鬱彼女#7
その後しばらく、俺は電話やメールで沙斗子と話をしたり、慶介の愚痴を聞く日々を過ごしていた。相変わらず沙斗子は教室ではあまり明るい顔をしていないものの、ため息は減ったように思う。慶介の目の下の隈も、徐々に薄くなっていった。何よりの進展は、放課後に一緒に過ごすようになったことだ。もともと笹井先輩は放課後は部活かカウンセリングでそこまで沙斗子にべったりだったわけではないらしい。それを沙斗子が俺に気遣って俺を避けていたとのことで。
俺としてはそんな気遣いはまったく嬉しくないし、沙斗子が自分自身を閉じ込めてしまう原因にもなると思う。それを彼女に伝えて、放課後は一緒に雑談したり宿題をしたりして過ごすようになった。
「沙斗子、図書室行こうぜ」
「うん、数学の宿題やっちゃいたいな」
「あれ難しそうなんだよな……」
そんなことを言いながら図書室の戸を開けると、そこには追瀬悟がいた。
「……」
悟は俺たちを数秒眺めると何事もなかったかのように視線を机に戻した。
「って、おいおい、悟!! 今普通に目あってたろ!?何でそこで無視だよ!?」
「なんて言っていいかわからなかった」
「んなもん、『よう』とかでいいじゃん」
「……よう」
「今言うのかよ!!」
落ち着いているを通り越してどこか抜けている雰囲気の悟に突っこみきれない。沙斗子と言えば、そんな俺と悟を見て爆笑している。
「おーい、沙斗子もなんとかいってやってくれよ」
笑いすぎて涙目の沙斗子に話を振る。
「えー? いいんじゃない?それでさ。追瀬君はそういうキャラじゃん」
「キャラ?」
悟が困ったように首をかしげる。
「そ。そういう人。ゆっくりしてて周りに流されないの。それでどこか悟ってる雰囲気!! 追瀬君はそういう人っていうイメージかなあ」
「あーそうかも。」
クラス内でも悟は悟ってるとよく言われては本人はきょとんとしている。
「それでモテるんだから羨ましいよ」
やっかみ半分で笑ってみせる。事実、藤崎冬弥と追瀬悟は学年内でトップを争うほどモテている。
「俺、そういうのよくわかんないんだよね」
「たしかに、追瀬君はあんまり女の子に興味なさそうだよね。」
「うん。正直怖いし」
……それは少し同意。悟はわりと大人しくて周囲のことをよく見てる節があるから余計にそういうのに気が付くのかもしれない。
「そっかあ、女の子怖いかあ。まあ私も同じ女子でも怖い時あるから仕方ないかな」
沙斗子の顔がわずかに陰る。
「笹井先輩?」
悟はずばり言い当てる。なんでわかるかな。的を射すぎていて、俺は何も言えない。
「あはは、追瀬君するどいね」
沙斗子も、それ以上何も言えず黙ってしまう。
「冬弥に聞いた。最近、笹井先輩が変だって」
悟はどこか遠くを眺めながら続ける。
「隠している風だけど、元気がなくて、よくため息をついている。そして部活の記録の方もなかなかふるわなくてますます落ち込んでるってさ。冬弥談」
「そっか。祥子姉元気ないか…。」
「沙斗子の前だとどうなの?」
「やっぱり、少し元気ないかな。藤崎君もよく祥子姉見てるねえ」
沙斗子が苦笑した。
「そりゃ、冬弥は笹井先輩大好きだから。恋は盲目を地でいくからな」
笹井先輩について熱く語る冬弥を思い出して、思わず俺と悟は苦笑する。
「なあ、勅に一個聞いていいか?」
ふと悟がまじめな顔で俺を見る。
「なに?」
「さっきも言ったけどさ。俺、誰かを好きとか恋してるとかよくわからないんだよね。冬弥は笹井先輩大好きだけどさ、同じように勅だって三日月のこと好きだろ?それって、どういう気持ち?」
「な、なに言い出すんだよ。いきなり」
いきなりそんな真剣に聞かれて、俺はきょどってしまう。沙斗子がいるときに聞かなくたっていいじゃないか。
「三日月に恋する勅ならわかるかと思って」
悟は至ってまじめに首をかしげている。……こういう少しとぼけた感じが女の子にモテる秘訣なのか?なんて現実逃避してしまうくらい、悟のポーズは決まっていた。ていうか何で悟は俺が沙斗子好きなの知ってるんだよ。
「いや、見てればわかるし」
「思っただけのことに返事すんな。だから悟ってるとか言われんだよ」
しかし冷静に考えてみてこれはチャンスなのか? 悟に説明してるように見せかけて、沙斗子への愛を語る。
「あ、それ、私も聞きたい。誰かを好きっていう気持ちってわからないわけじゃないけど、明確に説明しろって言われても、きっとうまく説明できないし」
沙斗子まで目を輝かせてこちらを覗き込んできた。これは語るしかない。
「なんだよ2人して。いいか?俺だってそんなにかっこよく言えるわけじゃないからな? むしろ恋だのなんだのなんて、すげーかっこ悪いんだからな?」
「冬弥を見てればそれはわかる」
「特にそこには期待してないよ」
本当になんだよ2人して……。早くもくじけそうな心をなんとか維持して話を続ける。
