第23話 お泊まりで……

 月曜日。やっぱり、ここに来るとどこかに緊張感を持ってしまう。

「おはよう」

「おはよう」

 クラスメイト達の挨拶の中からもそれを感じる。誰がいつ、的になるのか、誰がいつ、暴走するのか、誰にもわからない。俺たち『杉山見習い部』はそれを止めないといけない。そのために、今回の計画は結束を高めるために最高だと思う。


 30分ほど前のできごとだった。教室に居たのは『杉山見習い部』のメンバーと、薫と綾、そして、いつものように本を読んでいる三上だけだった。

「おはよう。はい、これ」

 佐藤が三上に、ラッピングされた小さな箱を差し出した。

 三上は本を読んだまま、反応を示さない。

「友里、誕生日おめでとう」

 佐藤がそう言っても、三上は先ほどよりも反応を示さない。

「受け取ってよ」

「受け取れない」

「どうして?」

「誕生日じゃないから」

「アハハハッ」

 薫と綾が露骨に笑った。

「ごめーん! 今日じゃなかったっけ……」

 三上は反応を示さない。

「佐藤君が間違えるの初めて見た」

「そうなんだ……」

 美樹が小声で結菜に教えていた。

「ごめん! 友里、この通り!」

「別に気にしていないから」

 三上はすぐに返事をした。

「佐藤俊、一生の不覚だ……。頼む、友里、何かお詫びをさせてくれ! 頼む!」

「泳げるようになりたい」

 三上は先ほどよりも早く答えた。

「オッケー! 任せてくれ!」

 佐藤は2、30秒ほど熟慮すると、スマホを取り出していじりはじめた。途中から、鼻歌交じりになった。

「よし! 決めた! ペンションに泊まろうぜ! 泊まり込みで練習すれば、絶対に泳げるようになるって!」

「わかった」

 無反応か即答か。三上の返事は待たせないからいい。

「ヨッシャー! じゃ、ここにいる全員で行こうぜ!」

 佐藤が拳を突き上げてそう言うと、

「いいじゃん! 行こうよ!」

「うん、行く行く!」

と薫と綾がのってくる。

「私は、ちょっと親に聞いてみないと……」

 美樹がそう言って調和をとると、

「またそう言って、彼氏にじゃないの?」

と結菜がフォローする。

 美樹は、佐藤の提案を実行する上で、絶対に壁となる『親』という言葉をあえて出すことで、ペンション計画が暴走してしまわないように調和をとったのだ。そして、結菜は皆が思っていたことを口にすることによって、吐きださせたのだ。美樹に対する嫉妬を、この教室から。もちろん、俺だって、美樹に嫉妬していないわけではないから、結菜の一言に助けられていた。

「それが大丈夫なんだなあ! 親はむしろ応援してくれるかもしれない!」

「親が応援?」

 薫と綾が不思議そうに顔を合わせる。

「働くんだよ! 今度の3連休にペンションに泊まり込みで!」

「あっ、それいい!」

 結菜が勢いよく席を立って、そう言った。

「でも、そんなに都合良く3日間だけ募集しているペンションがあるの?」

 薫がそう言うと、『うん、うん』と綾が頷く。

「それがあるんだよ。じゃーん!」

 佐藤は、『急募! 3日間限定のリゾートワーク! 早朝はプライベートビーチで泳ぎ放題!』という、伊豆の河津町にあるペンションの求人情報が開かれたスマホの画面を、皆に見せて回った。

