第2話 レックと男子禁制の密室Ⅱ
「いったいどういうつもりだ。レック!!」
警視庁刑事部捜査一課。
清潔に整えられた部屋の中で、二宮はレックと呼ばれるその正体不明の男に、怒りを向けていた。
まるで話を聞かず、物珍しそうに部屋の中を見渡している彼に、ますます腹が立ってくる。
二宮は思わず拳で机を打った。
「おい!!」
さすがにびっくりしたらしい。
レックはそれでも渋々といった様子で、二宮の方に顔を向けた。
「……なんです?」
「なんですじゃないだろう。なんですじゃ!!」
その涼しい顔に、二宮はつばを飛ばす。
「いったいどういうつもりだ!!あんなふうな挑発をして!!よりにもよってあの男に!!」
「僕らは警察官でしょう?なにをそんなにビビっているんです?」レックはそれから、いたずらっぽく付け加えた。「先輩?」
「お前は……」
「どうしたんです?先輩」
こみ上げてくる沸々とした感情も、レックの芯底不思議そうな表情に、捌け口をなくし、さまよう。
「っ!?……あの男は、平の警官の一人や二人、その首を切ることなんか、どうってことないんだ」
「平だなんてとんでもない。先輩は部長刑事じゃないですか。そうでしょう?」
「……お前は、刑事部長と部長刑事を混同しているんじゃないだろうな?」
「違うんですか?」
きょとんと狐につままれたような表情。
二宮はため息をついた。
こいつは……
「いいか、警視庁はそれぞれ10の部署に分かれている。俺はその内の一つ、刑事部の所属だ。」
「なるほど」
「……それでだな。刑事部長は、その刑事部の部長なんだ。総務からマル暴まで、刑事部のすべての課の、トップの人」
「先輩は?」
「俺は捜査一課の、第一捜査係の一巡査部長。キャリアの刑事部長とは違う、ノンキャリアの下っ端だよ」
「なるほど……」
ふむふむと頷くレック。
ほんとうに分かっているのだろうか。
「そんなレベルの人なら、確かに権力者に睨まれたら、やばいかもしれないですね」
「そうだろう。だから、余計なことはするな。……それと」
それから二宮は周りを見渡して、誰にも聞かれないよう声を落として言った。
「お前はそもそも警官じゃないだろうが。仲間づらして、俺達に迷惑をかけないでくれ」
「でも、今は僕も警官ですよ」
そう言うとレックは、高々と自身の警察手帳を掲げた。
正真正銘、本物の手帳である。
いや、本物と認められてしまった手帳と言った方が良いだろう。
あの晩。
疲れきっていた二宮は、目の前にいる青年が、単なる幻覚なのだろうと思い込もうとした。
日々の激務に追われて、こんなわけのわからない妄想を見るようになったのだ、と。
しかし、数日経ってもレックは消えなかった。
それどころか、どういうわけか二宮が今手掛けている事件に興味を深く示し、『神』の力を利用して、部下として彼の下に潜りこんできたのである。
まるで最初からそこにいたかのように、二宮以外誰も、レックの存在に特別な注意を払うことがなかった。
なんという奴だ。
ただでさえ疲れているのに、こんな面倒な輩を相手にしている気力はない。
ある意味感覚が麻痺していたのだろう。
最初は自分の頭がおかしくなったのだと考えたが、仮にそうだとしても、こちらにはどうしようもない。
彼は『神』を名乗る、この不遜な輩を受け入れることにした。
「だけどな。それならちゃんと警官らしく振る舞ってくれないと困る。頼むから俺達に迷惑をかけないでくれ」
「迷惑なんてかけませんよ。」
迷惑に服を着せたような顔をして、ぬけぬけとそんなことを言う。
二宮は頭を抱えた。
この得たいの知れない青年への不満が漏れだす。
「……そもそも、神様がなんでこんなチンケな警察官に執着するんだ。もっとほかに、いろいろやれることがあるだろうが。」
「僕はいろいろな人間に興味があるんです。『神』の残骸として」
「なら……せめて、それこそ、ちゃちゃっとあの事件の犯人を捕まえてくれよ」
レックはそこで、なぜか嬉しそうににやっと笑った。
「あのですね。最初に言った通り、僕はあくまで『神』そのものじゃない……その、『残骸』なんですよ。」
「どういうことだ」
今度はこちらが質問する番だった。
凶悪事件が相次ぎ、人の出入りが激しい課において、彼はレックをまっすぐに見つめ、机をはさんで向かい合う。
