天体のこと 後編

 校庭の隅に広げられたブルーシート。その上に大小さまざまな機械が置かれている。

 椅子や机も並べられていて、SF同好会の人たちが管制官よろしく通信装置らしき機械をいじっていた。ヘッドフォンマイクを装着している姿は実のところちょっとだけ格好いい。

 そうした機器類を遠巻きに囲ませているのは、この中で一番大きな機械……と言うのは間違いかもしれない。それの本体は機械装置じゃなくてペットボトルでできているのだから。

「SF同好会も味な真似をするな」

 パアァ、と顔を輝かせて壮月くんが僕の後ろを通りかかった。天文部が所有する観測機械を肩に担いでいて、それをSF同好会の人たちの邪魔にならない場所に設置していく。

「ペットボトルロケットって天文学と何か関係あるの?」

「ロケットだぞ」

「そこだけ?」

「日本の宇宙研究はペンシルロケットから始まったのだ。先人たちの業績を模倣するのは悪くない。我が部は観測には長けているが、こうした実践をするだけの設備も技術もないからな、これはいい経験になるぞ」

 嬉々として準備をしていく壮月くん。楽しそうでなによりだ。

 一方、オカルト同好会はと言えば、坂東さん以下数名の会員たちが同じく準備を見守ったり手伝ったりしている。彼らのうち何人かは天文部と兼部しているという人たちだろうか。

「長月くん、お茶ー」

 その中で、夏の浜辺にでもありそうなビーチチェアに寝転がってくつろいでいるのが一人。

「茶葉は何がいいかね?」

「なんかセンスいいので」

「では国産の青汁をいれよう。力が出るよ」

 長月くんのセンスは程良くイカレてらぁ。

「実験主任が呑気にお茶淹れてていいの?」

「朝野くんは今回のメインエンジンだからね、メンテナンスはおろそかにできないよ」

 後ろで、まずいー、なのにもういっぱいー、と朝野さんが身もだえしている。

「さっそくエンストしかけてない?」

「健康には良いから大丈夫さ」

 それで大丈夫なんだろうか。


 準備が整うと、全員を代表して長月くんがみんなの前に出た。

「さてさて、本日は我がSF同好会主催の実験に参加・協力していただき誠に感謝するよ。本日はこちらのロケットを用いて、ちょっと軽く大気圏外まで行っちゃおう、というのが主旨になるね。その際、ついでに観測衛星もポイっと投射して、天文部とオカルト同好会の確執も解消できたらラッキー、という算段だ。何か質問は?」

 気になったことがあったので僕は挙手した。

「はい、そんな簡単に宇宙にいけるものなんですか?」

「行くだけなら難しくはない」答えたのは壮月くんだ。「風船宇宙撮影なら予算五千円で済む。NASAやJAXAがやっている本格的なものは、重い機械や人間を載せて運ぼうとするから金も苦労も桁違いになっているのであって、小規模なら学生の手作りでも何とかならなくもない」

「今回搭載しているものはそんなに重くはないからね、たぶん問題ないよ」

 推定文を入れられると不安になるからやめてくれないかな長月くん。

「もっとも、水の噴射による作用反作用を利用したペットボトルロケットでは、大気圏を突破するための力も速度もないが」

「その点に関しては、今回オカルト同好会に協力を要請しているよ。非科学的な力を借りることになるけれど、その点については了承してもらいたいね」

「仕方あるまい。そうでもしなければ無茶な話だ」

 壮月くんはしぶしぶ頷いた。

「他に質問はないかね? ない? それでは始めよう。坂東くん、朝野くんを少々お借りするよ」

「ちゃんと返してねぇ」

 ひらひらと手をふる坂東さんの横から、満を持して朝野さんが登場する。

「よーし、いっちょやりますかぁ!」

 肩をぐるんぐるん回して気合十分、前に出た朝野さんは、ふと立ち止まる。

「で、なにをすればいいの?」

「簡単なことだ」長月くんが丁寧に答える。「今回の実験に使うロケットは特注の多段式だが、壮月くんが言ったように宇宙へ到達するには力が足りない。そこで君に、そのためのパワーを注入してもらおう、というのだよ」

