第16話 改名1回目
翌朝。俺は学校をサボって鎌倉泉高校の最寄り駅に来ていた。結局、昨日は結菜と薫を見つけることができなかった。心配だったが、自分が情けなさすぎて、結菜にLineでメッセージを送ることもできなかった。
だから、先ほど、結菜がこの駅に姿を現した時にはほっとした。2、30m離れた距離で立っていた佐藤をチラッと見たが、同様に安堵していたように見えた。そして、結菜は俺と佐藤の中間くらいの位置に立ち、かれこれ30分余り、距離をとって突っ立っている。
結菜に喋りかけても、100%返事はかえってこない。無視するわけではなく、ちゃんと聞いてはくれるだろうが、返事はない。まず、俺と佐藤が昨日の件のわだかまりを解かないと、相手にしてもらえないことだろう。結菜はそのへんの順序には厳しい。自分に対してもそうしている。
こんなことなら、結菜が来る前に、佐藤に声をかけておけばよかった。「ごめん」が言えないのなら、「おはよう」の一言でも良かった気がする。とにかく、今重要はのは、佐藤に何か一言、喋りかけることだ。
でも、それっておれから喋りかけないといけないことなのか。佐藤から喋りかけて来てもいいじゃないか。そんな堂々巡りがもう90分ほど続いている。先に駅に居たのは、佐藤だった。それが、やけに俺を苛立たせた。異常なほどに、佐藤に対して負けた気がした。だからつい、最初に目が合った時に、佐藤を睨んでしまった。そんなことしなかれば、きっとあの時、佐藤は俺に「おはよう」と挨拶してくれていたことだろう。「ごめん」と謝るきっかけをくれる大切な挨拶を。
「みんな、おはよう」
こう着状態を打破してくれたのは、『杉山救出諜報部』の残るメンバー、美樹だった。
「おはよう」
俺たちはそう返事すると、このチャンスを逃さないように、お互いに歩み寄った。
「皆、学校サボっているんだもん。私も来ちゃった。エヘヘへッ」
「美樹……」
結菜が嬉しそうに美樹を見ていた。
「ああ、すっごいドキドキする。皆、よく平気そうでいられるね」
「平気そう、じゃなくて平気なの。正なんか、学校をサボらない奴のほうが、よく平気でいられるなって思っているくらいだもんな」
「そうそう。毎日、学校に通って、よく窒息しないよな。たまにはこうやって、深呼吸しないと」
俺は大きく深呼吸をしてから、
「昨日はごめん。俺が悪かった」
と佐藤に謝った。
「そうそう、正が悪いの。20%くらいわな。俺も、悪かった。この通り、謝る」
佐藤は政治家が見習ってほしいほど、誠意を持って俺に頭を下げた。
すると、結菜のお腹が鳴る。
「よし! 落合のおごりで食べに行こう!」
結菜はそう言うと、美樹と手をつないで歩き出した。
「いいけど、なんで俺のおごりなんだよ」
「今、私の胸を見ていたからよ」
チェッ、どうしてバレてしまうのだろう。お腹とほとんど視線の先が変わらないのに。バレないで拝めるチャンスだと思ったのになあ。
ファストフード店に入ると、俺たちは一瞬、視線を集めた。店内は、鎌倉泉高の生徒たちで混み合っていた。特に女子のほうが多く、彼女たちは一瞬だけよそ者を見ると、すぐに自分たちのお喋りの世界に戻っていった。
「そうか、杉山、今日も休みだったのか。なんか、責任感じるな」
「ああ」
佐藤にそう言われ、俺は大きく頷いた。
「皆、ごめんね。私が、彼と一緒に帰ったせいで……」
「美樹は悪くないよ」
結菜がそう言って、ガブッとではなく、女の子らしく小さい口でハンバーガーを食べる。
「薫は?」
佐藤が尋ねると、美樹の表情が曇った。
「どうせ、私の悪口でも言いふらしているんでしょ。そうなったら、そうなったで、そうしてやるから、気にしないわ」
結菜はそう言うと、口を大きく開いたが、思い直してまた小さい口でハンバーガーを食べる。薫には保険に入ったほうがいいと教えてあげよう。結菜の悪口を言っていることは許せないが、昨日、薫に何もしてやれなかったから、それぐらいはしないとな。
それから、結菜はもしかしたら、いじめられていた経験があるのかもしれない。だから、強くなったのではないのだろうか。だから、薫が杉山をひどく侮辱することを言った時に、怒りを露わにしたのではないだろうか。
あの時、結菜と同じように激高していた三上はどうなのだろう? 俺はどうなのだろう? いじめの被害者なのだろうか? いじめの加害者なのだろうか?