レックはそれを愉快そうに見据えた。
「残骸って……どういうことだよ」
「ニーチェって居るじゃないですか?ようはそういうことなんですよ」
「……もっと詳しく説明しろ」
レックは自分なりに言葉を選んでいるようだった。
腕を組み、うんうん唸っていたかと思うと、やがてひらめいたのか、顔を輝かせて答えた。
「つまり……ニーチェは『神は死んだ』といったわけです。『我々が殺したのだ』と。」
「聞いた覚えはあるな」
この警視庁で、神を語るのが少々こっけいになり、二宮は苦笑した。
レックは続けた。
「絶対的なものが、信じられなくなった時代。現代。それが近代を超えた、ポストモダンというやつです。フランスの著名な哲学者や、それにかぶれた日本の哲学者も、同じようなことを言っている。」
刑事を商売にしていると、どうしても、やりきれない事態に遭遇することになる。
そんな事例を頻繁に目にしていれば、神も仏もないという気持ちになることが、二宮にもよくあった。
彼は自分でも知らないうちに頷いていた。
「まあ、ようはそういうわけで。不可知論者や無神論者が増えている現代において、『神』は『死んだ』わけです。……でも、完全になくなったわけではない。『残骸』は残った。」
「それが僕です」とレックは自分を指差した。
「…………つまり、あれか」
真面目に言葉を咀嚼するにも既に疲れていた二宮は、回らない頭で考えた。
「『神』が死んだ後の『残骸』がお前だから、たちどころに事件の犯人が分かったりはしないと」
「そんなのは正真正銘の神にしかできませんね。力が足りません。僕にはとてもとても」
自分の非力さを示す事情のはずなのに、何故かレックは嬉しそうに首を振った。
「……なら、その残骸様が、なぜ俺のとこにきたんだ」
「僕はですね、現実の厳しさを笠にして、ひたすら嗤って自己防御に走る『人間』が、嫌いなんですよ」
「嗤い?」
「ネットの掲示板とか顕著ですね。現実を嗤いのめして、人を馬鹿にして、どうにか自我を保とうとしている。」
当事者でもないくせに、と彼は付け加えた。
本当の痛みを知らないくせに、と。
ずいぶん現代文化に詳しい神様だ。
いや、その残り屑だったか、と二宮は思いなおした。
「それで?」
「僕はそういうものが許せない。感動だとか人の愛だとか、そういうのを嗤う人間が許せないんです。確かに、『神』が『死んだ』現代において、そんなものは陳腐に映るかもしれませんが……」
レックは珍しく、熱っぽい調子でその言葉を述べた。
「それでも、人は『神』を……『希望』を信じるべきです」
「ごたいそうだな……」
だが、このチャラついた風貌からそれを言われても、いまいちピンとこない。
そんな大層なものを背負う前に、せめてちゃんと仕事をしてほしい。
黙りこんだ二宮を見て、なにを勘違いしたのか、レックはこくりと頷いた。
「で、だから僕はああいう生意気な男――大泉も嫌いなわけです。」
「だから、あの事件を解決するためにここに来ました」
満足気に述べたレックだった。
「だから、事件の詳しい情報を下さい」
二宮はため息をついた。
……ここできちんと話しておかないと、なおさら面倒なことにもなりかねない。
「いいだろう……清水麗華は、大泉が言うように、男子禁制の、密室状態で殺されたんだ」
相変わらず、頭は痛いままだった。
*・*・*
××電機は、創業60周年を迎えていた。
本来社交的な性格ではない麗華だが、さすがに自分の企業の還暦ともなれば、思うところがあったらしい。
副社長である東林を自室に呼びつけると、毅然とした態度でこう命じたという。
「大々的にパーティーを開きたいね。上品なやつを。あたしも、もう、長いことやってきましたからね」
「はあ……そうですね。そうしましょう。」
「会場の手配をお願いしますよ」
東林が礼をして、さっそく準備に取り掛からんと出ていきかかったところ、麗華は芯のこもった口調で付けくわえた。
「ああ、それから。パーティーは女性限定にして下さいよ。お客様だけじゃなく、従業員もね。何から何まで女性で占めるんです。あたしは男が嫌いなんでね」
それが、女の身でありながら大企業を興した彼女の、矜持だったのだろう。
「
『彼女は独身だったんですか?』