「つまり気合入れてあげればいいと?」

「入れてくれればいいよ」

 よーしわかったー、と朝野さんはストレッチでもするかのように腕を伸ばしたり飛んだり跳ねたりする。

「それじゃーいっくよー! さーみなさん、お手を拝借。そーれそれそれ、びびびびびびび」

 奇態な踊りのような無意味になめらかな動作をまじえつつ、朝野さんが超能力を出し始める。五段式になっているペットボトルロケットの各ブロックに注入された液体が泡立ち、なにがどうなのか理解できないけど凄そうなエネルギーが送り込まれている。らしい。

「ほーら! ほーら! こう、こ、こーう、こう? にゃにゃにゃにゃー!」

 朝野さんは手を変え品を変えて色々なポーズをとっていく。傍目には残念な女子にしか見えないけれど、それでちゃんと力が出ているのだからこの人も相変わらずおかしい。

「殻室内、圧力上昇」

「船体強度、異常なし」

「システム全てオールグリーン」

 計器をチェックするSF同好会の人たちが経過を報告する。いいなあ、無駄に格好いい。

「五〇、八〇、一〇〇、エネルギー充填一二〇パーセント」

「朝野くん、もういい、ストップだ」

「あいよー!」

 最後にくるっと横回転して朝野さんの注入ダンスは終わった。

「なんか今日は調子いいね! まだまだいけそうだよ!」

「青汁効果凄いや」

「それ以上やるとロケットが破裂するから落ちつきたまえ。ハーブティーはどうかね、心を落ちつかせる効果があるよ」

「わーいありがと。なんのハーブ?」

「紫蘇」

 梅干しの味ー! と長月くんから差し出されたカップに口をつけた朝野さんが飛び跳ねた。

「やれやれ、これで発射準備は万端だね」

「どうでもいいけどハーブティーじゃなくて梅昆布茶じゃないの? いや本当にどうでもいいんだけどさ」

 まあ朝野さんの出番はもう終わりだから問題ないか。

 会員たちからチェック終了の報告を受け取った長月くんは、両手を広げて僕らを見渡した。

「さあさあ諸君、お待ちかねのカウントダウンの時間だよ。三十秒前からはじめるからね。ではいこう。今ので数秒経過したから二十七からだ。二十五、二十四……」

「まだ持ち場に戻ってないぞ! 総員退避、退避ー!」

 壮月くんが慌てて天文部員たちを呼び戻し、彼らと一緒に観測体制に入る。

 坂東さんたちオカルト同好会も、今日の天宮図を広げて観測報告を待つ。

「十八、十七、十六」

「退避完了、いいぞ!」

「普通それ確認してからカウントだよね」

「十三、十二、十一」

「長月くーん、君も立ったままじゃ危ないよ~?」

「ははは、危険が危なくて空想科学はつとまらないよ」

「お前は今すぐ現代科学に謝れ!」

 ギャーギャー言いつつ、カウントが十を切ったところから、その場にいた皆が大なり小なり数字を声に出していく。

「九、八、七」

 SF同好会の人が長月くんを引きずり倒して安全を確保。

「五、四、三、二、一……」

 そして。

「「零ぉ!」」

 みんなの唱和のあと、ロケットは発射した。


 最初はロケットが大爆発したのだと思った。まるでダムから勢いよく水を流していたホースが、急にすっぽ抜けたかのように、大量の水しぶきが発射台の周りを駆け抜けたからだ。

 後から発射管制をしていたSF同好会の人たちに聞いた話だと、ロケットは粉微塵どころかヒビ一つなく、無事に離床できたらしい。そんなことを知らない僕らは、もうもうと立ちこめる水煙をビックリしながら見ていたのだけれど、そのうち誰かが空を指さして、そこに水柱を残しながら昇っていくロケットの雄姿を見つけた。