「あのな、好きって気持ちって――こう、相手のことで心が満杯な感じなんだよ。他のことをしていたり、全く関係ないことをしててもその人も事を考えちまうの。宿題してても授業受けててもゲームしてても本読んでても…頭の片隅にその人がいるんだよ。でもいざその人のことだけを考えようとすると、胸が苦しくなって頭がいっぱいでどうしていいかわかんないわけ。そうやって常にその人のことばっか考えてんの。その人が目の前や、そうじゃなくても視界に入ってるとそれだけで幸せになれるんだよ。『今日もかわいいなー』とか『あの笑顔、俺に向けてくんねえかなー』とかどうでもいいこと思いながらも、幸せでたまんないわけ。そういうときって思わず笑顔になっててさあ。前に沙斗子をながめてる時に冬弥にきもいって言われたし」
とりあえず一気にそこまで語って一息入れる。目の前では悟が難しそうな顔をしていて、沙斗子は照れたような困ったような顔をしていた。
「あの…悟? 沙斗子?」
恐る恐る声をかけると悟は感心したように息を吸った。
「勅、お前…そこまで他人のことで頭いっぱいってすごいな」
「他人て言うな。少なくとも悟にとっても沙斗子はクラスメイトだろうが」
「自分以外の人間は他人だと思うんだけど」
「いや、俺が悪かった。その話はここまでだ。」
これ以上は俺には突っ込みかねるので話題をもとに戻す。
「沙斗子?大丈夫? 引いた?」
いまだ目をぱちぱちさせる沙斗子に声をかけると、彼女ははじかれたようにぎくしゃくと動いた。
「あ、ごめん。なんかびっくりしちゃって…。あの、うぬぼれだったらお恥ずかしいんだけど、勅が今語ってた『その人』って……」
「ん? 沙斗子だけど?」
何を当たり前のことを、と俺は笑う。沙斗子は見る見るうちに真っ赤になった。
「わ、本当にそうだったんだ。なんか恥ずかしいな。勅、私のことそんな風に思ってたんだ。」
言われてみれば、かなり気恥ずかしいことを言ったような気もする。今さらになって恥ずかしくなってきた。
「悪い、ちょっと俺のこと見ないでくれる?」
「何言ってんだ今さら」
悟は相変わらず見透かしたように笑った。
「でもさ、誰かを好きになるってそんなにいいことばかりなの?」
また悟はまじめな顔で聞いてきた。
「冬弥見てるとさ、確かに幸せいっぱいな感じはするんだけど。でもたまにめちゃめちゃ落ち込んでたり、荒れてたりしてるんだよね」
「あー、それはそうかもな」
悟の言いたいことはわかる。
「確かにさ、誰かを好きって幸せなことがたくさんあるけど、嫌なことも多いよ。好きな人が他の男と話してたらむかつく。俺と話してても、うまく話せなかったら落ち込む。会えなければさびしいし、会えない間、他の男と一緒なんじゃないかって不安にもなる。特に今、笹井先輩は不安定だから、冬弥の心配も半端ないんじゃないかな。俺だってちょっと前まで沙斗子と話せなくてさびしかったしつらかったよ。沙斗子の状況を考えたら仕方のないことなんだって頭ではわかるんだけどね。でも気持ちの整理は全然つかなかった。今だって、沙斗子がまた手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって怯えてるし。また沙斗子から遠ざけられたらどうしよう、沙斗子に何かあったらどうしようって、たまらなく不安になるよ」
そう言って俺が苦笑すると、沙斗子は困ったように微笑んだ。
「そんなに…心配してくれてるんだね」
「そんな顔すんなよ。俺はただ沙斗子がいなくなったら俺が寂しいだけなんだから。いやさー、なんでこう、誰かを好きになると、こんなにも自己中心的になっちまうんだろうね」
は――、とため息をついて心の中のもやもやを吐きだそうとする。でもそれは、息を吐いたくらいでは消えてくれない。
「やっぱり俺にはまだわかんないな」
眉間にしわを寄せた悟がつぶやいた。
「こういう言い方は良くないかもしれないんだけどさ。なんでみんなそんなつらい思いを抱えるんだろう」
少し言葉を選んで返事をする。
「つらい思いより、幸せの方が大きいからだろ?」
「そういうもん?」
「そういうもん」
悟はやっぱりわからない、と首をかしげている。沙斗子はわかったのかわからなかったのか、遠くを眺めて口を開いた。
「自分のせいで誰かがつらいのは嫌かな……」
「ばっか。沙斗子のせいじゃねえの。俺が勝手にお前を好きになって、勝手に悶えてるの。この幸せもつらさも俺のもんなんだから、沙斗子が嫌がる必要なんかねえんだよ」
そう言って笑って見せると、沙斗子は少し安心したのか、微笑み返してくれた。その笑顔が俺の原動力と言っても過言じゃない。だから、好きでいることくらい許してほしい。
「さて、宿題やりますか。悟先生お願いしますよ」
「なんだよ、それ」
これ以上恋愛について聞かれても俺には答えられない。俺はなかば無理やり話題を変えた。
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