第10話

 五人が門扉をくぐり抜ける。そこにあったはずのかんぬきは壊れており、歪んだ門は軋みながら気怠げに開く。

 邪気と瘴気に満ち満ち、常人ならば卒倒してしまいかねない負の濃度。

 静まり返った門の外とは裏腹に、悪鬼ヴィランどもは既にひしめき、一行を手ぐすね引いて待ち構えていた。

「今ならまだ引き返せるぞ」

「ロビン、まだそんな事言っているの。さあ終わらせましょう、何もかもを」

 緑帽に緑服、五人は背丈の差こそあるものの、同じ色、同じ素材、くすんだ緑色リンカーングリーンの森の服を揃って着用していた。それは、まさしくシャーウッドの森の正装。レイナとシェインには少し大きいのか、裾を括って結んでいる。濡れた服は洞穴どうけつに置いてきた。

「……こうやってお揃いだと、まるで森の人になったみたいですね」

「みたい、じゃなくて、もうとっくにお前たちは森の仲間なのさ。ロビン・フッドと愉快な仲間たちThe Merry Men、だ」

 シェインとロビンのやり取りを聞いたレイナが、ふふ、と笑みを漏らす。油断しているわけでは決してない。五人は思いを共有していた。この五人ならば必ず負けない、と。


 大小のヴィランなど、彼らにとっては、もはやものの数ではなかった。

 ビーストヴィランを払い、ウィングヴィランを穿うがつ。冷静かつ大胆に、鬼神きしんめいた動きをするロビンの側で、四人が全力でサポートする。ヴィランで満ちた海を渡るように、隊伍ごにんはじわじわと館に近づきつつあった。

「ロビン! 入口はそっちじゃないよ!」

「いや、こっちでいい。このまま前進だ」

 やかたに近付くと、ロビンは勢いのままにヴィランを足蹴あしげにして踏み込み、尖塔に向かって縄ばしごを投げつける。がちりと音がして、縄ばしごの先は完璧に手すりに嵌まっていた。

「……どうやら、ここにお邪魔するのは初めてではないようですね」

 ロビンは少しだけ笑みを見せると、レイナとシェインを先に登らせ、自ら殿しんがりを務める。そのまま屋根の傾斜を駆け登ると、ロビンは素早く手元で十字を切り、勢いをつけてあざやかなステンドグラスを蹴破る。

「このようなことをするのは本意ほいではないが……急ぎの用ならば神もお許しくださるだろう。さあ、この下が大広間だ」


 教会らしさも一応あるが、貴族の屋敷だと言われても特に違和感はない。あまりに派手な意匠と、堂々と言うより、もはや傲慢さすら抱えた風格の建築物。特権と重税に守られたこの想区の教会は、まさしく腐敗の象徴と言えた。柔らかな毛織物が、足下そっかに広がっている。

 ヴィランたちの乱痴気騒ぎ空間と化した聖堂の最奥さいおう、そこにはひときわ大きな騎士が佇んでいた。漆黒の甲冑を身にまとったメガ・ヴィラン。

「あの雰囲気……ただ者じゃないわね」

「……強そうです」

「あの立ち姿、元はおそらく騎士だろう。悲しいかな、あのような姿に成り果てるとは」

「ヴィランになってしまったら、それはもう人間じゃない。本能と悪意のまま暴れまわる、獣みたいなものだよ」

「へっ! 今となってはただのデカいヴィランだ。叩き潰してやるぜ!」


 人数をかけて攻撃を仕掛けるが、ことごとくはじき返されてしまう。漆黒のヴィランは、戦いというものをよく知っていた。後ろに回り込もうとしても、他のヴィランや建物を利用し、決して背後を取らせない立ち回りを見せる。もはや人語を介さず、醜き姿に成り果てたとしても、騎士としての闘争の本能だけは失っていなかった。

 ヴィランの力強い咆哮。大きく耳障りな鳴き声をあげ、メガ・ヴィランが助走をつけて突進を仕掛ける。跫音きょうおんに屋内が震えた。質量を伴ったその攻撃は、すなわち巨大な破壊の塊そのものだ。大剣を振りかぶったエクスを赤子あかごのように吹き飛ばし――そのまま壁際のロビン目掛けて突き進む。

 ヴィランが勢いのままに聖堂の壁に激突し、轟音が響く。

 そして、その一瞬前、擬音では到底表現できない、何とも形容しがたい、ある種、とても原始的プリミティブな異音がした。肉が潰れ、骨が砕ける音。致命傷の音。

 ロビンは確かに、突進するヴィランをすんでのところでかわした。かわしたが――ヴィランが手に持った楯が、ロビンの左肩を押し潰していた。メガ・ヴィランとその楯、そしてロビンの左半身が壁にめり込んでいる。ヴィランが全身を震わすと、建物が大きく揺れて軋み始め、やがて漆黒のヴィランが壁から抜け出す。同じく抜け出したロビンの左肩から下が、だらりと垂れる。鮮血がこぼれ、危険な勢いで流れ始める。これではもう弓を手に取れない。それどころか、立っているのもやっとだ。

「ああ、まだ大丈夫だ。まだ戦える」

 そう口にしたロビンは、大丈夫からは程遠い顔をしていた。


 気付けば、じりじりと押されていた。ロビンの攻撃力を失い、メガ・ヴィランの巧みな動きに翻弄されている。メガ・ヴィランだけではない。ビースト騎士ナイト飛行ウィング幽霊ゴースト、あらゆるヴィランが入り乱れる戦い。そんな中で、疲労と傷だけが増えていく。

