第4話 暴れだす好奇心
「……そう、そして今ここに、我らの方舟は動き出したッ! 既にこれは神の領域、我らの手こそ神の導き! 諸君、共に祝おうこの夜をッ!」
巨大なスクリーンを前に、一人の男が絶叫する。汗を振り撒き眼鏡を曇らせ、けれどもどこまでも夢見るようなその瞳。男を舞台の下から見守っていた観客達は、割れんばかりの歓声を上げる。
薄暗いはずの地下は清潔な白い光で煌々と照らされ、人々の熱気でどこか蒸している。手に持ったグラスを高々と掲げて、全員で赤いワインをごくりと飲み干す。
それから、人々はいくつかのテーブルに分かれて談笑を始めた。料理を突きながらそれぞれのレポートを見せ合い、議論を交し合う。その間にもスクリーンには様々な少年少女の写真と、事細かな字で書かれた“研究の成果”が流れていく。
「これが、お前の望んだことかね」
ワインを無造作に注いでいたハクアスは、右から掛けられた声に微笑んだ。彼の隣に立っていたのは長く白い髭を蓄えた、魔法使いのような老人だった。
「やあ、ブルカニロ博士。どうでした、僕の作品は」
老人の目は長い眉毛に埋もれてしまって見ることが叶わない。ハクアスはどっぷりと注いだワインを煽ると、老人のグラスにもボトルを傾ける。
「本当ならね、奥歯に加速装置のスイッチとかも仕込みたかったんだけど。残念なことに、エルバスの作ったそれはまだ理論上のものだ。それを搭載するには、筋肉や皮膚、まるごと改造しても可能かどうかわからない。せっかく作った子が一瞬で灰になっちゃ、悲しいからね」
「……悪魔の所業だ」
「いいや? 貴方も惹かれたからこそ、今日の会に参加してくれてるだろう。見ただろう? 僕の子たちは大絶賛だった。なにせ見た目はほとんど普通の人間と変わらない兵器だもの、その価値ははかりしれない。どうだった? 父親として、鼻が高いかな?」
「ハクアス」
老人はため息を一つついて、配られた資料とモニターを見やる。そうして首を振って、ただじっとハクアスを見つめるのだった。
「……気に入らない?」
「ハクアス。私の言いたいことがわかるね」
「でも博士。貴方だって、好奇心があるだろう? それを放し飼いにしてごらんよ、なんの責任ももたずにさ。ほら世界はこんなにも美しいことに気付くはず。それは他でもない、父さんが教えてくれたんじゃあありませんか」
「確かに、私は好奇心を育てろとは言ったがね」
「親の教育ってものは、ずっと染み付いているありがたい呪いなんですよ」
「もういい歳だろう。物事の分別もつくと、思っていたけれど」
「子どもはいくつになっても親の子。その関係はどう足掻いても変えられない。第一、悪だというんですか? この結果を?」
老人はゆっくりと首を振った。ハクアスは知っている、彼もまた、瞳の奥に底知れない好奇心という魔物を飼っているのだ。くだらない道徳心なんかでそれを飼いならし、えさもやらずに殺そうとしている。なんて愚かなことなのだろう。
「……この子どもたちの未来はどうなる」
「方舟にのった救世主として活躍するか、共和国側の兵器になるかどちらかでしょうね。今はまだ、この世界には戦争の火種すら見つからない平穏な時間。けれどもほんの一粒で世界は見る間に姿を変える……僕はどちらでも、とても面白いと思うけどね」
「ハクアス」
老人は声を強める。けれども、ハクアスの中に渦巻くものを見てしまったかのようにそっと視線を落とした。
「戦争すら、お前の好奇心を満たすための遊びか」
「たぶんね。ブラックゴーストに憧れてるから。……ねえ父さん、何故褒めてくれないんです? あなたもかつて、様々な実験を行いましたよね。その父さんが、何故」
ハクアスは高い身長から老人を見下ろす、見下す。いよいよ持って老人は長い髭に顔を埋め、ただじっと床を見つめるのみ。
そんな歪な親子の下に、カツカツとヒールの音が近寄ってきた。ハクアスが振り返ると、一人の女性が微笑みながら足を進めている。赤い外衣を羽織った女性は、決して若くはないがまだまだ瑞々しい肌を輝かせ、インクブルーの髪を美しく靡かせる。
「ハクアス。ファザコンもいい加減にしてくれないかしら」
女性は老人とハクアスの間に入るとそのままきつい目を向けてくる。けれどもハクアスはまったく気にせず、彼女の目よりも視線を落とした。決して萎縮したわけではない。
「やあフィリフィ女医、相変わらず美しい。そのくびれなんか、到底子どもを産んだとは思えないスタイルですね」
「今度はセクハラ? 未だに学校にいたら会議に掛けてみせるわよ」