「今日は、会えるといいわね」
と結菜が話題を戻す。加藤先生が佐藤に教えた『鼻が高い』という特徴だけを頼りに、学校から出て来るのを待っていたようだから、昨日会えなかったのも無理はない。
「そのことだけどさ、どうして一度も俺に連絡くれなかったんだよ」
「正、知らないのか? まあ、あくまで噂だけど、生徒たちのlineの情報が教頭にチェックされているらしんだよ。それに、こういう動きをしていると、学校でスマホをチェックされることも考えられるからな」
「そんな噂……」
バカげている、lineを教頭に見られているわけがないと思ったが、絶対とは言いきれなかった。
「なら、電話してくれたらよかったろ」
佐藤と結菜と美樹が目を合わせた。
「その手があったな。忘れていた」
佐藤が代表してそう言う。これはどうやら、本気で言っているらしい。10年後には、電話という連絡手段は世の中から消えているかもしれない。
「今日も学校で出待ちするのか?」
と俺が聞くと、
「そういう地道なことを続けるのが諜報ってものだろう」
と佐藤がベテランのように答えた。
「あっ、それで思い出したけど、『杉山救出諜報部』ってさ、改名しないか?」
「私も、それ思っていた……」
俺と結菜がそう言うと、佐藤と美樹も頷く。これは、杉山を助けるための活動ではなかったのだ。昨日、杉山と会って、俺はそのことに気づいた。俺たちは自分たちのためにそうしたいのだ。『正しいことは絶対に証明できる』と、証明するために。そうしないと、これから先、大人になってからのことを考えると、ゾッとして青春に集中できそうもなかった。
「だったら、『クローバー諜報部』にしようぜ。俺たち4人に良いことが起こるように活動を行う諜報部ということで」
と佐藤が提案する。
「それ、いいね。4人だから、四つ葉のクローバーだもんね」
「よし! それで決定!」
美樹と結菜もすぐに気に入り、俺の意見は求められないまま、『クローバー諜報部』に改名することが決まる。もちろん、異論はない。俺の顔にそう書いてあったのだろう。でも、正直言うと、形式上だけでも、「いいね」と言っておきたかった気もする。そのほうが参加している感が増したはずだ。でも、そんなことに意味がないことを俺はもっと理解しなければならない。結菜は、そういう上辺の部分を嫌う性分なのだから。
改名が済むと、風向きが変わったのか、
「吉岡先生の話、聞いた?」
「聞いた、聞いた。結婚するんでしょ」
「相手は、20歳も年下の大学生なんだって」
「ヤバいよねー、犯罪じゃん」
という声が聞こえてきた。鎌倉泉高校の女子生徒たちの会話だった。
佐藤はすかさず、
「その先生ってよっぽどの美人? 写真とかないの?」
と声をかける。
「私も見たーい!」
と結菜も身を乗り出して、大げさにのっかる。
「……いいけど、そんなに美人じゃないよ」
鎌倉泉高校の女子生徒はいじっていたスマホから、集合写真を見つけると、
「ほら」
と言って、吉岡先生の姿をわざわざ拡大してまで見せてくれた。
「なーんだ、この程度か……」
「本当……、見せてくれてありがとう」
「だから、言ったのに」
鎌倉泉高校の女子生徒たちは声を上げて笑う。最近、上高でも見た光景だった。
諜報活動を終えると、佐藤と結菜がその姿を、俺と美樹にも見せてくれた。鎌倉泉高校の女子生徒が写真を見せてくれた時、佐藤はスマホのカメラをビデオモードにして撮影していたのだ。その大学生が結婚に踏み切ったのも無理はない。佐藤はがっかりしたフリをしていたのだ。吉岡先生は、アナウンサーのような知的で明るい雰囲気を持ったかなりの美人だった。
これで吉岡先生の容姿がわかった。今日、会うことができるかもしれない。
そして、もう一つわかったことがある。結菜はやっぱり、佐藤の前では食事をゆっくり食べるように心がけている。その理由はなんだ? 答えが出たと思ったら、また、別のわからないことが誕生する。結菜のことを好きになればなるほどに……。
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