鬱彼女#3
翌朝、さっそく沙斗子に声をかけた。
「沙斗子ー、おはよう」
「おはよう」
「沙斗子ってさ、一人暮らしだっけ」
「うん」
「なんで?」
「両親が死んだから」
いきなり重たい話がきてしまった。昨日の調子で直球に聞いたのが間違いだったらしい。
「軽く聞いてごめん」
「いいよ。高校生で一人暮らししてる方が珍しいから。昨日慶介に何か聞いた?」
「いや、沙斗子が自分で言ってないなら自分が言うべきじゃないって教えてくれなかった」
「そう、慶介らしい」
沙斗子はなんでもないように話す。しかし、昨日慶介があれだけ口はばかったのだ。沙斗子の両親は単なる事故死とかそういうことではないのだろう。朝っぱらのさわやかな教室で聞く話でもなさそうだ。ここはさくっと話題を切り替えよう。
「じゃあ、家事とか全部自分でやってるの?」
「うん」
「ご飯ちゃんと食べてる?」
「そこそこ」
「そこそこかよ。まあ確かに家事とか面倒だしな」
沙斗子がいぶかしげな顔をする。
「勅って家事とかするの?」
「するよ」
沙斗子の目が丸くなる。あ、新しい沙斗子の表情だ。新発見だ。どんな顔しててもかわいいな。
「勅、家事できるんだ。すごいね」
「飯作りと簡単な掃除と洗濯くらいだけどな。うち母子家庭だからさ。家事は俺の仕事」
「あ…そうなんだ」
母子家庭と聞いて、沙斗子が少し申し訳なさそうな顔をした。
「気にすんなって。俺からしたら親父がいないのも家事すんもの当たり前のことなんだからさ」
「あ、じゃあいつも食べてるお弁当も自作?」
「そうだよ。そういや沙斗子は総菜パンばっか食べてるな」
「だって私料理できないもん」
沙斗子が少しふくれてみせる。いつかは沙斗子の手作り食べてみたいもんだ。
「今度料理教えてやろうか」
「結構です!!」
昼休み、最近の日課どおり、屋上の給水塔へ向かう。しかし屋上の戸の先に沙斗子と見慣れない人影が見えた。
「沙斗子、最近調子どう?」
「普通かな。悪くないよ」
「ならいいんだけどさ。沙斗子につきまとってる男がいるらしいって噂聞いたから心配だったんだ」
「つきまとってる男?なにそれ。そんなのいないよ?」
「本当に?」
「本当に」
「困ったことがあったらお姉さんが胸を貸してあげるからいつでも言うんだよ?」
「うん。ありがとう祥子姉。」
「じゃあ、あたしは先に教室戻るから。沙斗子もちゃんと戻りなさいよ」
そして祥子姉と呼ばれた人がこちら側に向かってきたので勅は慌てて階段の陰に隠れた。祥子姉…祥子…ってことはあの人が慶介の姉貴か。予想よりかなり小柄だった。沙斗子とは違うロングヘアが印象的だった。
しかし危ない。たぶん"つきまとってる男"って俺のことだよな。思わず冷や汗をかく。すでにいい印象をもってなさそうだった。慶介の言うとおり、沙斗子に対する愛ゆえなんだろう。けど手ごわそうだ。気をつけよう。
"つきまとってる男"が俺だってばれたら体育館裏に呼び出されかねない。そして釘バット片手にあんなこんなことまでっ……!!
「勅、何してるの?もしかして隠れてるつもり?」
「うお!?」
隠れている(つもり)の俺の目の前に沙斗子がひょこっと顔を出した。どうやら沙斗子の位置からは丸見えだったらしい。
「いや、他の人いたからさ。あんまり露骨に2人でいるの見つからない方がいいかなって」
あせあせと理由を説明する。さすがに沙斗子に”笹井先輩を警戒して”とは言えない。
「そだね。祥子姉は私に近寄る男の子を異常に敵視する傾向にあるから賢明な判断だ」
少し遠くを見る沙斗子と、並んで給水塔に上がる。
「なあ、今のって笹井先輩だよな?」
「うん。知ってるんだ?」
「まあ有名だし。慶介のお姉さんだろ?」
「慶介に聞いた?」
「昨日少し……」
慶介に沙斗子について聞いたのがばれたかな。慶介の名前を出したのが失敗だったか。しかし沙斗子は何でもないように話を続けた。
「そっか。慶介に聞いたかもだけどさ、祥子姉は私のこと昔からかわいがってくれてるんだよね。本当の妹みたいにさ」
「ああ。そうらしいな」
沙斗子に合わせて、俺も何でもないように答える。
「私も優しい祥子姉が好きだったんだよ」
だった?過去形?
