彼のこと 三人目と四人目と五人目


 これまでに二人見つけて、残る僕は五人。手がかりは無し。

『二人目の僕』を預けたついでに、長月くんに聞いてみたけれど、僕を連れて行った人たちの中に、見知った顔は無かったという。

 さてどうしよう、と校舎の廊下を早足で見回りながら考える。

部活動や同好会の人達に連れて行かれたのなら、活動場所を見ていけば良いはずだ。向こうが移動し続けていなければ、いつかは見つかるだろう。

あとは目撃者を捕まえて「僕がどこに行ったか知らない?」と聞くか。それにしても、とっても哲学的な質問だなぁ。

 などと考えつつ、僕は文化部系の部室棟に辿り着いた。たぶん、ここのどこかにいるだろうという魂胆だけど、ここに一人もいなかったら流石にお手上げだ。

 とりあえず、片っ端から中を確認して……。

「あら、トモルさんです?」

「あ、タニアさん」

 僕から十歩ほど行った先、手芸部の部室から出てきたのは、留学生のタニアさんだった。

「まさか、こんなに早く戻られるとは思ってもみなかったのです」

「? どういうこと?」

「つい今しがた、部屋からいなくなったばかりだからですよ」

「うーん……?」

 話は見えないけれど、口ぶりからするに違う世界の僕が関わっているのだろう。いきなりビンゴのようだ。今日はついているかもしれない。地獄に仏の方かもしれないけれど。

「タニアさん、実は今、僕の……そっくりさんみたいなのが五人ぐらい校内にいるんだ。たぶんタニアさんが言ってるのは、そのそっくりさんだよ」

「あら、まあ、そうなのです? どうりで、いつもと違うように感じたのです」

「どうして僕が手芸部に?」

「古くなったクローゼットの買い替えの件で、トモルさんに見に来てもらうことになっていたはずですよ?」

「あ、そうだった。特別予算を使えるかどうかの申請してたね」

「ですです。トモルさんは、そのそっくりさんをお探しですか?」

「うん、お探しなんです。連れ戻しに来たんだけど、いいかな」

「では是非、部室に来てもらいたいのですよ」


 僕はタニアさんに招かれて、手芸部の部室にお邪魔した。

 部室の中は部員達の作品あるいは習作――刺繍や手編み、あるいはミシン縫いで作られたもの――で飾り付けられていて、とっても女の子という雰囲気が漂っていた。

 その端っこ、大分くたびれた感のあるクローゼットの前に、数人の部員がたむろしていた。

「あれは何やってるの?」

「中に入ったトモルさんが出て来なくなってしまったのです」

「本当に何やってるの!?」

 どうして僕は行く先々で変なことに巻き込まれているんだろう。

 ……体質かもしれない。

 世界が違ってもそこは変わらないのか、と思いつつ、僕はクローゼットの傍まで近寄った。

「え? どうやって戻ってきたんですか?」

 こちらに振り向いた部員が、驚いたように言ってきた。

 どうやら今度の(つまり三人目の)僕は、二人目と違って普通の身長のようだ。

「そこのクローゼットの中に入っているのは、違う人だよ。連れ戻しに来たんだけど、今どうなってるの?」

「ああ、そうなんですか……。確認してもらおうと中を見てもらってたんですけど、このクローゼット、年代物だから、中が別の場所に繋がってて」

「うん、ちょっと待って意味がわからない」

「やっぱり手芸部以外には知られてないんですね。いつもは皆気をつけてるのに、先輩……じゃ、ない人、は思いっきり入って、そのまま向こう側に行っちゃったんですよ」

 どうしてそんな迂闊なことをしちゃったんだ『三人目の僕』……。

「そもそもなんでクローゼットが瞬間移動装置みたいなことになるの」

「あら、私の国ではよくあることですよ?」

 タニアさんがのほほんとした表情で答えてきた。

 流石外国、日本の常識は通じないらしい。……日本以外みんなこれが普通なんだろうか。

 クローゼットの中を覗きこんで見たけれど、ハンガーに吊るされた衣服に遮られて、奥がよく見えなかった。本当にこの先が別の場所に通じているのだろうか。

「これ、どこに繋がっているの?」

 すると部員達は口々に、

「今日はどこだっけ?」

「わりと日替わりだからなぁ」

「県外まで通じたことはないよ。今までは」

 と、実に素晴らしい答えを返してきた。ちっくしょう。

「そのうち戻ってくると思いますけど」

「うーん……それまで待つ、てのもなぁ……」

 僕としては、まだ残り四人の僕を集めなくてはいけない以上、ここで時間を浪費していられなかった。とても不本意だけど、これはもう誰かが中に入って直接連れ戻しに行くしかない。

