彼女のこと 三年目
三年の春。僕はランダム教室に飛び込んだ。
表向きは調査ということになっていたけれど、実際は、未来の時間軸にある、ここと良く似た平行世界へ行くことが目的だった。卒業後の世界に辿り着いて、そこで東森さんが目覚めるタイミングを知ろうとしたのだ。
けれども、それは結局失敗に終わる。
僕が平行世界で情報を得ることができないまま、帰還のタイムリミットが来てしまった。
それでも元の世界に戻ると、奇跡的に、卒業後の世界から来た僕がいた。だから最初は喜び、しかし最後は落胆した。彼は、東森さんについて、何も知らなかったのだ。
「さて、どこから話したものか。そう――」
彼女は、『最後の僕』は、その理由を教えてくれた。
「僕が橋口さんに師事しているのは今言ったけれど。実は、さっきまで会って話をしていたんだ。主にこの世界の君と、東森さんに関わることをね」
「だから、僕たちが計画を練っていることを知っているんだ」
「その通り」芝居がかった仕草を伴って、彼女は言う。「君の問いに答えよう。僕が色々なものに手を出した理由。全ては彼女を救うため。そのために、僕はこれまでやってきた。使えるものは全て、学べるものは全て。この学校にある不可思議なものども全てを、僕は利用してやると決めた」
僕が知る限り、最も人ならざる人である彼女。その原点が、僕にはよく理解できた。
「僕は今回のこれも有効活用するつもりだったんだよ。異なる世界の、異なる時間の僕に、七人も出会える滅多にない機会だ。これを逃す手はない。幸いこの世界の僕は君、つまり男の子だった。君が学級委員なんてものをやっているせいで、他の僕はどんどん厄介事にとっ捕まっていったけれど、女の子である僕は誰にも気づかれなかったからね。おかげで話を聞くために立ち回るのが楽だったよ」
「学級委員やってることがそんなに悪いの」
「悪くはないし立派なことだが、正気は疑う」
まあそれは良い、と彼女は手を振った。
「……しかし結果は散々だった。もう一度はっきり言おう、今日この世界に集まった八人のうち、僕と同じ目的を持つのは、君ただ一人しかいない。……残念なことにね」
「どうして、僕と彼らは、こんなにも違ってしまったんだろう」
僕にはそれがわからない。
東森さんを助けることも、労わることもしないなんて。
そんなのは、僕には到底理解できない。
「彼らは――」
『最後の僕』は、その疑問に答える。
「――選ばなかったんだ。ある世界の僕は、学級委員を務めるという選択をしなかった。またある僕は、二年生の時に、そして別の僕は三年生の時に、学級委員を続投するという選択をしなかった。君とは違ってね」
「それじゃ、他の三人は?」
「大きくなった僕と、手芸部に連れて行かれた僕は、質問の内容が君と同じではなかった。あの生徒会へのね。大きい方に聞いてみたよ。何を尋ねたのか、と」
「……なんて?」
「『生徒会が諸悪の根源なのは何故か』だってさ」
「命知らずにもほどがある」
「彼は随分と胆の据わった僕だね。ちなみに返ってきた答えは『うっかり世界を滅ぼしてしまったので、もう一回やりなおして、次こそ自分たちを倒しに来る者を待っている』だとか」
「それこっちの世界でも噂になってたよ。あの生徒会なら本当にやりかねない……」
「うん、本当にね」彼女は頭を振って同意した。「君なら分かるはずだ。学級委員を三年間務めなければ、質問の内容を違えなければ、事態の深刻さに気づくことはない。彼らはそれを選ばなかったんだ。選択を間違えたのではなく」
「大間違いだと思うよ」
「僕もそう思う。けれど、いいかい、本当は正解なんて無いんだよ。彼らは別の道を選んだ。君はこちらの道を選んだ。そして、気づくことができたのは、君の方だった」
「やっぱり、僕の方が正解にしか思えないや」
