悪夢とは狡猾な落とし穴
熱のある風にそよぐ新緑。
木漏れ日に照らされた机。
椅子に腰かけて、何やら渋い表情で、分厚い本を読んでいる少女。
フェズ魔術師養成学校の図書館の一光景。
「リュシー、なに読んでるの?」
彼女に近づいてきた女性が、親しげに声をかけた。
「あ、セナね。グノーシス主義の視点から、アカシックレコードに考察してる本だよ」
物質と霊的な存在の二元論的な観点で、アカシックレコードへの
そもそも物理的な存在なら、とっくに到達しているわけだ。
「アカシックレコードは霊的な図書館じゃない、何か抽象的な概念だと思うの」
リュシーが言う。
「流転する万物の中心に必ず存在するもの。それこそが原初の存在じゃないかな」
「図書館は誤った比喩で、普遍的な存在のこと」
彼女は肯定を示した。
しかし原初の発見のために流転を再現することは、邪道として協会は禁忌として扱っている。
実験装置を作ることなく、日常から見出す他にない。
「そろそろ彼らも来るはずよね」
「ああ、彼氏さんね」
セナがからかってみせた。
先に授業が終わった2人は、ここで友人2人を待っている。
ここにいる2人と、後から来るヴィリーとハックマンは、入学後のグループ発表をしたときから仲が良くなった。
それ以来、一緒にご飯を食べたり遊んだり、論議をしたりしている。
「やあ」
そうこう言ってるうちに、待ち人はやってきた。
「ハックマン、遅いよ。半分は読み終わるかと思ったよ」
彼氏の出迎えに、リュシーは本にラベンダーの栞を挟んで応じた。
「あれ、ヴィリーは?」
セナは来るはずのもう1人の男の存在を指摘した。
「ヴィリーなら本を返してるとこだよ。返却期限が過ぎてたみたいでね」
呆れる女子2人。
「それと、本を返したあとはパーテルマ先生に呼ばれてるから、そっちに行くらしい」
パーテルマとは物質と霊的なものの二元論の造詣に深い魔術師で、近年は万物の流転論に力を入れているという。
「そういえば、最近学校近辺で人が消えてるらしいな」
「最近どころか、数年前かららしいよ」
リュシーによる訂正。
「魔術師の仕業でしょ」
セナの断定。
「どうだろうね。じゃあ私もパーテルマ先生にところに行ってくるよ」
「何か用事でもあるのか?」
「万物の流転の疑問について、聞きに行こうと思ってね」
非主流の考えであるため、詳しい人は少ない。
詳し人がいるのなら、聞きに行くのは自然なことだ。
「お昼を一緒に食べる約束はお流れか」
ハックマンは肩を落とすしぐさをした。
ごめんねと言い残し、彼女はそそくさと図書館を後にした。
「ごはん食べる? 後で2人を迎えにいってあげよ?」
「そうだな」
2人は図書館を出て、地下の食堂に向かう。
お昼時の喧騒に包まれた食堂に足を踏み入れる。
「テーブル空いてるかな」
レンガ造りの食堂を見渡す。
「見つけたよ」
レナはハックマンの腕をつかみ、空席へと誘導。
迅速な動きで彼を着席させ、彼女本人はピンクの小さなカバンを置き、クマのトートバッグを持って、人混みの中に消えていった。
右隣のテーブルには女の子3人のグループがいる。
「フェリシア、今回の魔術理論のテストの成績かなり良かったんだね」
そう言われて控え目にうなずく、フェリシアと呼ばれた黒髪の女の子。
彼女の手元には、白い兎のような生き物がいる。
「この子かわいいよね。なんて名前の使役生物?」
「ねこうさぎだよ」
そう呼ばれた生き物は、にゃうにゃうとあいさつした。
リュシーも聡明な女性だ。
知識はあるがひけらかす真似はしない。
彼女は本を読むのが特に好きだ。
分厚い専門書を一心不乱に読む姿。
長いくすんだ金髪を耳元でかき上げる所作。
集中するとき、あごに指を添える癖。
それらが好きで好きで愛おしかった。
だから彼女を呼び出して告白した。
好きという二文字を聞いたとき、彼女はぱっと目を見開いた。
それも刹那。
そして控え目なうなずき。
静かな肯定。
この瞬間、彼女は‘彼女’になった。
ぽつんと残されたハックマンのもとに、レナが帰ってきた。
「なに買ったんだ?」
彼女の両手にはトレー。
それに乗せられた陶器が2つ。
「クスクスと鶏肉のトマト煮込みと、ヨーグルトだよ」
薄茶色の陶器に、クスクスの島と鶏肉の岩が形成され、それにはローリエの雲が添えられている。
クスクスとは小麦粉を小さく丸めたもので、地中海沿岸地域ではよく食べられている。
フェズのあるモロッコも例外ではない。
