第24話 ビキニ

 どうしても、ご飯を食べるペースが早くなってしまう。

「あら、奇遇ね。その日、母さんたちも伊豆に行くのよ。会いに行こうかしたら、キラキラした青春に」

 母さんは『了承』をすっとばして、俺たちに会いに来ることを企む。

「伊豆に行くなんて聞いていないぞ」

「本当は宿に着いてから、教えるつもりだったのよ。子供たちを困らせるための旅行にするつもりだったんだから」

「なんだそれ」

「や、やめろよ」

 頭を撫でようとした母さんの手を、俺は振り払う。

「あなたたちも、すっかり大きくなってしまって……。このまま大人になってしまう前に、青春している今のうちに、意地悪したくなったのよ。でも、ペンションでアルバイトするのなら、母さんが入り込む余地はなさそうね」

「別に、ペンションに行かなくても、母さんが2、3日居ないくらいで、困りはしないさ」

「正は3日間で母さんが洗濯物を何枚干して、食器を何枚洗って、包丁を何回握っているか、知っているの?」

 王さんの通算ホームラン数くらいかな? それともイチローの通算安打数くらいになるのか? とにかく、途方もない数字になりそうだ。


「わかったよ。困っていたよ。ペンションに行かなかったら、間違いなく困っていました」

「そう言われると、やっぱり残念だわ。正の困っている顔、見たかったのになあ」

「で、誰と行くの?」

「安田さんと、大島さんよ」

 俺はまさかと思って、箸を止めた。

「安田って……」

「美樹ちゃんのママよ。それから、美樹ちゃんの彼氏の大島君のママも一緒に行くの。おもしろうそうでしょ。恋話、聞き放題よ。もう、2人はセックスしているのかしらね。ワクワクするわ」

 美樹は星野さんの家に行く時に、彼氏と一緒に行っていた。美樹のウエディングドレス姿の写真を見て感動した彼氏が、星野さんの弟子になっていたからだ。


「楓、何時に帰って来るって?」

「聞いてないわ」

「心配じゃないの?」

「毎日、日が暮れる前に帰って来られるほうが心配よ。遊ぶ時は、しっかり遊んだほうが健康的だわ」

「父さんはまた遅くなるんだろうな」

「そうね。気が合うみたい」

 最近、父さんは星野さんと飲みに行くことが増えていた。母さんの浮気相手だった人だから、気が合って当然と言えば当然だ。

「ごちそうさまでした」

 この時間を大切にしたほうがいいのだろうけど、こそばゆさに勝てず、俺は自分の部屋へと退散した。食器を洗ってから。


 部屋の中にあったマンガやゲームは荷造りしてしまった。他にやることもないので、ベッドに寝っ転がって、スマホゲームをしていると、父さんからlineにメッセージが届いた。

 星野さんと乾杯している画像付きで、『母さんからペンションの件を聞いたが、酒は20歳になってからだからな! セックスはいいが酒は飲むなよ! 酒の味を教えるのは俺の役目だからな!』と書かれていた。

 適当に返信しようとすると、今度は楓からlineにメッセージが届く。

 『もうすぐ駅に着くから、迎えに来て!』と一方的な内容だった。


 1階に降りると、母さんはリビングで電話をしていた。

「ちゃんと安田さんも持って来てよ。……大丈夫よ、私たちには、十代、二十代の子たちよりも、ビキニを着る権利があるわ」

 俺は聞かなかったことにして、いつも母さんに洗ってもらっている靴を履いて家を出た。


 今日まで、母さんはいったい何枚、俺の服を洗ってくれたのだろうか? 父さんはビールを何杯飲んで、働いてきてくれたのだろうか?