「貴女がそんなにもキュッとしたセクシーな腰を見せ付けるからですよ。男なら誰だってそう言います」
「ハクアスは少年にしか興味がないと聞いていたけど」
「あの子はそういうものじゃない。それに僕にだって、普通の男としての興味関心はありますよ」
「それで今度は、あの例の少女に?」
「……うん?」
女性──フィリフィの言葉の意味がわからず首を傾げるハクアスに、彼女はため息をついた。しかしすぐに笑みを浮かべ、その手を取って歩き出す。……立ち尽くす老人を置いて。
「そのお気に入りの少年はいつ私に会わせてくれるのかしら」
「レイン君? 駄目だよあの子は。絶対に秘密」
テーブルからグラスを一つ持ち上げ、ハクアスは自分の喉に流し込む。隣でフィリフィは手をひらひらさせてから、だからモテないのよと呟いた。彼女もグラスを取り、煽る。
「僕の秘密を知りたいならね、貴女も見せてくださいよ。長年の研究の成果をさ。確かご子息はメルなんちゃって名前でしたよね?」
「……まだ人前には出せないわ」
「今日はどうしたんです?」
「妹と留守番させてるの」
「へええ、初耳だ。二人目、いつ産んだんです?」
ハクアスは目を皿にして、不躾に彼女の体を眺めた。フィリフィは眉間に皺を寄せることもなく尖ったヒールでハクアスの脛を蹴り飛ばす。蹲ったハクアスを見て、フィリフィは笑った。
「私の子じゃないわ、最近拾ったのよ。宝石みたいに綺麗な女の子なの」
「ふうん、益々興味がありますねえ……いてて」
「でもその子も連れ出せないわ。見たいなら貴方が来なさいな」
「えー、やだなあ。チャルモ村って相当田舎じゃないですか」
「ハクアスの好きなエルバスの資料が沢山残ってるけど。まだ見たことないと思うわよ」
「あぁ。それはいいね。僕が死ぬ前に行くとするよ」
「死ぬ?」
「近々ね。病気なんだよ、僕……」
見下ろすフィリフィの顔に過ぎった表情を見てハクアスは立ち上がり、一歩下がった。
「……そんなに面白そうな顔しないでくださいよ。僕は自分の体は自分で研究するし、間に合ってますから」
「あら、怯えるなんてらしくない」
「貴方の好奇心は、僕の美学に反するところがありますからね。ここの連中もそうだけど、僕はバラすより増やすほうが好きだし、外見も人間のまま色々考えるのが楽しいんだ。人間の皮を被ったなんとやらを実際に作るって、ほらわくわくするでしょう? 過程では必要だけど、完成体を姿まで完全なバケモノにしちゃ意味がない」
ちらりとスクリーンを盗み見て唇を尖らせると、フィリフィはくすくすと笑うのだった。
「安心して。ハクアスをそんな風にしないわ。貴方にかまけるより、もっと興味深いものに携わることができたし……しばらくはその過程を見るので精一杯。」
「なんです?」
「ほら、あの例の少女よ。貴方が秘密を教えてくれたじゃない。少しだけでも触れたあの力は忘れないわ。私の研究にとても役立つものをくれるでしょうね」
「僕が、秘密を──?……ん?」
そんなことあったっけ。
そもそも誰の秘密を知ってたっけ。
考えるうち、すぐにハクアスは答えを探し出した。
「フェニモールのことですか?」
「そうよ」
「秘密ってなんのことです?」
「とぼけないでよ」
フィリフィは声を落とし、艶めく唇を寄せて囁く。フェニモールの正体と、その力について。
心底驚いたのはハクアスだ。
「……どうして、それを」
「やだ、貴方が教えてくれたんじゃない。まさか覚えてないの?」
「……覚えてない。彼女になにをしたんです? なにかしましたよね? ねえ?」
「ロリコンが目覚めたわね、そんなに焦らなくてもそのうちわかるけど……」
フィリフィは赤い外医のポケットから小さな電子器具を出すとハクアスに握らせる。レポートのデータが入っているようだ。
「私としては、とても面白い実験なんだけれど。……まあ、そんなに青い顔をして。本当に覚えてないのかしら? お酒なんて入ってなかったでしょ?」
──貴方、本当に好奇心に食われてしまったのね。
フィリフィは笑いながら去っていく。ハクアスは一人、手の中の電子器具を見つめた。
久しぶりに、心臓がごとごとと動いていることに気付く。除々にその鼓動は速くなり、ハクアスは弾かれたかのように走り出した。
あのフィリフィ女医が満足し感心を持ち続けている。それだけで、それだけで。
体中の血液が逆流したかのような不快な焦燥感に、ハクアスは踵を返す。
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