「じゃあもういいや、僕が中に入って見つけてくるよ。命綱の代わりになるもの、ない?」

 手芸部だから何かしら紐はあるだろう。できればすぐに切れないものが良いな。

「ではこの毛糸をどうぞです。三重にしてありますから丈夫なはずです」

「うん、ありがとう」

「まるでアリアドネの糸ですね」

 このクローゼットの先は迷宮か何かになっているのだろうか。

 僕は本日二本目となる命綱を着け、毛糸の反対側が手芸部部室の机にしっかり結び付けられたのを確認して、クローゼットの中に飛び込んだ。


 今のところ七人のうち二人を確保して、今が三人目。思ったよりペースが早い。

 最初はどうなることかと思ったけれど、案外あっさり全員集められるかもしれないな。

 その理由が、行く先々で何かに巻き込まれていて見つけやすいから、という点には、若干なんとも言えない気持ちだけれど。

 そんなことを思いながら、僕はクローゼットの暗闇の中を進んでいった。

 やがて、前方に縦長の光が見えてきた。

ずんずん歩いて近づいてみると、それは扉の隙間から漏れたものだった。

扉に鍵はかかっておらず、手で押すと、やや重いながら、何とか開けることができた。

 そして僕は、戦場に出た。


 正確に言うと体育館だ。ただし今は力尽きて倒れている人の姿があちこちにあったけれど。

 いや、それより前に言うべきことがあった。

「なにこれ……」

 僕の眼前では、今、怪物が暴れていた。

 身の丈は何メートルだろうか。バスケットボールのゴールに、その頭が届ぐらいだ。見た目は筋骨隆々とした大男のようだけど、頭部は明らかに人間じゃない。一応哺乳類の分類には入るようだけど。それから大きく湾曲した二本の角もある。牛鬼か何かかな。

 そして何人かの生徒達がそれと戦っていた。

「押さえ込めー!」

「頭を狙え、頭を」

「いけいけ! 落ち着いて見れば避けられぶふっ」

「山口くんが吹っ飛ばされたぞー! 衛生兵ー!」

 バスケ部やバレー部のユニフォーム姿と、制服姿の生徒達が入り乱れて、怪物に縄をひっかけようとしたりしては豪腕で薙ぎ払われていく。

 本当に何やってるんだこれ。

「また徳井か」

 横から声をかけられた。そちらを見ると、滝上さんと古寺くんがいた。

 滝上さんは腕組みをしたまま怪物を睨み付け、古寺くんはノートに何やら物凄い勢いで書き込んでいる。

「今日これで何人目だ」滝上さんはこちらを見もせず、怪物から視線を外さない。「で、お前はどこの徳井だ?」

「他の僕を見たの?」

「そこに転がってるだろ」

 言われて視線を下に落とすと、確かに僕がいた。ぐったりと床に倒れ伏している。

 三人目確保。

「今これ何が起きてるの」

「お前が今出てきた演壇下から、そこで寝てる徳井と、アレが出てきてな。これ以上暴れられると演劇部もバスケ部もバレー部も部活ができねぇ。だからしばき倒そうとしてるところだ」

