第17話 火星から生還

処置室のベッドで目を覚ました。

淡い色の壁に囲まれたこの空間に、守られているような安心感を覚えた。


まだ少し、めまいの余韻があったが、気分はそれほど悪くなかった。

あ、腕のタトゥが消えてる!

もしかして、オレ、元にもどったのか?


火星から、無事、生還したんだ。


それほど、オレは心細かったのだ。

嬉しすぎて、泣けてきた。



「アタエ シンジね」

聞き覚えのある声がした。

入口に立つ女性に目をやると、やはりマドカさんだった。

彼女がこちらにゆっくり歩いてくる。

鼓動が早くなるのがわかった。

処置室の灯りに照らされたマドカさんが、ベッドサイドに立っている。

体が元のオレに戻っても、近づかれただけで緊張するのは変わらなかった。


「どうしてオレのこと?」

オレはマドカさんに会ったことはあるけど、マドカさんは本当の姿を知らないはずだ。


「さあ・・・、どうしてでしょうね」

わずかに微笑む口元を、口紅が赤く強調していた。

「マドカさんがオレを助けてくれたんですか?」

「いいえ、ノドカとマミさんよ」

あ、マミがいるのか、ここに。

「おねーちゃん、ヨウちゃんたちもうすぐ着くって連絡があったわ」


「はじめまして、與 真心(アタエ シンジ)です」

「はじめましてじゃないのに、はじめましてって何か変ね、私、ノドカよ、マミさんもう来るんじゃない?」

「ノドカ、あなた、もう帰りなさい、送らせるわ」

「ええ、いやよ、ヨウちゃんに逢いたいもの」

「玄関に車を待たせてあるわ、行きなさい」


マドカさんの雰囲気は、相手に有無を言わさない圧倒的なものだった。


「もう、何で私ばっかり」

そう不満げに言葉を吐きながらも、彼女はしぶしぶ帰っていったのだった。


「もう、大丈夫そうね」

「あ、はい、起き上がれますよ」

一度、身体を横に向けようとするが、処置室のベッドの幅がせまく、仰向けのまま、ゆっくりと起き上がった。


「ヨウが来たら、マンションに戻りなさいって伝えて、もちろんあなたとマミさんもね」

「え、オレたちもですか?」

「ええ、清算はもう済ませてあるわ」

深夜もまわっているだろうからという、マドカさんの配慮だろう。


「ありがとうございます」

「また、逢いましょ」

マドカさんは、かすかに甘い香りを残して、処置室をでていった。

やっぱ緊張するなぁ。

マドカさんの前で緊張しないやつなんているのだろうか?


