鬱彼女#4
「もうダメ。俺、深刻な沙斗子不足」
夕方の屋上で慶介相手に、俺は盛大なため息をついた。
「だから言ったじゃん」
フェンスにもたれかかる慶介は“やっぱり”という顔をして眉間にしわを寄せている。
「俺甘かったー!!」
自分の甘さが情けない。教室で沙斗子に声をかけようと思っても、なんやかやで気が付いたらいなくてどうしようもない。
「沙斗子はお前を巻き込みたくないんだろ」
「わかってるけどさあ」
それが沙斗子なりの気遣いなのは途中から気が付いていた。それでも、俺は沙斗子と一緒に居たかった。
「そいやさ、お前沙斗子のメアド知らねえの?」
不意に慶介に聞かれる。
「ばっか、お前、俺の傷ついた心に塩をすり込むなよ。そこまでも到達しなかったよ」
俺はやけになって答えた。
「うーん。俺から勝手に教えるわけにもいかねえしなあ……」
ですよねー。淡い期待は一瞬にして砕け散る。慶介はこういうとこちゃんとしてるのだ。しかし、メールか。沙斗子とメールのやりとりしたかったなあ。超そっけないメールしてそう。
メールじゃないにしろ…なんかしらのやりとり……。
「それだ!!」
良いことを思いついた。俺はその作戦を慶介に伝える。
「お前……よくもまあ……。沙斗子大好きだな」
「ああ、大好きだ。で? 手伝ってくれるか?」
「もとはと言えば俺の姉貴が発端だしな。いいよ。手伝ってやるよ」
慶介はにいっと笑ってうなずいた。
俺の作戦は至って簡単。
①弁当を作る。
②慶介経由で沙斗子に渡す。
③中に手紙を仕込んでおいて沙斗子と文通!!
ナイスアイディア、俺!!
慶介から沙斗子に作戦を伝えてもらった。さっそく走って家に帰る。弁当はいつも自分と母親の分を作っているので、1人分くらい増えたところでなんら問題はない。仕事から帰宅した母親に作りかけのお弁当のおかずを味見させつつ着々と作り続けた。
翌朝、まず慶介のクラスに向かい作り上げたお弁当を渡す。
「マジで作ったんだ」
慶介は苦笑しながらも受け取ってくれる。
「当たり前じゃん」
俺はドヤ顔で胸を張った。
「沙斗子は?」
「了解ってさ」
そっか。良かった。あとは笹井先輩にばれなきゃ成功だ。
その後お弁当作りに気合を入れすぎた俺は午前中いっぱい、ほぼほぼ寝ていた。担任に教科書ではたかれようと数学教師に嫌味を言われようと、沙斗子へのお弁当を作り上げた満足感で俺の胸はいっぱいだった。
ついに昼休み、勅はそわそわしながら沙斗子の様子をうかがう。沙斗子はいつも昼食は友人らと食べて、その後屋上へ一人で移動する。沙斗子の友人らから感嘆の声が聞こえた。
「沙斗子が手作りのお弁当持ってる!!」
「珍しー」
「笹井先輩に作ってもらったの?」
沙斗子は適当に
「そんな感じ。」
とか笑顔で答えつつお弁当を開けている。
「わあ、すっごーい!!」
「かわいい!!おいしそう!!」
お弁当を開けた瞬間沙斗子の友人らから歓声があがった。頑張って作った甲斐があったってもんだ。俺は一人でこっそり悦に入る。
「なんか勅、キモい」
「うるせえ」
慶介や冬弥らにからかわれつつも、盛り上がる女子たちの歓声と照れたような沙斗子の声を聞きながら、幸せな昼休みを過ごした。
放課後、なんと沙斗子に声をかけられて、一緒に屋上へと移動した。
「勅、お弁当ありがとう。とってもおいしかったよ」
はにかむ沙斗子に勅もつられて笑顔になる。
「沙斗子がそう言ってくれて良かったよ。作った甲斐があった。」
「お弁当箱、洗ってかえ……」
「沙斗子。何してるの?」
背筋が凍るような声がした。ゆっくりと振り向くと、そこには笹井祥子が氷のような微笑を浮かべて立っていた。
「祥子姉…どうしたの…?」
「沙斗子が教室に居なかったから、いそうな場所を探していたのよ。それで沙斗子。それは何?」
笹井先輩の視線が沙斗子が持つ弁当箱に注がれる。
「これは……その……」
沙斗子は真っ青になっていた。
「ねえ、沙斗子?」
笹井先輩はゆっくりと近づいてきて、沙斗子の髪を撫でた。
