彼のこと

彼のこと 一人目と二人目


 SFの世界では、よく「同じ時間・空間に、同じ人間が二人以上存在することはできない」という法則が登場する。

 質量保存がどうとか、タイムパラドックスがどうとか、その理由は様々だ。しかしこれは、実際に試してみた結果ではなく、あくまで既存の法則から得られた推測にすぎない。

 なんでそんな言い方をするのかというと、僕は、少なくとも僕がいるこの平行宇宙においては、この法則が成り立たないことを、身をもって知っているからだ。

 これは三年生の一学期、中間試験が終わった日の話になる。


「さて徳井くん。君がランダム教室から隣の平行世界へ時間軸方向に移動している間、同一人物の同時存在問題を回避するため、移動先の君と入れ替わってもらっていたわけだが。どうしたことか、こちらに七人ほど君が溜まってしまった上に、部活連や教員にことごとく連れていかれてしまった。これが二十分前の話だ」

 危険を犯しながらの時空間旅行から何とか戻ってきた僕に対して、SF同好会会長の長月くんは、優雅な動作でティーカップの玄米茶を飲みながら、そんな事後報告をしてきた。

 僕は、命綱のUSB延長ケーブルをベルトから取り外す手を止めて、動きも止めて、思考も止めて、しばらくしてから長月くんに訊き返した。

「え?」

「徳井くんが七人ばかし行方不明になった」

 今度はとても分かりやすかった。

 理解はし難かった。

「え?」

「徳井くん七名が行方不明」

「言い直さなくていいよ。意味が分からないけど」

「ではそういうことだ」

「意味が分からないんだよ! 色々と! 意味が! どういうことなの!?」

 長月くんは長い息を吐いて――溜め息なのか、お茶の味に唸ったのかはわからないけれど――まあ落ち着きたまえ、と言った。

「科学に必要なのは冷静な心だ。とりあえず深呼吸したまえ。冷静になったかね? 落ち着いた? では改めて言うが、当初想定していなかった平行世界の徳井くんが七人現れ、全て連れていかれた。恐らく今頃は学校のあちこちに、徳井くんが君を除いて七人散らばっている」

「はあ……うん、それは分かったよ」僕は心を鎮めて答えた。「でも、なんでそうなっちゃったの。僕がランダム教室に飛び込む前に、長月くん確かこう言ってたよね? 『同じ世界に同じ人間は二人以上同時に存在できない』って。なのになんで七人も一緒になっちゃったの?」

 すると長月くんは、深く頷き、こちらの肩に手を置いて、感慨深げにこう言った。

「おめでとう、徳井くん。君は今、その法則が正しくないということを証明した。これは人類史に残る画期的な快挙だ。とても素晴らしい!」

「ちっともおめでたくないよ! 僕が七人もいるなんて大問題だよ!」

「正確には今ここにいる君を入れて八人だ」

「どうでもいいよ! 数なんてどうでもいいんだよ!」

 この時、僕は直感した。今日は厄日になると。

 午前中の中間試験最終日と午後からのランダム教室調査だけでも大仕事だったのだ。更にこれから平行世界の自分を捕まえて送り返しつつ、きっと部活連や教職員の厄介事に巻き込まれる。ここに生徒会まで介入してきたら目も当てられない。

「とにかく、僕は僕を連れ戻しに行ってくるよ」

「では、こちらは送り返す準備して待っていよう」

「わかった。そっちはお願いするね」

「なに、元はといえば、こちらが原因のようなものだからね」

「本当だよ……!」

 思わずツッコミを入れたけれど、長月くんは意に介した風も無く、玄米茶を飲み干すと優雅な手つきでカップを片付けた。そして会員らしい女子生徒と共に、SF同好会が所有している機材の操作に取り掛かった。

