第10話
五人が門扉をくぐり抜ける。そこにあったはずの
邪気と瘴気に満ち満ち、常人ならば卒倒してしまいかねない負の濃度。
静まり返った門の外とは裏腹に、
「今ならまだ引き返せるぞ」
「ロビン、まだそんな事言っているの。さあ終わらせましょう、何もかもを」
緑帽に緑服、五人は背丈の差こそあるものの、同じ色、同じ素材、
「……こうやってお揃いだと、まるで森の人になったみたいですね」
「みたい、じゃなくて、もうとっくにお前たちは森の仲間なのさ。ロビン・フッドと
シェインとロビンのやり取りを聞いたレイナが、ふふ、と笑みを漏らす。油断しているわけでは決してない。五人は思いを共有していた。この五人ならば必ず負けない、と。
大小のヴィランなど、彼らにとっては、もはやものの数ではなかった。
ビーストヴィランを払い、ウィングヴィランを
「ロビン! 入口はそっちじゃないよ!」
「いや、こっちでいい。このまま前進だ」
「……どうやら、ここにお邪魔するのは初めてではないようですね」
ロビンは少しだけ笑みを見せると、レイナとシェインを先に登らせ、自ら
「このようなことをするのは
教会らしさも一応あるが、貴族の屋敷だと言われても特に違和感はない。あまりに派手な意匠と、堂々と言うより、もはや傲慢さすら抱えた風格の建築物。特権と重税に守られたこの想区の教会は、まさしく腐敗の象徴と言えた。柔らかな毛織物が、
ヴィランたちの乱痴気騒ぎ空間と化した聖堂の
「あの雰囲気……ただ者じゃないわね」
「……強そうです」
「あの立ち姿、元はおそらく騎士だろう。悲しいかな、あのような姿に成り果てるとは」
「ヴィランになってしまったら、それはもう人間じゃない。本能と悪意のまま暴れまわる、獣みたいなものだよ」
「へっ! 今となってはただのデカいヴィランだ。叩き潰してやるぜ!」
人数をかけて攻撃を仕掛けるが、ことごとくはじき返されてしまう。漆黒のヴィランは、戦いというものをよく知っていた。後ろに回り込もうとしても、他のヴィランや建物を利用し、決して背後を取らせない立ち回りを見せる。もはや人語を介さず、醜き姿に成り果てたとしても、騎士としての闘争の本能だけは失っていなかった。
ヴィランの力強い咆哮。大きく耳障りな鳴き声をあげ、メガ・ヴィランが助走をつけて突進を仕掛ける。
ヴィランが勢いのままに聖堂の壁に激突し、轟音が響く。
そして、その一瞬前、擬音では到底表現できない、何とも形容しがたい、ある種、とても
ロビンは確かに、突進するヴィランをすんでのところでかわした。かわしたが――ヴィランが手に持った楯が、ロビンの左肩を押し潰していた。メガ・ヴィランとその楯、そしてロビンの左半身が壁にめり込んでいる。ヴィランが全身を震わすと、建物が大きく揺れて軋み始め、やがて漆黒のヴィランが壁から抜け出す。同じく抜け出したロビンの左肩から下が、だらりと垂れる。鮮血が
「ああ、まだ大丈夫だ。まだ戦える」
そう口にしたロビンは、大丈夫からは程遠い顔をしていた。
気付けば、じりじりと押されていた。ロビンの攻撃力を失い、メガ・ヴィランの巧みな動きに翻弄されている。メガ・ヴィランだけではない。
ロビンは自らを守ることに精一杯で、エクスたちも黒い甲冑のメガ・ヴィランに決定打を叩き込めずにいた。騎士の形をしたメガ・ヴィランは、その巨大な楯と巨大な槍を、無秩序、無遠慮、無作法に振り回し、エクスたちのみならず、他のヴィランさえも容赦なく薙ぎ払う。それはまさしく、歩く暴力だ。
「おい、デカいの! こっちだぜ! 来てみろよ! ほら!」
唐突にタオが叫ぶ。突然駆け出したタオはメガ・ヴィランの脇をくぐり抜け、広間の端から端まで、斜線を描きながら走る。タオの瞳には興奮と高揚、そして何かわからない何かがあった。じろりとメガ・ヴィランがタオの方を見やったとき、その甲冑は既に、次なる標的を見定めたようだった。
「何考えてるんだ、タオ! 危ないよ!」
エクスの声に対し、タオは口角をにやりと曲げて笑った。
「へへっ、オレに任せな。オレ様にな」
メガ・ヴィランはロビンの肩を潰した時と同様に、タオへと向けて突撃する。凄まじい勢いでタオへと肉薄する
あと
「……なるほど」
今度はシェインが走る。丁度タオの対角線上に陣取ったシェインが、杖を手に魔法弾の雨を叩き込む。ヴィランは再び態勢を立て直すと――再度の突進。すんでのところでかわしたシェインが着地すると、ぽろぽろと崩れていた外壁が、今度はぼろぼろと音を立てて剥がれ落ちる。
次にレイナが注意を引きつけたとき、その意図を知らぬは、ヴィランだけだった。
三度目の轟音に建物がぐらぐら揺れる。みしみしと音をたてる。世界さえも揺れている気がする。何もかもが瓦解していく。物語の
「さあ――」
最後の仕事とばかりにエクスが声を張りあげようとしたとき、建物はもう限界を迎えていた。建物が、屋根が、
そのあとの崩壊の只中のことを、誰一人覚えていない。無我夢中の脱出だった。生きるという本能そのままの、ただただ、がむしゃらな脱出劇だった。
ただ覚えているのは、とにかく教会の外まで辿り着いたこと。そしてタオが、ロビンを引きずるように掴みながら脱出したこと。ロビンの左半身は血にまみれ、今なお、溢れ出す血潮は止まらなかった。
尖塔が音を立てて倒れ、つい先刻まで聖堂のあった場所に激しくぶつかる。太くて低い叫び声が一度聞こえると、全てが崩壊の中に沈んでいった。
黒き甲冑のメガ・ヴィランは死んだ。
五人は教会での戦いに勝利したのだ。
「レイナ! 早く、『調律』を!」
エクスの声に対し、レイナはじっと目を閉じていた。整った顔の眉間に、少しだけ皺が寄っている。世界の声を聴くように、細く白い首筋を伸ばして、僅かに顎を持ち上げる。目をつぶったまま、彼女だけに見える『何か』を視ている。
「……さっきのメガ・ヴィランは、カオステラーではないわ」
全員、レイナが何を言っているのか――まるで見当がつかなかった。口を開こうとしても、何も言葉が出てこない。魚のように口をぱくぱくさせるその姿は、平時ならば
「お嬢、冗談は――」
「本当よ」
轟音のあとの静けさ。事実、教会の庭のヴィランたちは弱ったり倒れたりしているが、まだ消え去ってはいない。まだ終わっていない。何もかも。
止血しようとしても、ロビンの血はとどまることを知らない。木の根を枕にしてぐったりと倒れている。
「ん……」
「ロビン……お嬢、すぐに回復してくれ! 頼む」
タオの声は、声というよりもはや
「……おまえたち……ありがとう」
ぼそぼそと途切れ途切れの声が力無く発せられる。レイナが回復を開始するが、その命を救うことができるか、定かではない。苦悶の中に見開かれた瞳の先には、瓦礫と化した教会があった。そこには何もない。瓦礫と破壊の
「なあ……そこに……」
血が、血が肩口から流れる。木の根に
ウィル、赤服のウィルが瓦礫の中に立っていた。
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