第2話 大和のスペック
そんな混迷の時期と重なった大和就役。戦前日本の工業力はピークを迎えようとしていた。戦前、GNPが最大となるのは、昭和11年の事であるが、戦後この経済水準に達するのは、昭和31年の事になる。この時期、列強各国が一斉に新型戦艦の建造に走るのも、1936年つまり、昭和11年のワシントン軍縮条約の失効を睨んでいた事は、既に記述している通りである。どこの国も既に新型戦艦の設計図は作り終えており、条約失効の直前や直後を狙って起工、1939年から1940年には続々と進水している。日本も第三次海軍戦艦補充計画の中で、アメリカの主力艦を凌駕する巨大戦艦の建造を決定した。圧倒的工業力を誇るアメリカに、艦艇保有量で対抗するのは難しい為、個々の艦艇の威力を高めて、砲撃戦に打ち勝つ事を目指した。その結果として、世界に例のない強大な46サンチ砲により、敵艦の射程外から同じ46サンチ砲弾を被弾しても耐えられるという、並外れた性能が求められた訳である。昭和12年に起工された大和の存在は、最高軍事機密とされ、厳重な監視態勢の中で建造が進められた。最大の特徴である9門の46サンチ主砲は、射程41キロメートルに及び、艦橋98式方位盤と15メートル測距艤を中心とする射撃管制システムにより、照準が行われた。副砲の15.5センチ砲や砲弾なども合わせた火砲関係の重量だけでも、12000トンを越え、基準排水量は64000トンとなった。大和の設計開発上で、最も努力が払われたのは、この史上最強とも言える重武装の巨艦を、可能な限りコンパクトな艦形にまとめる事にあった。全長を263メートルに抑え、艦橋や弾薬庫や機関部など中枢部を、厚い鋼鉄で守る集中防御式が採用され、舷側の最大装甲厚は、41センチに達した。また、装甲の薄い中枢部前後には多くの防水区画で仕切られ、被弾した場合の進水範囲を最小限に食い止める策が採られた。一方、安全性確保などの為の全幅は38.9ミリと、全長に比して非常に広いものだった。日本海軍の命運をかけて竣工された史上最強の戦艦が、この世に産声を上げた。
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