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あれから数時間経ってしまったようで、太陽が地平線へと沈みかけているのを僕は部屋の中で知った。一週間休みを取ったはずのバイト先からのシフト確認の電話であったり、兄からの唐突な意味のないメッセージの連続であったりで、時間は瞬く間に過ぎてしまっていた。こういう非日常の空間にいる場合、時の流れは遅く感じるものだと思っていたが、どうやら逆らしい。ふう、とベッドに座って一息ついただけで、いつの間にか30分経っていたりする。僕はぼーっとしている時間が少し長すぎるのかもしれない。
ドアをノックする音がした。僕は反射的に空返事をする。ドアは開くことは無く、向こう側から宿の方と思われる声が僕を呼んだ。どうやら夕飯の時間らしい、少し早めな気もしたが、まだ本日一食しか口にしていないことを踏まえると、食べられるなら早いに越したことは無い。僕は二つ返事で足早に部屋を出た。
僕はコテージの外へ案内された。そこには、砂浜に5つほどテーブルが用意されていて、中央には小さなキャンドルの火が揺らめいていた。小洒落た演出に僕は一瞬後ずさりしそうになる。
「雨じゃなきゃ飯は外で食うんだぜ、ここは」
やっぱり、予想通り健二はそこにいた。彼に促され、僕は隣に腰かけた。
彼が少し挙動不審気味なのはおそらく、夕飯がまだ来ていないからではないだろう。ほかのテーブルやガラス越しに見えるロビーをじろじろと見まわしている。あの女性はどこにもいない。正直僕も気になっていないと言ったらウソになる。が、あからさまにそんな雰囲気を出すほど馬鹿じゃない。先に出されていたコーヒーを一口すすって、ため息を吐いた。
食事ははっきり言って、最高だった。今日は和風のメニューだそうで、地元でとれた新鮮な魚介を使った刺身や天ぷら料理が振舞われた。どうやらこれらは健二の手柄ではないらしいが、流石は漁師、魚の種類や食べ方の説明を一つ一つ丁寧にしてくれてた。その時の彼の眼は、真剣そのものだった。こうやって何かに打ち込んでいる人間はやはり格好良く映ってしまうものである。
食事を終えると、健二はぶんぶんと手を振って自宅へと帰っていった。内心はあの女性に会えずじまいで悔しさもあったのかもしれないが、満面の笑顔でまた明日会うことを約束してくれた。
彼を見送って、僕はとぼとぼと自室へと戻ろうとした時、日が沈んだ砂浜に人影を見つけた。とはいえ、光はコテージ前にあるランプ数個のみで、砂浜のほうまであまり届いていないためか誰なのかまではさっぱりわからない。ただ、波の音ではない、声のような音のようなものを僕はかすかに感じ取った。
僕は、ゆっくり人影に近づく。そして、かすかな音の正体が、すすり泣く声であることがわかる。
だんだん目が慣れてきて、砂浜にうずくまる人影の姿に見覚えがあることに気付いた。
あの女性だ。黒く長い髪に白いワンピース。彼女が泣いている。うずくまって、すすり泣いているのだ。心配という気持ちより、理由が知りたかった僕は、何故か何もためらうことなく自然と声を出してしまっていた。
「大丈夫ですか」
ポケットに偶然入ってたハンカチを差し出す。彼女は少しびっくりしたようにこちらを見た。細かい表情まではわからないが、とてもきれいな顔立ちをしている。無理やりになのかわからないが、彼女は笑顔を作って、ありがとうと声を絞り出しながらハンカチを受け取った。
「後で、返しに、行きますね。…103号室の方ですよね」
「あ、はい。そうです。ゆっくりでいいので」
気の抜けた、間抜けな返事をしてしまった僕は、なんだかその場に居づらくなって、小走りでコテージへ戻った。ロビーのソファにいったん腰掛けるが、そわそわしてしまって自室へ戻る。ベッドに突っ伏して、もう寝てしまおうと強引に瞼を閉じた。寝れるわけもないのに。
彼女が僕の存在に気付いている。
部屋番号まで知っている。
それだけなのに、天に舞い上がるほど、僕は嬉しかったんだ。
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