シャーウッドの森にて

上須ウエス

第1章

第1話

“Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.” ――Lucius Annaeus Seneca

運命は望む者を導き、望まぬ者をひきずる。


 木、木、木。

 コマドリがさえずる、広葉樹と針葉樹が混じり合った古い森。木々が太陽を遮り、仄暗ほのぐらく静かな空間を作り出している。ブナ、ヤナギ、ハシバミ、カエデ、マツ、様々な種類の木々が立ち並ぶ中、とりわけオークの木々は大きく、そして力強く、森を守る厳かな騎士たちのように静かに佇んでいる。

「……少し、休みましょう」

 レイナがそう言うと、皆が立ち止まる。そうだね、とエクスは返そうとしたが、乾ききった喉では上手く言葉を発することができない。思い返せば、いつも騒がしい四人がしばらく何も話していない。全員が黙々と歩き続けていた。誰かが、ひょいと投げてくれた水筒でなんとか喉を潤す。泉で汲んだ水は、すっかりぬるくなってしまっていた。

「やっぱ、お嬢の見つけた道を進んだのは間違いだったっぽいなぁ……」

 タオが座りながらひとりごちる。いつもの元気や威勢は、ない。

 森に呑まれてしまっている。迷子も何も、そもそも、どこへ行けばいいのかということさえわからないのだ。歩き始めたのはおそらく朝。森の薄暗さのせいで、あれから何時間経っているのか誰にもわからない。『沈黙の霧』を抜けて新たな想区へとやって来たときから、一行は既に深い森の中にいた。ここがどんな想区なのかもまだ明らかではないのだ。

「……でも、あれ以外に道はありませんでしたよ、タオ兄」

「それに先頭を歩いていたのはタオじゃない。人のせいにするのは良くないわ」

 口々に好き勝手言う面々から少し距離を置いて、エクスはオークの巨木に寄りかかり、腰を下ろす。見上げた幹は太く、長く伸びた枝のせいか、あたりは一段と暗い。

 決して陰鬱いんうつな、暗くおそろしげな森ではないのは確かだ。まれに現れる木々の切れ目には木漏れ日が差し込み、木々の緑は美しく鮮やか。それでも、あてもなく森をさまよい続けているこの状況において、誰もが苛立ちを隠せない。苛立ちと焦り、そしてこの森から出られないのではないかという不安が、歩を進めるごとに大きくなっていく。


「……レイナの姉御は、絶対にどこかへ行かないで下さいね」

 ぼそりと呟いたシェインの言葉に対し、ぎくり、という擬音が聞こえるかのように、レイナの足が止まる。いつの間にか立ち上がっていたレイナは、どこかへいざ進まん、と一歩を踏み出していたところだった。

「このタイミングで方向音姫はさすがにやめてくれよ。シャレにならないぜ」

「誰が方向音姫よ」

「今ここで迷われると、もはやシェインには手の尽くしようがありませんから、変な気を起こすのは絶対にやめてください」

「そう言われると意地でも動きたくなるわね」

 まあまあ、とエクスがなだめる。慣れない森歩きは、想像よりもはるかに過酷だ。長い間歩き続け、既に皆の全身に疲労が蓄積している。くだらない言い合いで体力を浪費している場合ではない。

「で、レイナ。どこへ行こうとしていたの?」

「ええ、見間違いであれば良いのだけれど……あそこの茂みが動いたような気がしたから」

「ヴィラン?」

「わからない」

 各々、既に臨戦態勢に入っている。エクスも『空白の書』を取り出し、襲撃に備える。ヴィラン、黒い化け物。『調律の巫女』あるところ、常に奴らあり。

 確かに、茂みは不自然に揺れている。緊張が空間を支配し、肌の上を殺気が走る。皆も息を殺して待機する。ヴィランとの戦いは常に真剣勝負だ。殺すか、殺されるか、その二つしかない。

 全員の身構えるタイミングはほぼ同じだ。これまでの戦いで培われた勘というものを、全員が共有している。

 ――来る! そう思った時、ごそごそざわざわと茂みが騒ぎ――やがて、がばりと音を立てて飛び出してきた。

「あら」

「……シカさんですね」

「なんだよー。驚かせやがって」

 茶色い小鹿はぴょこぴょこ軽快に跳ねまわり、やがて倒木に隠れて見えなくなった。

「もう少しだけ休んで、また歩こうよ」

 エクスを含め、全員、警戒を解いて再び座り込む。が、あまりゆっくりともしていられない。木から漏れる陽光が赤みを帯び、じんわりと傾きつつある。

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