「倒せるの?」

「せめて元の場所に叩き返してぇんだが……」チラリと、滝上さんは古寺くんを見る。「おい、まだか」

「もう少し待て」

「もういい寄越せ、あとはアドリブでやる」

 橋口さんは古寺くんからノートを引っ手繰る。

 と、その時、怪物の方から声がかけられた。

「部長ー! まだですかー!」

「お前に部長と言われる覚えはねぇっつってんだろ!」

 見ると、怪物の頭の後ろに、誰かがしがみ付いている。

 縄を手にし、怪物の角に結び付けようとしているのは、あろうことか――僕だった。

 ちなみに彼、つまり『四人目の僕』は、何故か半袖シャツの夏服姿をしている。

「もうこれ以上は腕が限界だよー!」

「今なんとかする、頑張れ!」

 そして滝上さんは、ノートを両手に持って、深呼吸を一回。

 す、と息を溜め、一拍の後に声を生み出す。

「――汝は――」

 ところが、ここで思いもよらないことが起きた。

 滝上さんの語りが力を発揮する前に、怪物が体育館から外へ出てしまったのだ。


 体育館から廊下に出る扉(これは恐らく、怪物が現れる前から開けっ放しになっていた)は、怪物に比べたら小さな入り口だけれども、その巨体がまったく通れない程ではない。

 とはいえ、まさか本当に出て行くとは誰も思わなかったのだろう。もしかしたら、自分に寄ってたかって縄をかけようとする生徒達が、鬱陶しくなったのかもしれない。

「役者が退場しちまいやがった」

 滝上さんは舌打ちをして、駆け出した。

 僕らも後を追って廊下から、そしてグラウンドへと出る。手芸部の命綱ともここでお別れだ。

「あ、ところで」その途中で、横で走る友人に尋ねた。「なんで古寺くんがここに? 文芸部の部活は?」

「脚本について打ち合わせがあってな。そしたらこれだ」

「なるほど」

「……酷いな」

 最後の呟きはグラウンドの光景を見てのものだった。

 怪物は、しがみついている四人目の(この言い方も段々紛らわしくなってきた)僕や、縄に引っ張られて連れて行かれた演劇部にバスケ部バレー部、そして今はサッカー部や野球部といった面々を相手に暴れまわっていた。