 だけど水柱は徐々に小さくなっていって、とうとう消えてしまい。と思うが早いか、ロケットの形が二つに割れて、また勢いよく水を噴射しはじめた。

「一段目、自動切り離し成功。二段目噴射開始します」

 管制からの報告を聞いて、長月くんはウンウンと頷いた。

「映像は?」

「問題ありません」

「よし。ちょっと皆、いいかい。貴重な打ち上げライブは見るべきだと思うのだが」

 僕らは管制班の机の周りに集まった。そこに置かれた機器が、ロケットの先端部に内蔵されたカメラからの映像を受信して、はるか彼方の空を映し出していた。

 いつもの見慣れた街並みがあるはずの、けれども見分けのつかない大地を下にして、間に雲の群れを挟み、上には青い空と光線を放つ太陽がある。

「ロケットは自動操作に入ったから、しばらくは暇だ。というわけで解説するけれど、このあと無事に宇宙へ到達できたなら、そこから衛星を射出して観測を開始することになっているよ。もっとも人工衛星に必要な第一宇宙速度は計算上どうしても無理だから、墜落するまでの観測時間はごく僅かになるね。とはいえオカルト方面の観測も可能な衛星は現在宇宙にはないから、成功すればこれが人類初となるわけだ。みんな誇っていいよ」

「誇りたくねぇ……」

 壮月くんが微妙な顔で呟いた。観測衛星として使われているのは天文部がコツコツ作っていた模型をベースにしたものだ。その中に観測機械と一緒に、オカルトグッズを詰め込まねばならなかった天文部の心境やいかに。

 ロケットからの映像は、さらに高空からのものへと変わっていった。もうすっかり町の形はわからなくなり、山や川といった地形の輪郭しか見ることはできない。遠くに見えるのは地平線か、水平線か。その空と地面の境界線はだんだん丸みを帯びていく。

「三段目、自動切り離し成功」

「軌道コースへの姿勢制御に移ります」

「さあ、そろそろだよ」長月くんは、楽しみを我慢するみたいに声を絞りだす。「大気圏の終わりまで、もう少し。各自、記録の準備は良いかな?」

 各々が頷きや、親指を立ててそれに応える。

「先にも行ったが時間は限られている。短い間に貴重なデータを有効活用して……」

 ところが。


 ゴ ン


「……あ、ん?」

 奇妙な音が、SF同好会の受信機械から聞こえた。

 同時に映像も途切れ、画面は真っ暗に。

 ぺらぺらと澱みなく喋っていた長月くんは、それと同時に黙りこくってしまった。長月くんだけでなく、SF同好会の人たちも、同じように無言になる。ただ、その手だけは何かを確かめるかのようにスイッチを押したり切ったり、無線周波数のダイヤルを回したりしていたけれど。かんばしい成果が得られていないのは、外野の僕らにもわかった。

「少し待ちたまえ」

 事態がよく呑み込めない天文部とオカルト同好会の面々を手で制しつつ、長月くんたちSF同好会は慌ただしく集まり、ヒソヒソと何事かを言い合いしはじめた。

「どうしたんだ、長月」

「や、これはなんと、したことか」

 釈然としない面持ちで、長月くんが僕らに振り向く。

「ロケットが落ちた」

「は?」

「正確に言えば、今現在絶賛落下中だね」

 落下中。ということは。

「失敗?」

「もう起動コースには戻せないから、客観的に見て失敗としか言いようがない。とは、いえ……」

 長月くんの言葉は歯切れが悪い。けれどそれは、打ち上げが失敗してしてしまったことによる決まりの悪さじゃなく、もっと別のことが理由のように思えた。

「原因は?」

「それなのだが」長月くんは一度、SF同好会の人たちと顔を合わせる。「墜落直前まで計器に異常は見られなかった。ジャイロも、姿勢制御も、推進部も。ロケットそのものが原因とは思えない」