 長男でよかった。楓よりも、その権利を有するから。やっぱり、孫の顔が一番、喜ばれるのかな。


 『南かぜ風』の前で、三上が立っていた。

「頼みって何?」

「水着買いに行くの、付き合って」

 三上は用件を短く伝えると、俺の返事も聞かずに歩き出した。どうやら、ペンションに泊まり込みでアルバイトすることを、親に許してもらっていたようだ。

 楓からメッセージが届いた後、俺は今朝、line交換した三上にメッセージを送ってみることにした。大した要件もないのに、メッセージを送ったら、嫌がられるかもしれないと思い迷っていたのだが、ペンションに行く前に気軽に喋られるようになっておきたかったので、『今日はペンションの計画を与えてくれてありがとう。うちの親は大丈夫だったけど、三上はどうだった?』とメッセージを送ってみた。

 返事はすぐに来た。『落合君、今から会えない? 頼みたいことがあるの』と書かれていた。俺は、『落合君』で佐藤は『俊』なのか。


 俺は三上と一緒に、隣駅にあるショッピングモールを訪ねた。

「明日にしようと思っていたのだけど……」

「えっ?」

「明日でもよかったんだけど」

「いいよ、別に。暇だったし。でも、俺なんかが役に立てるのかな?」

「もちろん。落合君でないとダメ」

「自信ないなあ。選んだことないし……。あっ、そうだ。今朝さ、本を読み終わった後、何か呟いていなかった? なんて言っていたの?」

「ごちそうさまでした」

「えっ?」

「ごちそうさまでした。そう言ったの。本を読んだ後は、そうするように決めているの」

 ここに来るまでの間に、三上のことでわかったことがあった。三上は自分の中で、極めて重要度の高いことに関しては声を張って言うが、そうでないことは聞きとれないほど小さな声で話す。


 そして、俺と三上は水着を取り扱うショップに入た。三上の頼み事とは『俊が好きそうな水着を選んでほしい』ということだった。

 三上は俺をじーっと見ている。佐藤の好みは熟知しているつもりだが、どんな水着が好みか真剣に話したことはなかった。

「これなんかどうかな?」

 俺は目に入った水着の中で、もっとも露出が高いものを選んでみた。学級委員の三上が、際どい水着で登場する。ギャップに弱いところがある佐藤には効果的だ。それに、色は白だった。普段から、佐藤も俺もパンチラは白にかぎるよなって話していたから、この水着はおそらく佐藤にハマるものだと思われる。

 三上は自分に合うサイズを選ぶと、試着して、そのまま購入した。

 待っている間に、結菜から『ペンションでのアルバイト、行けることになったよ! 美樹も何とか許してもらえたみたい!』とlineにメッセージが届いていたから、これで参加希望者の全員が行けることになった。きっと、母さんが美樹の母親に、美樹が行けるように後押しをしてくれたのだろう。佐藤においては、返事を聞く必要はない。


「帰ろう」

「う、うん」

 こんなに小さな声で「帰ろう」という女子高生が、あんなに大胆な水着を購入するとは……。試着して、やっぱり恥ずかしいとならないものなのだろうか?

「ありがとう。やっぱり落合君に頼んで良かった」

 三上は水着の入った紙袋を大切そうに持っている。

 礼を言うのは俺のほうだ。Lineでも送ったが、ペンションに行く計画が出たのは、三上が「泳げるようになりたい」と佐藤に言ってくれたからだ。

 そのおかげで、俺は結菜の水着姿を見ることができる。高校最後の夏に相応しいビッグイベントだ。


「でも、どうして泳げるようになりたいって言ったの?」

「比喩だったの……」

「えっ?」

 すれ違う人たちの会話の声が大きいと、三上の声がかきけされてしまう。肝心な部分が聞こえなかった。

「ごめん、何だったの?」

「私、学校でいつも溺れているから、そうならないようにしたいと思って……。比喩だったの」

 よかった。誰もその比喩に気づかなくて。

「それじゃ、泳げないって言うのは……」

「嘘ではないから訂正しなかった。私、海でも陸でも泳げないの。落合君は泳げる?」

「まあね……」

 俺は茜さんに嘘をついたことを思い出した。手紙を書けば書く程、完璧な人物になってしまっていたので、泳げないという欠点を用意したのだ。今思うと、茜さんに好意を持ってもらいたくて、背伸びしすぎてしまった。俺が沖縄に行ったら、あらゆることでがっかりさせてしまう……。傷つけてしまう……。そしてそのことが結菜にバレたら、俺はもう二度と口をきいてもらえないことだろう。

 でも、今は、そういうことは考えないで、“やり残したことがない夏”をつくることに集中しよう。

「あのさ、これからは友里って呼んでもいいかな?」

「それはダメ」

 三上はすぐにそう答えた。

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