 不運にも怪物の行く手にいたのか、既に五、六人ぐらい地面に倒れている人達がいる。

「滝上」

「分かってらぁ」

 滝上さんはノートを広げ、再度口上を試みた。

「――汝は怪物、迷える者なり――」

 言葉の力が、暴れまわる怪物とその周りの人達に働きかける。

「――汝を倒すはアイゲウスの子、アテナイの王。黒き帆と共に来たりて、鞠と短剣持て汝を屠るであろう――」

 グラウンドの地面は、いつしか敷き詰められた石畳に変わり、地下室のような冷たい黴の匂いが立ち込める。

「――見よ、それなるが汝を倒せし者、大いなる益荒男。人それを英雄と呼ぶ。滄海の君主の力受け継げし剣と!――」

 滝上さんは指を差した。怪物の背に乗る、異なる世界の僕を。指名したのだ。

「――汝は剣の前にひれ伏さねばならぬ! それが世の理であるがゆえに!――」

『四人目の僕』は、短剣を手に、怪物の首筋に狙いを定める。

 両の手でしっかりと柄を握り、渾身の力を込めて、叫びと共に振り下ろした。

「うああああああ!」

 そして。

「うああああああ!?」

 怪物の身じろぎ一つで簡単に吹っ飛ばされていった。

 ……両手を離したら、両足だけで掴まっていられないからなぁ。

「――――」滝上さんは大きく息を吸ってから言い捨てた。「――役者不足!」

 つまり、役になりきるだけの力量が、『四人目の僕』には無かったらしい。

「おいどうする」

 古寺くんの冷静な指摘に、地団駄を踏みながら滝上さんは答えた。

「くっそ、他にムッキムキなガタイの良い奴とかいねぇのか」

「そこら中に沢山転がっているぞ」

 さっきより運動部の人達の倒れている数が増えていた。被害が止まらない。

「あー、できりゃ知ってる奴のほうが扱い易いんだが……」

「じゃあ古寺くんとかはどう?」

「こいつは文化系だろ」

「一応、中学の時は柔道をやっていたが」

 滝上さんは古寺くんをグーで殴った。

「早く言えよ諺野郎! すっかり忘れてたわ!」

「諺……」

 古寺くんはいたく傷ついたようだった。たぶん『慣用句』とか『四字熟語』という言い方でないのが嫌だったのだろう。

「よし、だったらさっさと片付けるぞ」

「脚本はどうする」

「時間が無い、エチュード(即興劇)でいく」

 滝上さんは、ノートに文字をさっと書きこんだ。それは一行にも満たなかっただろう。

 す、と息を呑みこみ、その言葉が読まれた。

「――開演!――」

 随分ぞんざいな幕開けの文句だった。

「――古寺は悪の秘密組織に改造された人造人間である――」

 あ、特撮物だ。

「――しかし彼は組織を抜け出し、正義の変身ヒーローとして日夜活躍していた――」

「凄いな。嫌な予感しかしないぞ」

 古寺くんが全てを悟りきったような顔でぼやいた。うん、僕もそんな気がする。

「――そして今日も彼は戦い続けるのだ。行け、僕らの古寺マン!――」

「安直すぎる!」

 流石にそのネーミングセンスはいただけなかったのだろう。

 とはいえ、文句を言っても、舞台はもう始まっている。滝上さんの口上のままに、主役の古寺くんは怪物に向かって駆け出していった。

「――正義の拳、古寺パーンチ!――」

 怪物のみぞおちあたりに、速度と体重を乗せた拳が入る。

「――古寺キーック!――」

 間髪いれずに、今度は脛、弁慶の泣き所に蹴りが入る。

「ちょっと待てぇ!」痛みに悶える怪物を前に、古寺くんが絶叫した。「お前柔道をなんだと思っていやがる! 空手かなんかと勘違いしてるだろ!」

「――勝てば官軍――」

「そんなヒーローがいてたまるか!」

 ああ、理詰めの古寺くんにとって滝上さんは本当に鬼門だなぁ。

「ところで変身ヒーローじゃなかったの」

「徳井、余計なことを言うな」

「――巨大化するよ?――」

「「変身どこいったんだよ!」」

 その場にいた全員が絶叫した。みんな倒れていても意外と元気だね。

「――さあ、いけ、古寺マン。一分以内に倒してしまえ――」

「もうどうにでもなれだ……」

 叫び疲れた顔のまま、古寺くんは怪物と同じぐらいの大きさになった。

「だが後は好きにやらせてもらうぞ」

 そう言うが早いか、巨人になった古寺くんは怪物に掴みかかる。右手は喉元、左手は相手の右腕に。力は相手のほうが上のようだけど、振り解こうとする動きを古寺くんは上手くいなしている。足捌きも見事だ。

「せぇい!」

 叫び一声、怪物の足が払われ、そのまま大外刈りが決まった。巨体が地面に沈み、轟音が耳と身体と校舎を震わせる。

 怪物は呻き声を上げ、そしてそのまま力尽きてしまった。

「ふぅ……三〇秒といったところか」

 襟元を正して、古寺くんはひとりごちる。

「――かくて危機は去った。ありがとう古寺マン。来週もよろしく頼むぞ――」

「二度とやるか!」

 そう吐き捨てる頃には、古寺くんの身体は元の大きさに戻っていた。滝上さんの語りが終わったのだ。

 怪物と対峙していた生徒達も、それぞれの部活同士で集まりはじめる。滝上さんの周りには、演劇部の面々が。

「部長!」

 その中に『四人目の僕』もいた。吹っ飛ばされていたはずだけど、ピンピンしている。いくら違う世界から来たとはいえ、僕にしては頑丈だ。滝上さんによる英雄役の御加護だろうか。