「どうだろう。本当はもっと正しい選択があったのかもしれないよ。ただ、そんなことは誰にもわからないのだけれど。あの忌々しい生徒会を除いて」
「……なんでも利用すると言ったわりには、生徒会は利用できてないみたいだね」
「あれがまともな話のできる連中に見える?」
「無理」僕は即答した。「利用されつつ、隙を見て利用するしかないかな。それすら無理無茶無謀だけど」
「そう思える時点で充分凄いよ君は」
最後の僕は小さく笑った。それは嫌味の無い笑みだった。
「ところで」僕はあまり思い出したくもない奴のことを問う。「残る最後の、あの卒業後の僕は何を間違えたの。学級委員は三年間勤めてたようだけど。よっぽど大きなヘマをしたとか?」
「ああ、それは簡単だ。――彼は、恋をしなかった」
「…………」
「ただ、それだけだ。それが僕らと彼との決定的な違いさ」
「そんなことで」
「そんなことだから。彼は事態の深刻さを軽く見ていた。あるいは気づかなかったのかもしれない。きっかけはあっただろう、疑問に思ったことはあっただろう。でも彼自身はそこで止まった。後は全部、おそらく女性陣あたりに丸投げしたのかもしれない。後で殺す」
「もう元の世界に帰っちゃったよ」
「なら追いかけていつか殺す。……くだらないことかもしれないけれど、僕らが真実に辿りつけたのは、その決定打になったのはそれだよ。何しろ愛しい相手のことだ、微に入り細に入り愛でたくなるのは仕方がないことだろう」
「うん、待って、僕はそこまで変態じみた感情は持ってない」
「言葉の綾だよ、流石に四六時中、相手のことを想ってはいない。たまにだ、たまに」
どうしよう他世界の僕が思った以上に人格を患っている。
どうしようもない気がする。
最後の僕は、仕切りなおすように、息を一つ吐く。
「今回は残念な結果に終わってしまった。まったく、どいつもこいつも。結局この話をできるのは、僕と君だけ。可能なら情報交換でもできたら良かったんだけどね。でも話を聞く限り、どちらも同じことしか分かっていない。僕と君は、同じラインに立っている」
「……そっちも、苦労してるんだ」
「計画は進めているけど、どうしても時間がね……そこがネックだ」
「君みたいな、行動力のある人でも、やっぱり難しい問題なのか……」
僕は、君のように、非日常に自分から足を突っ込むなんてこと、決断するどころか、思いつくことすらできなかった。自分では最大限頑張ってきたつもりだったけれど、その程度で何とかなると思っていたことが、今ではとても愚かに見えてくる。
「僕には……無理なのかな」
「いいや。君には僕より勝っている部分がある」最後の僕は即答した。「君は学級委員だ――僕とは違って。学級委員だったからこそ、君はここまで来ることができた。さっき自分で言ったじゃないか、正しい選択だったんだよ、君の二年間は」
「君は、学級委員じゃなかったの?」
「残念なことに」最後の僕は肩をすくめてみせた。「学級委員は男女一人ずつが決まりだ」
だからね、と彼女は僕に手を伸ばす。
「だからね、この世界の僕。僕は君が羨ましい。君は男だ。彼女と添い遂げることができる。勿論、その後の努力次第だけどね。可能性があるだけ、僕より遥かに幸せだよ」
「君のところも、彼女は女の子なの?」
「そうだよ。この世界に来て腹が立ったのは、僕以外の僕がみんな男の子だったことだ。女の僕が苦労しているのに、奴らときたら男のくせに何もしていない。あまつさえ彼女に恋をしないだって? あいつだけは後で必ず殺す」
同感だけどやめようよ。
それにしても。色んな非常識を会得した上に、女の子同士で恋愛か。
いや、後者は、それ自体は悪いことではない。はずなんだけど。
まさか自分がそうなるなんて予想外すぎて現実味が無い。