荷物番の役目を終えたハックマンも、食事の確保の繰り出す。
彼の食べるものはもう決まっている。
迷うことなく注文し、お金を払ってセナの待つテーブルへ帰還を果たした。
「フィッシュアンドチップスか……」
呆れたように彼女は料理名を口にした。
「何か問題でも」
「王道過ぎてつまらない」
一瞬の間。
「それだけ?」
「うん」
特に反応することなく、スプーンでクスクスを口に流し込む。
15分ほどで、2人のお皿から食物は消失した。
「じゃあリュシーたちのとこにいこっか」
食器を返却し、食堂を後にした。
外気を遮断したレンガの壁の廊下を歩く。
乾燥地帯ではあるが、熱射線を遮るレンガのために、ひんやりとさえする。
いくつかの階段を上ったところに、彼の研究室がある。
3度のノック。
無反応。
「聞こえてないのかな……入っちゃおっか」
「大丈夫か?」
明後日の方角を見て、セナは数瞬考えた。
「中に2人だっているんだし、大丈夫でしょ」
返事を待つことなく扉を開けた。
出迎えたのは薄暗い空間。
不潔感はない。
奥には白熱球の明かり。
書架と林立するドールの通りを抜け、明かりを目指す。
それを抜けると、2つのベット
そこに眠らされたリュシーとヴィリー。
ソファーに座り、2人を見つめる白衣に白髪の白人。
ソファーの傍らには三角座りした2体のドール。
150センチほどの大きなサイズをしている。
短く切られた金髪に凛々しい目つきの少年、セミロングの金髪に垂れ目の女の子。
2体とも青いガラスの目玉がはめ込まれている
少年は緋色のマントを肩に羽織り、白のシャツに青いベストで、ボトムスは灰色のズボンといったいで立ちをしている。
靴は黒のロングブーツだ。
一方の少女は胸元を黒く細いリボンで飾られた、フリル付きのブラウス、その上から灰色のジャケットを羽織っている。
ボトムスは黒のキュロットスカートに、その下にペティコートを履いている。
足元を彩るのはワインレッドのヒール。
「先生、これはいったい……?」
砂で出来た器を持つように、セナがそっと質問した。
「流転の再現実験の準備さ」
突然の来客にも動じず、友人にでも話すような気軽さで答えた。
「さて、万物は流転していて、その流転するすべての中心に存在する、普遍的なものこそが原初だという考えは知っているかな」
唐突な講義。
「私は原初とは日常に介在するものと考えている。しかし、台風の中心にいては、その台風の規模は分からない」
2人の様子を見るパーテルマ。
見られた2人はじっと話を聞いている。
それに満足したのか、話を再開した。
「そこで日常から魂を引き離し、俯瞰的な目線で日常を見る方法を考えた」
直感的な嫌悪をセナは感じた。
次に発せられる言葉は、汝に地獄を見せると。
「人間の魂を制御可能な人形に移し、同じ日常を何度も繰り返す。幾百も幾千も繰り返される同じ日を、私が観察する。つまり神の視点を得たわけだ」
眠る2人と座る2体。
嫌でもわかってしまう。
「そこにいるドールには‘中身’があるということですか?」
大きくうなずくパーテルマ。
「生身の肉体は、何度も繰り返される同じ日に耐えられない。だから魂を人形に移し、私の魔法で自我を制御下に置いた。私の力で無痛の精神となったのだから、退屈という、人を死に追いやる病気から無縁なのだ」
言いようのない恐怖。
「同意の上での行為ですよね?」
ハックマンは問いかけた。
彼の視線の先には、原生林に佇む大樹のように、静かに眠るリュシーの姿がある。
「もちろんだ。流転に関わる実験を手伝って欲しいと言ってね」
騙した。
2人は理解した。
肝心なところを言わず、2人の魂を奪ったんだ。
直感は確信へと姿を変えた。
「2人の魂を元あるところに返してくれますか?」
おぞましい行為に震えながらも、ハックマンは迫る。
「実験が終わったら返すさ」
不毛な返答。
セナは隣のハックマンを見た。
「彼女のために戦う覚悟はあるよね?」
有無を言わさぬ雰囲気がハックマンを威圧する。
「もちろんだ」
彼はショルダーバッグを部屋の端に投げた。
「戦うのは結構だが、君たちの相手はこの子たちだ」
背後の物音。
2人は後ろを見た。
ここに来るときに見た、林立していたドールが12体並んでいる。
「わかった、相手になるよ」
セナはトートバッグを投げ捨て、ピンクのカバンに手をかけた。
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