第17話 特別授業前篇

 ファストフード店で思わぬ情報を入手した、俺たち『クローバー諜報部』のメンバーは、鎌倉泉高へ移動し、校門近くで吉岡先生を待つことにした。

 教員の仕事は激務だと加藤先生から聞いたことがあったので、夜までの長期戦になり、あんパンを買いに行ったりすることを想像していたら、17時過ぎに、とても40歳には見えない鼻の高い美人教師が校門から出てきた。

 鎌倉泉高の生徒いるところではできない話なので、俺たちは2組のカップルに別れてデートを装い、吉岡先生の後をつける。


 結菜と佐藤、美樹と俺がそれぞれカップルを組むことになった。決めたのは美樹だった。美樹は、彼氏に見られても、誤解されないであろうアンパイの俺をパートナーに選んだのだ。それを、結菜と佐藤も察したので、異論は出なかった。もちろん、俺も何も言えるわけがない。余計にみじめになるだけだ。

 せめて、結菜と佐藤が手をつないでいるところは見たくなかったので、俺は美樹の手を引っ張り、絶対に追い越されないように前を歩いた。そして、振り返ってはいけないと自分に言い聞かせた。もし、それを見てしまったら、俺は佐藤との友情を保てなくなるだろう。俺はそんな男だ。


「ちょっと、正、近づきすぎたって……」

 しっかり役作りしている。美樹が、俺のことを下の名前で呼んだ。しかも、呼び捨てでだ。

 確かに吉岡先生に接近しすぎていたが、後ろにその光景があると思うと、俺は歩くスピードを抑えることができなかった。

 すると、吉岡先生の背後、2、3mまで迫った時、ふいに吉岡先生がコインパーキングに入って行った。車で学校に来たのか? しかも、コインパーキングに停めるなんて。予想外のできごとと遭遇し、俺の足は止まった。看板を見ると、1日の駐車料金は2400円になっていた。こんなにお金を使ってまで、車で学校に来ているということは、教師という職業は俺の想像以上に収入が多いのかもしれない。それか、何か用事でもあるのだろうか? そんなことを考えていると、背後から、

「ここに入ったの?」

と結菜の声が聞こえてきた。よかった、結菜の声でよかった。佐藤と結菜は、俺たちの前に出て来ることはなかった。

「うん。車で帰るみたい。どうする?」

 美樹も俺のことを気遣っているのか、後ろを振り向くことはなかった。それに、手にびっしょりと汗をかいている俺に文句を言うこともなかった。


 吉岡先生は駐車料金の支払いを済ませる。

 鎌倉泉高の生徒たちの姿がまだちらほら見えるが、コインパーキングの入口で立ち止まっているのも不自然なので、思い切って吉岡先生に声をかけようと決めた時、

「送ってあげるわ」

と逆に声を掛けられた。


 吉岡先生の車は購入して間もないことがわかるピカピカの新車で、ミニバンだった。もしかしたら、もう一人家族が増えるのだろうか。俺は3列目のシートに独りで座り、そう考察していた。

 そして、助手席には佐藤が座り、2列目に結菜と美樹が、吉岡先生の指示で座っていた。なぜだ?

