第27話 戦争
佐藤と一緒に荷物を持って、望月様と工藤様を部屋まで案内しようとすると、3階まで階段で上ろうとしたところで、
「ちょっと待ちなさい。このペンション、どうして私たちの部屋が3階なの? この建物エレベーターないんでしょ。2階にしなさいよ!」
と望月様が言い出した。
「階段で転んだりしたらどうしてくれるのよ!」
工藤様もお怒りのご様子だった。
「お客様、失礼ながら、急きょお部屋をご用意させていただきましたので、今回は、3階のお部屋でお許しください」
佐藤は誠意を込めてそう言った。
「ダメよ。2階の部屋を用意しなさい」
「しかし、本日は満室でございまして……」
「知らないわよ。それは、そっちの都合でしょ。私たちは2階がいいの!」
「私どもとしましても、お客様のご要望にはできるかぎりお応えしたいのですが、3階のお部屋以外はもうチェックインされておりまして、どうすることもできないのです」
「だから、そんなこと知らないわ。どうにかしなさいよ。それがあなたたちの仕事でしょ!」
佐藤がどんなに説明をしても、望月様は引き下がらない。
工藤様はその様子を愉快そうに見ていた。
「いつまで待たせるのよ! 早く2階の部屋を用意しなさいよ!」
望月様にそう言われても、俺と佐藤はどうすることもできず、困っていると、
「あの、私……」
と小柄でやけに胸が大きいお客様が声をかけてきた。
「私、ずっと友達の部屋に居て、自分の部屋には荷物を置いていただけなので、よろしければ、お部屋を交換していただいてもかまいませんが……」
心遣いが嬉しい申し出だったが、これはまずいことになったと思った。
「本当! ありがとう! ほら見なさいよ。どうにかなるじゃない!」
望月様はそう勝ち誇ったように言い、
「さあ、早くお部屋に荷物を運んでちょうだい」
と笑みを浮かべて指示した。
これに味を占めて、望月様と工藤様の横暴な振る舞いがエスカレートしなければいいのだが……。
小柄なお客様は、自分で荷物を運び、部屋を明け渡してくれた。
望月様と工藤様は、そのお客様にお礼を告げることもなく、ベッドにダイブする。
「何か御用がございましたら、フロントまでご連絡ください。それでは、失礼します」
俺と佐藤は荷物を運ぶと、部屋から退散した。結局、対応を全部、佐藤に任せてしまった。
「お客様、お待たせしまして申し訳ございません。お部屋へご案内させていただきます」
佐藤はさりげなく、小柄なお客様の荷物を持つ。俺も、このお客様にお礼を言いたかったので、ついていくことにする。ここでお礼を言って、望月様と工藤様に聞かれると、また大変なことになってしまう……。
階段を上って3階に向かおうとすると、1階から美樹が階段を走って上って来た。
「『30秒以内にマッサージに来て!』と、内線があったの」
美樹は小さな声で早口でそう言うと、望月様との工藤様の部屋へ向かい、ノックをして中に入って行った。
悲鳴が聞こえたら、すぐに助けに行かなくては……。
「バタバタして申し訳ございません、さあ、こちらへ」
佐藤は笑顔を保って、階段を上り始める。小柄なお客様と俺がその後に続く。
「あの、もしかして、私、余計なことをしていませんか? かえってご迷惑を……」
天使に見えた。先ほど悪魔を見たばかりだったので、より一層眩しく見えた。
「そんなことありません。お客様は、俺たちのことを思ってくれて、お部屋を変わってくれたのです。気になされることなんて何一つありません!」
俺は感情的になっていた。
「正、言葉遣い……」
佐藤にそう注意され、我に戻る。
「し、失礼しました。ご無礼なことを言ってしまいまして、申し訳ございません」
俺は深々と頭を下げた。
「き、気にしないでください。あ、頭を上げてください」
ああ、謝ることで、お客様に気を遣わせてしまっている……。どうして俺は、人に迷惑をかけないように、立ち振る舞うことができないのだろう。
「お客様、さあ、こちらへ。お足もとにお気をつけください」
佐藤と小柄なお客様の足音が遠のくまで、俺は頭を下げ続けた。ずるい……。お客様の顔を見ることができず、そうしたのだ。佐藤だったら、すぐに頭を上げて、「以後、気をつけます」と言い、お客様に笑顔を見せていたに違いない。
「何の役にも立てなくて、っていうか、足を引っ張ってすまなない」
佐藤が1階に戻って来ると、俺はそう謝った。
「俺はさ、いろんなリゾートホテルで、いろんなお客さんを見てきたからさ、なんとなくだけど対応がわかるんだよ。本当は知りたくなかったけど……」
リゾート地にはいろんな人が集まるからなあ……。地元民に愛される『渚四川飯店』には、ここまでわがままなお客様が来たことはなかった。
「あっ、さっきの天使だけど、お名前は木村様だってさ」
俺も1階に降りて来てすぐに、フロントで宿泊名簿を見て、その名前を確認していた。やはり、佐藤にも天使に見えていたようだ。
美樹が望月様と工藤様に呼ばれてしまったので、フロントには三上が立っていた。
「マッサージのサービスはないのに……」
三上は納得がいかないようだった。
「俺、美樹を連れ戻してきていいか、支配人に聞いてくるよ」
「うーん、正、もう少し様子を見たほうがいいかもよ。下手に動いて、もっときつい要求されるよりはさ。美樹もそう思って行ったんじゃないかな」
佐藤にそう言われると、確かに“調和を保つ能力者”の美樹なら、考えそうなことだった。
「ところで三上、結菜は?」
俺が尋ねると、三上は視線を調理場に移した。
