王子様は記憶を失っていた

 一面に広がる白い地面。彼らの目の前に広がる世界は彼らの常識では計れないものだった。


「何なのよ……」


 白色の髪の少女は小さく呟く。自らの感情を抑えるような声色。その声は僅かに、だが、確かに震えていた。

 彼女の後ろにいる黒髪の少女と銀髪の少年も、前にいる白髪の少女と同じように困惑の表情を浮かべていた。

 そして、白髪の少女の隣の隣にいる青い髪の少年もまた、困ったように笑っていた。

 

 彼らは旅人。

 さりとて、ただの旅人にあらず。彼らは救世主と言えるだろう。

 創造主ストーリーテラーによって創られた世界である想区。秩序が保たれていた世界である想区が悪夢のような物語に変更された。秩序ある想区を混沌が蔓延る想区へと書き換えた存在はカオステラーと呼ばれる。カオステラーを倒し、混沌に陥った想区を秩序ある想区へと戻すことこそが彼ら旅人の使命である。

 いくつもの想区を救ってきた彼らであったが、此度、彼らの前に広がる景色は今まで訪れた数々の想区とは異なっていた。


 霧を抜けた先にある想区は見渡す限り白い。布のような質感の地面が白く目の前に広がっている。確かに、今まで訪れた想区とは似ても似つかないものだ。

 だが、それはまだ許せる。少女は心の中で頷く。しかしながら、これは許すことなどできない。


「だから何なのよ!」

「ハハッ。さっきも説明したじゃないか? ぼくは王子様だとね」


 白い髪の少女と青髪の少年の肩に腕を回した青年はウインクで以って彼女の怒気が入った質問に答えを返す。

 青年を一言で表すと美丈夫だ。短く清潔感のある黒髪、背は高く、日々の鍛錬が垣間見える引き締まった体、キラキラと好奇心で輝く瞳。そのどれもが彼の魅力を十全に引き出していた。だが、彼が今現在、行っている行為は決して良いものとは言えない。


「答えになってないじゃない! 何で私たちの肩に腕を回しているのよ!」

「決まっているだろ。君たちがぼくのマイフレンドだからさ」

「突然、現れて私たちに抱きついた人を友達とは思えないわ」

「恥ずかしがらなくても大丈夫さ、マイフレンド。所で、君の名前は?」

「名前も知らないのに友達って言っていたの!?」


 白髪の少女の言葉を聞いて再び『ハハハ』と笑う青年。その様子を見た青い髪の少年は、このままでは埒が明かないと判断した。


「えっと……。あなたが王子様だというのは分かったんですけど、名前を教えてくれませんか?」

「残念。ぼくは自分の名前を覚えてないんだ。そんなことよりも、もっと砕けた感じで話そうよ、マイフレンズ。そこのキュートなヴィーナスと獅子のようにかっこいいソルジャーもそう思わないかい?」


 青い髪の少年と話す青年の言葉の中のワードに黒髪の少女が反応した。


「いつの間にかシェインたちもフレンズに入れられているみたいですね」

「まぁ、悪い奴じゃなさそうだな」


 『おふざけは禁止』と青年に怒鳴る白髪の少女を横に、銀髪の少年は今だに白髪の少女と青髪の少年を捕まえたままの青年に右手を差し出す。


「オレはタオ! よろしくな、王子」

「シェインです。よろしくです、王子」

「タオにシェインか。よろしく!」


 銀髪の少年の後ろから黒髪の少女が顔を覗かせる。

 二人を見て、自らを王子様と紹介した青年はタオとシェインに向かって屈託のない笑顔を浮かべた。次いで、思い出したように肩を組んでいる二人に交互に視線を向ける。


「それで、君たちの名前は?」

「エクスです」

「……」

「姉御。多分、答えてあげないとずっとこのままですよ」

「……レイナ」

「エクスにレイナか。よろしく!」


 そう言って、青年はまた笑顔を浮かべたかと思うと青髪の少年、エクスと白髪の少女、レイナの手を取って回り出す。彼の突然の行動に付き合わされたエクスとレイナには成す術はなかった。


