第25話 つかまえた
佐藤が操縦するクルーザーに乗って、アルバイトをすることになったペンション『アツアツ』に近い、伊東のマリーナに向かっている。
「最高! 気持ちいい!」
結菜が両手を広げて、風を感じている。美樹と三上も、心地良さそうにしている。
佐藤は車どころか、小型クルーザーを所有していた。『2級船舶免許』というものを、16歳で取得できるようで、慣れた手つきで操縦していた。
江の島のマリーナで、停泊していたこのクルーザーを指さし、佐藤が「これで行く」と言った時にはさすがに驚いた。
昨日の終業式までの、一学期最後の一週間の早さと同じくらい驚いた。
一秒一秒を心に刻み込もうと試みたが、今日から3日間『渚四川飯店』のシフトを空けてもらうために、火曜日から昨日の金曜日まで連勤したこともあり、恐ろしく早く過ぎ去って行ってしまった。終業式が終わった時に感じた、大切な糸が切れてしまった想像以上の痛みだけが、しっかりと残っていた。
高校最後の夏なのに、こんなことでは先が思いやられる。結菜のパンチラも一度も見ることができなかった。もし、夏季講習がなかったら、俺は今頃、絶望の淵にいたことだろう。
「俊、疲れたら操縦、変わろうか?」
「平気、平気。友里は泳ぐ練習のために体力を温存しておかなきゃ」
変わろうかだって? 多分、聞き間違いだな。
「友里、もしかして操縦できるの?」
美樹が聞くと、
「できるんだなあ、これが」
と佐藤が答える。
「どうして、佐藤が知っているんだよ」
「だって、俺が逗子で試験受けた時に、友里もいたからさ」
まさか、クラスメイトに『2級船舶免許』というものを持っている人物が2人もいたなんて。
「三上さん、凄いね」
結菜も尊敬の眼差しで見ている。
「やっぱり、どうしようかな」
佐藤がそう言うと、
「俊は休んでいてよ」
と三上が操縦を変わろうとする。佐藤の役に立ちたいのだろう。しかし、佐藤は操縦を変わらずに、
「よし! 泳ごう」
と言い出し、クルーザーを減速させる。
「余裕もって早めに出発したから、ちょっとぐらい平気さ」
スクリューが止まると、佐藤は錨を下ろしてクルーザーを停泊させた。
「泳ぐって、ここでか?」
俺だけでなく、結菜も美樹も三上も面喰らっていた。こんな海のど真ん中で泳いで大丈夫なのか? サメとかいないだろうな。
「これを下ろしておかないと、大変なことになるからな」
佐藤はそんなのおかまいなしで、手際良くハシゴを下ろすと、救命胴衣を脱いで思いきり海に飛び込んだ。
「最高! 海、独占! ヒャッホー!」
ドボンッ。次の瞬間、結菜も海に飛び込んでいた。
「救命胴衣を着ていたら大丈夫だから、友里も来いよ! ほら、早く!」
佐藤がそう言うと、三上は右手で鼻をつまんで、お尻から海に落ちた。
すぐに佐藤と結菜が助けに向かって、佐藤が三上の手をとる。
「友里、やるじゃん!」
「泳げるようになりたいから」
「よし、それじゃ、俺に掴まって、足をバタバタさせてみて」
佐藤と三上の水泳レッスンが始まる。
「美樹も落合も早くおいでよ! 気持ちいいよ!」
結菜にそう言われたら、俺も行かないわけにはいけない。美樹に、飛びこめるかどうか聞こうとしたら、
「お先にー!」
と言って、美樹が海に飛び込んだ。
「ね、気持ちいいでしょ」
「うん、こんな体験初めて」
美樹はそう言うと、結菜に水をかける。
「キャッ! やったわね」
結菜もお返しに水をかけると、美樹の口に思いきり入ってしまい、
「ゲホッゲホッ」
と美樹がむせてしまう。それでも、美樹は、
「楽しいね!」
と笑っている。
最後になってしまったからには、何かしなくては……。俺は救命胴衣を脱ぐと、助走をつけてジャンプして、一回転して海に飛び込もうとしたのだが、お腹から着水してしまう。
「さすが落合、ダサッ!」
結菜に水を掛けられ、俺は思わずニタッとしてしまう。これ、これ。俺はこういう、夏をずっと探していたんだ。
「落合君、ちょっと気持ち悪いよ」
美樹も俺に水をかけると、結菜と一緒に俺から逃げて行く。
俺は手を合わせてサメの背びれみたいにすると、結菜と美樹を追いかけた。
「キャー、変態ザメが追いかけて来るー!」
「佐藤君、友里、逃げてー!」
結菜と美樹にそう言われて、佐藤と三上も俺から逃げて行く。
救命胴衣を着けている分、泳ぐスピードが遅い結菜に追いつくと、俺は反射的に結菜の腕を掴んだ。
「つかまえた!」
結菜が振り向く。目が合う。俺は息が止まった。心臓も止まりそうだった。時間よ、止まれと思った。
意外だったのは、結菜の動きも止まった。どうしていいか困った。
「次は、ゆいぴーが鬼ね!」
佐藤にそう言われると、俺は結菜の腕をしっかりと掴んでいた手を離して、結菜から逃げようとした。
でも、逃げられなかった。俺は結菜の両肩を掴むと、
「俺、結菜のこと、好きだ」
そう、告白した。
「……バカッ! ノリでそういうこと言わないの!」
結菜はそう言って、俺に軽く水をかけると、美樹のほうに向かって泳ぎ始める。
「キャー、こっちこないで!」
美樹は、佐藤と三上のほうへ向かって逃げる。
「おい、こっちに来るなって。友里、行くぞ!」
「うん」
佐藤は三上の手を引っ張って、クルーザーの反対側のほうへ逃げて行く。それを、結菜が追いかけて行く。
俺が動けないでいると、美樹がゆっくりと近づいて来た。
「……ちょっと悪ふざけがすぎたかな、ハハハッ」
「私、昨日、彼氏と別れて来たんだ」
「えっ? どうして急に? もしかして、ペンションに行くの反対されたの?」
「それも、あるけど、本当の理由は好きな人ができたから。最低だよね」
俺にはその気持ちが痛いほどよくわかった。
「しょうがないよ。好きになってしまったらさ。その気持ちを止められるようなら、恋じゃないわけだし……。美樹はその恋を、大切にしていいと思うよ」
「なら言うね。私、落合君のことが好き」
あまりに驚きすぎて、言葉が何一つ出てこなかった。『えっ?』、さえも……。
「吉岡先生にラブホテルに連れて行ってもらったでしょ。あの時、私、初めての相手のことを想像していたら、落合君の顔が浮かんでいたんだ」
理解できない。何の能力もない俺なんかを好きになって、彼氏をふってしまうなんて……。
「あっ、戻って来た」
佐藤と三上の声が近づいてくる。その後からは、結菜の声が……。
母さんの旅行、大丈夫なのか? 生まれて初めて告白されて、俺はそんなどうでもいいことを心配していた。
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