「さてまずは、徳井くんがやってきた七つの次元を特定せねば」

「会長、観測データを時系列順に出しますか」

「そうだね。今回の実験の理論上、訪れた時空間は時間経過と共に未来方向へシフトしていくはずだ。だが念のため振動幅順に並べたものが欲しい。それから……」

 小難しい専門用語だらけの会話は、傍から聞くだけじゃ何も分からなかった。餅は餅屋ということで、後を任せて踵を反し、僕はその場を離れることにした。


『一人目の僕』はあっさり見つかった。

 僕がまず向かったのは、職員室だった。長月くんが「部活連や教員」と言っていたから、先生の誰かが僕を連れて行ったのだろうと思ったからだ。

 案の定、職員室の扉を開けると、そこには僕と同じ顔をした男子生徒が、怯えたトムソンガゼルのように小刻みに震えていた。

「なにがあったの」

「いや特に何もしてないんだがな」

 僕の独白に、近くにいた裏河先生が応えた。

「お、なんだ徳井か。今日は随分と多いな」

「ええ、まあ。……連れていって良いですか?」

「ああ良いぞ。ついでに生徒会にこれ頼む」

 先生は僕にホチキス綴じの冊子を手渡した。

「中身は見るなよ」

「なんでそんな大事な書類を他人に預けるんです」

「行くのが面倒でな」

 反面教師だ。

「ホントはあっちの徳井に頼んだんだが、自分は学級委員じゃないとか言い出してなぁ」

「ああ、そういう世界から来たんだ」

 どうやら彼は学級委員にならなかった世界の僕らしい。それじゃあ「生徒会室に行け」なんて言われたら、恐怖でああなるのは仕方ない。

「それじゃ、失礼しましたー」

「おーう、お疲れ」

 僕は僕の手を引いて、職員室を後にした。


『一人目の僕』を長月くんに預けて、急いで生徒会室に書類を届けた僕は、次の僕を連れ戻すために理科準備室へと急いだ。何故理科準備室かと言うと、何のことはない、生徒会がいつもの調子で『二人目の僕』の居場所を教えてくれたからだ。

「化学部に」

     「君がいる」

          「後は知らん」

 ダウトだ。絶対知ってるはずなんだから残りの五人も教えてくれれば良いのに。どうせ生徒会のことだから、僕が必死に駆けずり回る姿を暇潰しに見たいとか、そういうのなんだろうけれど。あるいは現在の居場所を教えても、見つける前に移動するから意味が無いのかも。いや、だったら未来位置を言えば良いだけのことだから、やっぱり暇潰しなんだろう。

 というわけで僕は理科準備室、つまり化学部の活動場所へとやってきた。

 ノックを三回、中から「どうぞ」の声を待って、僕は扉を開けた。

「失礼しまーす」

「あ、また僕だ」

 中に入ると、そんな声が頭の上から聞こえてきた。

 見上げると顔があった。

「なにこれ」

「せめて『誰これ』と言ってくれないかな」

「でかくない?」

「色々あってね。よく言われるよ」

 そう答えるのは、身の丈二メートルは軽く超えている『二人目の僕』だ。彼が手を伸ばせば天井ぐらいなら背伸びなしで簡単に届いてしまいそうである。ただ、高さはあっても横幅は僕と同じぐらいなので、見た感じはヒョロっとしていた。

