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「ごめん、ちょっと忙しいからまたかけるね」
僕は結局、唯の問いかけに答えることなく電話を切ってしまった。なんて情けない人間だろうか。穴があったら入りたいとはこういうことを言うのか。今日一日中頭を抱えて唸っていたいところだが、扉の向こうの真由子は待っていてはくれないようだ。ノックが二回、僕はとうとう空返事をした。すると、彼女は、ちょっといいですかと外へ出るよう促した。僕は重い足取りで彼女の待つロビーへ向かった。
「どうしました」
自分でもよくわかるくらい、生気のない声だった。加えて、おそらく死んだ魚のような目をしていたと思う。もちろん真由子はこんな僕を見たことなかったわけで、心配そうに顔を覗き込んでいたが、気を取り直して話を始めた。
「あの、昨日なんですけど…何か私、迷惑なことしてしまったかな、って」
僕は素っ頓狂な声をあげてしまいそうになった。第一昨日のことをよく覚えていないので、言っている意味がよくわからないのは当然のことなのだが、その自分の記憶の外において僕が真由子になにかしてしまっていたのかという不安が頭をよぎった。
「えっと、僕何かしましたかね…」
「いや、そうじゃなくて。昨日帰り道とかずっとうわのそらでしたし…話しかけてもあんまり返事がなくて、機嫌を損ねさせてしまったかな、なんて」
真由子はいつにも増して丁寧な口調で、僕に申し訳なさそうな表情を見せる。実際、悪いのはこの僕だ。自分のことで勝手にぼーっとしてしまい要らぬ心配をかけてしまっていたのは、紛れもなく僕の怠慢である。
「私、敦司さんと本当はいろんなことをお話したかったんです」
僕の返事を待たずに、突然真由子は語り始めた。簡潔ながらも、自分のことを僕に話してくれた。
真由子は母子家庭で育ったようで、恵まれた生活を送れたかと言われると胸を張って首を縦に触れるような環境にはなかったという。高校を卒業してからは一人暮らしを始めて働き始めたものの、人とコミュニケーションをとるのがあまり上手くいかず、友達もあまりできなかった。職場にも馴染めず、ついに最近仕事を辞めることになったそうだ。そして彼女は、自分のことを考える時間があまり取れていなかったことを思い、こうやって一人旅のようなことを敢行したらしい。
聞いてみれば、彼女は僕と同い年だった。そんな事実に、僕たちは顔を見合わせて微笑んだ。僕はてっきり年上だと思っていたし、彼女曰く僕のことは年下だと思っていたらしい。そんなに童顔かな、というと彼女は少し安堵したように笑って見せた。
「…で、話を戻すと。私には、友達が少ないから自分の話をできる人がほほとんどいなかったんです。だから誰かに、話を聞いて欲しかった。…もっと言えば、誰かに気にかけて欲しかったんです、私のことを。わがままです、よね」
彼女は少し俯き気味だった。声も最後には少し震えていた。
なんで僕なんかに彼女はこんなことを話してくれるのか、自分でもよく理解できない部分はある。だけど、純粋に嬉しかった。自分を頼ってくれる人間がいるということだけで、なんだか救われた気がした。
「僕は、真由子さんと、仲良くしたいと思ってます。仲良くしてください、お願いです」
彼女はきょとんとした顔で僕を見た。目には、うっすらと涙が溜まっていた。少し経って、ぴんと張った糸が切れたように泣き出した。僕ら以外誰もいない昼のロビーで、僕はまた真由子にハンカチを貸した。
「今度は、返さなくていいですよ」
すると真由子は泣きながら僕にありがとう、と言った。僕は無意識に、彼女の頭を優しく撫でていた。
僕はいま、最高に幸せだ。そして、
最低な人間に成り下がった。
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