無自覚な彼女たち

 事務所に帰ると、お互いにお昼の出来事を報告しあった。

新しい敵。

謎の男。

否が応でも、不確定要素が身持ちを固くしてしまう。


「ただいまにゃ!」

ねこうさぎが事務所の扉をとんとん叩く。

叩かれたことを不服そうに、金属音を響かせている。


 私は扉を開けてあげた。

少し扉を開けただけで、隙間からねこうさぎが、ばね仕掛けのように飛んできた。

「おかえり」

扉を閉めて、ぼさぼさになった毛並みを撫でまわす。

ご満悦そうに、への字の口も角が上がっている。


「敵の拠点を見つけたよ」

意気揚々と報告したねこうさぎ。

鼻とひげを自慢げにひくひくさせている。

「どこか教えてくれる?」

セナさんがどこからともなく、市内の地図を持ってきた。


 テーブルに広げられる詳細な市内全域の地図。

事務所の位置に赤い丸がしてある。

さらに、先日のマネキンの件で訪れた虚構の家には、青い丸が書かれている。

丸のそばには『マネキン事件』とボールペンでメモ書きしていて、同様のものは他にも複数見受けられる。

他の青い丸の箇所にも事件名が書かれていて、事件のたびに書き足しているのだろう。


「ここ!」

ねこうさぎが地図の一点を前足でぺちぺちと叩く。

建設途中で放棄されたビル。

「普通に家を借りるとかしないのか。反協会イレギュラーどもは理解できんな」

レナさんが言う。


「協会に属してない中でも、家の力が強いあんたとは事情が違うんだよ」

「レナさんは何者なんですか?」

当然の疑問。

「あの子の実家は、協会成立以前からの魔術師の家なの。まあ彼女ははみだし者なんだけど」

「これ以上は言うな」


 レナさんの警告。

決して脅しではないと言わんばかりの語気。

次の瞬間にはナイフが右手に握られている。

そんな未来予測をしてしまう。


 とはいえ、レナさんの過去は気になる。

彼女の強い性格は組織と相容れるものとは思えない。

孤独を愛するか、手綱をきちんと握れる人の元にいるしかない。

セナさんはいかにして彼女を飼いならしたのか、興味深いものがある。


「で、いつビルに行くんだよ」

「じゃあ晩ごはん食べたら行こっか」

何とも言えない空恐ろしさを感じる返事。

大事な話なのに、腹ごなしをする程度のラフさで語っている。

やはり魔術師はどこかおかしい。


 ねこうさぎは机の上で尻尾をゆらゆらとさせている。

何を考えているのかわからない。

どこを見ているのかもわからない。

それでも気づいたときから一緒にいた彼を信じよう。


「敵の狙いはわかっているのか」

「たぶん私、それか協会そのものだと思う。そうじゃなきゃここに攻撃なんかしてこないよ」

もっともな推察。

「それに代行者と名乗ったから、直接手出しが難しい協会内部の人間が黒幕ってところね」


 しばしの沈黙。

「夕奈が目的である可能性は?」

「彼女が目を付けられるには早すぎる」

私が拾われてから今日まで1か月と数十日。

そんなに早く存在を認知するものだろうか。


「なんでもいいや。代行者ってのをやっちまえばいいんだろ?」

レナさんがうなずく。

「どうせ生け捕りにしろって言っても無理でしょ? 急所を狙う魔法なんだから」

「まったくその通りだね」

悪びれることもなく言う。


 セナさんにとっては、それは日常。

日常と殺人の距離が近すぎる。

彼女にとっては当然のことで、私には異常以外の何物でもない。

魔術師は狂っているという認識は、またひとつ傍証を得て強化された。


******


 敗北。

彼女は完全に負けた。

尻尾を巻いてみじめな敗走をした。


 依頼をあと一歩というところで達成できた。

にもかかわらず、よくわからない生き物に邪魔をされた。

「ねこうさぎ」


 ぽつりとその名を漏らす。

コンクリートにこだまする忌々しい敵の名。

セナだけじゃなく、ねこうさぎも処分しなくては。


 無痛者にはそれぐらいしか、痛みを理解できそうな術を知らない。

生まれたときから痛みを感じたことがない。

だから他人が痛がっているところを見ても、理解できなかった。


