第18話 特別授業後篇

 部屋も、お風呂場も想像していたよりもずっと広かった。

 吉岡先生は、コンドーム、冷蔵庫の精力ドリンク、テレビゲーム機などの備品を見せて、

「コンドームは大抵用意されているけど、ちゃんと持ってきなさいよ」

と注意すると、俺たちをベッドに座らせて、自分はソファに座り、特別授業を開始した。

脚を組んで座っているその姿には、アナウンサー的な色気がたっぷりとあったので、俺は目のやり場に困った。それに、何より、2人きりではないといえ、結菜とラブホテルに来ているのだ。こんな経験、そう簡単にできるものではない。

「良い機会だから、あなたたちには、私と松山がどうして、離婚をしたのか話してあげる。それを聞きに来たわけでしょ? 多分、目的は松山の再婚相手の先生を助けるためかな」

「杉山のこと知っているんですか?」

 佐藤がそう尋ねると、

「知らないわ。でも、教職も狭い世界だから。いろいろと話が聞こえてくるし、聞かれてしまうものなの」

 俺は収入が良くても教員になるのはやめようと思った。聞きたくもない、噂話を聞かされたら、学校に行くのが嫌になってしまいそうだ。


「松山はね、EDだったの。アレがまったく使い物にならなかったの。ドリンクを飲んでも、口でしても、何をしても、ダメだったわ。『初めて、由紀子とセックスしようとした時に、由紀子の裸が魅力的過ぎて、緊張して体に力が入らなかった。それがトラウマになった』と、松山は言っていたわ」

 信じられない。こんなにキレイな女性を相手に……。俺だったら……。うかつに想像してしまい、生唾を飲んでしまった。

「今度やったら殺すわよ」

 結菜は俺の耳元でそう囁き、

「すみません。続けてください」

と吉岡先生に言った。

「さっきから、思っていたのだけど、君たち、付き合っているの?」

 吉岡先生に思わぬことを尋ねられ、結菜は自分と、俺を指さして確認する。

 吉岡先生は黙って頷く。

「ち、違いますよ! やめてください!」

 思わず幽体離脱してしまいそうになるくらい、結菜は強く否定した。

「そう、良かった」

「早く、続けてください」

「わかったから、焦らないの。このまま泊まってもいいんだから」

「マジッすか! やったー!」

「そ、それは困ります!」

 佐藤は本気で喜んでいたが、彼氏のいる美樹は困惑していた。

「冗談よ、冗談。ウフフッ」

 吉岡先生が笑うと、結菜はキッと睨みつけた。

「ええと、それでね、もちろん病院にも行ったわよ」

 凄い。今、結菜の奴、吉岡先生に圧を掛けやがった。しかも、この状況で。さすがに経験者は違うんだな。


「処方された薬もちゃんと飲んでいたし、食事も改善したけど、効果はさっぱり。医者も、一度トラウマになってしまうと改善は難しいって、さじを投げていたわ。中には、私を誘ってくる医者までいたわよ。よっぽど、みじめに見られていたのね、私……。結局、結婚してから、15年間、一度も抱かれることはなかったわ。それでも、松山に愛されていることはわかっていたから、余計に辛かったわ。愛し合っているけれど、お互いが近くにいるから、辛くなる……。それで、気がついたら、40歳の誕生日に、私は離婚届に署名していたの。多分、その時はもう、笑みを浮かべていた気がするわ。一日でも早く、セックスがしたくてたまらなかったのよ」

「そんなことって……」

 美樹が一番信じられないといった表情をしていた。彼氏がいると聞いた時から、覚悟していたが、やっぱり美樹もバージンではないのかもしれない。俺の彼女でもなんでもないが、クラスメイトの女子がバージンを奪われているかもしれないことに、俺は切なさを感じていた。


「これが現実なの。付き合っている時から変だとは思っていたけれど、『そういうのは結婚するまで大切にしよう』って言われたら、女は待つしかないじゃない。ずるいわ。ただ、できなかっただけなのに……」

