第38話 fiance
日曜日。俺がlineでお願いした通り、結菜は待ち合わせ場所の『南かぜ風』に大人っぽい私服で来てくれた。
普段とメイクも違うせいか、20歳くらいの女子大生のように見えた。2年後の結菜をうっかり見てしまったようで、楽しみを減らしてしまったかなと思ったが、1ヶ月後にはもう二度と結菜と会えなくなるのかもしれないのだから、今のうちにいろんな結菜と出会っていたほうが良いに決まっている。
「落合、その格好は何?」
「何って、正装だよ」
昨日、アルバイトの時間までに、俺は隣町までスーツを買いに行った。似合っていないことは百も承知だったが、今日はこの格好でないとダメなのだ。
「よし、行こう!」
俺は気合いを入れると、結菜の手をとって歩き出した。
駅や、電車内で、冷ややかな視線を感じて、結菜に申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、結菜は普段通りに接してくれた。
そう、最初はそれで済んでいたのが、あまりに俺のほうをニタニタしながら見てくる女子高生たちがいたので、
「ちょっとあなたたち、何か言いたいことがあるのならはっきり言いなさいよ!」
と結菜がキレてしまった。
「なら言ってあげるわ。あんたの彼氏、ダサすぎて、うけるんだけど」
女子高生の一人がそう言うと、全員で声を出して笑っていた。
「彼氏じゃないわよ」
結菜はきっぱり否定した。
「へえー、だったら別にあんたが怒らなくてもいいじゃない」
「怒るわよ。だって……」
「だって、何よ? あんたのほうこそはっきり言いなさいよ!」
珍しく結菜が口ごもっていた。
そのチャペルは横浜にあった。情報誌で一目見て、白と青のコントラストが美しいこのチャペルしかないと思った。
「落合、私と本気で一緒に行きたい場所って、ここなの……」
「いろいろ考えたけどさ、ここだったんだ」
俺は結菜の手をとって、まずはチャペルの手前にあるモダンな建物に入っているブライダル会社へと小走りで向かう。
実際に、チャペルを目にすると、一刻も早く結菜と一緒にチャペルの中に入りたい衝動に駆られた。
「ここは、高校生が遊びに来る場所ではないのよ。ごめんなさいね」
受付の女性にあっさりと見破られてしまった。年齢が年齢だから、断られる覚悟はしていた。しかし、あんなに素敵なチャペルを見たら、そう簡単には引き下がれない。
「遊びに来たわけではありません。真剣に見学に来ました。だから、チャペルの中を見せてください。お願いします」
俺が受付の女性に頭を下げると、結菜も一緒に頭を下げてくれた。
「どうかしたの?」
「あっ、金子さん。その、この子たちが、見学をしたいと……」
俺たちが顔を上げると、20代後半でデコルテのラインがキレイな女性が立っていた。
「君たち結婚するの?」
金子さんは単刀直入に尋ねてきた。
「まだ決まってはいません。今日は、それを確かめに来ました」
俺がそう答えると、
「なるほどねえ。付き合ってどれくらいになるの? 一時の感情で決めると後悔するわよ」
と金子さんが諭すように言う。
「いえ、まだ結菜とは付き合ってはいません。それより先に、ここに来たかったのです」
俺は自分でも無茶苦茶なことを言っていると思ったが、結菜は俺を止めたり、金子さんに謝るようなことはせずに、静かに話を聞いていた。
「まだお付き合いもしていないカップルがここに来たのは、君たちが初めてよ。いや、カップルでもないのか……。つまり、君たちは付き合うのなら、結婚を前提に付き合いたいということなのかな?」
「はい」
「フハハハハッ、フハハハハッ。ごめんなさい。羨ましすぎて笑っちゃった。いいわよ。うちの自慢のチャペルを見ていってちょうだい。ウフフフッ」
「ありがとうございます!」
俺と結菜は声を揃えてお礼を言い、金子さんに頭を下げた。
「まあ、見せつけてくれるじゃない。君たち、そこら辺のカップルよりずっと繋がっているようね」
