第4話 猟師、壊し、去る
調律を済ませれば元通りになるとわかっている4人でさえ、先ほどまで一緒にいたオオカミたちのなれの果てを相手にするのは良い気分ではない。ましてや調律の概念を知らず、オオカミたちにより一層の思い入れのあるカリーネはなおさらである。一応レイナの口からアーネストを倒しさえすればオオカミたちは元に戻るということは聞いているものの、先ほどまでの戦いよりと比べ目に見えて動きも悪く、猟師が連れてきた方のヴィランしか攻撃できないようである。
そしてとうとうその隙を突かれ、カリーネは一体のヴィランに至近距離までの接近を許してしまう。振り上げられたヴィランの腕が、カリーネめがけて振り下ろされる直前、猛然と突進してきた銀のオオカミがその腕に食らいつき、勢いのまま押し倒す。しかし敵はこの隙を逃すほど甘くはなかった。
「カリーネ危ねえ!」
タオの声にハッとし、カリーネは反射的にその場を跳び退く。数瞬前まで彼女が立っていた空間を猟師の放った紫の光弾が掠める。安堵するのもつかの間、カリーネが兄オオカミの方を省みて目にしたのは、今避けたものと同時に放たれた光弾がヴィランに組み付き一瞬動きの止まっていた銀のオオカミを捉える光景だった。
「ニーサマ!」
弾き飛ばされた兄に襲いかかろうと起き上がるヴィランに向けてカリーネは素早く矢を放つ。
「片方外したか」
光弾の飛んできた方向を振り向くと、ヴィランの群の向こうでアーネストが醜悪な笑みを浮かべ呟いている。
「お前ぇぇぇぇぇ! よくもニーサマを!!」
未熟ゆえに兄に無茶をさせた自分に対する怒り。そして兄を傷付けた猟師に対する怒りがカリーネの体を突き動かす。立ちはだかるヴィランたちの間を、まるで野生のオオカミのごとき俊敏さでくぐり抜ける。その手に握りしめた弓には既に一本の矢がつがえられており、怒りの力で引き絞られた弓からアーネスト目掛けて真っ直ぐに矢が放たれる。
「ちっ! ……お前ら、来い!」
アーネストは辛うじて身をひねりこれを躱そうとしたものの、巨体が災いし、矢が右の脇腹を僅かに掠め、紫の章印に混じり一筋の赤い線が刻まれる。味方の防壁をかいくぐられた焦りを隠そうともせず、アーネストはヴィランたちを呼び寄せ自身を守るように布陣する。
「ガルルルルルル!」
倒すべき敵を再び取り囲む壁に対する憤りを露わにし、獣じみたうなりを上げるカリーネ。
「落ち着いてカリーネ。人語忘れてるよ」
「ニーサマ!」
一人飛び出したカリーネをフォローするため駆け寄ったエクスが冷静になるように言うが、当のカリーネはヴィランに対してひとしきり威嚇すると、直ぐに踵を返しニーサマの元へと駆け戻る。
「いま回復魔法を掛けるわ!」
「ニーサマ! ニーサマしっかり!」
被弾してなお立ち上がろうとする銀のオオカミをレイナが押さえ、回復魔法を施してはいるが、胸の辺りから呪いの印がじわじわとオオカミの体を蝕んでいく。
「敵を前にして背中を向けるとは……っ!」
弓も取り落とし、泣きそうな声でオオカミにすがりつくカリーネを見て、再び彼女に銃を向けようとしたアーネストの腕がガクリと落ちる。
「……無駄。お前、もう動けない」
「これは、麻痺性の毒……か!」
僅かに痙攣し始めた右腕を左腕で押さえるように抱え込み、アーネストは苦悶の表情で片膝を付く。それはカリーネのとっておき。彼女の部族に伝わる必殺の一矢。サソリの尾から抽出した毒を込めた矢尻は例え掠めた程度あれ、重篤な麻痺症状を引き起こす。
「なるほど。ということはこっからは一方的にやっちまっていいわけですか」
「おう、そうだな」
オオカミをレイナとカリーネに任せ、シェインとタオは猟師に対して武器を構える。同様にエクスも剣を構えるのを見て、アーネストは緩慢に倒れかけていた体を起こす。
「一気にケリを付けたかったが……完全に動けなくなる前に一旦退却させてもらおう。次こそは全員始末してやる」
アーネストはそう告げると、背中の翼を翻し空中へ舞い上がる。そしてその羽ばたきによる風圧で激しく巻き起こった砂嵐が3人を近づけまいとする。
「野郎! 逃げる気か!」
「させるか! くっ」
逃がすまいとして走るタオとエクスだがヴィランと砂嵐に阻まれアーネストに接近できない。それでも少しでも近づこうと懸命にヴィランを斬り伏せ進むエクスの耳が飛び去る直前のアーネストの呟きを捉えた。
