第2話


 ものの数分ほどだろうか、エクスは幹にもたれて休んでいた。

 眼をつぶり、森の音色を四方八方から感じる。遭難しているにもかかわらず、こうしていると、とても居心地が良い。

 首のあたりに羽虫むしが飛んでいる。なんとなく感じる不快感が、首のあたりにあるのだ。羽音はしないけれど、虫か何かだ。追い払いたい。エクスが首周りを払いのけようとすると、不意に――硬く、冷たく、尖った何かに触れた。

 目を見開くと、弓を構えた男がすぐそばに立っている。

「……動くな」

 低く無骨な声が響く。音もなく、そして気配もなく、エクスの首筋にははがねやじりが押し当てられていた。首の一点を中心に、神経が凍りついたような感覚が、エクスの四肢を覆う。いつ現れたのか、どこから現れたのか、そんな疑問を挟ませるいとまも与えず、エクスの生殺与奪せいさつよだつは既に、かの者のたなごころの上にあった。

「待って」

 レイナが両手もろてを掲げ、無抵抗をアピールする。タオとシェインもそれにならった。エクスは動かない。いや、動けなかった。

 緑の帽子に緑の服。その瞳は、生来せいらいの狩人の目。暫時ざんじ、エクスを見下ろしたのち、男は黙ったまま長弓ロングボウをゆっくりともたげる。そのまま矢の切っ先をタオへと向け、強く引き絞った。

 その一連の動きはあまりにも素早く、四人はその動作を見とれるかのように、ぼんやりと眺めてしまっていた。男の弓から放たれた矢は、一直線にタオへと向かって飛翔し――そのままタオの耳をかすめて、ヴィランの額へと突き刺さる。

「ヴィラン!」

 タオがとっさに叫んだ。ヴィラン、狂った想区の狂った住人、カオステラーの走狗そうく。わらわらと現れた混沌カオスの手先たちが、波のように押し寄せる。

「タオ兄、大丈夫ですか」

「ああ、なんとか。ビックリしたけどな。緑の旦那、ありがとな」

「礼はあとでいい。囲まれている。お前たち、自分の身は自分で守れるか」

 緑の男の問いに、四人はヒーローの魂をもって答える。剣、楯と槍、両手杖、魔術書がそれぞれの手に握られ、物語の英雄たちの力が全身に――全身どころか得物の先の先まで――満ち満ちる。片手剣アタッカーエクスと楯槍ディフェンダータオが敵中に突っ込むのを合図に、戦闘が始まった。


 男が放った矢は、正確無比にヴィランの額に風穴を開けていく。力尽きたヴィランたちは砂のように崩れ落ち、紫がかった黒い霧となり、やがて大気に混じって消えゆく。

 矢が貫き、ナイフが払う。間合いと武器を自在に操る男の戦闘は、細やかで軽く、そして激しい。ブギーヴィランと男との戦闘は、あまりに一方的だ。

 小型ヴィランの群れを緑の男に任せ、エクスたちはナイトヴィランと対峙する。重く分厚い甲冑に身を包んだこのヴィランは、手に持った丸楯で攻撃をことごとく受け止め、無効化する厄介な相手だ。同じく大楯を持った楯槍ディフェンダーのタオがナイトヴィランの前に立ち、両者にらみ合う。

 タオは低く低く姿勢を保ち、相手との間合いを見定める。

「いつでもいけるぜ! エクス!」

「オッケー、タオ! しっかり踏みしめて!」

 そう言ってエクスは助走をつけ、大地を蹴り、低く構えたタオの肩をも蹴り、ナイトヴィランの頭めがけて大跳躍する。そして、空中でつるぎを上段に構え、眉間目がけて一思いに振り下ろした。

 兜を強く打たれたヴィランは、一瞬よろめくが、その攻撃さえをも強固な甲冑で跳ね返す。空中で行き場をなくしたエクスは、そのままバランスを崩しながら落下する。が、これは陽動フェイクだった。

「うしろに――私がいるわよ!」

 魔道書ヒーラーから大剣アタッカーへと『導きの栞』を切り替えたレイナの、後方からの急襲。背後に回り込んだ大剣が振るう鈍く重い一撃を喰らい、ヴィランの体勢が崩れる。

 前にエクスとタオ、後ろにレイナ。挟撃されたヴィランは横っ跳びに移動し、なんとか形勢を立て直そうとする――が。

「……シェインのこと、忘れてもらっては困りますよ」

 手ぐすね引いて待ち構えていた両手杖シューターシェインが、矢継ぎ早に魔力弾を叩き込む。ヴィランは全弾をその身体に受けて悶絶し、やがて動かなくなった。やがてその姿は、大気へ蒸発するように霧散する。


 残ったヴィランを殲滅し、武装を解く。ヒーローたちの力が身体から離れていき、自らの身体の感覚が戻ってくる。全身の軽さは抜けていくが、高揚感は未だ抜けきってはいない。

「さて、今回の『主役』のお出ましね」

 レイナが全身を緑に包んだ男に向き合うと、エクス、タオ、シェインも男の方を見やる。強さと速さを見せつけた緑の男も、ひと仕事終えて歩み寄ってきていた。男の手には素朴な飾りのついた長弓が握られている。

「いい一体感だ。ずいぶんと戦い慣れているな」

「あなたほどじゃないわ。とても強い」

「俺はこの森のことを知っている。丘に盆地、川に池、そして草木の一本一本まで。この森は俺の庭であり家なんだ」

 そこで、男は居住まいを正して緑色の帽子を取ると、四人に向かってうやうやしく一礼した。

「俺はロビン――ロビン・フッド。ようこそ、シャーウッドの森へ」

 そう言うと、ロビン・フッドは、木々の切れ目の赤みがかった夕雲に向かって、強く角笛つのぶえを吹き鳴らした。角笛に施された銀細工が、夕陽を浴びて輝く。

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