「なんて言えばいいのかな。ねえ、慶介なんて言ってた?」
「過保護の2乗」
「うん、それそれ。そんな感じ。相変わらず慶介はうまいこと言うんだ。そんな感じで、祥子姉はいっつも私の世話を焼いてくれていて……優しくて……」
ふと、沙斗子は言葉につまる。そっと彼女の顔を見ると、目一杯に涙を浮かべていた。やべえ、どうしよう。こんなときの男って本当に無力で。どうしていいか全然わからない。
「あ、ごめん。いいよ気にしなくて」
そう言って沙斗子は自分のハンカチでそっと目元をぬぐった。今度からちゃんとハンカチ持ちあるこう。俺のズボンのポケットの中のくしゃくしゃのフェイスタオルが余計な存在感を主張していた。
「いつからかな。祥子姉のこと少し重たく感じるようになっちゃったの。私、性格悪いね。自分にこんなにも親切にしてくれる人のこと、嫌だと思ってるなんて」
沙斗子は涙声のままうつむいてしまう。俺にかけられる言葉なんてほんのわずかしかないから、その言葉を必死に紡ぐ。
「性格悪くなんかないよ。沙斗子だって成長してるんだ。いつまでも子供の頃と同じ扱いなんて嫌に決まってるじゃんか。俺は笹井先輩のこと全然知らないけどさ。沙斗子が嫌だと思ったら、嫌だって言っていいと思うんだけど」
「そうだね。いつか…言えたらいいんだけどね」
それっきり沙斗子は無言で遠くを見つめて黙ってしまった。
その日の放課後、帰ろうとしたら沙斗子に声をかけられた。
「勅、少しいい?」
「もちろん」
2つ返事で屋上へ向かう。
「あのね、お昼に言えなかったから一応言っておくね。勅も知ってると思うけど祥子姉はその、私のことをすごく心配してくれているの。私の友好関係をすごく気にしてて、私に負荷を与える人が近づかないようにしてくれてるの。昼にも言ったけど重たくないとは言わないけど、やっぱりお世話になってるからね。なかなか無下にはできないんだ。それで…昼の祥子姉との会話聞いていたかもなんだけど、祥子姉は今、勅のことをすごく気にしてるの。まだ勅個人を特定したわけじゃなさそうなんだけど私に”つきまとう男の子”って言ってたから、たぶん勅のことだと思うんだ」
そこまで一気に言って、沙斗子は眉間にしわを寄せて俺を見上げた。
「勅、しばらく祥子姉に見つからないようにして。きっと見つかったら祥子姉は勅のこと排除しようとする」
「排除って…んな物騒な……」
笑って済まそうとして昨日の慶介の言葉を思い出した。
“今まで沙斗子と関わって、去ったやつののほとんどは祥子姉のせいで沙斗子から去ってるんだと俺は思う。“
笑い事ではなくて、本当に、笹井祥子が沙斗子の露払いをしているとしたら。でも笹井先輩の悪いうわさなんて聞かない。それはつまりどういうことかと言えば。
「物騒な言い方かもしれない。私は慶介みたいにうまく言えないから、強い言い方になってしまっているかもしれない。そのせいでうまく伝わらなかったらごめん。でも、そのまままだと思ってる。祥子姉はうまく取り込んでそっと私から相手を引きはがすの。使い終わったマスキングテープをはがすみたいに上手に引きはがすの。
やっぱりうまく言えないんだけどさ。伝わらなかったらごめん。嫌な言い方だったらごめん。でも、勅にはあまり祥子姉に近寄らないで欲しいな」
そう言って、沙斗子は困ったように微笑んだ。
翌日の昼休み。
嵐がやってきた。
俺と沙斗子はいつものとおり屋上の給水塔の上でだべっていた。
「昨日テレビで、今年の夏は猛暑とか言っててさあ」
「えー、暑いの苦手だなあ」
「沙斗子って誕生日いつだっけ?冬生まれって暑いの苦手らしいじゃん」
