第15話 キングストン弁
キングストン弁とは、本来船の底に溜まったビルジ(汚水)を船外に排出する為の掃除弁である。あくまでも排水装置であり、注水装置ではない。キングストン弁は、よく戦記本などで自沈弁のような紹介をしているケースが、多々見受けられるが、それは間違いである。帝国海軍艦艇には、自らの艦船を沈没させる為の海水取り入れ弁など存在しない。それは、世界最大級の大和とて例外ではない。沈まないように構造を工夫する事はあっても、自ら沈没を促すような装置をつける意味はない。元来船乗りとは、陸上から遠く離れた海上で仕事をする。戦闘や任務中で、艦船が航行不能になっても、水上に浮かんでさえいれば、救助を待つことは出来る。自ら沈没を早めるメリットはひとつもない。海上においてそのような行為は、自殺行為以外の何ものでもない。弾薬をたくさん積んでいて、引火誘爆の恐れがあるから、早めに沈めたいと考えても、まず優先すべきは消火活動や、弾薬の退避及び廃棄である。船を沈めるのは、万策尽きた時のファイナルプロセスである。帝国海軍には艦が沈む時は、最高司令官たる艦長が船と運命を共にするという、不文律の訓示があった事は、それなりに有名である。実際に戦闘で被弾した艦船と共に自沈した艦長は存在する。ただ、それでは指揮官が無駄にいなくなってしまう為、海軍省も後に「出来る限り脱出するように」という旨の通達を出している。精神主義的には、それでいいのかもしれないが、規則では「艦長は最後に船を離れる」と書いてあるだけで、「船と共に死ね」とは全く書いていない。「命が惜しいのか?」という議論になることが、当時は当たり前であったが、日本では防御を要求する事が出来ない文化があったという。ヤマハで陸軍の97式戦闘機のプロペラを設計し、大戦中は、ドイツのユンカース社にもいた佐貫亦男氏は、そう語る。「命を惜しむ卑怯者」とは言うものの、兵器の劣性や作戦の拙さを、現場の精神主義に誤魔化させていた上層部の方が、はるかに卑怯者ではなかろうか?
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