第26話 お客様

 伊東のマリーナに着くと、クルーザーを停泊させ、そこからは電車とバスを乗り継いで『アツアツ』へ向かった。なんてセンスのない名称だろう。

 誰と何を喋ったのか、道中の記憶はほとんど残っていなかった。結菜とは、美樹とは、普段通りに話せていたのだろうか。思い出そうと試みるが、大切な記憶が夢のように消えていた。

 ただ、3回ほど結菜にいつものように叩かれていたから、雰囲気を悪くするようなことはしていなかったと思う。なんで、あの時、皆が見ている中で、告白をしてしまったのか、自分のことだがまるで理解できなかった。


 『アツアツ』は3階建ての木造のペンションで、こぢんまりとしていた。確かに、海辺に建っていて、早朝は好きなだけ泳げそうだ。

 エントランスに入って行くと、小学5、6年生くらいの男の子が掃除をしていた。夏休みになって遊びにいきたいはずなのに、親の手伝いをしているなんて感心だ。

「お前たちか、アルバイトの募集に応募してきたのは?」

 想像していた口調と違った。

「ついて来い」

 男の子は、ほうきを置くと、ロビーへと歩いて行く。

「ここはロビー兼食堂だ。今日は、満室だから、夕食時は戦争になる。覚悟しておけ」

 生意気な口調にイラッとした結菜が、男の子にげん骨をしようとするが、美樹がなだめる。

 さらに、男の子は1階にある共用トイレと、風呂場に案内し、

「まずはトイレと風呂場をピカピカに掃除しろ」

と命令口調で言った。俺たちはどうしたものかと目を合わせたが、

「仕事ですから。ちゃんとやりますよ」

と佐藤が代表して、敬語で男の子に返事をした。

「それから、客室は2階と3階にそれぞれ、5部屋ずつある。掃除が終わったら、お客さんが来る15時までにベッドメイキングを済ませろ。最近の客はうるさいからな。変な口コミを書かれないように、きれいにやるんだ」

 俺は生意気な年下に免疫があるが、結菜は爆発寸前で、顔を赤くしていた。


「わかりました。さっそく荷物を置いて、仕事にとりかかります。俺たちの部屋はどこですか? それから、オーナーさんに挨拶をしたいのですが……」

「3階の部屋を使わせるつもりだったけど、どうしても今日と明日、泊まりたいと言ってきかないわがままな客がいて、『泊まらせないと態度が最悪だったって噂を流す』って脅してきやがったから、1部屋かしてやることにした」

「でも、今日は満室だったんじゃ?」

 俺が尋ねると、

「だから、お前たち女3人は3階の部屋を使え。お前たち男は、別に用意してある」

と男の子は答えた。

 男の子は裏口から出ると、外に張られていたテントを見せた。

「ここを好きに使え」

 好きに使えって言われても……。クーラーは? テレビは? 薄い壁越しに聞こえてくる結菜たちの声は?

「イエーイ! キャンプ最高!」

 佐藤はテンションを落とすことなく、テントの中に荷物を置く。まあ、これはこれでいい思い出になるかもしれないと思い、俺もテントの中に荷物を置いた。

「それで、オーナーさんはどこにいるんですか?」

 美樹が尋ねると、男の子はちょっと照れながら、

「い、今は、ここにいない」

と答えた。

 威張っているくせに、まだまだガキじゃないか。


「いつ、戻って来るんですか?」

 佐藤が尋ねると、男の子は再び強張った表情に戻して、

「夏が終わったら戻って来る」

と至って真面目に答えた。

「ちょっと、どういうことなのよ、さっきから黙って聞いていたら調子に乗って……。ふざけていないで、さっさと紹介しなさい!」

 結菜はできるだけ自分を抑えてそう言った。

「オーナーは夏が嫌いで、ここにはいない。俺がアルバイトを雇って、きりもりしている。いいか、お客様にはそのことを絶対にバレるなよ。お客様の前では俺のことを『健ちゃん』と呼んでいいが、居ない時は『支配人』と呼ぶように。わかったら、さっさと掃除にとりかかれ。今日は、忙しいんだ。それから、お前、今度生意気な態度をとったら、給料減らすからな」