『ああ』
二宮は頷いた。
『とことん、男嫌いな人だったんだ。東林は頷いて、出来るだけその提案を通すことにした』
」
そして、パーティー当日。
会社近くのホテルの一室を借り切って、それは盛大に行われた。
優に千人は収容できそうなホールに、次々と客人が訪れる。
ドレスコードに従い、彼女達は皆一流の服装で着飾っていた。
会場の装飾は見事なものだった。
中央にそびえ立つ巨大なアフロディーテの像は、この日のための特注だという。
その美に負けず劣らず、主賓である、清水麗華も輝いていた。
前方に控える壇上にあがった彼女は、年齢を感じさせない美貌で、居並ぶ来客達を感嘆させた。
還暦は遥か、傘寿を越したところだというのに、まるで老いというものが見えない。
その肌にも、身体にも、まだまだ若さがみなぎっていた。
「本日はお忙しいところ、わざわざお越しいただきありがとうございます」
彼女は慇懃に礼をしてみせると、いかに自分が会社を大事にしてきたか、その思いをとつとつと語った。
燃えるような紅いドレスが、彼女のそんな情熱をさらに引き立てていた。
申し分ないスタートだったと言えるだろう。
主賓の挨拶を終え、軽い二三の事務的な言葉が壇上で交わされた後、人々は動き始めた。
彼女らは皆権力者達の妻や子であり、中には麗華と同じく、自身が会社を運営している者もいた。
料理に舌鼓を打ちつつ、競争に呑み込まれんと、しっかりとした姿勢で、社交辞令が交わされていく。
麗華はそんな彼女達を、少し奥まったところから見ていた。
基本的に立食形式だが、さすがに80歳の彼女にずっと立たせておくわけにもいかず、東林がホテル側に無理言って、丸テーブルを一つ用意させたのである。
麗華は料理にはほとんど手をつけず、挨拶に来る各界の著名人たちに適確な返事を送っていた。
その目は、自身の力で集めた人間に対する誇りと、嬉しさが交じっている。
少なくとも、東林にはそう感じられた。
『事件は、そんな傍目には平和な時間の中に起こったんだ』
*・*・*
控えめに言って、平和に見えた。
麗華は一通り挨拶を終えると、なにをするでもなく、ただ来客達がうごめくさまを、満足気な様子で眺めていた。
その間にも何人か彼女に近寄ってはきたものの、なにしろ千人を超える大所帯である。
全員がお祝いを述べるわけにもいかず、彼女はそれとなく来客との会話を避けるようになった。
となれば、残された彼女達は、同じ客同士の間で、競争を戦わせるしかない。
気品ある灯りの下で行われているドロドロとした権力争いを見て、東林はため息をついた。
彼女自身、××電機の副社長という立場にはあるが、何も必死で出世を求めてきたわけではない。
様々な紆余曲折と彼女なりの気遣いのもと、今の地位にあったのである。
露骨な態度で戦いを繰り広げる彼女達を、そんなわけで東林は嫌悪していた。
麗華が嫌な思いをしていなければいいが……。
そう考えて彼女の方を見やったところ、いつの間にか、麗華は椅子の背にもたれ、目をつむっていた。
いくら偉丈夫とはいえ、さすがに老人である。
疲れが溜まっているのだろうと思い、彼女はそのまま麗華を休めておくことにした。
この分なら自分が席を立っても問題ないだろうと思い、進行中だった仕事を見に会社へと出かける。
その時点で、八時を過ぎていた。
その一時間後。
ちょっと遅くなりすぎたかと心配していたが、まだ麗華は目をつぶり、背中を椅子に預けたままだった。
彼女はほっと息をつき、時間を確認すると、麗華に呼びかける。
そろそろお開きの時間なのである。
だが、反応がなかった。
「社長……?」
失礼とは思いつつ、身体に触れ、少し揺するようにする。
「社長……すいません。起きてください」
麗華の身体は力なく前にくずおれた。
「社長!?」
慌てて両腕でそれを抱きかかえると、背もたれに預ける。
「社長!?社長!?」
異変に気がついた部下が集まってきた。
「副社長!!社長がどうかしたのですか?」
「起きないのよ。さっきから何回も呼びかけているのに……」
「社長が……!?」
部下と数人がかりで呼びかけるも、返事がない。
明らかに普通ではなかった。
「!?副社長……これ、血じゃ」
「……えっ!?」
彼女は自身の両手を見つめる。
