神の残骸:レックと男子禁制の密室

半社会人

第1話 レックと男子禁制の密室Ⅰ

パーティが終わり、人々がはけていく。


自らを自分なりに着飾った彼女達は、しかし皮肉なことに、家畜かなにかの群れに見えた。


東林悦子は動揺していた。


事が露見したのは、つい数分前のことなのだ。


ここで対応を誤れば、それこそ一大事になりかねない。


しかし仮にも各界の著名人達だ。


下手な動きを取ることも出来ない。


警察と救急車はもう呼んだ。


今は彼等の到着を、落ち着いて待つしかない。


取りあえず受付で客達を留めることにしよう。


彼女は深呼吸をした。


気持ちを落ち着ける。


「東林さん……社長が」


駆け寄ってきた秘書の一人に、目で合図する。


「今はダメ……まだ、お客様を混乱させては」


「で、でも……もし本当に」


殺人なら、という言葉を、秘書はすんでのところで呑み込んだ。


清水麗華は、一見したところ、ただ眠っているようだった。


さらにまっ赤に染められた真紅のドレスが、それが遺体であることを示している。


東林は首を振った。


「大丈夫……参考のために留めておくだけよ。彼女達は容疑者ではないわ。だって」


東林は小声でつけ加えた。


「殺ったのはあいつよ……あの汚らしい男」


「……で、でもここは」


秘書は会場を見渡した。


化粧で出来るだけ飾りたてた女性達。


きらびやかなシャンデリアのもと、ちりぢりになって出口に向かっている。


秘書は東林に小声で答えた。


「この会場に……男性が入れるはずが」


そこは、男子禁制の密室だった。


 *・*・*


二宮大吾は、部屋に明かりが灯っていることに気がついた。


妻子持ちの男なら別に不思議な光景ではないが、残念ながら彼は独身だった。


それに、ここは若い警官のための寮だ。


ぼろぼろになった塗装に、錆びた階段。


暖かい家庭が彼を待っている謂れはない。


二宮は玄関前に立ちすくんで、思わず身構えた。


慌てて廊下を見渡すも、不審なものは何もない。


まがりなりにも警視庁捜査一課の捜査員として、観察力にはそこそこの自信がある。


最近警官を狙った悪質な襲撃事件が多発していることもあって、その視線も自然と厳しくなった。


しかし、何もなかった。


今朝家を出る時に電灯を消し忘れたのだろうか?


彼はため息をついた。


あり得ることだ。


目下捜査中の難事件は、彼の神経を著しくすり減らし、いつもは冷静な彼の注意力をも鈍らせていたのだから。


疲れているのだろう。


そう自分で自分を納得させると、二宮は鍵を取り出し、ギイギイときしむドアを開ける。


少々情けない心持ちで玄関をくぐり、リビングに腰を落ち着けようとした。


そこで、異常に気がついた。


「…………!?」


開いた口がふさがらない。


今朝の記憶が鮮明に蘇ってきた。


そうだ。


彼は確かに、電気を消したはずなのだ。


しかし今、安電灯は煌々と明かりを灯している。


そしてその人工的な光の下には、見慣れぬ影があった。


「こんちには、二宮大吾刑事」


爽やかな笑み。


もう三十を超そうかという彼の所帯には、凡そ似つかわしくない空気。


六畳ほどの狭い空間の中で、そこだけが異質な物で区切り取られたように、きっぱりと浮き上がっていた。


二宮はごくりとつばを飲み込んだ。


判断が追い付かないのだ。


長年刑事として培ってきた本能も、この時ばかりは麻痺してしまっているようだった。


「き、きみは……い、いったい」


やっと口をついて出たのは、それだけの言葉だった。


青年は再びにこやかに笑った。


「僕は……そうですね。…………『神』?」


飄々とした口調。


そんなふざけた発言にも、すぐさま対応しきれない。


二宮はただ茫然と彼を眺めやった。


青年は反応がないことに不満を抱いたのか、少々むっとした顔を見せると、腰かけていたテーブルからガバっと立ち上がった。


それから実に自然な動きで二宮の前に詰め寄る。


気がつけば、青年の顔が目の前にあった。


「っ!?……」


「まあ、そんなに緊張しないでください。僕は『神』と言っても……そうですね、その『残骸』のようなものですから。」


そう言って、澄んだ目を二宮の方に寄越す。


二宮はただおうむ返しに繰り返すことしか出来なかった。


「ざ、ざんがい?」


「ええそうですよ」こくりと頷いて。「さしあたり、僕のことは、レック――『The wreck』—--『残骸』と読んで下さい。」


「…………」


……どういうことなのだ。


混乱し、とめどない思考の乱れが、二宮を襲った。


この若造はいったい何者だ?