 ロビンは自らを守ることに精一杯で、エクスたちも黒い甲冑のメガ・ヴィランに決定打を叩き込めずにいた。騎士の形をしたメガ・ヴィランは、その巨大な楯と巨大な槍を、無秩序、無遠慮、無作法に振り回し、エクスたちのみならず、他のヴィランさえも容赦なく薙ぎ払う。それはまさしく、歩く暴力だ。

「おい、デカいの! こっちだぜ! 来てみろよ! ほら!」

 唐突にタオが叫ぶ。突然駆け出したタオはメガ・ヴィランの脇をくぐり抜け、広間の端から端まで、斜線を描きながら走る。タオの瞳には興奮と高揚、そしてがあった。じろりとメガ・ヴィランがタオの方を見やったとき、その甲冑は既に、次なる標的を見定めたようだった。

「何考えてるんだ、タオ! 危ないよ!」

 エクスの声に対し、タオは口角をにやりと曲げて笑った。

「へへっ、オレに任せな。オレ様にな」

 メガ・ヴィランはロビンの肩を潰した時と同様に、タオへと向けて突撃する。凄まじい勢いでタオへと肉薄する大鎧おおよろい

 あと半秒はんびょう遅れていたら死んでいた、そのタイミングでタオが身体をよじる。聖堂の壁に大衝突をヴィランがめり込み、破壊音が轟く。瓦礫が降り注ぐ。漆喰が音を立てて崩れる。

「……なるほど」

 今度はシェインが走る。丁度タオの対角線上に陣取ったシェインが、杖を手に魔法弾の雨を叩き込む。ヴィランは再び態勢を立て直すと――再度の突進。すんでのところでかわしたシェインが着地すると、ぽろぽろと崩れていた外壁が、今度はぼろぼろと音を立てて剥がれ落ちる。

 次にレイナが注意を引きつけたとき、その意図を知らぬは、ヴィランだけだった。混沌カオスの獣と化した彼らには、力はあっても知性はなかった。

 三度目の轟音に建物がぐらぐら揺れる。みしみしと音をたてる。世界さえも揺れている気がする。何もかもが瓦解していく。物語の終演おわりが近付いていた。

「さあ――」

 最後の仕事とばかりにエクスが声を張りあげようとしたとき、建物はもう限界を迎えていた。建物が、屋根が、はりが、床が、柱が、漆喰が、煉瓦れんがが、瓦礫が、ヴィランが、空気さえも揺れる。軋む。折れる。弾ける。そして崩れ落ちる。

 三隅みすみを破壊された聖堂は、轟音のままに崩壊を始める。


 そのあとの崩壊の只中のことを、誰一人覚えていない。無我夢中の脱出だった。生きるという本能そのままの、ただただ、がむしゃらな脱出劇だった。

 ただ覚えているのは、とにかく教会の外まで辿り着いたこと。そしてタオが、ロビンを引きずるように掴みながら脱出したこと。ロビンの左半身は血にまみれ、今なお、溢れ出す血潮は止まらなかった。

 尖塔が音を立てて倒れ、つい先刻まで聖堂のあった場所に激しくぶつかる。太くて低い叫び声が一度聞こえると、全てが崩壊の中に沈んでいった。

 黒き甲冑のメガ・ヴィランは死んだ。

 五人は教会での戦いに勝利したのだ。


「レイナ! 早く、『調律』を!」

 エクスの声に対し、レイナはじっと目を閉じていた。整った顔の眉間に、少しだけ皺が寄っている。世界の声を聴くように、細く白い首筋を伸ばして、僅かに顎を持ち上げる。目をつぶったまま、彼女だけにえる『何か』をている。

「……さっきのメガ・ヴィランは、カオステラーではないわ」

 全員、レイナが何を言っているのか――まるで見当がつかなかった。口を開こうとしても、何も言葉が出てこない。魚のように口をぱくぱくさせるその姿は、平時ならば滑稽こっけいだっただろう。

「お嬢、冗談は――」

「本当よ」

 轟音のあとの静けさ。事実、教会の庭のヴィランたちは弱ったり倒れたりしているが、まだ消え去ってはいない。まだ終わっていない。何もかも。

 止血しようとしても、ロビンの血はとどまることを知らない。木の根を枕にしてぐったりと倒れている。半眼はんめになったそのまなこから意志の光は消えていなかったが、その身体にはもはや何の力も残されていなかった。苦しみを帯びた声が漏れる。

「ん……」

「ロビン……お嬢、すぐに回復してくれ! 頼む」

 タオの声は、声というよりもはや慟哭どうこくだ。

「……おまえたち……ありがとう」

 ぼそぼそと途切れ途切れの声が力無く発せられる。レイナが回復を開始するが、その命を救うことができるか、定かではない。苦悶の中に見開かれた瞳の先には、瓦礫と化した教会があった。そこには何もない。瓦礫と破壊のあとしかない。つい先ほどまで教会だった何か。それしかない。

「なあ……そこに……」

 血が、血が肩口から流れる。木の根にこうべを乗せたロビンの肩から、血が流れる。ロビンの血は木の根の筋に沿ってゆっくりと流れ続け――その真っ赤な血の指し示す先もまた、赤かった。その血のように赤い人物、全身に赤い服をまとった人物がいた。

 ウィル、赤服のウィルが瓦礫の中に立っていた。

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