「だから、いつからお前の部長になったんだ」

「去年から部員だよ」

「あ、えーと、実はね滝上さん……」

「おい」僕の声を遮るように、古寺くんもやってきた。「倒したは良いが、あれどうする。このままだと邪魔になるぞ」

 古寺くんはグラウンドの真ん中に伏せた怪物を指差す。確かにあの巨体は邪魔だ。

「あー、どうすっか。またお前が巨大化して運んでみる?」

「ロープで引っ張るのも大変そうだしな……」

 でも主役をまた演じさせられるのは嫌なのか、微妙な顔で古寺くんは怪物を眺める。

 すると。閉じていた怪物の目が、ギョロリと開かれた。

「わ、まだ生きてる!」

「げ! この、しぶてぇ奴め……!」

 滝上さんはノートを掴み、『四人目の僕』は縄を掴み、古寺くんは皆の前に立って身構えた。

 すわ、第二ラウンドか、と思われたその時。

「――ぁあははははははは!」

 風切り音のような声がしたかと思うと、何かが怪物の脳天に直撃した。

 着地の衝撃を膝の屈伸だけで和らげ、今度こそ失神した怪物の上に立ったのは。

「……神保くん」

「よぉ! なんか面白いことになってるな!」

 色々な空気をぶち壊しつつ、神保くんは高笑いの後に首を傾げた。

「で、これは何なんだ?」


「助かったけどよ、お前は何しに来たんだ」

 怪物を演壇下に叩き返した後、その入り口を板と釘と御札で封印しながら、僕と滝上さんと古寺くんと神保くんは、事の顛末を話し合っていた。

 ちなみに。難航すると思われた怪物の運搬は、神保くんが引っ張るのを手伝ってくれたら、あっさり解決してしまった。脚力だけじゃなく筋力体力も人間離れしてきてないかなこの人。

「や、なんかでっかいのが見えたからさ。また何か起きてるのかなーって」

「だからって文字通り飛んでくるか普通」

「ちょっと足に力を入れすぎちまった」

 それで垂直蹴りになってトドメをさしてしまったと。

「相変わらず出鱈目だなお前は」滝上さんは、頑丈な封印が施された演壇下への扉をバンバンと軽く叩く。「んで、神保のほうはそれでいいとして」

 次いで、少し離れたところにいる三番目と四番目の僕を指差した。

「なんで今日は徳井が三倍になってるんだ?」

「えっとね、正しくは八倍なんだ」

「コピー機にでも巻き込まれたのかよ。なんだその数」

 僕はランダム教室と長月くんとSF同好会について簡単に説明した。

「つーことは、あの徳井は、演劇部に入った世界の徳井ってことか?」

「そうみたいだね」

 僕は、演劇部員だと名乗った『四人目の僕』を見た。

 そこで、おかしなことに気づく。

「……あれ?」

「ん?」

「あ?」

 いつの間にか、僕が三人に増えていた。

「さっきまで、僕は二人しかいなかったよね」

「倒れてる徳井が一人に立っている徳井が一人だろ」

「でも立っているのが二人いるぞ」

「分裂しちゃったかー」

「ひ、人を単細胞生物みたいに言わないでよ……!」

 そんなことを言い合っている横を、古寺くんが駆けて行った。

 何事かと、疑問符を浮かべながら、皆がその後に続く。すると古寺くんは、三人に増えた僕の近くにいた、一人の男子生徒に近づいていった。

「部長」その男子生徒は古寺くんをそう呼んだ。「大丈夫ですか」

「いったいどうした。もしかして、さっきのに巻き込まれたのか?」

「は、はい。俺らは、なんとか無事だったんですが……東森先輩が……」

 彼の顔は、何かを思い出したのか、青褪めていった。

「落ち着け。まず、どうしてこっちに来ていたんだ」

「あの、部室に、徳井先輩が部長を訪ねに来られたんです。それで丁度、俺も部長に用があったんで、一緒にこっちへ……」

「そうか。徳井が増えたのはそういう訳か。それで、巻き込まれたと」

「でっかいのが、急に現れて……そしたら、突き飛ばされたんです。おかげで俺らは助かったんですけど、代わりに東森先輩が……また、亡くなられて……」

「あの怪物か」滝上さんが忌々しそうに言った。「東森も東森だ、無茶しやがって馬鹿が」

 どうやら、文芸部の部員と、『五人目の僕』(ああ、本当に面倒な呼び方だ)は、体育館へ向かっていた途中、運悪くあの怪物が廊下へ飛び出すところに遭遇してしまったらしい。

 そして、彼らを庇って、犠牲が出てしまった、と……。

「でも、不幸中の幸いではあったんだよ」

 疲れた顔で、『五人目の僕』が言う。

「僕たちの他にも、転んだり怪我をした人はいたけれど。東森さん以外は大したことなくて」

「それは、本当に良かった」『四人目の僕』が応えて言う。「こっちも何人か吹っ飛ばされたりしたけれど、骨折とか、突き指とか、大怪我を負った人はいなかった。あんなのが暴れたにしては、奇跡みたいに被害が少なくすんだよ」

