第3話 レックと男子禁制の密室Ⅲ

「どうだ?不可解だろう」


事件について語りおえたところで、二宮は言った。


一呼吸するために、たばこを取り出し、煙を心ゆくまで吸う。


やっかいな問題だった。


だだでさえ、大企業の社長の死ということで、マスコミの注目を集めているのである。


それが、不可能犯罪の様相を呈しているとなれば、連日たまっていくストレスには、半端でないものがあった。


警官たるものそんなものに惑わされてはならない。


しかし、ニュースを始めとして、ネット掲示板等、事件について語るメディアが多すぎるのだ。


日に日に二宮の神経はすり減っていった。


そして、この男である。


レック。


神の残骸。


何やら考え込む様子を見せているが、果たしてどんな頓珍漢なことを言いだすことやら。


二宮は喋り終えた途端に、情報を出したことを後悔し始めていた。


「…………面白いですね」


レックは二宮と相対して、しばらく黙り込んだ後に、そう呟いた。


その目は、興味でらんらんと輝いている。


二宮は気分が更に悪くなった。


「そりゃ、はたからみればな」


彼は首を振って


「しかし、俺達警官にとっちゃそうじゃない。なにせ、解決せにゃならんのだ。どんなに変な事件でも」


どんなにわけのわからない問題でも。


レックは例の爽やかな笑みを浮かべる。


「でも、面白いものは面白いですよ」


今の時間、捜査一課の人は出払っていた。


狭い室内に、こいつと二人きりだ。


本来は報告書を作成しなければならないのだが、この面倒な若者をどうしたものか。


二宮はさらにやっかいな問題を抱えた気分になった。


レックは続けた。


「視線の密室ですか……『男にとって』の密室。」


わくわくした口調で言う。


「うん!!面白いですよ。先輩!!」


なんてきらきらした笑顔なのだろう。


どのみち警官には相応しくない。


「はあ……」


今日何度目になるか分からないため息を、二宮はついた。


「それで……?」


「ん?」


「捜査状況は、どうなっているんです?警察の方では、どんな見方を?」


「お手上げさ。文字通り」


彼は両手を挙げる。


「DNA型鑑定で分かることはそう多くない。突き止められたのは犯人が恐らく男性であることだけ。データベースがあるわけじゃないから、そこからホシがどこそこのどいつだ、なんてことまでは分からない」


「大泉が容疑者なのでは?」


「だからって、DNA型鑑定させてくださいなんて、言えないだろうが」


二宮は苦笑した。


「仮にも大企業のトップだぞ」


「なるほど。」


レックはこくりと頷いた。


それから彼は、しかし首を振って。


「二三確認したいことがあります」


「なんだ。言ってみろ」


二宮は不思議と自分の心が軽くなっているのに気がついた。


子どものように事件にはしゃぎまわるこの男を前に、真面目にやりきるのが馬鹿らしくなってきたのかもしれない。


「お手上げって言っても……そもそも、何が不可解なのか、どの点が問題になっているんですか。」


「何が問題って……そんなの、決まっているだろう?」


眉をひそめた二宮に、レックは「いいからいいから」と促す。


「一応確認させてください。認識を共有しておきたいんですよ」


「……つまりだな、どこから見ても明らかだとは思うが」


二宮は何べんも反芻してきた状況を、もう一度説明した。


「パーテイは男子禁制だったんだ。来客も、従業員も、清水麗華の指示のもと、全部が女性だった。男性は入ることを許されなかったんだ。入場する際には受付を通らなければならないが……」


彼はその時のことを思い出し、苦い顔を浮かべる。


「受付を介さないで会場に入ることはまず不可能だ。しかし、受付の担当者たちは、女性以外を通した覚えはないと言っている」


「見逃したのかもしれませんよ。確認って言っても、来場数は千人を優に超えてたんでしょう?ほとんど事務作業だったんじゃないですか?」


「仮にそうだったとしてもだ」二宮はタバコの吸い殻を灰皿に押し付けて「断言する。あんな女だらけの空間に、むっさいおっさんが入っていってみろ。絶対に目立つ。どう見ても場違いだ。」


実際に通報を受けて来場した二宮は、そのことを身に染みて痛感していたのである。


レックは。しかし納得しなかった。


「確かにあの巨漢デブが入ることは出来ないかもしれないですけどね。大泉が実行犯だとは限りませんよ。」


「女に指示してやらせたっていうのか?だがな、さっきも言った通り、DNA型判定は男を示唆しているんだ。」


「その鑑定結果ですけど」


レックはどこか楽しそうな口調で続ける。


「本当に信頼できるんですか?」


「昨今の科学技術を舐めてもらっては困る。正確さにかけてはぴか一だ」


「検査結果は正確かもしれないですけどね。DNA型鑑定がいくら最新だからといっても、その検査を適応するのは、犯人の遺留物――毛髪云々なわけでしょう」


「そりゃそうだ」


「どこの付着していた遺留物を使ったのか知りませんが」レックは顔だけは精悍なのを見せて「どうしてそれが犯人が残したものだと分かるんです?何かの拍子にたまたまそこにあったものかもしれないし」