「ワッ!」

「キャッ!」


 小さく悲鳴を上げながらエクスとレイナは自称、王子様と踊るように回り始める。

 しばらく三人で踊っていると、王子様は気が済んだのか彼らを解放した。フラフラとした足取りながらも、素早く王子様と名乗った青年から距離を取ったレイナはポツリと呟く。


「タオ以上に人の話を聞かない人間がいるとは思わなかったわ」

「姉御、お疲れ様です」


 レイナはげっそりとした表情を浮かべていた。言葉にはしなくとも、シェインはレイナの表情からもうたくさんだという感情を読み取り、ねぎらいの言葉を口にする。


「ありがとう、シェイン」

「姉御」

「どうしたの?」

「見渡した所、ここには王子しか人は見当たりません」

「……つまり、どういうこと?」

「王子にここがどんな想区か事情聴取をしないといけないです」

「嫌よ! また抱きつかれるじゃない!」

「がんばってください」

「ちょっと! 見捨てないで!」


 涙目で叫ぶレイナに苦笑しながらタオが声を掛ける。


「落ち着け、お嬢。オレが聞いて来るからよ」

「タオ! ありがとう!」

「そうは言っても、自分の名前も覚えてない王子からは大した情報を得られるとは思わないけどな」


 タオの提案によって輝いたレイナの表情が再び哀しみに彩られる。タオが王子様の元へ向かう様子を見送りながら、暗い顔のレイナは愚痴を溢した。


「全く。この想区に来たら、いきなり抱きつかれるし、抱きついてきた人が自分の名前も思い出せないってどういうことよ。いつも以上に厄介じゃない」


 レイナは大きく溜息をつきながら、これからどうしようかと考える。

 と、レイナの耳に楽し気な声が届いた。そちらへと目を向けると、タオと王子様が十年来の親友のように抱き合う光景があった。レイナは思わず頭を抱える。


 ──いつの間に仲良くなったのよ。


 レイナが再び彼らに視線をやると、王子様とタオが楽しそうにしている傍で彼らについていけないといった様子のエクスを見つけた。

 よかった、おかしいのはタオで私と同じように普通の人のエクスは彼らについていけていない。

 そう自分を納得させたレイナは彼らから視線を外そうとする。少し横に視線を移動した瞬間、レイナの背中に冷たいものが奔った。

 白い地面が広がる視界の中、それは違和感を放っていた。まるで王様の玉座のように華美な装飾が施された椅子。その影から影よりも黒いものがこちらの様子を窺っていた。


「エクス! 後ろ!」


 レイナは声の限りに叫ぶ。レイナの声を聞いて只事ではないことを察したエクスは、すばやく後ろを振り向いた。

 そこにいるものは異形。人の形を僅かに残しつつもはっきりと人とは線引きをされたもの。


 ヴィラン。

 総称して、そう呼ばれる黒い怪物だ。彼らの前に現れたのはブギーヴィランと呼ばれる種類の怪物。人の形に近いながらも、その手には大きく鋭い爪がある。さらに、人間と違う最も大きな点として、体全体が黒く体の末端にいくほどグラデーションで茶色になっている点が上げられる。ぞろぞろと椅子の後ろから出てきたヴィランを見たレイナは続いて他の三人に指示を出す。


「みんな、栞を用意して!」

「おう!」

「合点承知です」

「分かった!」


 彼ら四人は取り出した“空白の書”と呼ばれる本に“導きの栞”と呼ばれる栞を挟み込む。空白の書の持ち主には物語における役割が与えられていない。それは、その者が何者でもないことを示す。それは翻って、その者が何者でもあることを示す。