「そうなの?」
「沙斗子!!」
突然屋上の扉がけたたましく開き、一人の小柄な女子生徒が現れた。
「しょ、祥子姉?どうしたのいきなり」
沙斗子の驚いたような声で俺は気がつく。笹井祥子だ。
黒くたなびく長いストレートヘア。
小柄だが引き締まった体。
切れ長で力強い瞳。
沙斗子とはタイプが違うが美人だ。
小柄で童顔だから"体育会系美少女"なんて言われるんだな。
「あんた、沙斗子に何してるの!?」
いろいろ思い出していたらいきなり怒鳴られた。俺はただただ面食らうばかりだ。
「何してるのは祥子姉だよ!!どうしたのいきなり……。勅は何も悪いことなんかしてないからっ。勅を放して!!」
沙斗子があわてて給水塔から降りて笹井先輩をなだめる。
「っ……。ごめんなさいね。ちょっと動揺してしまって…。はじめまして。私は笹井祥子。沙斗子の従姉よ。」
笹井先輩は打って変わって穏やかな笑顔で俺を見上げた。動揺しすぎだし豹変しすぎだ。警戒を怠らず、俺も沙斗子を追って給水塔から降りた。
「はじめまして。田無 勅です。沙斗子さんのクラスメイトです。えっと…笹井先輩は慶介君のお姉さん…ですよね?」
「あら、慶介のこと知ってるの?」
「はい。一年の時同じクラスでした」
「そうなんだ。これからも慶介のことよろしくね。ところで田無君。ちょっと沙斗子と2人で話したいことがあるから外してもらっていいかな?」
笹井先輩はにこやかに告げる。口調は疑問形だが、目は有無を言わさない圧力がある。ちらりと沙斗子を見ると、彼女は引きつった笑顔で俺の方を見上げている。どうしたもんか…。
「田無君?」
ダメだった。笹井先輩の眼圧はそれほどまでに強かった。問答無用で俺に立ち去れと言っている。情けないながら、俺に立ち向かうすべはなかった。
「はい…失礼します。沙斗子、また後で教室でな」
なんとか取り繕った笑顔で、その場から去ることしかできなかった。
屋上から降りる階段で慶介に遭遇した。
「勅!! お前大丈夫か!?」
「なんだよいきなり?」
慶介は息を切らして詰め寄ってくる。
「いや、姉貴がすごい形相で屋上に上がるのが見えたから、沙斗子になんかあったのかと思ったんだよ。そしたら入れ替わりにお前が降りてきたからお前が姉貴に何かされたんじゃないかと思ってさ」
「いや、特に何かされたってわけじゃねえよ。」
苦笑交じりに答えて見せるが、慶介の焦りの顔は変わらない。
「……てことは有耶無耶に追い出されたんだな?」
図星過ぎて、答えに詰まった。慶介は「やっぱり」とため息をつく。
「なんかさあ。今までのやつもそうだったんだよ。姉貴に何かされたってわけじゃない。でも、なんとなく沙斗子とぎくしゃくしていつの間にかいなくなっちまうの。姉貴、外っ面だけはいいからな」
「あー、そうかも。こないだ慶介が言ってたこと、俺、やっとわかった気がするわ」
つられて俺もため息をついた。
「しかしまずいな。言った傍から勅のこと姉貴にばれちまった。こりゃお前しばらく沙斗子とろくに会話もできなくなると思っといたほうがいいぞ」
慶介は申し訳なさそうにうつむいた。
「大丈夫だって。沙斗子とは同じクラスなんだしさ」
俺は空元気を振りまいた。沙斗子に続き、慶介にまでそんな暗い顔をされてはたまらない。
しかし俺の考えは甘かった。その後沙斗子は昼休み一杯、教室に戻らなかった。休み時間も気が付くといなくなっている。それは、一週間続いた。
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