それから、口角を鋭く吊り上げる。


「犯人が偽装のために、わざと残したものかもしれない」


「ないとはいえんが……」


二宮はちょっと言葉に詰まる。


レックは我が意を得たりとばかりに満面の笑み。


二宮は首を振った。


「いや、まずあの席は麗華のために、特注で用意したものだ。細心の注意を配って準備させたはずだから、掃除等も念入りに行われている。そんなものがー例えば男性の毛髪がー紛れ込むわけはないし」


それから、レックのいたずらっぽい目線を受け止めて言った。


「犯人に偽装できないような、そんなごまかしは通じないやり口を、警察は持っているさ」


「なるほど」


自説が破られたというのにあっさり納得したので、二宮は拍子抜けしてしまった。


レックは特に落ち込んだ様子もなく続ける。


「じゃあ、女装してたのかもしれませんね」


「大泉が!?」


世にもおぞましい光景を想像してしまった。


ますます悪くなった気分を振り払うように、彼はそれを否定する。


「そんなことはありえん。あんなオッサンが……」


「なにもあいつが自分で女装したとは言いませんよ」


さすがのレックもちょっと不快そうだ。


「別に誰でも構わないから、適当に、それこそ中世的な男性にやらせたんじゃないですか。」


「漫画の世界じゃないんだぞ。……いくら上手い女装でも、さすがにばれる」


何しろ、会場には観察眼にだけは長けたマダム達が集まっていたのだから。


「じゃ、ニューハーフ」


「同じことだ」


二宮は椅子の背にもたれた。


「女性と見紛うばかりのオカマがいるかもしれないことは確かだけどな……大抵バレル」


「でも、熱心に観察してたわけでもないでしょう」


「そりゃそうだが……」


二宮は「うーん」と唸った。


きらびやかなシャンデリアの下、いそいそと歩いている女装男性を想像する。


「……やっぱり無理があるだろうなあ」


「そうですか」


レックはこともなげに言った。


どうやら執着心というものがないらしい。


がらんとした部屋の中で、男二人が黙って向き合っている。


そろそろ仕事にかかった方が良いかもしれない。


どう推論を転がしたところで、所詮は一警察官の考えだ。


文字通り机上の空論でしかない。


しかしレックはまだまだ議論を続ける気でいた。


「そもそも。なんでこんな変な状況を作ったんでしょうね、犯人は」


心底不思議そうな、無邪気な表情を浮かべている。


二宮は議論をかなり進めてしまったことに、ほぞをかんだ。


「そんなの……警察を混乱させるためだろう」


「素直に女性を使えば済む話のようにも思えますけどね。」


ちょっと彼は間を空けると。


「肝心なことを聞くのを忘れていた。来客達は、身体検査をしたんですよね?」


「といっても、なにしろ人数が多くてな。一人一人を照合するだけで一苦労だった。一応簡易なものは済ませたようだが、それにしたってあの混乱の中だ。仮に女性が実行犯だったとして、いくらでも誤魔化しようがあったろう」


