」
悟はあいかわらずの呆れ顔だ。
「それができたら苦労しねえんだっての。そうだ、慶介。手始めに俺のことを兄さんと呼んでも良いんだぜ?」
「呼ぶか、バカ」
ふと、冬弥がまじめな顔になった。
「あー笹井先輩と言えばさあ、慶介、最近笹井先輩の様子変じゃねえ?」
冬弥がおにぎりをほおばりながら慶介に話を振った。おそらく、それを聞きたくてこの話を持ち出したのだろう。慶介はわずかに顔をしかめて答える。
「まあな。何か調子悪いんだってよ」
「心配だな」
冬弥は肩を落としてうつむく。冬弥は笹井先輩と同じ陸上部だから、俺よりも様子を知っているのだろう。
「笹井先輩さあ、最近ずっとむちゃな練習ばっかしてるんだよ。朝練は誰よりも早く来て走ってるし、放課後も顧問が止めさせるまでずっと筋トレか走ってるかでさ。その間は誰ともしゃべらねえし。何よりさ……ずっと泣きそうな顔してるんだ。聞いても何にも言ってくれない。なあ、慶介。笹井先輩どっか悪いんじゃねえの?」
「冬弥、心配ありがと。姉貴に伝えておくよ。でも本当にどうしちゃったかは、俺もわからねえんだ。ごめんな。心配かけさせて」
悟が少し困ったような顔で冬弥を見ていた。きっと冬弥はずっと笹井先輩を心配していて、そのことをずっと悟には話しているのだろう。俺にはかけられる言葉が無かった。
放課後、なんとなく慶介と合流して屋上へ向かう。うまく言えない俺は直球で慶介に尋ねた。
「笹井先輩のカウンセリング、うまくいってねえの?」
「うん」
慶介は深くため息をつく。よく見ると慶介の目の下にはうっすらと隈ができている。
「やばい感じ?」
「もう、俺にはどうしていいかわからんよ。姉貴は一応カウンセリングにはちゃんと通ってるんだけどさ。何かあんまりいい方向に進んでない感じ。姉貴はさ、沙斗子が自分を頼ってくれることが生きがいみたいなところがあったんだよ。だけどカウンセリングで言われたらしいんだ。
“自分のことをもっと見直しましょう”
“他に趣味や楽しいことを見つけましょう”
ってさ。それって姉貴からしたら今までずっと大切にしていたものを手放せって言われてるようなもんじゃん。だからかなー。冬弥が昼に言ってたみたいに、部活中は徹底的に自分をいじめてる。んで、家にいる間は部屋でずっと暴れてる。それがもうカウンセリング始めてからずっと続いてるんだ。これは一体いつまで続くんだ?正直俺は家に帰りたくねえよ」
「笹井先輩についてはなあ。俺にはどうしようもねえし。慶介。俺が沙斗子と一緒にいるの止めたら笹井先輩もとに戻るのかな。そしたら慶介もそんな大変な目に……」
「バカか」
ばしっと慶介に肩をはたかれた。
「なにすんだよ」
「お前こそなに言ってやがる。あのな、これはそういう問題じゃねえの。今ここでお前が沙斗子を見捨てたら沙斗子はどうなる?姉貴に今まで以上に依存されちまうの、わかんねえ?」
「う、ごめん」
そうだよな。俺、今逃げようとしてた。最低だな。
「お前まで沙斗子を見捨てるような真似するな。それに姉貴は遅かれ早かれああなっていたんだよ。沙斗子が姉貴を重いと思い始めた時点でな。だから勅。お前には俺ん家の事情で迷惑かけて本当に悪いんだけどさ。沙斗子と一緒にいてやってくれ」
慶介は真剣な顔でそう言った。
「わかった。バカなこと言ってごめん」
慶介は、話は終わり、というように両腕を上にあげて伸びをする。
「サンキュな勅。お礼に何かおごってやろうか」
おごりと言われたら仕方がない。
「じゃあ駅前のカフェのメガ盛りパフェが食いてえ」
「女かよ。つーかあんな高いもんは却下だ。1600円もするじゃねえか」
「ケチめ」
結局缶コーヒーで手を打って、その日は帰路についた。
なんとなく気になって、夜に沙斗子にメールを出してみた。
“笹井先輩の様子どう?クラスの笹井先輩ファンが心配してた”
しばらくするとスマホがふるえる。
“カウンセリングがいまいちみたい”
相変わらずのそっけないメールだ。
“カウンセリングするのってプロなんだろ?”