ホッとしたのも束の間、見覚えのある顔が迫ってきた。


「お、シンちゃんや~、俺、黒崎 陽(クロサキ アキラ)太陽の陽って書くねん、ヨウでいいで」

先ほどまでオレがその姿をしていた、ヨウという人物。その姿で、オレに馴れ馴れしく話しかけてくるのは、奇妙な感じだった。


あ、緊張しないやつがいたよ、ここに。


客観的に見ると、ますます非の打ちどころのない造形だ。

だが、彼のキャラとはギャップがありすぎのように思えた。


「あ、シンちゃん、マミちゃん忘れもんしてんて、すぐ来るで」

この男がずっと、オレの姿をして、マミのそばにいたのかと思うと、一抹の不安を覚えた。

「そや、シンちゃんの作ったハンバーグ、食わしてもろたで、ごちそうさん、めちゃ旨かったわ」


不安は一気に増したよ。




「あ、マミさん、ねぇ、ヨウちゃんは?」

「え?先に入ったけど、すれ違わなかった?」

「そうなの?廊下ではすれ違わなかったわ、他には何人かいたけど」

「ノドカさんは帰るの?」

「そう、おねーちゃんの命令は絶対なのよ、ねぇ、ヨウちゃんにあとで電話するように伝えといてくれない?」

「わかったわ、ありがとうノドカさん、おやすみなさい」

「絶対よ、お願いよ、ヨウちゃんによろしくね、おやすみなさい」

彼女に手を振り見送ると、シンちゃんのもとへ駆けだした。




「シンちゃん!」

「マミ?!」


「良かった~、無事だった、やっと逢えたよ、シンちゃん、うれしい」

「マミも、大丈夫?色々大変だったね、ごめんね、オレもうれしいよ」

「なんで、別にシンちゃんは悪くないでしょ」

「まぁでも、オレ、すぐにマミに会いにいけなかったし」

「わたしが来たからいいでしょ、ねぇ、もう頭は痛くないの?」

「あ、そうだね、めまいは少し残ってるけど、痛みはもうないかな」

「シンちゃん、ご飯食べたの?」

「あ、マドカさんの付き添いをしたとき、お店で少しつまんだから大丈夫だよ」

「歩けそう?シンちゃん」

「たぶん、ね」

「肩、貸してあげるよ」

「いいよ、いいよ、そこまでしなくても」

「ダメだよ、まためまい起こしたら嫌じゃない」

「大丈夫だって、壁伝いに歩くから」


「あのー、お取り込み中、誠に申し訳ないんですけどー」


「あっヨウちゃん、いたのね、ごめん」

「マミちゃん冷たいやん、あんなに一緒に過ごした仲やのに」

「そうだ、ヨウさん、マドカさんがマンションに戻るようにと言ってました」


「もちろん、マミちゃんとシンちゃんもやろ?」

「はい、すみませんが、今夜は泊めていただいてもいいでしょうか?」

「マドカの命令は、絶対やからなぁ」

「ありがとうございます、あ、マミ、オレちょっとトイレ行ってくる」

「大丈夫?付き添った方がいい?」

「いや、平気、待ってて」

二人だけを残すのは少し嫌な気分だったけど、ずっとトイレに行っていなかったので、もう膀胱が限界だった。

「あ、そうだ、ヨウちゃん」

「はいはい、マミちゃんなんでしょう」

「ノドカさんが、絶対絶対電話欲しいって、あとでいいからって」

「なーんや、そうか」

「ちょっと~、絶対電話してあげてよね、わたしが怒られちゃうよ」


「ノドカはいっつも怒ってるからなぁ、ぜんぜん怖ないわ」

「そう?でも、ノドカさん、さっきはごめんなさいってちゃんと言ってくれたよ」

「へー、大人になったな」

「そういう言い方はないでしょう、ノドカさんはヨウちゃんのことが大好きなのよ」

「うん、知ってるで」

「知っててあの態度なの?」

「うん、だってノドカの気持ちには俺、答えてあげられへんからな」

「なるほど、必要以上に優しくしない、優しさっていうやつね」

「さすが、マミちゃん大人~」

「なんだろう、少しイラってしちゃうわ」

「なんでやねん、褒めてるやん」

「あ、わたしもお手洗い行きたくなっちゃった」

「付き添ったろか?」

「間にあってます」

「その断り方って、正解なん?」


「ただいま、マミ、ヨウさん」

「おかえり、シンちゃん、今度はマミちゃんがトイレやて、俺、車回してこよか?あ、カギ、マミちゃん持ってるやん」

「そういえば、ここって関西なんですか?」

「いや、俺が関西弁なだけ」

「オレたちの家からはどのくらいかかったんですか?」

「車で2時間半かかったなぁ、かなり飛ばしたけどな」

「ヨウさんが運転を?」

「そやで、ま、ナビに案内してもろたけどな、途中まで」

2時間半、いや、それ以上、ずっとマミはこのヨウって人と一緒にいたわけか。


「マミ、すぐに、オレじゃないってわかったんですか?」

「そやな、わりと早かったな、俺の方が受け入れるのに時間かかったわ」

「まぁ、そうですよね、オレも未だに信じられませんから」

「そやな、でも、ま、シンちゃん、元にもどったんやし、明日には元通りやで」

「そうですね、まるで悪夢を見てるようでしたよ」


「お待たせ、シンちゃん、ヨウちゃん」

「運転しよか?俺」

「ううん、また意識失っちゃう可能性は否定できないから、わたしが運転する、目的地の設定だけお願い」

「わかった、ほな、帰ろか」


ヨウさんのマンションでシャワーとベッドを借りて、その夜はぐっすりと眠ることができた。




「おかえりなさいませ」

「明日・・・、もう今日ね・・・、お見舞いに行くわ」

「かしこまりました、手配しておきます」


「あなたも休んで、おやすみなさい」

「おやすみなさいませ」



今はまだ、いってはダメよ、もう少し、もう少しだけ待って。





















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る