麗華のドレスに触れた部分が、まっ赤に染まっていた。
「なっ!?」
「社長!!」
「
『何しろ大人数だったから、彼女達がそれだけ騒いでも、客達は気がつかなかった。前にも言った通り、少し奥まったところに、麗華は座っていたのでな』
『それにしたって、奇妙な状況ですね』
『違いない』
」
清水麗華は死んでいた。
眠るように逝く。
刺殺である。
あっけない最後だった。
「誰か恨まれるような心あたりは?」
普通に考えれば、容疑者は、会場に蠢く女性達千人だった。
なにしろすごい喧噪であり、しかも性質の悪いことに、清水麗華はグラスに睡眠薬を盛られていた。
限りなく注目を集めない状況で、彼女は殺されたわけである。
予想『犯行』時刻は、8時~9時の間。
その間、東林が席を立ったため、清水麗華に常に注目していた人間が皆無だったのである。
来客なら誰でも、ちょっと人の目を盗んで、殺すことが出来た。
何ならたとえ見られたとしても、睡眠状態にあった麗華のことである。
人の目線の影になるように実行すれば、それが殺人だとは、誰にも気がつかれなかったであろう。
というわけで、当然、捜査には困難が予想された。
ところがである。
「
『東林が、やっかいなことを言いだした』
『やっかいなこと?』
『ありえない容疑者を持ち出したのさ』
」
やってきた二宮刑事一同に、東林はこう告げた。
「犯人は大泉千次です」
確信を含んだ口調。
「大泉?っていうとあの、〇×商社の代表の……」
「その大泉です」
二宮は頭を掻いた。
「……どうして……そう思われるので」
「大泉は社長を憎んでいました」
「なぜです?」
東林は口をつぐんだ。
二宮は根気よく待った。
「差し支えなければ……お教え願いたいんですがね」
「……社長は、有能なお方でした。使える手段はなんでも使われて……ですから、その、あの……」
消え入るような声。
二宮にはその先の言葉が読めた。
「失礼。間違っていたら申し訳ないんですが。……大泉との間に、性的な関係が?」
一瞬ハっとした表情をみせたが、東林は、こくりと頷く。
「正確に言えば、その関係を、大泉が社長に断られたのです。社長は利用できる男は利用するお方でしたが……その、当時の大泉は」
「利用価値のある男性ではなかったと?」
再び東林は頷いた。
二宮はため息をついた。
なんという大物を、容疑者にあげてくれたことだろう。
なおも人で溢れる会場を見渡す。
客達は一様に怯えた表情を浮かべていた。
その全てが女性である。
だが……
「男の大泉が、容疑者というのは……」
「なにか問題が?」
東林が、不安そうに尋ねる。
「お分かりになりませんか?」
そう言うと、二宮は自分を見つめる視線の数々を指摘した。
「目立つと思うんですよ。男がこんなところに入り込んだら」
「!?……そ、それは」
「まあ、詳しい検視の結果を待って、それから……」
しかし、調査の結果はさらに不可解な状況を、二宮の前に突き付けることになった。
「男性!?」
その翌日。
部下の持参した検査結果に、二宮は驚愕の声をあげる。
捜査一課の面々も、彼の周りに集まってきた。
「どうしたんだ?二宮」
「いや、被害者の近くにさ、落ちていたんだよ、犯行に使われたとおぼしき短いナイフが」
「例の社長殺しの件か」
彼は頷いた。
それから、分けがわからない、とばかりに首を振る。
「どういうことなんだか……」
「何かまずいことでもあったのか?」
「DNA型鑑定させたんだ、そのナイフに付着していた犯人のものと思われる遺留物から」
「それで?」
彼は息を呑んだ。
それから、諦めたようにゆっくりと吐き出す。
「男だったんだよ……B型の。男だったんだ……検出された犯人のそれが」
女だらけの会場。
そこに、大の男が入りこんで、なんの注意も受けずに人が殺せるものだろうか?
そんなわけはない。
事実、そんな報告はどこにもなかった。
「不可解だな?」
同僚の一人が、茶化すように述べる。
二宮は呆然としていた。
目の前に立ちふさがったのは、『視線の密室』、『男子禁制の密室』の問題だったのだ。
女性には、開かれているというのに。
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