「いやしかし、こちらの世界の東森さんも変わらず可愛くて安心したよ。こっちが誰だか分からなくて、撫で回している間は終始キョトンとしてたのが新鮮だった」
「お前なにやってんだよ僕の東森さんだろ!!」
「世界が違ったって東森さんが可愛いに変わりはない! ……ま、ちょっと目を離した隙に、また突撃していったんだけどね。なんだいあの体育館の騒動は。責任者殺しておかないと」
「へーそうなんだぼくはしらないなー」
おかしいな、僕はいたって普通のつもりだったのに、世界をちょっと超えただけで尋常じゃない奇人怪人になっている。どこで何が間違ったらこうなるんだ。もう考えるのやめよう。
そして『最後の僕』は、名残惜しそうに寂しげな目した。
「長々と話してきたけれど。僕が君と話しをしたかったのは、つまるところ、目的を同じくする自分がいることを確認しておきたかったんだ。そして、君にもそのことを伝えたかった」
「たった二人だけ、しかいないんだね、僕らは」
「この広い平行宇宙の中では、誰にも気づかれずに助けられない、そんな悲しい世界のほうが多いみたいだ」
「うん……」その事実は受け入れ難かった。「でも、僕にはどうすることもできない」
「なあに、安心してよ。僕の世界が片付いたら、今度は他の世界にも助けにいくさ。他の僕が不甲斐ないなら、僕が代わりに全てを救ってみせる」
「君は、本当にやる事なす事のスケールがおかしいなぁ」
「だからね。君は君の世界のことだけに専念するんだ」最後の僕は優しく語り掛ける。「他の世界のことは考えるな、自分のできることを見据えて、しっかりやるんだよ。ここまで来れたんだ、君ならきっと助けられる」
「できるかな」
「できるさ」彼女は僕の両肩に手を置いた。「何故なら、君は僕だからだ。僕にできることなら、君にもできる」
それは、とても心強い言葉だった。
「そして必ず助けるんだ。さもないと、僕が助けに来てしまうよ?」
「ううん。そうならないよう、最善を尽くすよ」
「それなら、良い」
そして、僕の両肩から手が離れる。
「さあ、そろそろ元の世界に戻らないと。名残惜しいけれど、長月会長を待たせておくのも悪いからね」
「うん」
視聴覚室の扉のほうへ踵を反す、『最後の僕』の背中を見ながら、僕は思う。
彼女は僕と非常に異なっているのに、それは決定的に僕だった。
僕は僕の後を追うため、一歩を踏み出した。
●
占いやら予言やら予知やら時間旅行やら、色々と手は尽くした。けれども結局、東森さんが目覚めるタイミングは分からないまま……。おそらく正確な日時を把握しているのは生徒会だけだろう、という結論に達するまで、そう時間は要しなかった。
僕は三年生の終わり、つまり卒業式の日を最後の機会と決めていた。最悪、生徒会からの三度目の報酬として、そのタイミングを聞き出そうというのだ。
ところが、この目論見はあっさりと崩れ、いや、叶えられてしまった。
それは僕達にとって最後の文化祭での事。
●
卵白を溶き流したような薄雲が広がる青空だった。
日差しはまだまだ強く、けれど頬に吹く風は年末に向けた涼しいものに変わっている。
洗濯物を乾かすにはやや心許ないけれど、一見して良いお天気と言えそうな秋空を見上げていた僕は、そのあたりで現実逃避をやめて視線を水平以下に落とすことにした。
生徒会室は質量保存の法則をまるっきり無視しながら全壊していた。
天井のほとんどと、廊下側を除く壁は、今はもうどこにも無い。足元は床が見えないぐらい瓦礫に埋もれているけれど、あのぶっ壊れ方にしてはまだ少ない方だ。足りてない量がどこに消えたのかは分からないし考えたくも無い。
地震の後か解体現場のような瓦礫のあちこちから、制服姿の腕や足が見えているけれど、状況からいって生徒会しかいないだろうから特に問題は無かった。むしろこれで息絶えていてくれれば本当に良いのだけれど。