「もしかして、ゲイだったんじゃ……」

 美樹が勇気を出してそう口にした。俺もそうかもしれないと思っていたが、恐ろしくて聞けなかった。

「それはないと思うよ。吉岡先生みたいな美人はゲイにとっては敵だろうから」

 佐藤がそう言うと、

「そうなのよね。ゲイを隠すために偽装結婚するにしては、相手が美人すぎるのよ」

「あなたたち、うちの学校に転校してこない?」

「ええっ?」

 俺は今日一番大きな声を出してしまった。もちろん、転校という言葉に動揺してだ。

「何、急に大きな声を出しているのよ、恥ずかしいわね、まったく」

 結菜が呆れた表情を見せる。

「正だったら、本当に転校するかもな。吉岡先生と毎日会うために」

と佐藤がちゃかしてくる。こんなところで転校の話が出るなんて、完全に油断していた。


「うちの生徒たちは、私のことを美人だなんて言ってくれないわ。それどころか、魔女って呼ばれているんだから」

 鼻が高いし、とても40歳には見えないから、そう言われてしまうのも理解できなくはなかった。

「特に大学生と再婚するって噂が広まってからは、完全に魔女扱い。一人の女子生徒が、『先生、媚薬の作り方、教えてください』って本気で聞きにきたのよ」

「そういう噂って、誰が流すんだろう。見つけたら、殴ってやりたいわ」

 結菜はそう言うと、なぜだか俺の腹をわりと強めに殴った。

「殴られるのはちょっと困るかな」

「えっ……」

 俺以外の3人がハッとした顔をする。

「私が流したのよ。自慢したくてね。大学生の男の子と、40になったおばさんが、やりまくっていることを。彼女たちは、私を冷ややかな目で見ているけど、本当は羨ましくて仕方ないのよ」

 俺は結菜が転入して来た日のことを思い出した。

「だから、私は彼女たちに陰口を言われるほど悦に浸ったわ。女子高生に嫉妬されるなんて、これ以上、最高なことはないでしょ。まあ、今は別れることになって、彼氏募集中だけどね」

 吉岡先生と目が合う。

「今日、君に3列目のシートに座ってもらったのは、車を処分する前に、一度使っておきたかったのよ。まあ、君となら、本来の目的で使っても良かったけど……」

 吉岡先生はそう言うと脚を組みかえた。結菜が体を動かして邪魔しなければ、パンツが見えそうだったのに。

「ようやくバージンを捨てて、毎晩、何度も抱かれて、最高の毎日だったわ。こういう結果になったけど、後悔は彼と付き合っている間に浮気をしておかなかったことくらいね。浮気相手に抱かれる気持ちって、どんな感じなのかしら。興味あるわ」

「ないです! そんなことに興味ないです!」

「私も!」

 結菜と美樹が、強張った表情を見せた。

「俺も興味なし」

 佐藤は、頭の後ろで手を組んで、興味のなさをアピールする。

 俺は何も言えなかった。大切な人を裏切ったばかりだから……。


 その後、吉岡先生は俺たちを『南かぜ風』まで送ってくれた。俺たちと一緒で、ここのパンのファンだったらしい。

 そして、吉岡先生は、杉山の疑いが晴れるように「後日、手配してあげるから。安心して」と言っていた。俺たちは、詳しいことは聞かずに、吉岡先生の言うことを信じることにした。というより、何を手配してくれるのか、楽しみで仕方なかった。今は、何か聞かないほうがいいに決まっている。

「これは、今日のご褒美」

 吉岡先生は、俺たちにパンの詰め合わせを買ってくれた。

「ご褒美って、私たち何もしていないですよ……」

 結菜が受け取るのをためらっていると、

「だって、あなたたち、今日聞かなかったでしょ。どうして『松山なんかと結婚したのか』って。これは、ちゃんと大人のマナーを守れたご褒美よ。だから、ね、受け取ってちょうだい」

 吉岡先生にそう言われ、結菜はパンの詰め合わせを受け取ると、

「ありがとうございます」

と言って、頭を大きく下げた。

「ありがとうございます」

 後に続いて、俺たちも大きく頭を下げて、感謝を伝えた。


 『誰からも魅力的に見えない男性はいない』と教えてくれた貴子さんの言葉は、やはり正しかった。俺は今では、野村店長のことを慕っている。

 魅力を持っていない男もいなければ、魅力を持っていない女性もいない。それが現実だ。だから、吉岡先生でさえ、恋人を寝とられてしまったのだ。

 俺のことを好きになってくれるのは、どんな女性なのだろうか?


「今日は随分とデレデレしていたわねえ。杉山先生の前でもそういう時あるし、相手がいたら、落合は絶対に浮気するタイプね」

 『南かぜ風』の前で吉岡先生の車を見送ると、結菜と目が合い、そう断言された。

「そんなことないさ」

 どうせ信じてもらえないと思えば、すんなりと否定できた。

 俺はパンの詰め合わせを落とさないように、鞄に入れようとした。

「私の目を見て、言ってみてよ」

 結菜が俺の肩を掴んで振り向かせる。

 その拍子に、鞄に忍ばせていた、ウサネズミのぬいぐるみが落ちた。

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