「さすがは『冒険譚』の主役。すぐには書き換えきれぬ、か」
エクスがその言葉の意味を考えるより先にアーネストは森の木々の高さを越え、その向こうへと飛び去ってしまった。
◆
「ごめん……僕がアーネストを捕まえられてたら……」
「エクス悪くない。ボクがちゃんとしてればニーサマに無茶させなかった」
二人の暗い声が洞窟の中にこもるように漂う。アーネストを取り逃がした後、主に倣い引き上げていったヴィランを追う事はせずに5人はオオカミたちの巣穴に戻っていた。生き残った数匹のオオカミも5人と一緒に巣の真ん中に横たえられたニーサマの周囲に心配そうに集まっている。
「ところで、なんでコイツだけ直ぐにヴィランにならないで済んでるんだ?」
確かにタオの疑問の通り、他のオオカミたちは光弾を浴びて瞬く間にヴィランへと姿を変えてしまったのに対し、銀の毛皮の表面に章印がじわじわと広がってはいるもののその速度は遅く、まだ体の半分程しか達していない。
「そういえばアーネストが、『冒険譚』の主役だから書き換え切れない、とかなんとか言ってたけど」
「『ボーケンタン』? なんだそりゃ?」
「いや、僕にもよくわからないけど……」
エクスが聞いた去り際の猟師の発言にもタオは相変わらず首をかしげるばかりだが、レイナは納得したように頷きながら語り出した。
「『書き換え切れない』……たぶん運命の量が多いからね。それも並の主役と比較しても問題にならないほどに」
「どういうこと?」
「カリーネの『運命の書』、厚さがスゴイでしょ。枕に出来るほどだものね。しかも全部の頁にこんなに小さな文字で隙間無く書き連ねられてる」
「なるほど。つまり旅の行く先々で今回のような出来事が何度も起きるということでしょうね。必然的にカリーネちゃんは膨大な運命を背負うことになる。当然一緒に旅しているニーサマも同じように」
カリーネの『運命の書』を手に取り頁をめくるレイナ。彼女の二言三言の説明を聞いただけで理解できたのであろう、シェインも納得顔である。
「すまん、さっぱりだ。坊主要約してくれ」
「ボクもワカンナイ。エクス、よーやく」
話しについて行けないタオが『困ったときは取りあえず』といった調子を隠そうともせずエクスに振る。カリーネもそれに倣い、エクスの方を見る。
「えっと……つまり普通想区の主役は一つの大きな出来事――イベントとでも言えばいいのかな?――イベントの中心になるわけだけど、カリーネの運命では旅の行く先行く先でそういうイベントがたくさんあるんじゃないかな?」
急に話を振られ若干慌てつつも、エクスはレイナの説明を自分なりに解釈し、かみ砕いて二人に話す。そして合っているか確認するかのように、不安げなまなざしをレイナに送り解説の続きを促す。
「そう、つまり主役何人分もの運命をカリーネやニーサマひとりが持つことになるわ。この子たちみたいに旅する運命の主役が稀に持つ特徴だけど」
「いくらカオステラーといえど、その規模の運命を一瞬で書き換えるのは不可能ってことか」
ようやく理解できたというようにタオが大きく頷く。カリーネは要するにニーサマや自分の『運命の書』を書き換えるのには時間がかかるところだけは理解できたので「ふーん」などという曖昧な返事をした。
「流石レイナ、詳しいね」
「昔そういう『冒険譚』を原典にした主役に何度か会ったことがあるわ。ギルガメシュ、星の王子様、ミツクニ……あなたたちと会うよりも前のことだけどね」
エクスの賞賛にレイナは過去を振り返るような目をした。まだ一人きりで旅をしていた頃のことを思い出しているのだろう。
「とはいえ……この様子ではもって日没まででしょう。それまでにあの猟師を倒せなきゃヤベーです」
確かにシェインのいうとおり、僅かずつではあるが章印は広がり続けている。このままでは完全にニーサマの体を覆いヴィランに変質させるまで1日の猶予も無いだろう。
「うん。はやく猟師倒そう」
ニーサマの頭を一つなでるとカリーネは弓を手に立ち上がろうとした。ところが彼女の服の裾をニーサマが咥えて離さない。
「ニーサマ? 少し待ってて。ボクが猟師倒してくるから。……行っちゃだめってどういうこと? 行かなきゃ猟師倒せないよ」
そんなふたりのやりとりを見たタオがおもむろに口を開いた。
「……カリーネ。お前はここにいろ」