「驚くのはまだ早いぜ! このペンションの近くにうちの親戚の別荘があるから、夜はそこのプールで泳ぎ放題だ!」

 俺と結菜は惜しみない拍手を佐藤に送った。『どうも、どうも』と佐藤は手を振る。それを見て、美樹も笑っていた。よかった。皆で行けるかもしれない。

 三上はちょうど本を読み終わったところで、何かボソッと呟いていた。

「佐藤、うちらはやめとく」

 綾の意見を聞かないで薫はそう言った。もちろん、その必要はない。綾の反応は見なくてもわかる。

 薫はもう諦めたのだろうか? 佐藤を下の名前で呼ぶことを……。佐藤は、『俊』と呼ばれることをひどく嫌っていた。俺も、冗談でもそう呼ぶことはなかった。大切な誰かのために、その呼ばれかたをとってあるのだろう。俺はそう思っていた。そして、その相手は薫ではなかったようだ。この学校には俺の知る限り、12人の佐藤が居たが、上高で佐藤といえば、佐藤だった。それも、1年生の頃からだ。

 佐藤はわざと日にちを間違った誕生日プレゼントを三上の机に置くと、口笛を吹きながら自分の席に戻った。照れ隠しだ。クラスの女子にプレゼントをあげることが本当は恥ずかしくてたまらない。でも、渡さずにはいられない。人の幸せを、一緒に喜ばずにはいられないから。だから、佐藤といえば、佐藤なのだ。

 三上はラッピングを丁寧に外すと、箱を開けて、一つひとつ手に取って、眺めていた。さまざまなデザインのしおりだった。

「もっと、喋ろうぜ。クラスメイトだろ。もう夏なんだ。相手が本だからといって、クラスメイトをずっと奪われたままではいられないんだよ」

 佐藤は平然とそう言った。

「ありがとう、俊」

 三上はそう言った。

 綾がムカッとした表情を見せたが、薫が目でそれをやめさせる。腕っ節が強くても、ここではあまり役に立たない。空気をつくれる奴が強いのだ。薫は“空気をつくれてしまう能力者”なのだろう。

「そのしおり見せて!」

「あっ、私も見たい」

 結菜と美樹が、三上を守りに行く。

 佐藤はスマホをいじりながら、ニヤニヤしていた。さっそく求人に応募をしているのだろう。

 

 それにしても佐藤の奴、何かを企んでいるなと思っていたら、こういうことだったのか……。しかも、これが全容ではないはずだ。まだ、何かを隠している……。高校最後の夏休みに、相応しい何かを……。

 じっと見ていてよかった。夏に向かって、この教室で何かが動きだそうとしている様子を。今、繰り広げられた、夏にどっぷり浸かって行く前の準備運動を、しっかり覚えておこう。


 なるべく考えないようにしてきたが、結菜と、佐藤と美樹と、一緒に上高に通えるのも残すところあと1週間だけだ。つまりは、あと4回「おはよう」と言ったら、あと5回「またね」と言われたら、俺はもう一緒に上高に来ることはできない。もう二度と……。制服姿の結菜と、一足先にお別れだ。あと何回、パンチラを拝めることができるかな。最低3回は見られるように結菜を怒らせよう。殴られる程度ではなく、しっかり蹴られるように怒らせよう。


 杉山は腰が痛くならないセックスの方法をマスターしたのか、この日から教壇に復帰していた。今年度いっぱいで退職するらしい。綾がそう言っていた。そして、この朝のホームルームが始まる頃には、教頭の離婚に関して、杉山が潔白であったことが学校中に知れ渡っていた。

「起立。礼。着席」

 三上の号令はいつもとかわらなかった。本の間には佐藤がプレゼントしたしおりが挟まっていた。

「今回は、私的なことでお前たちに動揺を与えてすまなかった。大切な時期なのに、勉強にも影響が出てしまっただろう。そこで、校長に相談して、夏季講習を行うことにした。希望者は、今週中に申し出るように」

 杉山はそう言ってから、出欠をとり始めた。

 俺にも思わぬプレゼントが舞い込んで来た。1学期が終わっても、また結菜と学校で会うことができる。

「はい!」

 俺はいつもより大きな声で返事をした。延長戦への意気込みであふれていた。いつもより短いスカートをはいていた杉山に、心の中で何度も『ありがとう』と叫んだ。

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