「いい?沙斗子。あなたはこの変態にだまされてるだけなのよ? この男は世界一かわいい沙斗子の優しさにつけ込んでるだけなの。だってそうでしょう? いきなりお弁当とか図々しいじゃない。それにお弁当箱返してもらうのにわざわざ呼び出すなんて、もっと怪しいと思わない? 沙斗子は鈍いんだから、そんな男の子の下心にもっと警戒しないとだめなのよ?沙斗子はずっと私と一緒にいるの。今は別々に暮らしているけど、いずれは一緒に暮らすんだからそれまで変な男の子に引っかかっちゃダメなのよ?」
怒っている風でもない。悲しんでいる風でもない。笹井先輩は淡々と告げた。
怖い。ただただ怖い。
「祥子姉。彼はそんなんじゃないよ。そんなんじゃ……」
沙斗子が絞り出すように反論する。しかし笹井先輩は気にもせず、
「騙されているの」
「沙斗子は純粋だからわからないのよ」
と繰り返すばかりだ。
このまま黙ったまま沙斗子に庇われているのも情けないので俺は沙斗子の横に立った。
「笹井先輩が何を誤解しているかは知りません。沙斗子が世界一かわいいのは同意です。お弁当は図々しかったかもしれませんが、弁当箱返すのにここに俺を呼び出したのは沙斗子ですよ」
「そうだよ?私が勅をここに呼び出したの。だから勅は悪くないよ。お願い、祥子姉。わかって」
しかしそんな沙斗子の発言をさらっと流して、祥子は再び氷のような眼差しで逆に沙斗子をなだめようとする。もはや俺は完全に蚊帳の外だった。
しかし、だからこそ見えることもある。笹井先輩の様子は一貫して変だった。
きっと。おそらく。
笹井先輩の中の冷静な笹井先輩は気がついている。他人と常に壁一枚の距離を取る沙斗子がここまで言っているのだ。田無勅はたぶんそんなに悪いやつではないはず。
でも。
と冷静でない笹井先輩が心の中で吠える。
でも、気に入らない。かわいい、かわいい従姉妹に近づく男はみんな、みんな気に入らない。もはや笹井先輩は娘の結婚が気に入らない父親状態だ。
そんな笹井先輩の心の内が、俺には透けて見えるような気がした。
「もう、祥子姉、止めてよお。勅はそんなんじゃなくもないけど…悪い人じゃないんだって」
沙斗子も沙斗子でテンパっているのか、まったくフォローになっていないフォローで笹井先輩を止めようと必死になっている。しかしフォローになっていないので当然笹井先輩は折れる気配を見せない。
あーあー、どうしたらいいんだよ。
一見穏やかながらも、己を曲げない笹井先輩。泣きそうになりながら必死に祥子をなだめる沙斗子。そろそろ俺のキャパシティだって限界だ。最近ずっと沙斗子と過ごすことができなくてフラストレーションためてたんだ。それなのに、これ以上他の誰かに気を使う余裕なんてどこにもない。
(とにもかくにも、笹井先輩に落ち着いてもらわなないとどうにもならんな)
テンパった頭でなんとか必死に笹井先輩をなだめる方法を考える。笹井先輩は結婚を許さない父親と化している。それならば、彼女のテンションに付きあおうじゃないか。
「笹井先輩」
「な、なにかしら。いきなり改まって」
「沙斗子さんとのお付き合いを許してください。俺には彼女が必要なんです。沙斗子さんにも、俺を必要としてほしいんです」
そう言って俺は土下座した。土下座の一つや二つでこの場が収まるなら安いもんだ。
「なによ、いきなり」
「いや、つき合わないって……」
「お願いします。僕には沙斗子さんが必要なんです。絶対に泣かせるようなことはしません。必ず幸せにして見せます」
「う……ん。そっかあ。そこまで沙斗子を思ってるなら……」
「ちょ、祥子姉……」
「ま、まあ、そうね。いきなり手を出すとかしちゃダメよ?学生の内は清く正しい交際をしなさい」
困惑した様子ながらも笹井先輩は折れた。どうやら笹井先輩も沙斗子同様直球な言い回しに弱いようだ。
「ありがとうございます、笹井先輩!!」
「……」
「沙斗子を泣かしたりしたら、許さないじゃすまさないからね」
こうして沙斗子が呆然としている間に笹井先輩と俺の間では沙斗子と俺の付き合いが決定したのだった。