なぜ俺の家に居る?


『神様』だと?いったいどういうことだ?


俺に何のようがあるのだ?


それに、そもそもどうやってここに入ったのだ?


「ストップ!!」


頭が熱しておかしくなりかけたところで、青年は――レックは――片手を二宮の前に突き出した。


それから、柔らかい口調で呼びかける。


「落ち着いて下さい。僕はあなたを混乱させるためにお伺いしたわけではありません。お望みであれば、何でも質問にお答えしましょう。」


状況を考えれば理不尽このうえない提案だが、どうしたことか、不思議と二宮の心は落ち着いてきた。


目の前の青年の表情が、二宮にいつもの刑事の勘を取り戻させる。


彼は大きく深呼吸をした。


レックはそれをにこやかに眺めている。


二宮はやがてゆっくりと、警戒をにじませながら、質問を発した。


「…………俺に何の用だ」


「もっともな疑問ですね」


レックはうんうんと頷くと、やや間を空けて、芝居がかった調子で続けた。


「あなたが今手掛けておられる、密室殺人事件について、伺いたいのですよ」


二宮の表情は、再び強張った。


 *・*・*


女性の敏腕社長というのは、今の時代には珍しくない。


だが、××電化社長、清水麗華は歴史上に居並ぶ中でも飛び切りの敏腕といえた。


文字通り裸一貫、何も後ろ盾がない状態から会社を切り起こし、年商5000億の大企業に育てあげた。


彼女に学があったわけではない。


御年80の彼女は、時代柄、そもそも大学進学をすることはなかった。


昭和史に描かれたそのままの女学校を出て、企業。


素人も素人、右も左も分からぬどころか、どちらの足から踏み出してよいのやらままならない状態である。


しかし、彼女には美貌があった。


自身のセクシャリティを深く理解していた彼女は、その容姿を磨くことに日々を費やした。


敗戦を受け、男性の威厳が失墜しかかっていた時代。


彼女の身体は誇り無い男達に見事なまでに訴えたのだ。


彼女は悪辣だった。


利用価値のある男は自身の身体を充てがってやり、その代わり会社への根回しを徹底させた。


利用価値のない男は容赦なく切り捨てた。


消費者アピールのため、きれいな社訓を掲げながら、陰で現実を嘲笑ってきたのが清水麗華という女である。


気付けば、誰もが彼女にひれふす、権力者に上りつめていた。


彼女はきれいごとを嗤った。


自身が絶えざる逆境に遭ってきただけに、世界に向ける目線は厳しいものがあった。


「この女が世界を嫌っていたのと同じように、世界の方でも、この女を嫌っていたようだな」


二宮大吾はそう言うと、やり切れない気持ちになって、彼女から目を背けた。


一週間前。


麗華主催のパーティ会場にて。


主催者でありながら誰にも特別な注意を払われなかった老婆の姿がそこにあった。


東林という名の部下が、彼女の遺体の傍に控えている。


「あの男です……あの男が」


彼女は3時間前に死んでいた。


その視線は、苦難続きの人生で結局得るものがなかったかのように、虚空を見つめていた。


 *・*・*


『神』様の奇妙な訪問を受けた、二宮。


明けて翌週の午前九時。


部長刑事として数人の巡査を引き連れた彼は、事件の最重要容疑者の下を訪れていた。


刑事部だけではない。


警視庁のあらゆる部署が動向を監視し、もっと言えば、警察以上の権力がその動きに注目してきた人物だ。


猛スピードで行き交う車の列を横目に、二宮はその男のオフィスを眺めやった。


空を切り裂くかのように、そびえ立つ巨大ビル。


その階の全てが、『奴』の持ち物だ。


彼は一度深く呼吸をすると、居並ぶ部下に呼びかけた。


「よし、いくぞ」


こくりと、見慣れた面子が頷く。


二宮はそれを合図に、正面ドアに向かって歩きだした。


受付嬢に来客の意を述べ、目的の階まではエレベーターで昇る。


狭い鉄箱の中ではひっきりなしに社員が出入りし、その誰もが彼等警官達を露骨に奇異な目で眺めてきた。


二宮はそれを睨み返した。


やがて、頭上のランプが目的地への到着を告げる。


慇懃な態度の男性に伴われ、まっすぐ伸びる廊下を行ったところで、扉に突き当たった。


重みを感じさせる、巨大な扉。


「入りたまえ」


二宮はドアを開けた。


さっそく、その男の醜い顔が飛び込んできた。


広い部屋だ。


華美なくらいに装飾を施しておきながら、不思議と気品が保たれたその部屋。


しかし持ち主の方は、権威に衣をかぶせたようなろくでなしだ。


気品のかけらもない。


二宮は苦い思いを胸に呑み込んだ。


巨大なテーブル越しに、こちらを見据える目を見返す。