俺と結菜は目を合わせて照れるしかなかった。
「さあ、ついていらっしゃい」
金子さんは、受付に置かれていた鍵をとると、外へと出て行く。俺と結菜も慌ててついていく。受付の女性は終始、ぽかんとしていた。
目には見えないものが見えた。そこには、恐らく“愛”と呼ばれるものが満ちていた。
「このチャペルは、1628年に建てられたイギリスのチャペルがモチーフなの。ここを選ぶなんて、君たち将来有望ね」
金子さんは先ほどから必ず「君たち」と言う。「君」とは言わない。俺はなんだかそれがとても嬉しかった。
「どう、せっかくだから、プロポーズの練習でもしてみる?」
「いいんですか! ありがとうございます!」
「フハハハッ、冗談のつもりだったのに、君たち本当に妬けてくるわね」
「結菜、行こう」
「う、うん」
俺は結菜の手を引いて、祭壇の前へと進む。
そして、やや緊張した面持ちの結菜と向き合い、
「俺、もっと早く気づくべきだった。付き合いたいっていう気持ちでは足りなかったんだ。俺は結菜と結婚がしたい。今、付き合うことになっても、うまくいかないかもしれないけど、この想いは絶対に変わらない。結菜、こんな俺だけど、こんな俺と結婚してください」
自分でも驚くほど真っ直ぐに、思いの丈を結菜に伝えることができた。
「はい」
結菜も俺の目を真っ直ぐ見て返事をしてくれた。
「今の、練習には見えなかったわよ……。君たち、必ずここで挙式してよね。私も一緒にブライダルプランを立てさせてちょうだい」
「ありがとうございます! その時はぜひ、金子さんにお願いします!」
「お願いします!」
俺と結菜は、金子さんに深々とお辞儀をした。式場も決まって、ブライダルプランナーも決まって、あとは結菜といつ付き合えるようになれるのかが問題だった。
チャペルを後にすると、山下公園のベンチに座って、海を眺めた。胸のドキドキが少しは落ち着くかと思ったが、隣に座っている結菜をチラ見するだけで、心臓が口から飛び出て、それを追いかけて海に落ちてしまいそうになった。
「ありがとう、落合。最高の誕生日になったわ」
「えっ?」
「やっぱり知らなかったんだ。美樹たちに『お祝いしたい』って誘われていたんだけど、断っちゃった」
知らなかった。結菜の誕生日が7月27日だったなんて。たまたま、アルバイトが休みだったから良かったものの、知らなかった自分に腹が立った。目の前にいる結菜のことだけを見てきたから、結菜が住んでいる場所も、家族構成も知らないまま今日に至っていた。
「ごめん……。俺、何もプレゼントを用意してなくて……」
「もう、もらっているんだけどなあ。まだ何かくれるの?」
「えっ?」
「よし! 落合がまだプレゼントしたいって言うなら、私、『渚四川飯店』に行ってみたい。ご飯をごちそうしてよ」
「それでいいの?」
「この前も言ったけど、本当に一万円分食べちゃうからね」
「あっ、それ、俺見てみたい! 結菜が『渚四川飯店』の料理を一万円分も食べてくれるの見てみたい! でも、それって、自分へのプレゼントみたいになっちゃうな……。結菜、ちょっと、ここで待っていてくれる?」
「どうして?」
「いいから、いいから」
俺は結菜を残して、プレゼントを買いに行こうとしたが、一旦結菜の元に戻る。
「これ、忘れてた。じゃ、行ってくる」
こんな所に結菜を一人にしたら、必ずナンパされてしまう。俺は、スーツの上着を脱ぐと、結菜の背中にかけてから、プレゼントを買いに向かった。これでしばらくの間は、ナンパを防ぐことができるだろう。
「えっ、ウソでしょ。落合君の彼女なの?」
「まあ、えらい美人さんだこと」
案の定、結菜を『渚四川飯店』に連れて行くと、常連さんが驚いた反応を示す。俺だって、未だに結菜のかわいさに慣れることができていないのだから無理もない。
「彼女ではありません。婚約者です。今日、誕生日なんですが、先ほどプロポーズされました」