“プロでもいろいろいる。相性悪いとろくなことにならない”
そういうもんなのか。なんとなく、医者っていえば皆一様に優秀で、病気と呼ばれるものは簡単に治してしまえるような気がしてた。でもよく考えたら、先日悟が勧めてくれた本にもあったが、心の病というのは厄介だそうで。簡単に治ってしまう軽度の患者もいれば、一生まつわったり、命にかかわるような重度の患者もいる。何より心は目に見えない。そう簡単にはいかないか。
“沙斗子は大丈夫なのか?”
本当は、笹井先輩のことよりも沙斗子のことの方がずっと気になっていた。もうずっと、学校にいる間も沙斗子は笹井先輩に連れられている。
“大丈夫だよ”
そんな沙斗子のメールに、俺は無性にイライラしてしまう。
“嘘つけ。最近教室で沙斗子がため息ばっかついてんの知ってるんだからな。ストーカーなめんな”
怒り任せにそんなメールを送ってしまった。送ってから、嫌な言い方だったかなと後悔してしまう。すると、スマホからメールとは違う着信音が響いた。沙斗子から電話がきている!
「もしもしっ」
『あ、もしもし? ストーカーさん?』
クスクスと笑い交じりの沙斗子の声が聞こえて、少し安心した。先ほどのメールで怒らせてしまったのではないかと不安だったんだ。
「はいいはい、ストーカーですよ。どうした?」
『あー、大したことじゃないんだけどさ。心配してくれてありがとう』
はにかむ沙斗子の顔が、見えたような気がした。
「当たり前だろ。俺はお前が好きなの。好きな人がつらそうにしてたら、心配で当たり前だろ」
『相変わらず勅は直球だね。あのね…少し、話をしてもいいかな…?』
「おう」
『祥子姉のことなんだけどさ』
沙斗子は少し言いよどんでから話を続けた。
『今日、祥子姉が私の家まで来てね。一緒に夕ご飯食べてたんだ』
「マジで?電話なんかしてて大丈夫なのか?」
『うん、さっき帰ったから。祥子姉さ、夕ご飯の後私のこと抱きしめて泣いてたんだ。どうしたのか聞いても何にも答えなくてさ。慶介から聞いてるかもだし、さっきメールでも伝えたけど、カウンセリングが逆効果になっちゃってるみたいなんだよね。なんていうか、祥子姉は意固地になっちゃてるんだと思うんだ。でも原因は私だから私から祥子姉を突き放すようなことなんて言えないし……。ねえ、勅。私どうしたらいいんだろうね……』
最後の方、沙斗子の声はかすれていた。
「俺あんまりそういうこと詳しくないから、下手なこと言ったらゴメンな? あのさ、沙斗子は無理に戦わなくていいんだと思うんだ」
『?』
「沙斗子は沙斗子でつらいんじゃん?だったらさ、笹井先輩のことまで沙斗子が背負う必要なんてないんだよ。でもだからって無理に突き放せなんて言わない。それはそれで沙斗子がつらくなると思うからさ。うーん、なんか俺矛盾してるよなあ。でもとにかくさ、つらかったらこうやって俺にメールでも電話でもして吐き出してくれよ。もし俺に言いたくなかったら慶介でもいいしさ? 笹井先輩のこと心配してるのは沙斗子だけじゃねえから。逆に言えば沙斗子がちょっとくらい心配する量減らしても、他の奴が十分補うからさ。ほら、同じクラスの藤崎冬弥っているじゃん?あいつめちゃくちゃ笹井先輩のこと大好きでさ。沙斗子が心配してるのとたぶん同じくらい笹井先輩のこと心配してるんだと思うんだ。だから、笹井先輩を心配する役目はしばらくあいつにでも任せてさ。沙斗子には沙斗子のこと大事にしてほしいって俺は思うよ」
『……』
沙斗子からの返事はなかった。また言うこと間違えちまったかな。不安で胸が苦しくなる。それでも辛抱強く 待っていると、か細い声で
『ありがとう』
と沙斗子が言うのが聞こえた。
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