第4章

第9話

 エクス、レイナ、シェイン、タオ、そしてロビン・フッドの五名は豪奢ごうしゃな建築物の前に立つ。湿度の高いねっとりとした朝だ。

 ねばっこく絡みつく黒い瘴気が、歩を進めるごとに濃くなっていく。シャーウッドの森にほど近いこの大きな屋敷。ところどころに十字架のモチーフが見られる。そう、ここは教会だ。本来ならば、この場所でたくさんの兵隊たちがロビンを倒すべく待ち構えているはずだった。

 雨は止んでいるが風は強く、低く立ち込める暗雲がどこかへと流れゆく。


 夜が明ける前、一行は暗がりの中にいた。雨音はなお激しい。

「無茶です。あの数のヴィランをくぐり抜けて、おまけに敵の本拠地に攻め入るだなんて……無謀にもほどがあります」

 圧迫感のある細い洞窟に、シェインの声がか細く響く。ここはロビンの秘密の隠れ家。木の樹洞うろと岩の間の小さな隙間をくぐり抜けた先にある、狭小きょうしょうな空間。ランプの頼りない明かりが、すきま風を受けてゆらゆらと揺れている。

「さっき他の隠れ家も覗いてきたが……誰もいなかった。一緒に砦で戦っていた奴らすら、いなくなった……」

「ロビン、あまり言いたくはないけど、みんなヴィランにされちゃったんだと思う。ヴィランって、元はその想区の住人たちだから……」

「……そうか。ならばなお一層、俺は行かなければいけない。仲間のため、そして俺のために。行かなければ。確かめなければ」

 ロビンは座って弓弦ゆづるを張り替え始めた。

 全員、髪先から爪先まで濡れそぼっていた。雨水をたっぷりと含んだ衣服はかせのように重く、靴や裾には泥がね放題にねている。身体に冷たく張り付いたころもが、容赦なく体力を奪っていく。

「とはいえもう夜だ。出発は明朝にしよう。それまで身体を休めてくれ」

 女性レディたちは奥を使ってくれ、とのことだった。

 天井の低い洞窟には意外にも奥行きがあり、人一人分の通路を抜けるとちょっとした空間が現れる。ランプに火を入れると、麻袋や木箱に入った物資、弓矢や剣、そして藁とむしろと織物でできた、簡素な寝床を見て取れる。坑木こうぼくのようなすすけた木材に支えられた岩肌の中は、存外居心地が良さそうだ。レイナとシェインはふらふらと寝床へと入り込むと、そのまま眠ってしまった。


 気配とは時に音よりも雄弁である。音のない空間を空気が撫でる。鼻先が何事かを感知し、タオの目がパチリと開く。何事もない。エクスが隣で静かな寝息をたてているのがわかる。何事かがあるとすれば、ロビンが被っていた毛布が空になっていたことだけだ。

 まだ遠くに行っていない――さっき感じた気配がロビンならば、まだ近くにいる。ふくろうさえ眠ってしまうほどの、黒々とした夜更け。タオが音を立てないことを意識して移動していると、巨木の上に僅かに動く影が見える。

「……なあ、出発は朝になってから、確かにそう言ったよな」

 ロビンは黙っている。いつもの緑の服に革のベルトを強く締め、剣とナイフ、そして角笛を腰に帯びている。背中にはロビンの半身とも言っていい、おなじみの飾り付きの長弓と矢筒が見える。

 それはまさしく死地に赴く戦士の姿だった。

「お前たちに迷惑をかけたくなかった」

「そんなにオレたちのことが信用できないのかよ」

「これから向かう先には何百、もしくはそれ以上の化け物が潜んでいる。まさしく地獄だ。客人を死なせたとあっては『主役』の名が泣く」

 一拍置いて、

「何よりこれは俺の問題だ。蒔いた種は蒔いた者が刈り取らなくてはならない。元はと言えば、俺が教会の問題を先伸ばしてきたのが原因なんだ」

「オレは――もしオレが、狂った物語を『調律』する旅をしていなくて、この想区の住人だったら――もしかしたら森の仲間たちの一人になっていたかもしれない。

 それほど、あんたは強くて、カッコよくて、なにより気高い。本物の英雄だ。本物のヒーローだよ。だから、だからさ、そんな英雄が死ぬところなんて見たくないんだよ。

 みんなで狂ってしまった『物語』を壊してしまおう。みんなで本当の『物語』を取り戻そう。カオステラーなんてふざけた奴のことなんて、ぶん殴ってやろうぜ」

 ロビンは木の上で黙っている。静かな目をしていた。僅かな逡巡しゅんじゅんの色――少なくともタオにはそう見えた。

「どうせ一睡もしていないんだろ。ほら、忘れ物だぜ」

 タオがふところに手を入れて掲げると、ロビンの瞳が揺らめいた。ロビンは素早く頭部に手をやるが、そこには何もない。

 シャーウッドの森のシンボル。ロビン・フッドのトレードマークのひとつ。緑の帽子がタオの掌の上にあった。

「そんな大事なものを忘れるなんて――少しどうかしているな」

 そう言うと、ロビンは枯れ葉混じりの柔らかな土の上に、するりと着地した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る