「タオまで、どういうこと?」
ニーサマに続きタオまでが自分が出発するのを止めようとするのでカリーネは訝しみながら聞き返した。
「足手まといだって言ってんだよ。ヴィランを倒すのに躊躇するような奴はな」
対するタオの返答は、今しがたそれが原因でニーサマをこんな目に遭わせてしまったカリーネにとってあまりに冷酷なものだった。
「タオ、そんな言い方は……」
タオのあまりにもな言葉をレイナが窘めようとするが、それを遮るようにさらにタオは続ける。
「そんな半端な覚悟じゃカオステラーは倒せねえ」
「猟師倒す、ボクの運命じゃないの?」
そう言い切るタオに僅かに敵意すら滲ませてカリーネは浅葱色瞳でにらみ返す。するとタオはふと息を吐き、打って変わって淡々とした調子でカリーネに尋ねた。
「お前は運命だから猟師を倒したいのか? オオカミたちを守りたいからじゃなかったのか?」
タオの言葉にハッとしたようにカリーネの表情がかたまり、そのまま力が抜けたようにぺたりと腰を落としてしまう。
「ちょっと! タオ!」
エクスもタオに何か言いかけたが、タオの表情を見て何かを察したように出しかけた言葉を飲んだ。
「まあまあ、どのみちニーサマの様子を見てなきゃですし、シェインとカリーネちゃんは取りあえず一旦ここに残りますよ」
「何よ、シェインまで!」
緊迫した場の空気を払うようにシェインが割り込みカリーネを抱き起こす。その様子を見てタオはどこか安堵したように洞窟の出口へと向かう。
「決まりだな。行くぜ坊主、お嬢」
「待ちなさいってば! だいたいなんでアンタが仕切ってんのよ! リーダーは私でしょ!」
3人はシェインとカリーネ、そしてオオカミたちを残し洞窟を後にした。
◆
洞窟を出発してからしばらく、一匹のオオカミに先導を頼み猟師がいる村を目指す道中、レイナは先ほどの件でタオに文句を言い続けている。そんな状況に閉口するエクスがとうとうレイナに語りかけた。
「レイナ、あんまり言わないであげてよ。タオはニーサマの気持ちを酌んだんだよ」
「なにそれ?」
「別に。アイツの様子見てたら、カリーネに危ねえことさせたくねえんだろうなって思っただけだ」
「だったらそういえばいいじゃない!」
「言って聞かせて納得するようなタマじゃねえだろ、ありゃ。お嬢のアホっぽさとシェインの強情っぷりのハイブリットみたいな奴だぞ?」
「私はアホの子じゃないわよ! そうでしょエクス?」
「同じ状況ならやっぱりタオもそう思う?」
正直に答えるとレイナを怒らせそうだし、心にもない嘘もつきたくなかったのでエクスは聞こえないふりをした。
「さあな。ただ、あのオオカミからしたら唯一絶対守らなきゃなんねえカリーネがあんな危ねえ猟師の野郎と戦いに行くの止めたくなって当然だ。まして、いざってとき自分は助けにも行けないんだからな」
「……なるほど、やっぱりタオがオオカミっぽいっていうのはあながち間違いじゃなかったのね」
ようやく落ち着きだしたレイナが本気か冗談かよくわからない納得の仕方をしながら頷いた。
「そういう話じゃねえだろ!」
「静かに! ヴィランがいる」
相変わらずオオカミ扱いに不満を零すタオをエクスが小声で制する。エクスが示す方向には確かに何体ものヴィランが跋扈しており、その後方に村らしきものも見える。どうやらここがカオステラー・アーネストの根城で間違いないらしい。
「なるほど、ああして村の周りを守ってるってわけね」
「だったらどっかしらを突破するだけだろ」
「そうだね。案内してくれてありがとう。危ないから君もカリーネ達の所に戻っていてくれないか」
エクスがそう言うとここまで先導してくれたオオカミはまるでお辞儀するように頭を下げ、音もなく草木の間をすり抜けながら山の奥へと戻っていった。それを見届け、エクスは『導きの栞』を持ち『空白の書』を開く。
「それじゃあ行こう! ふたりとも!」
エクスの体を光が包み、その姿をヒーローの者に変えていく。
「ええ!」
「おう!」
エクスの呼びかけに応じ、二人も栞を『空白の書』に挟む。コネクトする際の光に気がついたヴィランたちが一斉に3人の方を向く。襲いかかってくるヴィランたちを見据え、エクスは剣を振り上げた。
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