「じゃあ、あたし部活行くから。2人とも遅くならないように帰るのよ」
笹井先輩はそう言い残して走り去った。
「つかれた」
ぽつりと沙斗子がつぶやく。
「そうだな」
俺も同調する。
「何で」
「え?」
俺が沙斗子を振り向くと彼女は真っ青になっていた。
「何で私の周りには暴走する人間しかいないかなあ。勝手にぎゃあぎゃあ騒いでうるさいんだっての。こっちはただただ静かに生きて静かに死にたいだけなのに。何なの何なの何なの。私が何をした。何か悪いことしましたか。全部全部全部私のせいですか。結局勅も祥子姉もうつで弱くて可哀想で可哀想な私を守る俺ゴッコがしたいだけじゃない。余所でやれ。よ・そ・で。くだらない騒ぎに他人巻き込んで楽しいのか? ああ? ふざけろ」
沙斗子の聞こえるか聞こえないかくらいのつぶやき。しかし黒く怨念の篭もったつぶやき。
まずい。
対応を間違えた。笹井先輩のテンションに合わせたのは間違いだった。俺の背中を冷や汗がだらだらと流れる。
「あ、あの、沙斗子さんゴメン」
「……」
沙斗子は負の感情で真っ暗に染めた目を俺に向ける。俺の全身から汗が吹き出る。
怖い。
内面に闇を抱えた、目の前の、可愛らしいはずの同級生が怖い。先ほどの笹井先輩とはまた違った意味で、沙斗子が怖かった。
「あの、沙斗子さんの気持ちも考えずに笹井先輩と好き勝手言って、ごめんなさい」
逃げ出したい衝動を抑えて、必死に沙斗子に謝る。
「うるさい」
しかし沙斗子は冷酷だった。
「だから、最初に言ったでしょう。私に、あたしに、かかわら」
「落ち付けって」
いつからいたのか、慶介が沙斗子の腕を引いた。沙斗子がハッとして慶介の方を見て、それから戸惑ったように俺の方へゆっくりと視線を戻す。汗だくで、それでもこの場から逃げまいと必死になって彼女に向かう。そんな俺を見て沙斗子はへなへなとその場に座り込んだ。
「沙斗子!?」
あわてた俺が沙斗子に駆け寄ろうとするのを慶介が無言で制する。沙斗子は手で顔を覆って泣き出してしまった。
「ごめ、ごめんなさい。ごめん、勅。君は悪くないんだよ。ありがとう、お弁当おいしかったよ。本当に本当においしかったんだよ。嬉しかったから、それを伝えたかっただけなのに……。祥子姉が怖くて、飲み込まれそうで。でも勅まで祥子姉と同じようなことを言いだしてわけわかんなくなっちゃって……暴走しちゃって…ごめんなさい」
絞り出すように沙斗子は謝り続ける。そんな沙斗子を見て慶介は状況を把握したらしい。
「勅、俺はさっき姉貴に聞いた話とこの状況から推測した経緯を話すから間違ってるところは正してくれ」
「う、うん」
「勅が沙斗子に弁当を作ったことが姉貴にばれて、姉貴がキレた。勅はそれを止めようと暴走する姉貴に便乗して適当になだめて追い払った。そしたら今度は沙斗子がマイナス暴走してお前は途方にくれてた。当たってる?」
まるで見ていたかのようだ。もしかしなくても、今まで同様のトラブルが繰り返されていたのだろう。その度に沙斗子の心は砕かれ、すり減っていたのではないか。言いようのない気持ちで俺はどうして良いかわからなくなる。
「大当たりだよ、慶介。いつものことだよ。祥子姉が暴走して私を好いてくれる人を私から引き離そうとするんだ。今回はそうはならなかったけど、でも、疲れちゃった」
言いよどんでいる内に、顔をグシャグシャにした沙斗子が答えた。そんな沙斗子の顔を見て俺の胸はますます困惑し張り裂けそうになる。
「そりゃ、あの暴走女とまっとうにやり合ったら疲れるだろ。沙斗子。お前、ちょっと保健室で休んでから帰れ。ちゃんと食べて、早めに寝ろ。薬飲むの忘れるなよ」
「ありがとう慶介。ごめんね勅。また明日、ちゃんと話そうね」
「ああ、気をつけて帰れよ」
俺は今彼が出せる精一杯の笑顔で沙斗子を見送った。沙斗子は青白い顔で申し訳なさそうに去っていった。
沙斗子の姿が見えなくなると慶介が勅を振り返った。
「悪かったな。身内のトラブルに巻き込んで」
「沙斗子に関するトラブルなら大歓迎だよ。しっかし、慶介の姉ちゃんおっかねーのな」