「また来たのかね」


「ええ。また来ました。」


二宮は手帳を取り出した。


「お聞きしたいことがあったもので」


「一回ですませてもらいたいんものだね。そういうことは」


男はふんと鼻を鳴らすと、軽蔑しきった目で二宮達を見渡す。


部下達の間にも緊張が走った。


この男は、平気で何人もの命を切り捨ててきたのだ。


背筋を自然と伸ばす。


しかし、その中の一人だけは違った。


ふらふらと部屋の中を移動しているかと思うと、随所に配された高価なオブジェに目を奪われている。


「なんだ。こいつは!!」


男はその様子を目にして、大声をあげた。


彼の前に並んできた人間は数多けれど、これほど自由な人間は初めてだった。


「おい、レック!!」


二宮が冷や汗を浮かべながら、その青年――レックに呼びかける。


レックは男の方を振り向いた。


凡そ警官らしくないファッションに、整った容姿。


高い鼻に、澄みきった目。


なにかのモデルだと言われても納得するだろう。


この場面と、その飄々とした態度さえなければの話だが。


彼はにっこりと笑った。


目の前の男が発する空気には、まるで頓着していないようだ。


「こんにちは、大泉社長。」


ずいっと顔を目の前に寄せる。


「さっそくですがお聞きしたい。…………あなた、犯人ですか?」


「は?」


その場にいた誰もが固まった。


あまりのことに、二宮は理解が追いつかない。


やがて、その言葉の意味するところが分かった男――大泉は、その巨体を椅子の上で揺らすと、ぎろりとレックを睨みつけた。


窓を背に、広がる曇り空までが、彼の機嫌に呼応しているかのよう。


怒りで額には青筋が浮かび上がっている。


「おい、若いの……お前、儂が誰だか分かって、そんなことを……」


「もちろんです。」


レックはその表情を見事なくらい崩さなかった。


「儂の一声で、女、子どもから、大の男まで、ありとあらゆる人間が、動くのだぞ。儂は……」


「もちろん存じ上げておりますとも、大泉社長」


レックな逆に無礼なくらいへりくだった態度で、それに答えた。


「っ!?……き、きさま」


怒りで言葉が出てこない大泉をよそに、彼は続けた。


「日本四大商社の一つ、○×商事の代表にして、日本経済界の重鎮。東京のど真ん中に、こんなビルをおったてて、その椅子にふんぞりかえれるくらい偉いお方だ」


付けくわえれば、反社会的勢力との密接な付き合いもおありのようですが、と彼はにこやかに述べた。


もう限界だった。


「す、すみません、社長。あ、あの……今日伺った理由はですね」


「……………………なんだ」


慌ててレックを片腕で押さえつけた二宮を、大泉の冷徹な睨みが射抜く。


彼は芯から体が凍える思いがした。


それでも、なんとか言葉を続けなければ。


「ええと……ですから、その。××電気社長の、殺害された麗華さんのことで」


「そいつと儂に、なんの関係がある?」


「で、ですが、御社と××電気は、親しい取引先で……」


「儂個人が、あの婆を知っていたわけではない」


「でも、あの婆呼ばわりするくらいには憎んでいたのでしょう?主に業績の面で」


レックを黙らせておくのは不可能なのだろうか。


彼は無理やり押さえられた頭をねじるようにしながら、大泉に対して呼びかけた。


大泉の怒りは頂点に達したようだった。


語気荒く、言葉で人を殺さんくらいに怒りをにじませている。


「お前にいったい……」


「最重要容疑者なのですよ、あなたは」


レックはにっこりと笑い、二宮をはねのけると、人差し指を彼に突き付ける。


「その権力も何も、僕には通じないから、遠慮なく指摘させてもらいますけどね」


「…………き、きさま」


大泉は目を剥いた。


長い沈黙があった。


誰もが口を開くのを恐れた時間。


やがて、恐ろしいほどゆったりとした動作で大泉が立ち上がり、居並ぶ警官をねめつけた。


元々醜い顔が、さらに歪んで赤くなっている。


二宮は火だるまを想起した。


場数を踏んできた彼でさえ、思わず身震いする。


大泉は言った。


「なら、証明して見せろ、若造。……出来るものならな。なにせ、あの婆は」


それから、彼にしては最大限に皮肉を込めて。


「密室で死んだのだ……『男にとって』の、密室状況で」


レックは動じるということを知らなかった。


「ええ、地獄に落としてあげますよ」


『神』として、と、二宮だけ分かるように、彼はつけ足した

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