「さぁて」
ガチャガチャと甲冑を音立てながら、滝上さんは踏ん反り返る。総髪に鉢巻、具足と腰には大小、そして背中に「日本一」の旗挿し物。まわりくどく言わなければ桃太郎だ。
「最期に何か言い残しておきたいことはあるか?」
桃太郎にあるまじきセリフだった。
文化祭公演で、演技に熱が入りすぎて暴走する前は、まだ普通だったのに……。
「ああぁぁなんか思い出してきたムカムカしてくるぜ。てめぇら今まで散々人のこと虚仮にしてくれやがって。予算は出さねぇ、練習場所は貸し出さねぇ、こまけぇことで書類はつき返す、先生に許可貰ってた送迎バスの手配を取り消す」
「それは」声が応える。「正当な理由あってのことだ」
「うるせえ!」
滝上さんは、足元にあった天井板だったものを、声がした方向に蹴飛ばした。
「ああ、じゃあ何か? 人ん家にカエル降らせたり、巻き添えで廊下ごと砂漠化させたり、部室棟の扉を全部氷砂糖漬けにしたのも、正当な理由だか何だかがあったってのか?」
「なにしろ暇だったのでな」
殺すぞてめぇら、と滝上さんは突き出ていた腕に蹴りを入れる。それぐらいで死ぬなら誰も苦労はしなかったろう。腰の業物でザクザク突き刺さないだけ、まだ冷静さは残っているか。
「この外道どもが。危うく全裸公演させられそうになった恨みは絶ってぇ許さねぇ。修学旅行の時もだ! 監禁から脱出するのに昼休み全部潰されてお昼を食いそびれたのもな!」
「最後のは妙に小っちゃい恨みだね」
「徳井、ちょっと黙ってろ」
「はい!」
「まあいい、どうせそれも今日で終いだ。で、辞世の言葉は決まったか?」
「我らを滅ぼす者にしては」
「少々役者不足だったがな」
その、役者にとって侮蔑となる単語は、滝上さんの逆鱗だった。
「よしわかった望みどおり死ね」
「わぁー! ダメダメ!」
僕は刀を抜こうとする滝上さんの腕を必死に抑え込んだ。
「離せ徳井こいつら生かしてはおけん」
「流石に殺すのはまずいよ! 最近は少年法も厳しくなってきているんだよ!」
「こいつらに殺人法が適用されるわきゃねぇだろ良いから斬らせろ」
「その場合は器物損壊とか、ええと、たぶん動物保護とか何かそんなのがくるよ!」
「お前もよくわかってないなら止めるな斬らせろ」
「だからダメだってば――!」
後から考えたら模造刀だから何も問題なかったのだけれど、この時はそこまで頭が回っていなかった。なにしろ少し前までそのレプリカで生徒会室を滅茶苦茶に壊していたのだから。
助け舟は意外なところからきた。
「褒美を与える」
今まさに殺されかけている生徒会の(ものと思われる)腕が、こちらに向かって人差し指を一本突き出した。生き埋めになっているのに随分と余裕あるなぁ。
「一つだ」
「問いかけに」
「答えよう」
その声に滝上さんは何かを言いかけて止め、次に僕を見る。
「これは、徳井が言っていたやつか。例の、何でも答えるっていう」
「うん……」僕は頷いた。「そうだよ」
「じゃあ聞くか。なあ、東森について何をあいつらに聞けばいい?」
「えっ」
「えってなんだよ」
「あれは多分、滝上さんの質問に答えるってことだよ? 僕の聞きたいことじゃなくてさ」
「別に聞きたいことはないし、東森のことは放っておけない。よくわからんが今一番聞いておいて間違いないのは東森についてだろう? 聞けるなら今聞いておこうぜ」
それで良いのかと、一瞬躊躇った後、その言葉に甘えるべきだと、心が背中を押す。
「……東森さんがいつ目覚めるのか。その詳しい日時だよ」
僕は、どうしても分からなかった問題を口にした。
それさえ分かれば、東森さんを助けられる。
「わかった。……だ、そうだてめぇら。とっとと答えろ」
自分では聞かないんだこの人……!