「あなたたち、昨日も来ていたでしょう」

「気づいていたら教えてくださいよ。先生のこと、ずっと待っていたんですよ」

 まるで自分の担任に話しかけるように、佐藤はそう言った。

「正直、松山の生徒だと思うと、顔も見たくなかったのよね」

「どうして今日は会ってくれたのですか?」

 多分、結菜のこの質問には、大人の女心を知りたいという好奇心も含まれていた。

 だから、吉岡先生は、

「どうしてだと思う?」

と言って、すぐに答えないで結菜を困らせた。

「この車を自慢したかったんじゃないの?」

 俺は場を和ませようと思ったのだが、結菜と美樹に思いっきり睨まれた。気のせいか、結菜は舌うちもしていたように思える。

 佐藤と吉岡先生は笑ってくれていた。これでいい。

「正解! まさか当てられるとは思っていなかったは、アハハハッ」

 笑うとより魅力的だ。結婚に踏み切った大学生の気持ちがすぐに理解できた。

「せ、正解って……」

 がっかりした結菜を、美樹が目でなぐさめていた。

「広くて良い車ですよね。俺も大学生になったら買おうかな」

 佐藤が本気で欲しくなったら大学生になるまで待ちはしないだろう。すぐに免許をとって購入するはずだ。いや、もしかしたら先に車を購入してから、免許をとるかもしれない。

「でも、3列目って、意外と使わないってバイトの先輩が言っていたけどな」

 俺はちょっと悔しくなってそう言ってしまう。今度は結菜に頭を殴られてしまう。

「痛ッ!」

 殴ってくれてありがとう。新車のミニバンを買った人の車に乗せてもらっていながら、俺は何を言っているんだ。しかも、今、俺は3列目に座っているじゃないか。

「その3列目が大事なのよ。フルフラットにして、やって、やって、やりまくるのよ」

「えっ?」

 『クローバー諜報部』のメンバー全員がうろたえた。すでにバージンではない結菜も、今の発言には驚いていた。

「あら、知っているでしょ。カーセックスよ、カーセックス。ラブホでやって、温泉旅館でもやって、ドライブでもやりまくれるように、この車を買ったのよ」

 俺たちの視線は自然とシートに向けられていた。

「アハハハッ。大丈夫よ、まだやっていないから。というか、もうそれがなくなったのだけど」

「なくなった? もしかして、別れたんですか?」

 結菜が運転席にしがみついて尋ねた。

「鋭いわね。あなたも、お友達の彼女も、きっと良い女になるわ。私が保証する」

「ありがとうございます」

 結菜と美樹は、目を大きくして、声を揃えて礼を言った。

「プロポーズされて舞い上がっちゃったのよねえ。Lineで『好きな人ができた』ってメッセージが届いて、それで全部終了。バージンを捧げたのにね。まあ、大学生だもの。ちょっと考えたら、それが普通だわ」

 ヤバい。いろいろ問題発言が出て、頭がクラクラする。

「オエッ……」

 俺は危うく、まだカーセックスもしていない新車のシートに嘔吐するところだった。

「バカッ……。すみません、ちょっと停めてもらえますか?」

「ウフフッ、かわいいわね」

 吉岡先生はバックミラー越しに俺を見て笑うと、ウインクをしてくれた。俺は危うく『好きです』と言いかけた。俺が浮気性なわけではない。これはきっと、吉岡先生の能力の仕業に違いない。

 結菜と美樹が呆れ顔で俺を見ていたが、デレデレとした表情を引き締めることができなかった。

「正、あそこで休ませてもらうか?」

 佐藤が右前方に見えるさびれたラブホテルを指さした。

「あら、奇遇ね。私も同じことを考えていたわ」

 吉岡先生は佐藤の目をまじまじと見て、そう言った。


 カーテンのようなものを通過して、吉岡先生は本当に車をラブホテルの駐車場まで進入させた。

 『クローバー諜報部』のメンバーは誰一人として言葉を発することができなかった。結菜はこういうところにも来たことがあるのだろうか? そして、バージンを捧げたのだろうか? そう、大学生にバージンを捧げた。吉岡先生は、確かにそう言っていた。

「着いたわよ。さあ、降りて」

 車を駐車すると、吉岡先生は後部ドアを開き、結菜と美樹に降りるようにアゴでクイッと指示した。


 結菜と美樹はためらっていたが、佐藤が助手席から最初に降りるのを見ると、ゆっくりと車から降りた。ちくしょう。俺が助手席に座っていれば、最初に降りて男らしいところをみせられたのに。

 吉岡先生も車から降り、俺が降りられるように、2列目のシートをスライドしてくれた。その際、3つ目まで空いていたブラウスから胸の谷間が見えて、思わず興奮してしまった。ラッキーなことなのだが、今はまずい。違う意味で、結菜に男らしいところを見せてしまう。俺はとっさに、以前、自転車を借りたファンキーなおばあちゃんのことを思い出して、なんとか興奮を鎮め、車から降車した。

「君、名前は?」

「た、正、落合正です。じゅ、17歳です」

「かわいい」

 俺は耐えられずに、吉岡先生から視線を外す。

「バカじゃない」

 結菜が軽蔑するように俺を見ていた。

「さあ、行きましょう」

 吉岡先生に引率されて、俺たち『クローバー諜報部』のメンバーは、ラブホテルのエントランスに入る。これはもう、何の活動をしているのかわからない状況だ。


 フロントの人の顔は見えず、お金を支払うための小さな開口部があった。吉岡先生は、その開口部に顔を近づけると、

「課外授業で来たのですが、入ってもいいですか?」

「好きにしな」

 感情が消えかけている、老婆のしゃがれた声だった。

「ありがとうございます」

 吉岡先生はお礼を告げると、カギを受け取り、エレベーターのボタンを押した。もう、課外授業とやらは始まっている。俺だけビビっているわけにはいかない。

 エレベーターが1階まで降りて来て、ドアが開くと、俺は思わず硬直してしまい、前を開けることができなかった。エレベーターの中には、それこそ大学生と思われる男女が乗っていたのだ。

「ちょっと……」

 結菜が俺の腕を引っ張って、どかしてくれた。

 しかし、もっと驚いていたのは、エレベーターに乗っていた若いカップルだった。状況が理解できず、エレベーターに乗ったままドアがしまってしまい、また上の階へと昇って行った。

「やって、やって、やりまくったのね。素敵だわ」

 吉岡先生はそう褒めていた。

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