結菜は料理ができるのかな? 調理人さんの邪魔になっていなか心配になった。
すると、エプロンを着用した支配人が調理場の入口に姿を見せて、
「おい、お前ら、さっさとこっちに来て手伝え!」
と俺と佐藤を呼び、またすぐに調理場の中に消えて行った。もしかして、調理をしているのは……。佐藤は俺を見て、笑みを浮かべていた。
調理場に入ると、台に乗った支配人が、見事な包丁さばきで、見たことのない魚を三枚おろしにしていた。結菜の姿はなかった。調理台には、先付や八寸などの料理が並んでいた。
「ボケッと突っ立ってないで、そこにある刺身と煮魚用の魚のうろこをとれ!」
支配人は包丁を止めることなく、そう指示した。クーラーボックスに大量の魚が入っている。
「これ、全部ですか?」
「急がないと間に合わないぞ! こうやって取るんだ!」
支配人は包丁を置くと、うろこ取り器を使って、1回だけ手本を見せると、また魚をおろす作業に戻った。
「支配人、結菜はどこですか?」
「買出しに行っている。いいから、さっさと始めろ!」
「わ、わかりました!」
「よし! やるか!」
俺と佐藤はうろこ取り器を持つと、作業にとりかかる。黙々とうろこをとり続け、支配人にどやされる前に終わらせることができた。
「終わりました」
俺がややドヤ顔で支配人に報告すると、
「何言ってんだバカ野郎! まだ外にもあるから、さっさと取ってこい!」
と言われてしまう。只でさえ口が悪いのに、包丁を握ると、さらにもう一段階スイッチが入るようだった。
俺と佐藤は魚を取りに、裏口から外に出ると、絶句した。
6個ある大きなクーラーボックスに、魚がびっしりと入っていた。まるで市場に来ているようだった。
「マジかよ、誰がこんなに食べるんだよ……」
ちょっとやそっとじゃへこたれない佐藤も、あまりの多さに愕然としていた。
そして、そこに買い出しから結菜が戻って来た。10kgの米を両手に一袋ずつ、背中には重そうなバックパックを背負っていた。
「だ、大丈夫か?」
俺は慌てて、バックパックを降ろしてやる。
「お、重っ!」
これを800mは離れているバス停から、歩いて持って来たのか……。
「はあ、はあ、はあ。肉が……、30kgの肉が、入っているの。はあ、はあ、はあ……」
空手で体を鍛えている結菜でもバテバテで、地面に座り込んだ。
肉を30kgも? 今日の宿泊者は15人だぞ。さっき宿泊名簿で見たから間違いない。単純計算でも、1人2kg食べることになる。きっと明日の分も買いに行かせたんだな。それでも、多い気がするが……。とにかく、一人で一度にこんなに大量の買い出しに行かせる必要はないじゃないか! 反抗的だった結菜に、支配人が嫌がらせをしているとしか思えなかった。
「はい、これ」
調理場でコップに水を入れてきた佐藤が、結菜に渡す。
「ありがとう!」
結菜はゴクッゴクッと一気飲みする。
「働くって、大変だな」
佐藤はもう落ち着きを取り戻していた。
「何のこれしき……。全然、疲れてないわよ」
結菜はそう言って立ち上がると、合計20kgの米を持って、調理場に入って行く。その後を追うように、佐藤は魚が入ったクーラーボックスを持って、俺は肉が入ったバックパックを持って、調理場に戻った。
「遅い! どんだけ時間かかっているんだ!」
「す、すみません」
支配人にどやされ、結菜は頭を下げて謝る。
無茶な買い出しをさせておいて、『ありがとう』の一言もないなんて……。肉の入ったバックパックを降ろし、俺が支配人に詰め寄ろうとすると、佐藤が肩を掴んだ。
俺が、振り向くと、佐藤は首を横に振った。そして、再び結菜と支配人のほうを見てみると、結菜は文句一つ言わず、買って来た米をボウルに入れて洗い始めた。
「さあ、俺たちもやろうぜ!」
「お、おう……」
肉を冷蔵庫に入れると、佐藤と一緒に魚のうろこを取る作業に戻った。
今日だけの我慢だ。明日は、結菜がこんなに辛い目にあうことはない。俺は怒りを魚にぶつけて、うろこを取り続けた。
しかし、夕食時になり、俺はその考えが間違っていたことを思い知る。
各テーブルに置かれた船盛りは、1分も持たずに平らげられ、煮物、鍋物、揚げ物などの料理もあっという間に、団体のお客様たちの胃袋に消えて行った。
そして、食べ放題となっていたステーキを、支配人がずっと焼き続けているが、何枚焼いても追いつかないスピードで、団体のお客様たちが豪快に食べ続けていた。
「大食いサークルの合宿らしいぜ。『食事が異常に旨いペンションがある』と聞きつけて、急きょ合宿先をここに変更したらしい」
配膳しながら得た情報を佐藤が教えてくれる。
天使の木村様も、大きな口で幸せそうに肉を頬張っていた。
これでは、明日も買い出しに行くことになりそうだ。結菜が行かされないように、俺が率先して行くことにしよう。
フロントに1人立つ余裕もなく、俺と佐藤と結菜は、料理を運んでは、平らげられた皿を片づけた。美樹と三上は、どんどん運ばれて来る食器を洗い続けていた。
「夕食時は戦争になる」と言っていた支配人の言葉を、俺は甘く考えていた。『渚四川飯店』でも、こんなに忙しい日はそうない。
倒れそうになるほど動き回り続けて大変だったが、良いこともあった。団体客の食事風景の迫力に圧倒されて、望月様と工藤様が静かにお食事を楽しんでくださったのだ。
それにしても、評判になるほど美味しい料理を作れるなんて……。支配人は、ただ威張っているだけの男ではなかったようだ。
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