第9話 悪しき伝統

 海軍には、鉄拳制裁という悪しき伝統がある。陸軍の場合はビンタであり、あまりやり過ぎると、日頃の恨みを晴らすため、戦闘中に背後から部下に射たれる可能性があったという。その為、制裁を過剰には行わないのが通例なのだが、海軍は異なる。海兵は、銃を用いた戦闘を基本的に行わない為、上官は気にくわない事があると、鉄拳だけでは済まなかった。バッタという海軍伝統の制裁用具を用いるのである。バッタというのは、1メートル程の木棒であり、普通に後頭部に直撃すれば、脳挫傷で死に至る硬度である。ただ、何でもかんでもルールなしに殴り付けていたのか?というと、それも違う。鉄拳制裁にも、不文律ながらルールが存在した。まず、鉄拳制裁を行う場合には、拳のみを用いる。拳の握りかたまで指定しているから、徹底している。親指を掌の外に出した状態で叩いた場合、親指の先が相手の目を突く可能性がある。親指は中にしまうのがルールなのだ。また、突然に殴らないという鉄則もある。

「足を開け!歯を食いしばれ!」

 と、これから殴る相手に対して、殴られる体勢と、心の準備をするだけの余裕を与えねばならない。そうした上で、殴る方は相手のほほに狙いを定めて、拳の内側で正確な一撃を見舞う。一方、殴られる方にも要領が必要である。下手に避けたりすると、耳などに当たり怪我をしかねない。その為、殴られる瞬間に力を入れて、拳を顔全面で受け止める。すると、どういう訳かあまり痛みを感じないそうだ。殴った方も、自分の拳を痛めない。双方の阿吽の呼吸によって、鉄拳制裁(海軍用語では修正とも言う)という一種のパワハラが、上官と部下や生徒間に成立してしまうのである。まるで、ボクシングのようなルールだが、そもそもこういった引き締めがなければ、巨大な人員を管理する軍隊というものは、統制が取れなかったのかもしれない。上官から部下への過度な暴力は、本来ならばあってはならないものであり、逆説的に言えば、暴力による統制しかとれないような組織は、最後まで勝ち戦を全う出来ないのかもしれない。こういった理不尽が、飯を食らうように当たり前の日常として、行われていたのは事実である。ちなみに、海軍兵学校や技術的な海軍士官を養成する海軍三校では、制裁とは言わず、修正と称していた。

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