 男の子はそう言うと、ペンションの中に戻って行った。


「ワアーーー!」

 結菜は海に向かって、思いきり叫んだ。

「何よあの態度、性根を叩き直したいわ!」

 間違いなく、全員が結菜と同じ気持ちだった。

「田中さん、殴ればよかったのに」

 三上が火に油を注ぐ。

「やっぱりそうかな。三上さんがそう言うのなら、今からでも殴ってこようかな」

「ダメだよ、結菜。手を出したら負けだからね」

 美樹にそう言われ、結菜は納得いかなそうに頷く。

「でも、子供が経営しているなんて、そんなことできるのかな? 料理は誰が作るの?」

 美樹に言われて気付いたが、確かにコックもいない。

「まあ、悪戯ってことも考えられるけど、本当に満室だったら、健ちゃんヤバくない?」

 佐藤の言う通りだ。今すぐ帰りたいところだが、それがはっきりしないと、帰るに帰れない。

「事実は小説よりも奇なり。私、この言葉、大嫌い。小説が事実に負けるわけがない。私、それを確かめたい」

 三上は声を張ってそう言った。

「よし、それじゃ、客が来るという15時まで頑張ってみようぜ!」

 佐藤がそう言うと、

「仕方ないな……」

と結菜も渋々納得する。


 俺と佐藤の男子チームがトイレ掃除、結菜、美樹、三上の女子チームがお風呂掃除をした。時折、風呂場から女子チームの笑い声が聞こえてきた。こういう経験も滅多にできることではないし、少しはこの妙な状況を楽しめているようだった。

「健ちゃん、もしかして幽霊だったりして」

 丁寧に便器を磨きながら、佐藤がそんなことを言い出す。

「ハハハッ。そんな青い顔するなよ。ラッキーじゃん」

 佐藤が怖いものは、薫だけなのかもしれない。

 万が一ということもある。俺は健ちゃんに呪われたりしないように、懸命にブラシでタイルを磨いた。


 掃除が終わると、客が使用する9室のベッドメイキングを行った。昨日、客が止まった気配がなく、部屋が散らかっていなかったので、この作業はすぐに終わった。本当に、満室になるほど客がやって来るのだろうか? 幽霊の団体さん、なんてことはないだろうな……。


「ごくろうだった。さっき、『これからバスに乗ります』と電話があったから、お客様はもうすぐやって来る。誠心誠意、おもてなしをするように」

 健ちゃんにそう言われ、

「はい」

と俺たちは声を合わせて返事をした。準備が終わって、『アツアツ』のユニフォームに着替えたからだろうか、やるぞ! と気合いが入っていた。ユニフォームはキレイに洗濯されていた。それに何より、女子のユニフォームはタイトなスカートでセクシーだった。もしかしたら、オーナーではなく、健ちゃんの好みなのかもしれない。


 そして、5分ほど経つと、支配人の言う通りにお客様が現れた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、ペンション『アツアツ』へ。道には迷われませんでしたか?」

 慣れた感じで支配人がお客様たちを出迎える。

「まあ、かわいい従業員さんね。よろしくね」

 お客様の若い女性にそう言われても、支配人はデレデレすることなく、

「さあ、こちらへ」

と言って、“本物の支配人”のようにお客様たちをフロントに案内する。

 フロント係に選ばれたのは、美樹と三上だった。

「ようこそ、『アツアツ』へ。ごゆっくりお過ごしください」

「すみませんが、こちらにご記入ください」

と礼儀正しく対応し、なかなか様になっていた。

 支配人の言う通り、続々と女性客たちが入って来た。しかも、全員、かなり若い。女子大生だろうか。とにかく、今日のお客様というのは、キレイなお姉さま方の団体だったのだ。俺と佐藤が目を合わせて喜んでいると、結菜が冷ややかな目で俺たちを見ていた。