「何を食べたら、こんなに大きくなれるの」

「正確には、飲んだんだよ」

「……何を?」

 恐ろしい事を仄めかされたような気がしたけれど、それを問う前に横から声をかけられた。

「徳井か?」

「あ、橋口さん」僕は視線を上から水平方向に戻す。「見ての通り、ちょっとどころでない問題が起きたから、僕を回収しにきたんだけど。お取り込み中だった?」

「ご覧の通りだ」

 橋口さんが自分の背後を示す。準備室内では、化学部員が一つの机の周りに集まっていた。現在なにやら実験か何かの真っ最中らしい。

「今日、実験をするから、徳井に立会人になってもらう話だったはずだけど」

「あ、そういえば、今日だったっけ」

「それで後輩連中に君を呼んできてもらったら、一ヵ月後の君を連れてきて」

「見た目でおかしいって気づかなかった?」

 僕は、橋口さんの後ろ、奥の方で作業をしている化学部の人達に聞いてみた。

「なんか沢山いたので、一番目立っているのを選びました!」

「どうです?」

 手前にいた二人の女子生徒が元気良く答えた。

「そうだね。凄いね。僕が一、二年の時は、そこまで割り切り良くなかったよ」

「将来有望だろう」

「化学部は人材に何を求めてるの」

「常識という不鮮明なものに囚われない視点」

 魔女の化学部員が言うと妙な説得力がありすぎる。

「ところで一ヵ月後の僕って?」

「僕の世界だと、ここより一ヶ月進んでいるんだ」頭上から答えが降ってきた。「僕にとっては、ここは一ヶ月前の世界ということだね」

「未来からやってきた、にしては、世界という言い方が気になるけれど」

「ああ、ええと、今日はSF同好会のランダム教室調査で……」

「なるほど、平行世界のほうの話か」橋口さんはあっさり把握してくれた。「つまり正確には、我々が今いるこの世界の一ヶ月先ではない、と」

「そうなるね」

「君の世界では、みんなそれぐらい背が高いのかい?」

 橋口さんの問いかけに、『二人目の僕』は首を横に振った。

「ううん、違うよ。ここ最近急に伸びちゃって」

「ふぅん? 原因に心当たりは?」

「一ヶ月ぐらい前に化学部の実験台にされたせいかな」

「…………」

「…………」

「「…………」」

 僕と、橋口さんと、化学部の面々の時が止まった。

 化学部員たちは、油が切れて錆付いた機械のような、ぎこちない動きでお互いの顔を見る。そして今まで取り組んでいた実験器具――何かの液体が入った複数のビーカー類――と、こちらを交互に見やった。

「……橋口さん、今日の実験って何だっけ」

「立会人を頼んだ時に申請書を渡しただろう。見てないのかい」

「今、僕の頭の中で見なかったことになった」

「……錬金術の古文書を基にしたスポーツドリンクの精製だ」

 色々と思い出して納得できたので僕は理科準備室を後にすることにした。

「それでは短い間でしたがお世話になりましたさようなら」

「わぁー! 待って待って待って!」

「たぶん! たぶん成功するから!」

「僕の時もそう言われたよ」『二人目の僕』が追い討ちをかける。「結果はこうなったけど」

「橋口、お前からも何とか言ってくれよ」

「我が家の古文書が予想通り役に立たなかったのは残念だなぁ。これでいいかな部長」

「ぐぐ、だが、これが成功すれば疲労回復と体力向上が飛躍的に高まるのだ。今ここでデータを得ておけば、将来、我々化学部の栄光と活動部費は揺るぎ無いことになるんだぞ!」

「それってドーピングじゃないの」

「大丈夫だ。――ドーピングに引っかかる薬物は使ってないからな」

「逆に、よくそれでここまで成長させられたね」

『二人目の僕』が自虐気味に頭のてっぺんに手をかざした。

「まあ。とりあえず」

 これ以上は埒が明かないし、そろそろ逃げ出さないとまずそうだったので、僕は爆弾を投げ込んで理科準備室から退散することにした。

「公平さのために無関係の第三者に飲ませてデータをとる、っていうのは分かるけどさ。その前にまず部長さんが実験台になれば良いんじゃない?」

 部屋中の視線が化学部部長の松風くんに集まった。

 松風くんは、進退窮まったまま、何かを言おうとした。けれど口は動かなかった。

 僕と『二人目の僕』は、理科準備室から外に出た。

 扉を閉めるまでの間に、隙間からはじりじりと追い詰められる松風くんの姿が見えた。扉を閉め切ってからは、何かの物音と「は、はなせぇぇ!」とか「化学の進歩に犠牲はつきものでぇぇす!」とか「わああああ! うわあああああああ!!」といった声が聞こえてきた。

 僕らは何も見ず聞かず言わずに、その場を去った。

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