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 案内されたのは、大体6畳程度の部屋だった。コテージというと大きなリビングがあって、そこに5、6人で泊まるような場所を想像するが、ここはあくまでコテージ『風』でありちゃんとした個室がいくつかあるペンションのようなものであると認識した。とはいえ、木の香りがほのかに感じられるこの部屋は、想像していたコテージの大部屋をぎゅっと小さくしたようなものだった。綺麗に整えられたベッドと、これまた木製の机。必要最低限のものしか、この部屋には無かった。


 窓を開けると、潮風が部屋を吹き抜けていった。こんなに海が近いと、なんだかこの眺めだけで満足できてしまいそうな、そんな気さえする。今の時間は昼の3時、まだ太陽は沈む気配はない。


「暇なら、日が出てるうちに砂浜に出てみるといい」


 後ろから声がして、とっさに振り返ると浅黒い肌でタンクトップ姿の男が白い歯をちらつかせながら僕のほうを向いてはにかんでいる。確かに部屋の扉を閉めるのを忘れていたが、誰かから話しかけられるなんて思ってもいなくて、僕は声が出なかった。矢継ぎ早に彼は話を続ける。


「あ、自己紹介が遅れたな。俺は柿崎 健二っていうんだ。この近くで漁師やってる。よろしくな」


 いつの間にか彼は僕の目の前までやってきて、手を差し出した。握手をしろというのか。別に減るもんではないが、なんだか妙にこの男、怪しい。だが、ここは僕にとっては何もわからない地である。ここで変に遠ざけるメリットもないだろうし、第一この男は悪人には見えない。躊躇するそぶりは見せないように握手を受けた。


「君、どこから来たの?都会の人っぽいな、東京とか埼玉とか。そこらへんかな」

「東京…ですね」

「そうなんだ、なんかちょっとひょろっちいもんね。まあ俺がごついだけか。はっはっは」


 なんだこいつ、とは思いつつも僕は笑っていた。なんだか、この男の雰囲気はとても好きだ。嫌味を言っても悪い気にはならないし、おそらく彼は僕のことを多少は気に入ってくれてるように見える。やはり人が来るのは珍しいのだろうか。


「柿崎さんは、このコテージによく来られるんですか」


「固っ苦しいなあ、健二でいいよ健二で。…まあ今日はあんま漁のほうがコレだったもんでね、気晴らしにここのコーヒーでも飲みに行こうって思ったわけ。そしたら客室に知らねえ人がいるんだもの。びっくりだよ、ここ全然客来ないからさ」


 健二はグッジョブのサインを下に向けて、口角を下げた。ここのロビーは喫茶店の役割も兼ねているらしい。確かにカウンターがあったような気もしなくもない。この近くに他の店もないんだろう、やはりこのコテージは地元密着型なんだな、と察した。


「んで?お前さんは何しに来たの。…っていうか名前は?」


 僕は自己紹介と、簡単にここに来た経緯を説明した。一人旅なんて初めてで何もわからないのでよろしくお願いします、と楔を打っておいた。これで彼に頼ればとりあえずは何とかなりそうだ。


「そうかそうか、大学つまんねえから一人旅か。まあここに来たことは間違いでもないと思うぜ。空気も美味いし飯も美味い。海は綺麗だしな、でも女はあんま…ってあれ?」


 

突然、健二が窓の外に気を取られた。僕も彼の視線を辿る。さっきから何度も見ている砂浜と海、だがそこに一人の女性が立っていた。



 麦わら帽子に白いワンピース、いくら何でも夏を具現化したようないでたちをした、肌が僕なんかよりもっと白い、太陽の光で眩しささえ感じる女性だ。多分、先ほど入り口ですれ違った女性ではないか、と僕は意味もなくどぎまぎする。しかし、あまり視力が良くないため顔までは見えない。とはいっても、瞳に気を取られすぎて顔をよく覚えていないのだが。



「綺麗な人だなあ、ここら辺の人間じゃないぞ」


 健二は声だけ平静を装えているが、顔は若干にやけている。正直気持ち悪い。彼のような男が女好きでないわけではないから当然ではあるのだが。


 女性は砂浜を散歩していただけなのだろうか、海岸の端まで行くと踵を返してコテージのほうへ戻ってきた。僕と健二はただそれを目で追うことしかしなかったが、女性がコテージに入った数秒後、健二は突然部屋を飛び出していった。そしてそのまた数秒後に部屋に戻ってきた。




「102号室だ、102、お前、敦司、お前の隣の部屋だ」


 健二は興奮していた。何故かわからないがこれでもかというほど興奮していた、が、声はとても小さかった。隣に聞こえないようにと考慮しているのだろうか、変なところだけは気を利かせてくる。



 


僕は透けているわけでもない、隣の102号室と僕の103号室を隔てている壁を、じぃっと見つめた。そして何故か、僕は笑った。





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