ちょっと人生自由に生きすぎてないか、と思っている僕をよそに、声は答える。
「東森委員は」
「目覚める」
「その日」
「目覚める」
「だからそれはいつなんだよ」
それに対する反応は――言葉ではなかった――僕をビクりとさせた。
笑い声、だった。
ククク、とも、ヒヒヒ、とも表現すれば良いのだろうか。息を吸い込むだけで喉を鳴らしているような、ひどく脱力した笑い声だった。
「卒業式」
「その日」
「その日没」
「目覚める」
そして余韻を楽しむように声は沈黙した。
卒業式の日の日没時。
それが東森さんの目覚める時間。
「なんてことだ」僕は呻いた。「ギリギリじゃないか」
「どういうことだ、徳井」
「僕らは卒業式の何日か後に目覚めると思っていたんだ。まさか、そんなに早いなんて……。もし去年のように年度末に質問していたら、準備が間に合わないところだったよ」
滝上さんは忌々しそうに舌打ちした。
「そういうことか……それが分かっていて笑いやがったな、てめぇら」
「努力が無に帰すのは」
「最高の娯楽ではないかね」
「ふざけんな! 他人の不幸がそんなに楽しいか、ああ!?」
「勿論」
声は動じない。感情もない。
「そうでなくては」
「人は何故悲劇を観る?」
「なあ」
「舞台に立つ者よ」
「オゼロゥやリア王でも挙げて談義するつもりか? 馬っ鹿馬鹿しい、わかったような事を言ってんじゃねぇ! 悲劇ってのは教訓だ、二の舞を演じないよう知らしめるものだ。誰が好き好んでバッドエンドの台本なんぞ選ぶもんか、ばぁ――か!」
いくらなんでも暴論すぎる。たぶん全国の脚本家を敵に回したんじゃないかな今。
「それで東森を助けるにはどうすりゃ良いんだ、どうせそれも知ってるんだろ」
「質問は」
「一つだけだ」
「んなこたぁ知るか! おら、とっとと吐けよ、吐け吐け!」
いくら相手が生徒会だからって、瓦礫に埋もれかけている人の腕を小刻みに足蹴にできるのは滝上さんぐらいだろうな……。
「言う必要も」
「義務も」
「無い」
「そぉ――か。それじゃさっきの問いはナシな。だってあれ徳井の質問だったし」
「た、滝上さんが言えって言ったんじゃないか!」
「ふぉ――ん? おかしいなぁ、確かに徳井には聞いたけど、それが私の質問と同じだとは一っ言も言ってないなぁ――?」
「そんな! あ! あれ? あー。うん。あ! 本当だ! 言ってない!」
「つーわけだ。ぶっちゃけ、んなこたどうでもいいから聞かれたことに素直に答えろ」
「も、もうどっちが悪役なのか分からなくなってきた……」
「あん? 徳井よ、生徒会は何だ?」
「悪だね」
「だろ? じゃあ必然的に他の全世界が正義だ。つまり私が正義だ! 証明おわり」
「わー、もういいやそういうことで」
僕は全てを諦めて生徒会の反応を待った。
こんな屁理屈で丸め込められる生徒会とは思えないけれど。
「答える必要は」
「認められない」
やっぱり。
「頭のかてぇ奴らだな。ちったぁサービスしてやろうって気はねぇのか」
「答えは」
「必要」
「ない」
声は淡々と言い切る。
滝上さんは舌打ちした。
「もう一発やっとくか?」
「やめようよ、床まで抜けたら流石に学校側に迷惑かかるよ」
さっきの一発で全員退避してそうだけど、用心に越したことは無い。
「……必要、ない。か」僕は言葉を噛み締める。「もしかしてそれは、生徒会側の都合の話じゃなくて、僕達が改めて知る必要がない、ということなのかな」
「どういうことだ?」
「答えはもう知ってる……ってこと、かも」
生徒会の言い回し方は聞く側にとっては面倒すぎて、言葉の真意が時々分かりづらくなる。時々こうして言葉遊びもどきのことをしなければならない。
「然り」
「然り」
「然り」
腕だけが挙手の形をとり、瓦礫の山に林のように乱立した。どうやら肯定の意らしい。
「なんだこのホラー」
「まあ、生徒会だし」
「生徒会って燃えるゴミで良かったっけ」
この人ゴミ箱に捨てる気だ……!