二宮は悔しさに唇を噛んだ。


評判を落とすことを恐れた東林副社長が、彼女達に最大限敬意を持った対応を要求したのである。


レックはそれを聞いて頬をぷくーと膨らませた。


「……どうした?」


「先輩も人が悪いなぁ!!」


「……?」


どうも怒っているらしい。


はて、怒るようなことはあっても怒らせるような発言があったのかと困惑しつつ、二宮は彼に尋ねた。


「どうしたっていうんだ」


「だって、そうでしょう。散々僕が女装だ何だといってたのに、一人一人照会したのなら、本当の女性じゃなければすぐ分かるでしょう」


それはその通りである。


自分でも気がついていなかったあまりにも単純なことを指摘されて、二宮は苦笑いした。


間の抜けたことだ。


「確かにそうだな。彼女達が……正真正銘の、彼『女』達であったことは疑いない」


女装など最初からあり得ない。


「あ、でも、犯行を終えて、事件が発覚する前に会場を脱したってことも考えられるんですかね」


「それもない」


二宮はレックの言葉をすぐさま打ち消した。


「受付の係に確認したがね……八時以降、俺達が現場に到着するまで、出ていった客はいないんだよ」


「なんだあ!!」


レックがすねた子どものように唇をとがらせた。


「じゃあもう絶対、女装なんてあり得ないじゃないですか」


「まあ、そうだな」


二宮も首肯して。


しかし、頭がまた痛くなってきた。


「だけど、それじゃあやっぱり振り出しだな。……男に犯行できたはずがない。どうしたって、やっぱり目立つ」


厳密な密室ではないにしても、男性にとってみれば、現場は密室も同じことだった。


二宮は大泉のあの激怒を思い出し、顔をしかめる。


これは本気で首が飛ぶかもしれない。


レックは相変わらず呑気に唸っている。


頼りにならない神様である。


「……もう、仕事に戻らんとな」


やがて、二人が黙りこんでから、大分経った後。


いつのまにか灰皿にかなりの吸い殻がたまっているのを見て、二宮が言った。


いつもは綺麗な空気も、今は煙でモクモクと濁っている。


換気しないと係長にどやされるのだ。


そろそろと立ち上がり、手近にあった窓を開ける。


途端に吹き込んできた風に、二宮はどこかわびしいものを感じた。


「お前も……」


今は警官というのなら、せめて働いてくれ。


そう、言おうとした時である。


「ククク……アハハハハ」


「……ん?」


「アハハハハッ!!」


「おい、どうした」


いきなり発作でも起こったのか、高らかな笑いをもらすレック。


いよいよ頭が……それは元からか。


身体を左右にくつくつと揺らすレックを見て、二宮は動けずにいた。


ただでさえ分けが分からない男なのだ。


こんな動作にでられては、どうしたものやら検討もつかない。


「アハハハハハハハハッ!!」


神というより悪魔みたいな笑いをもらしつづけている。


「おい。おい、レック」


いよいよ弱り切り、これはもうどうしようもないんじゃないかと半ば諦めかけたところで。


レックがいきなり口を開いた。


「先輩」


「……な、なんだ」ちょっとひるんで「大丈夫か、頭?」


心配して言うも、レックはにこやかに首を左右に振る。


「大丈夫です。ただ、あまりにくだらないことを思いついたものでね……」


「真相が分かったのか!?」


にしても、なぜこんなに大笑いしているのか。


さっぱり検討のつかない二宮をよそに、レックは人差し指を突き上げて。


「実のところ、力を使ったんです」


「力?」


「神様の残骸のね」


「おお……」


出会ってこのかた、身分偽装以外に、はじめてそれらしいことを言いやがった。


「それってどんな?」


「神通力とでもいいますか。まあそれのかなりの劣化版です」


「具体的には?」


そこで何故か、レックはちょっと口ごもって。


「ええまあ。あれです……真相につながるようなキーワードが、こう、パッと、頭に浮かんでくるという」


「便利だな」


そんなものがあるのなら最初から使えという言葉は呑み込んでおいた。


なにせ、もう何週間もこの事件にかかりっきりになっていたのである。


渦巻く喧噪に呑まれ、上司の圧力に怯え。


もうほとほと、大人の世界に嫌気がさしてきたところだったのだ。


どんな馬鹿げた真相でも、どんな馬鹿げた手段でも、甘んじて受け入れようではないか。


「さすが神様だ」


「残骸ですけどね」


にやりと笑い合う二人。


それから、また数秒黙り合う。


先に動いたのは二宮だった。


「……それで?」


「あまりにバカバカしいんですけどね。まあ、これが真実なら……」


そう言うと、レックは青年らしからぬ下卑た笑いを浮かべた。


「でもまあ、真実なんて、えてしてこんなものなのかもしれない……」


そして、彼はそれを、ささやくように言ったのだった。


*・*・*


明けて、さらに翌週のこと。


「よくやったな」


ドンと上司に肩を叩かれて、二宮は複雑な表情を浮かべた。


「でかしたぞ!!あのデブをブタ箱に入れれば、こちらのもんだ」


上機嫌な上司とは裏腹、二宮はどこか釈然としない。


「すごいじゃないか!!」


「お前ならやれると思っていたよ」


「さすがだな!!二宮」