全部、事実だ。でも、あれは練習だった。
「いらっしゃいませ。お誕生日おめでとうございます。たくさん食べていってくださいね。しっかりサービスさせていただきますから」
恐らく川上さんと貴子さんとのじゃんけんに勝って、水を運んできてくれた野村店長がそう言ってくれた。プロポーズの件は、真に受けなかったようでスルーしていた。
「ありがとうございます」
結菜は野村店長に一礼すると、メニューに手を伸ばした。
本当はこういうものは、食後に渡すべきなのだろうが、苦しくなるほどお腹いっぱい食べることが目に見えていたので、先に渡すことにした。
俺はズボンのポケットに忍ばせていた、コンパクトなリングケースを取り出し、結菜の目の前で開いた。
「結菜、俺と結婚してください! これは練習じゃないから。本気だから!」
「でも、これ……、高かったんじゃない?」
「そんなことないよ。いや、もちろん安くはなかったけど、驚くほど高くはないというか……」
「わかった。割り勘にしてくれるのなら、受け取らせてもらうわ。私も『南かぜ風』でアルバイトすることになったから、ちゃんと払わせてよ」
「本当に? 結菜が『南かぜ風』で働くの?」
「うん。来週から」
「よかったー! 結菜と『南かぜ風』って最強の組み合わせじゃん」
「ありがとう。でも、今はそれよりも、もう一度やり直してよ」
「えっ?」
「だから、プロポーズ、やり直してほしいの。私、返事をまだしていないでしょ」
「そ、そうだね。ゴホッゴホッ。う、うん」
「フフフフッ」
「結菜、俺と結婚してください!」
「声が小さい」
「結菜! 俺と結婚してください!」
「はい」
俺は指輪を手に取って、結菜の左手の薬指に入れる。
「ちょっと、落合……」
「……」
何てことだ。小さいサイズを買ってしまった。
「サ、サイズ直しできるって言っていたから……」
俺は指輪をリングケースに仕舞う。
「もう、決める時は決めてよね! たくさん食べてやるんだから! すみません! 注文お願いします!」
結菜は貴子さんを呼ぶと、メニューに載っている料理を片っ端から注文した。
貴子さんは結菜に対して申し訳なさそうにしていた。いつも一緒に働いている仲間がこんなミスをしたんだ。そういう感情になるのも理解できた。なんだか、貴子さんにも、川上さんにも、野村店長にも、ご来店いただいているお客様にも悪いことをしてしまった。
「落合!」
「は、はい」
結菜に呼ばれて、俺は背中をシャキッと伸ばす。
「私はもうあなたの婚約者だから、あなたと結婚するまでバージンを守るって約束するわ。だから、あなたもそうしなさいよね!」
「わかっているよ、そんなこと。早く付き合えるようになるといいな」
「そうね。変に焦って付き合うようになって、ダメになってしまうのは絶対に嫌。その時が来るのを待ちましょう」
「うん。そうしよう」
お客様全員の箸が止まっていた。貴子さんも、川上さんも、野村店長も呆然としていた。周囲から見たら変かもしれないが、俺と結菜にとっては、これが正しい順番だった。
「ねえ、子供は何人ほしいの?」
「うーん、そうだなあ。やっぱり二人はほしいかな」
「そうだよね。私、一人っ子だから、兄弟に憧れるもの」
「結菜、一人っ子なんだ」
「そうよ。落合は兄弟いるの?」
「ああ、生意気な妹が一人」
「フフフッ、そんな感じする」
「どうして?」
「知り合いで、同じような感じの人がいたのよ」
肝心なところでミスってしまったものの、『渚四川飯店』の料理をたらふく食べながら、結菜とたくさん喋ることができた。
転校までの1ヶ月間で、もっとお互いのことを知って、自信を持って付き合うことができるようになれば、神奈川と沖縄との遠距離恋愛もうまくいきそうな気がしてきた。
俺は結菜と結婚をするんだ。
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