「さて」
「さて」
「さて」
一番手前の腕が滝上さんを指差してくる。
「そろそろ」
「時間では」
「ないのかね?」
指は次いで、床に飛び散った壁掛け時計を示す。グッチャグチャにひしゃげてバラバラ状態でおまけに文字盤の裏側だったけど、言わんとしてるところは伝わった。
「あー、もうそんな経っちまったか」
「えっと」僕は自分の腕時計で時間を確認した。「うん、もう次のプログラムに移る頃だよ。滝上さん、舞台の後片付けとか大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇや」滝上さんはくるりと踵を反す。「急いで戻らねぇと怒られちまう」
「それでは」
「行きたまえ」
「……なあ徳井、一応私がこいつらに勝ったんだよな?」
「うん、まあ、まだ信じられないけれど、そうだね」
「なんで負けたのに、こいつら、でけー態度のままなんだ」
「……なんでだろう」
このふてぶてしさは見習ったほうが良いのかもしれない。
「まあいいか。じゃあ、このゴミクズ共きちんと分別して焼却炉に放り込んでおいてくれ」
「うん、無理だからね」
「根性出せばいけるだろ?」
「だって僕も教室の方のシフト時間だし」
あー。と納得して瓦礫を軽い足取りで飛び越えていく滝上さんは、しかし、途中でふっと立ち止まった。
滝上さんは半身で振り返る。目を細めて、僕の後ろにあるものを見ていた。
「なあ」滝上さんは口を開く。「最後に聞きたいんだがよ」
声が応える前に。
「この世界そのものが、東森が見ている夢だってことはないのか?」
滝上さんはそう問うた。
僕は後ろを振り向く。
意外なことに、答えは返ってきた。
「否」
「東森詠子は」
「盲目にも」
「白痴にも非ず」
そんな否定のあと、声は「されど」と繋ぐ。
「この世界が」
「誰かの見る夢ではないと」
「誰に分かろう?」
●
こうして、語らざるべき話は全ておしまいになる。
時と、人と、舞台を揃えた、僕らの計画は、ようやく完成した。
残念だったのは、お国の都合で、卒業前にタニアさんが帰国しなければいけなかったことだ。これはもうどうしようもない。ただ、計画そのものは、タニアさんがいなくても遂行できるように立てられていたので、あとは僕らの頑張り次第だ。
そして。
卒業式当日。
「皆、念のため最後にもう一度、確認しておこう」
橋口さんが僕らに語りかける。
「ともりの夢が目覚めるのは、日没後だ。それより前に、彼女に何かを行っても、目覚めと共に無かったことにされる。間違っても、目覚めて後にすべき事を成さないように」
「わぁってるよ」滝上さんは不敵な笑みを浮かべている。「眠ってる観客には演技力なんか意味がねぇ。眠り姫には眠り姫に相応しいのを演じてやるぜ」
「俺はもう御役御免だからな、後は皆に任せる」
「古寺は一緒に行かないのか? 俺なら大丈夫だぞ?」
「無論、観客として陰ながら応援させてもらう。だが邪魔をしたくない」
「そうだな、君は私と一緒に後から行こう。二手に別れて、後ほど合流だ」
そして橋口さんは、僕を見る。
「徳井。全ては君次第だ。けれど我々がサポートする。何も気負わず、いつも通りで良い」
「うん」
僕はそう言って頷いた。心なしか、少し声が上擦っていたかもしれない。それを見て、橋口さんは微笑む。
「自信を持て。君がいたから、我々はここまで出来た。君ならきっと助けられるさ」
それは、いつかどこかで、遠い世界の自分自身から聞いた言葉に、よく似ていた。
……ああ、やっぱりこの人は、あの僕の先生だ。
彼女が頼りにした、心強い友人の一人なのだ。
「姫のエスコート、しっかり頼むぞ」
滝上さんがバシンと僕の背中を強く優しく叩く。
「頑張ろうぜ!」
神保くんも強く、けれど彼の力にしては小さく、背中を叩く。
古寺くんは苦笑のような微笑を浮かべて、無言で肩をパンパンと叩いた。
橋口さんは頷き、時計を見る。
「作戦開始は卒業式後。第一段階は日没前、第二段階は日没直後だ。皆、卒業式は大荒れになるだろうけど、何とか無事に戻ってくるように」
皆は、僕の大切な友人達は、それに各々の言葉で返事をした。
日没。それが、僕にとって一世一代の大勝負の始まり。
そして、僕と彼女が積み重ねてきた、三年間の終わり。
そして僕は。
彼女のこと おわり
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