慶介と2人になって緊張の糸がゆるむ。俺はその場に座り込んだ。脚がわずかに震えて言うことをきかなくなっている。慶介も一緒に座り込んだ。長話になりそうだ。
「姉貴はなー。まあ、悪い面はお前が今見たとおりだよ。決め付けで暴走して、沙斗子に新たに近づく人、特に男に対して異常に攻撃的になる。それは、一応理由があるんだけど、沙斗子から何か聞いた?」
「いや、笹井先輩には見つかるな、としか言われてないな」
「じゃあ俺からは言えない。勅が今後も沙斗子と関わっていくなら、そのうち耳に入るだろ。今俺がぺらぺら言うことじゃない」
眉間にしわを寄せて慶介は黙り込んだ。どんな闇を沙斗子が抱えているのかはわからない。しかし思っていた以上に笹井先輩の方も闇がありそうだ。俺には一つ気になることがあった。
「なあ、友達の姉ちゃんに言うのもアレなんだけどさあ。笹井先輩、共依存になってないか?」
共依存(きょういぞん)。
うつについて調べていた時に見つけた言葉だ。内容としては言葉通り。たとえばDVを受けていた被害者が「自分が至らないからDVがおこるのだ。自分がちゃんとすることで、この人はちゃんとできる。」とかアルコール依存症の家族がアルコール依存患者を支える自分たちに酔ってしまい、根本的な治療を拒んだりする。
DV被害を受けながらもけなげに加害者を支えようとする自分。
アルコール依存患者を支える自分。
そんな自分にアイデンティティーを持ってしまう状態。
それが共依存。
慶介が少し悩むよう目を細めた後、小さくうなずいた。
「そうなんだよ。まさしくそれだ。少なくとも俺と、俺らの両親はそうなんじゃないかって思ってる。そろそろ暴走が度をすぎてきている。"従姉妹を思うあまりやりすぎちゃいました"ってレベルを超えてるだろ。ここからは家族内の話だから、あんまり他の連中には言わないでほしいんだけどさ」
「うん」
俺がうなずくのをみて慶介は話を続けた。
「最近、姉貴が沙斗子が病院に行くのについていくとか言い出してさ」
共依存の典型みたいな行動だな。思わず心の中でつぶやく。
「沙斗子の調子が良くならないのは病院が悪いからだって。病院を替えないとだめだって。沙斗子が負った心の傷の深さを想像したら1年やそこらで治るようなものじゃないことくらい簡単にわかりそうなのに。沙斗子だって今の病院で問診とカウンセリング受けて少しずつ良くなっていっているのは明らかなんだから、そんなに焦る必要なんてないんだしさ。それで、最近、沙斗子の調子がいい状態が続いてたんだよ。姉貴は自分が沙斗子から必要とされなくなるんじゃないかって思った。だから沙斗子の調子がいい原因になっている勅を遠ざけようとしたわけだ。悪かったよ。巻き込んで。ごめん。」
なんか今日はよく謝られる日だな。他人事のように俺は思う。
「なあ、慶介。やっぱりお前の姉ちゃん共依存なんだろ。それは、それで治療が必要なんじゃないか?」
慶介はため息をついた。
「そうなんだよなー。それで最近、家族会議しててさあ。あ、姉貴は除いてね。どうやって姉貴を病院に連れて行くか、なんだよ。沙斗子の主治医の先生だと姉貴はまた攻撃的になりそうだからさあ。セカンドオピニオンの事前相談?みたいな感じで他の先生と話しできないかなーって話してるとこ。うつは移るって言うけど本当だな。沙斗子が悪いんでも姉貴が悪いんでもない。誰も悪くないのに悪循環だ。だから勅。お前も沙斗子のことを思うなら、姉貴のいかれたノリに引きづられるな。沙斗子がどうしてほしいかを考えてやれ。そんで、姉貴はもちろんだけど、沙斗子にもあんまり無理に近づくなよ。あの2人の心の中は真っ暗で、ドロドロだ。お前までそれに引きづりこまれちまったら、俺がうつになる」
慶介は吐き出すように言い切った。今、勅は慶介にかける言葉を持っていなかった。その日はそのまま2人は別れて帰途についた。
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