第1話 腹ペコ姫さま、少女と出会う 

「もう……だめ……お腹……空いた」

 とある深い森の奥。グゥゥという元気のない音と、少女の情けない呟きは森の静寂に空しく吸い込まれた。

「言わないでよ、レイナ。余計にお腹が空くから」

「おう、言ってやれエクス。だいたいお嬢が無計画にバカスカ食料食っちまうからだろって」

「そんな怖いこと言えるわけないだろ。タオが自分で言いなよ」

「聞こえてるわよっ」

 レイナと呼ばれた少女は相変わらず元気なく鳴るお腹を押さえながら、後ろを歩く二人を睨み付ける。空腹のためかいつもほどの気迫はないものの、睨まれた少年エクスは曖昧に愛想笑いを浮かべて誤魔化し、エクスに耳打ちしていたタオはといえば、すっとぼけて明後日の方向を見上げている。

「姉御、あれ果物っぽくないですか?」

 一行の最後尾、タオの後ろからひょっこり顔を出した少女が左手側を指し、レイナを呼び止める。見れば確かに腰くらいの高さの低木に小粒だが赤い実が生っている。

「本当ね! お手柄よ、シェイン!」

 レイナに褒められ、ふふんと満足げに鼻を鳴らすシェイン。一方のレイナはというと歓声を上げながらシェインの指した方向へ既に駆け出していた。


 そもそもなぜ『調律の巫女』一行の4人は空腹に苛まれているのか。事の起こりはエクス達が今いるこの想区に辿り着いた辺りまでさかのぼる。直前までいた想区では連戦、激戦のためまともに休息を取ることが出来なかった。そのような状況で、次なる想区――カオステラーの気配があるこの想区に来てしまった一行は、一先ず体力を回復させなくてはということで、手持ちの残り少ない食料を殆ど食べ尽くしてしまったのだ。

 といっても大抵の場合はカオステラーが存在する想区に着けば、(不思議なことに)遠からず自然とその想区の主役ないし主要人物に出会うことができるというのが相場であった。人と出会えるならば近くに村や町があるはずであり、詰まるところ食料の補充に困るということは本来あまりない筈なのである。そういった経験から来る見積もりの甘さもあったのだろう。戦闘と調律を終えて疲弊したレイナのいつにもましたパクつきっぷりを窘める者はいなかった。

 しかし予想に反して森が深いのか、誰と出会うこともなく一晩過ぎ、二晩が過ぎた。そうこうしている間に食糧は尽き、一行はもう丸二日間水以外何も口にしていないという有様である。普段クールを自称するレイナが食べ物を見つけてはしゃいでしまうのも無理のないことだろう。

「あの元気はどこから出てきたの?」

「まったく同意だが俺らも早くいかねえとお嬢に食い尽くされちまうんじゃねえか?」

「姉御は優しいのでシェインの分は残してくれるはずです。きっと」

 あまりの空腹からか若干ポンコツ化しつつあるレイナへの不安感を三者三様に呟きつつ3人も赤い実の木の方へと向かう。

「見て見て!たくさんあるわよ!」

 久しぶりに満面の笑みを浮かべたレイナが後から来た3人の方に首だけ振り返り、言葉のとおり見よとばかりに赤い実の生る木に両手を広げる。背の高い2本の木の間に生け垣ほどの高さの低木が数本並び、鈴なりの真っ赤な実がそこかしこから顔を覗かせている。空腹の4人にとっては堪らない光景であり、レイナなどその広げた両手で今にもその木を抱き竦めんばかりである。

「じゃあ早速……」

「あっ、ずるいやレイナ!」

「言わんこっちゃない」

「姉御。シェインが、シェインが見つけたんですよ?」

 ひょいっとすばやく一房もいだレイナがその赤い実を口に運ぼうとしたとき、奥の藪の向こうから何やら大きな音が近づいてきた。そして瞬く間にすぐ近くまで迫って来たかと思うと――――

「どいてどいてぇー!」

 一人の少女とオオカミの群が藪も赤い実の木も踏み越えて疾走してきた。あまりの急な出来事にレイナは思わず後ろに倒れてしまう。同時にその手から零れた赤い実は地面に投げ出され、オオカミたちの行軍に蹂躙された。

「「「「あ……」」」」

 4人の声が綺麗に重なり。全員の視線がなぎ倒された実の生る木と、無残に潰れ地面に張り付いた実を経由して現れた少女に運ばれるという同じ動きをする。擬音にするなら一つはギロリ。残り三つはそのままソロリとレイナの様子を窺う。

「ごめんね! 怪我無い?」

 急制動でブレーキを掛け反転した少女がへたり込んだままのレイナに問いかける。改めて少女の格好を見やると、携えた弓、狩猟民族のような服装、頭に被ったオオカミの毛皮、なによりオオカミの群を引き連れているという異様さである。

「あのさ、キミ……」

 思わず口を開いたものの、エクスは次の言葉を選べなかった。ようやく出会えたこの想区の主要人物らしき少女であるが、今しがたの出来事を無かったことにして話を進めてしまって良いのだろうか。主にレイナのご機嫌という面で多分に懸念の残る選択肢である。

 こういうときに空気を察して場を動かしてくれるのは年長者であるタオだ。

「お嬢、どうする?」

 少女の登場に比べたら、空腹の件など取るに足らない事だとでも言うかのような調子のタオの問いに、レイナも幾分落ち着きを取り戻したのか立ち上がり言う。

「あの子をひっぱたいてから、食べられそうな所をより分けましょう……!」

 訂正。その眼光は未だ食べ物の恨みは恐ろしいと周囲に知らしめんばかりの鋭さである。

「ああ! アイツら来る! キミたち下がって!」

 不意に少女がエクスやレイナ達の後方、今ほど自分がやってきた方角を見据えてそう言い放つ。ハッとして4人が後ろを振り返ると、先ほど少女とオオカミが現れたときよりも大きな物音、加えて唸り声のようなものが聞こえてくる。いままで幾度となく感じたその気配の主は、間違いなくこの世界の歪みの具現たる存在であろう。果たして現れたのは予想どおりの黒い怪物――ヴィランだ。

「後ろからヴィランです!」

 物音に対し既に銃を抜いていたシェインは、その異形の怪物の姿を認めるやいなや素早く武器を収め本と栞を取り出す、という一連の動作を流れるように行いながら、全員に呼びかける。

「とうとうお出でなすったか!」

「レイナ!」

 エクスとタオも同様に自分の『空白の書』と『導きの栞』を構える。

「……ヴィランを倒してからあの子をひっぱたいて、それから食べられそうな実を探すわよ!」

 当然ではあるがレイナが『調律の巫女』としての使命を最優先したことに内心ホッとしながらそれぞれの『空白の書』に栞を挟み込み戦闘態勢をとる。

「ボクちゃんと言った! キミたち怪我する知らない!」

 オオカミの毛皮を被った少女は、エクス達がどうしてこの怪物達と戦えるつもりなのか不思議でならないといった様子でそう言いながらも自分の弓を引き、4人と共に戦う体勢をとった。

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