「あの、先輩、結局あれは何だったんですか」

「わからん」古寺くんは文芸部員の質問に首を振った。「あんなのを飼っているなんて、うちの学校はどうなってる。どうせまた生徒会なんだろうが」

「あー……。そういや部の連中が噂してたぜ。演壇の下は迷宮になってて怪物が封印されてるとかなんとか」

「そのまんまの噂だな……。で、その封印とやらが解けた、と」

「なんで解けたんだ?」

 神保くんの純粋な疑問に、僕と滝上さんと古寺くんの視線が、床に倒れている『三人目の僕』に集中した。

 怪物が現れた演壇下から、一緒に出てきたという、異なる世界の僕に。

「元凶こいつか?」

「こいつだろうか」

「あ、あの、不可抗力だと思うよ。僕も同じ場所から出てきたから分かるんだけど、この僕は理由があって演壇下に迷い込んじゃったみたいだし」

 僕は必至で弁明する。なにしろ自分じゃないけど自分にかかった嫌疑なのだ。できれば晴らしておきたい。

 とりあえず手芸部のクローゼットは後で早急に処分しよう。そうしよう。

「ま、ならしゃーねぇ」

 幸い、それで納得してもらえた。

「それで徳井、七人のうち三人がここに集まったんだな」

「うん。その前に二人見つけたから、まだ行方が分からないのは残り二人だね」

「ではもう長月の所に行け」古寺くんは倒れている『三人目の僕』の身体を起こす。「折角集まったんだ、またバラバラになってしまわないうちに、元の世界に戻しておいたほうが良い」

「そうだね。じゃあランダム教室まで送ってきたら、すぐ戻ってくるよ」

「いいからそのまま残りの奴を探しに行ってこい」滝上さんは手をひらひら振って、そっぽを向きながら言った。「こっちの後片付けはやっておくからよ」

「え、でも、怪我した人とか保健室に運ばなくて大丈夫かな……」

「そこの増えてる方の徳井が言ってただろうが。そんな重症喰らったのはいねぇよ。ちんたらやってたら探す時間無くなっちまうぞ」

「ぁあ!」

 唐突に、神保くんが素っ頓狂な声を上げた。

「保健室で思い出した! なあ徳井、お前保健室に行ったか?」

「え? 今日は行ってないけど」

「お前らは?」

「ううん」他世界の僕らも首を横に振った。「この世界の保健室には行ってない」

「じゃあ当たりか! 実はさっき、徳井が保健室に運ばれたって話を聞いたんだよ」

「なんだって!」

「お前らじゃないなら、まだ見つかってない徳井かもな」

 なんという天啓か。「保健室に運ばれた」っていう不吉なフレーズを別にすれば、今一番欲しかった情報だ。これで、えーと、えーと……うん、六番目だ。

「それって、いつ頃の話?」

「けっこー前だなぁ。早く行かないと、もう保健室にはいないかもしれない」

「だったら、なおさら急げ」滝上さんが僕らをせっついた。「神保、余裕があったら徳井を保健室まで運んでやれ。それからそこの徳井三兄弟」

「いや、僕らは別に兄弟じゃないんだけど」

「ガタガタうるせぇ! お前らは自力でランダム教室まで行ってろ。途中で誰かに捕まるかもしれんが、そこは根性で無視して、とっとと元の世界に戻れ」

「んな無茶な……」

「返事は!」

「「はい!」」

 四人目と五人目の僕は、三人目の僕を担ぐと、慌てて駆け出していった。

「けっ……役者不足どもが」

 滝上さんは、舌打ちと共に、忌々しげに吐き捨てた。

「やっぱ違う世界の徳井だな」

「ああ」

 古寺くんも溜め息をつく。そして神保くんは。

「よーし、んじゃ俺らも行くか」

「えっ」

 ヒョイっと、僕は神保くんに首根っこを掴まれた。

 いや、確かに僕は小柄な方だけど、そこまで軽々と持ち運べるほど軽くなかったはず……。

「On Your Mark」

 古寺くんが無表情で言う。待って、それ確かクラウチングスタートの古い掛け声だよね。

「Get Set, GO」

「うわあああああああああ!?」

 クラウチングスタートの体勢なんか丸っきり無視して、神保くんは発進。

 僕は強烈な加速度に何もかも分からなくなって、体育館を後にしたのだった。

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