 他人を傷つけることで、なんとかそれを理解しようとした。

それでわかったのは、表面的な知識だけ。

強くたたけば痛い、急所はどこか、その程度のこと。


 この理解の仕方にも限界があった。

わずかな傷をつけただけで、傷つけられたものが真っ二つに切断される。

傷口の延長線上にそれは広がり、物体を切り裂く魔法。


 そして削除。

傷つけたものを物理的に消す魔法。

物心ついたときにはすでに持っていた力。


 最初は理解できずに色んなものを傷つけた。

人も物も何もかも。

痛みの概念と消失を知ってから、自分のしてきたことが急に怖くなった。


 それでも自分と痛みをつなげるものは魔法しかなかった。

だから理解のために人を、物を壊し続けた。

現在もこの先も、依頼の名において壊し続ける。


 しかしなぜだろう。

今まで知らなかった感情が心の内側からふつふつと湧き上がってくる。

理由も正体もわからない。

不気味なことこの上ない。


 困惑する中、耳に響くコンクリート音。

ヒールが床を叩く音だ。

セナたちがやってきた。

そうに違いない。


 隠密行動する気は微塵も感じられない。

正面から突破して、堂々と潰す。

数と力に驕ったやり方だ。

ともかく迎え討つしかない。


******


 威圧するように建つコンクリートのビル。

出迎えるように、すこしだけ開いた鉄の門扉。

人が1人ギリギリ入れない、申し訳程度を体現している。

風に揺られ、錆びたそれは悲鳴をあげる。


「なぜこうも、異端な魔術師どもは陰惨な雰囲気を好むのか」

レナさんがため息交じりに言う。

確かに前回の件の際も、魔術の産物とはいえ、陰鬱で退廃的な空間だった。


「後ろめたい人間だから退廃的なところを好むんだよ」

拠点の外観は、彼らの内面性を表しているのかもしれない。


「なんでもいいや。とにかく入るよ」

そう言うやいなや、レナさんは錆びついた鉄扉を無慈悲に蹴飛ばした。

理不尽な仕打ちに抗議するかのように軋みをあげる。


 そして出迎えたのは手動と化した自動ドア。

ガラスは割れてしまっていて、仕切りの役割はもうない。

ただの障害物に成り下がっている。


「殺せない邪魔者に価値はない」

さっきよりも強い力で、自動ドアを蹴り飛ばす。

サッシが折れ曲り、コンクリートの床に打ち倒れた。


 響き渡る樹脂の断末魔。

朽ち行くものの存在主張。

それを踏みしめて行く3人。


「恐ろしい脚力にゃあ……」

抱かれたねこうさぎの驚嘆。

私の腕の中で、後ろ足で蹴る素振りをしている。

「あまり暴れないでね?」

「ごめんね」


 動きを止めてしょんぼりしてしまった。

耳やひげ、尻尾から英気が失われたような心地がする。

彼を抱いていると、何となくそんな感じがする。

あくまでそう思っているだけだが……。


 3人の前に広がるのは広々としたエントランス。

ただ広いだけでなにもない。

伽藍洞そのもの。

大いなる虚無。


「出迎えぐらいないのか? 来てやったぞ」

レナさんが叫ぶ。

「……ここに……いるよ」

か細い声が響く。

1人じゃない。

複数人が同じことを言った。

「かかってきな」

不敵に笑う。


 それは現れた。

ロビーから、管理人室から、掃除道具入れから。

ありとあらゆるそれはやってきた。

綺麗に着飾られた少年少女のドールがやってきた。

その手にはナイフやライフル、薙刀、曲刀シャムシールなど、多様な武器が握られている。


「私たちは流転の顕現したもの。原初に至る道しるべ」

少女のドールが言う。

「まがい物の道標が何を言ってるんだい?」

唐突なねこうさぎの発言。

「私たちは真なる存在。完璧になる存在」


 ねこうさぎは嘲笑するかのように、ひげをひくひくさせている。

彼には、ドールが救いようのない愚者に見えているのだろう。

私にもわかる。


 なぜわかるかと問われてもわからない。

ともかく知っていることが私の力なのだから。

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