「朝野が力を入れすぎてヒビでも入っていたんじゃないか」

「それがだね。問題が発生した前後のロケット座標を見ると、どうも外から力が加えられたとしか」

「外から? 雷とか?」

「こんな晴天に、霹靂があるとは信じがたいね。しかしこの上昇と落下の角度、それに速度。この記録から原因を察するに……」

 長月くんは、また口を閉じてしまい、データを見比べているメンバーと「ほんとに、そうか?」と言いたげな目くばせを交わして、そしてまた僕らの方を見た。

「……なにかに、ぶつかっているね、これは」

「ぶつかった」

「仮にそれが平面状の物体だったと仮定した場合、反射角から逆算すれば、地球の水平面に平行であると考えられる」

 すなわち、と長月君は言う。

「端的に言って、壁にぶつかったとしか言いようがない」

「壁」

「そう。壁だ」

「壁……」

 みんなが各々その言葉を口にする中、長月くんは天を仰ぎ見た。

「宇宙以前の問題だったねぇ」


 ●


 後日談。というよりも、その日の放課後。

「そうか失敗したか。残念だな」

 僕は学校の玄関先で橋口さんと今日の実験について話していた。帰り際、むこうから聞いてきたのだ。オカルト同好会の関わったことを気にするのは、らしくないと思ったけれど。

「ロケットの推進剤は、こちらで調合したものでね」

「あれの中に入ってた水、化学部が作ったんだ」

「宇宙までいこう、という酔狂な企て、ただの水では荷が重かろう」

 そう言う橋口さんの声には、それほど落ち込んだような響きはなかった。大して苦労せず作られた水だったのか、それとも最初っから成功するとは思っていなかったか。その両方かもしれない。

「しかし朝野が関わるとは聞いていなかったな。事前に予測できれていれば手伝ったりしなかったものを」

「占いでわかれば良かったのにね。そういえば橋口さんは、星占いは信じる派?」

「黄道十三星座ではなく、十二星座にこだわり続けている点が、あまり好きじゃない」

 壮月くんが聞いたらウンウン頷きそうだ。

「ところで、その壁とやらは結局なんだったんだい?」

「さあ。バリアなんだかステルスなんだか、僕らには何も見えなかったし、大きいのか小さいのか、自然物なのか人工物なのかもわからないや。壮月くんたち天文部は予想外のことに瀕死の死体みたいになっちゃったし、オカルト同好会のほうも正体が何かで紛糾してたよ。あれ下手すると内部分裂するんじゃないかなぁ」

 天蓋だ、クリッターだ、UFOだ、いや電磁結界だ、などと喧々諤々言い合うオカルト同好会の横で、宇宙開発史そのものが嘘だったのかと天文部の面々が斃れ伏していて、なんていうか、酷いありさまだった。壮月くんは立ち直れるだろうか。

「実験の仕掛け人のSF同好会は? 見解はなんと?」

「いや長月くんすぐに連行されていったから見解もなにも無理なんじゃないかな。なんか実験許可を生徒会には出したけど、国土交通省だか運輸局だかに提出するの忘れてたそうだよ。ペットボトルロケットって国の許可がいるんだね」

 なにをやっているんだか、と言いたげに橋口さんは目と口を歪めた。

「ところで、君自身は天文学と占星術、どっち派なんだい?」

「うーん……」

 僕は少し悩んで、でもすぐに答えを見つけた。

「どっちかっていうと、星占いのほうかな」

「ほう」

 意外だったのか、橋口さんは興味深げに僕を見た。

「そのこころは?」

「大したことじゃないんだけどさ。僕、今月は水難の相だったんだよ」

「ああ、なるほど」

 橋口さんは、僕の服装を見て納得してくれたらしい。

 ロケットの発射時、大量の水しぶきを浴びてしまった僕らは、その日の夕方、みんなジャージに着替える羽目になってしまったのだ。


  天体のこと おわり

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