わらわらと、惜しむことなく賛辞をよこす面々。


二宮はそれらに、曖昧な笑みを浮かべた。


「よっ!!先輩。日本一!!」


一人だけ感覚がずれているのがいた。


二宮はそいつに近づくと、他は上手いこと言って遠ざけておいた。


「え、どうしたんですか先輩。なんか浮かない顔ですけど」


「そりゃ、そんな顔にもなるさ……」


あまりに脱力ものの真相だったのだから。


そんなことにも気がつけなかった、自分が悔やまれる。


「そう落ち込まないで下さい。先輩。また次頑張ればいいんです」


なぜか超絶上から目線でレックは言ってくる。


二宮は「はあ……」とため息をもらした。


ぽかんとした表情のレック。


「どうしたんですか。本当に元気ないですね」


「やめろ、心配そうな顔をするな。お前ごときに心配されるとか、心が折れる」


「それちょっとヒドクナイですか?」


レックの抗議は無視して、彼は再度、大きなため息をついた。


それから、ポツリと漏らす。


「まさか……子どもだとはね」


「最近のドレスのスカートは、幅が広いですからね」


真相は、実に簡単なものだった。


大泉は肉体関係を拒んだ麗華を憎み、文字通り権力を使って、「女、子ども」を動かしたわけである。


「そうだな……」


大泉は、金の力で、一人の女を動かした。


財政状態が悪い女社長。藁にもすがるような気持ちだったのだろう。


清水麗華ほど、芯が強くはなかったわけだ。


各界の著名人しか入れないパーティだけに、いざ狙いをつけるとなると、そんな人物を探すのはたやすかった。


「奴は子どもを使うことを指示した……小さな男の子を」


こちらはまだ自分が何をしているのかも分かっていなかったに違いない。


恐ろしいほど単純な話である。


あの日、レックは次のように真相を語った。


「まず、女は出来るだけ丈の長い、幅のあるスカート付きのドレスを買いました。出来るだけ色の濃い、中の様子が伺えないようなやつです」


女はそれを着て会場に赴くと、『実行犯』である男児と落ち合った。


「なんともウラヤマ……もといこっけいな体制ですが、男児はそこで、女のスカートの下に潜り込んだ」


それほど無理な話でもない。


もともとごわごわしている上に、ドレスのまま走り回るような人間もいないので、中にいる男児は極めて自然に、動くことが出来た。


女は男児を衣服に潜りこませたまま、清水麗華の下に近づいたのだ。


もちろん誰にも見咎められることはなかった。


男性ならともかく、なにしろ大人数だったのである。


麗華が座る丸テーブルに近づくと、愛想よく笑い、女は隙を見て睡眠薬を仕込んだ。


それから、丁度麗華と対面になる位置に移動する。


ここで男児の出番だ。


彼は女のスカートの下から這い出ると、そのまま今度は床まで伸び得るテーブルクロスの下に潜り込んだ。


女はかなりテーブルに接近していたので、実にスムーズに行ったことだろう。


それから女はテーブルを離れた。


待つことしばし。


やがて眠りこんだ麗華を確認して、男児は老婆を一刺し。


頃合いを見計らった女が再びテーブルに近づき、男児を『回収』。


これで、全てが終わったのである。


「なんとも……バカバカしいというか」


「でも、これで一見密室はなりますしね。それに」


レックはにっこり笑う。


「これが真実だったわけですから」


真相を突き付けた時の、大泉の顔が忘れられない。


文字通り激昂した大泉だったが、『神』の『残骸』たるレックの力にはかなわなかった。


歯ぎしりする大泉に、勝ち誇った顔をしたレックの姿が印象的である。


なんにせよ、数週間二宮を悩ませ続けてきた、事件は終わった。


沈黙がわだかまる。


「はあ……」


もう何度目のため息だったのだろう。


「どうしたんですか。先輩」


「いや、馬鹿らしい。確かに馬鹿らしいんだが……」


そうして、二宮は表情を暗くする。


「幼い子どもがそんなことをするなんてと……そう思ったんだ」


大泉の、金の力だ。


やるせない真相だった。


刑事をやっていると、よくこういう事態に突き当たる。


ある意味これが定めなのかもしれないが……


「先輩!!」


大声をあげる。


二宮が彼を見やると、レックは任せてくださいとばかりに自分の胸を張っていた。


「確かに現実は残酷です。『神様』なんて信じられなくなった時代。誰もが『嗤って』、それに立ち向かおうとしている。」


「ですが、先輩には僕がついています」


レックの声は力強かった。


「誰もが何かの悲劇の当事者たりえます。辛いでしょう。苦しいでしょう。でもそれでも、人間は、『希望』の『残り屑』だけでも信じていくべきなんです。」


そして、にっこりと、これ以上ないくらいの笑みを寄越す。


「僕が先輩を、導いてあげますよ」


「……」


長い間があった。


二宮は「ふうーーー」と息を吐く。


それから、目の前の、この得たいの知れない男を見やった。


「……まだ居るつもりなのか、お前」


「もちろんですよ。」


眩しいくらいの笑みに。


二宮は、不思議と悪い気はしなかった。




ー了ー

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