「お荷物、お持ちします」

 佐藤が率先して、お客様の鞄を持つ。

「お部屋は2階になります。階段しかありませんので、お足もとにご注意ください」

 ここで何年も働いているスタッフかのように、佐藤はお客様を2階に案内する。

「これ、運んで」

 もちろん、中には横柄な人もいる。よりによって、結菜にそう言った。

「かしこまりました。お部屋までお持ちします」

 結菜はキャリーケースを持ち上げて、階段を上って行く。ああ、後で腹いせに殴られることを覚悟しておこう。

「お持ちします」

 俺も荷物を預かると、お客様と一緒に2階に上がって行く。そして、結菜が3階に上がって行くのが見えた。これは、回し蹴りかな。あのタイトなスカートをはいた結菜に蹴られるチャンスだ。


 階段を上り終えると、

「サークルの合宿か何かですか?」

と佐藤がドアを開けながら、お客様に聞いていた。

「まあ、そんな感じかな。夕食が楽しみだわ。フフフッ」

とお客様は笑っていた。

 俺と佐藤はまた目を合わせて喜んだ。やっかいな支配人がいるが、これはご褒美と言ってもいいようなアルバイトだ。湯上りはさぞ良い香りが、このペンションを占拠することだろう。


 荷物を運んだ後は、俺と結菜はロビーで残る1組の客を待った。先ほどさっそく『バスが30分に1本しかない』ことにクレームの電話があったそうで、もう間もなく到着するそうだった。

 フロントには美樹が残り、佐藤と三上は支配人と一緒に調理場に入っていた。荷物を運んでいる間に、調理人が出勤してきたのだろう。

 明日は佐藤と変わってあげなければ……。ロビーからは、水着に着替えたお姉さんたちが、『アツアツ』自慢のプライベートビーチではしゃいでいる姿が見えていた。

 俺は、これから来る客に、どんなにわがままを言われても許せる自信があった。

「さっきから、ニタニタして、バカじゃないの! 落合なんか、相手にされないわよ」

 結菜は誤解していた。俺がニタニタしている理由は、夜になったら、佐藤の親戚の別荘で、結菜の水着姿を見られるからだ。一緒にプールで泳げるからだ。


 そして、支配人を脅して、予約を無理やり入れていた最後のお客様が姿を現した。

 支配人は、調理場から出てくると、その道のプロらしく、快く迎えていた。

「お疲れでしょうから、ロビーでお休みください。すぐに、ウェルカムドリンクをお持ちします」

 支配人にそう言われると、その客たちはドカッとロビーのソファーに座った。

「薫、綾、どうしてここに?」

 俺がそう声をかけると、

「あら、私たちはここに泊まる客よ。次からは望月様と呼んで」

と言われてしまう。

 薫の声を聞いて、調理場から、佐藤と三上も出てきた。

「早く、呼びなさいよ」

 綾があおってくる。2人ともからかっているような目ではなかった。

「わかりました。望月様、工藤様」

「わかればいいのよ」

 薫と綾は満足そうに笑みを浮かべた。

 そこに、支配人がオレンジジュースを運んで来るが、

「いらないわ。私たち、オレンジジュース大嫌いなの。さっさと部屋に案内して」

と薫に言われてしまう。

「それでは、まずフロントで受付を」

 支配人がそう言うと、フロントにいた美樹に緊張が走る。

「そんなの後でいいでしょ。私たち疲れているのよ。あなた、さっさと荷物を運びなさい」

 薫は結菜を見て、そう指示する。結菜は鞄を運ぼうとしなかった。しばらく無言のまま視線をぶつけ合うと、薫は結菜の目の前に立ち、

「立場をちゃんと理解することね。私はお客様で、あなたは従業員なの。言ってみれば、ご主人様と下僕の関係なのよ。さあ、早く荷物を運びなさい!」

 俺と佐藤が同時に動き、薫と綾の荷物を持った。

「まあ、いいわ。3日間あるんですもん。十分に楽しませてもらうわよ」

 結菜は薫に何も反論できない。

「アハハッ、薫、これマジで最高!」

 綾がその様子を見て、心の底から喜んだ表情を見せる

「でしょう。最高の3日間になるわよ。あら、ごめんなさい」

 ガシャン。薫がわざと、オレンジジュースの入ったグラスを落とした。

 長い、長い、3日間の始まりだった。

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