 英雄ヒーローの魂を宿した導きの栞を自らの人生そのものとも呼べる空白の書に挟み込むことで、彼ら空白の書の持ち主は英雄の力を引き出すことができる。

 引き出した英雄の力は彼らの体を包み込むように力強く光輝いた。


「大木に登る理由? そこに大木があるからさ」


 光が収まった後に立っていた人物は青い髪の少年ではなかった。ライトブラウンの髪の小柄な少年と変化したエクスは手に持つ剣を振るう。導きの栞に刻まれた魂はジャックと豆の樹の主人公であるジャック。空白の書と導きの栞を使ってジャックの魂と繋がったエクスの体はジャックの体へと変化していた。

 空白の書の持ち主のみができるコネクト。それは、空白の書の持ち主を導きの栞に描かれた人物へと変える。強大な力を持つ英雄の力を振るい邪悪なヴィランを屠る救世主。それが彼らだ。


「いけぇ!」


 ジャックと化したエクスの剣から光と化した斬撃が飛びヴィランを切り裂く。エクスがヴィランを倒したと同時に他の三人もヴィランを倒したようだ。体の変化を解いた四人の傍に王子様が駆け寄る。


「凄い、凄い、凄い!」


 興奮したように王子様は飛び跳ねる。エクスの両手を取り、上下に激しく振る王子様を見たレイナは、また抱きつかれたら堪らないとその場からそっと離れようと足を動かす。


 と、レイナの前からパサリという音がした。それに目を向けると、白い紙に何かしらの絵が描かれている様子が確認できた。

 

 ──手帳?


 王子様が落としたもののようだとレイナは結論付ける。気が向かないものの知っている人物が落としたものをそのままにしておくということはレイナにとって認められることではなかった。彼の手帳を拾い上げようとレイナは膝を曲げる。


「羊の絵?」


 そこに描かれていた絵はお世辞にも上手いとは言い難い。丁寧に描いたのではなく、少しの時間でさっと描いたように思える。雑な線によって描かれた絵。その絵は羊に似ていた。

 そして、レイナはその隣に描かれていた、一見、帽子にも見える絵に視線を注ぐ。しかし、すぐに違うと思ったレイナは自分の直感に従い、改めた考えを口にする。


「蛇……かしら?」

「さぁ、ぼくにも分からないんだ」

「キャッ!」


 すぐ近くから聞こえてきた声に驚いたレイナは思わず尻もちをつく。前に目を向けると王子様の顔が、容易に手が届くような距離にあった。


「もう! 驚かさないでくれる? はい、これ。あなたのでしょ?」

「そうだね、ぼくの手帳だ。ありがとう、マイフレンド」


 手帳を渡すと王子様は一瞬、寂し気な表情を浮かべた。それに気づいたのはレイナだけだ。他の三人は王子様の後ろにおり、彼の表情を確認できない。自分が浮かべる表情に気が付いたのか王子様はすぐに今まで浮かべていた楽しそうな表情へと戻す。


「なにせ記憶がないからね。この絵を描いたのが誰なのかも分からない」

「あなたが落としたし、あなたが描いたんじゃないの?」

「ぼくかもしれない。けど、ぼくじゃないかもしれない。どこかにサインでも書いてあれば分かるのにね……ダメだ、ぼくは自分の名前も思い出せないんだった」


 困ったことなど何もないというように王子様はあっけらかんと話す。


「あなたは記憶がなくて不安じゃないの?」

「ぼくはぼくさ」


 王子様は『あ!』と声を上げる。


「どうしたのよ」

「少し思い出したんだ」

「もしかして、この想区について?」


 エクスの疑問に王子様は大きく頷く。


「そう。少しだけどね」

「おお、やるじゃねぇか王子」

「見た目や言動に騙されました。意外に優秀ですね。褒めてあげましょう」


 恥ずかしそうに頭を掻いた王子様は『ついて来て』と彼らを案内する。王子様が案内した先は夜空の星から作られたように銀色に光る鳥だった。


「この渡り鳥が向かう先に別の星がある。そこには……何があるんだっけ?」

「重要な所を覚えてないじゃない!」


 この想区に来てから何度目となるのだろうか? レイナの怒声が響き渡るのだった。

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