第45話 誰もいない路地裏
薄暗い路地裏を進むごとに祭の狂騒は少しずつ遠退き、今は私の息遣いと足音だけが静寂の中に響いている。
「ハァ……ハァ……」
トリスタンと共に通った路地裏とは違う筈なのだが、見覚えがあるような気がした。寧ろ、路地裏と言えば何処も同じ様なものだからその様に感じたのだろう。
彼等の後を追いかけて路地裏にやって来たはいいが、一向に追いつく気配が見えない。更に言えば、走っているうちに自分が何処にいるのか分からなくなっしまっていた。唯一の救いはこの裏路地が一本道であると言う事だろう。
もう既に、リュウの姿を見失っていたのだが、一本道であればこのまま進めばいずれ追いつく事が出来るからだ。
「あ……」
そう思っていた矢先、私は十字路に差し掛かった。私は足を止めて、一度周囲を見回した。が、はやりどの方向にも彼等の姿は確認できなかった。私の浅はかな考えはもろくも崩れ去り、本格的に彼等を見失ってしまったという事実が更に浮き彫りになったようだ。
「ハァ……ハァ……」
乱れる呼吸を整えながら、私は必死に思考を巡らせた。此処から先は闇雲に進んでも、彼等を見つける事は出来ないだろう。かと言ってどちらに進むべきか全く持って見当がつかない。
此処は諦めて来た道を戻るべきなのだろうか? 一瞬、私の脳裏に諦めの文字が浮かんだのだが、ふとある事を思いつき大きく息を吸い込んだ。
「リュウ〜〜」
私は出来るだけ大きな声でリュウの名前を叫んでみた。
これでリュウからの返事があれば、どの方向に進めばいいかわかる筈だ。しかし目視出来ない程、私は距離を離されている。もしかすると私の声はリュウまで届かないかも知れない。まあその時は諦めて来た道を歩いて戻る事にしよう。
『ピィーーー』
そんな事を考えていると直ぐにリュウが私の声に反応して鳴き声を上げた。可也距離が離れていた様で、リュウの鳴き声はとても遠くから聞こえて来た。
「こっちだね」
私は鳴き声が聞こえた方向へ再び走り始めた。
暫く閑散とした路地裏を走っていると、何やら声が聞こえて来た。
「ピィ! ピィ!」
「いい加減にしろ! 何なんだよ一体!」
其処には先程の少年が嘆きにも似た叫び声でリュウを追い払おうとしていた。どうやらリュウが機転を利かせて、彼を足止めしてくれたいたらしい。
「ハァ……やっと……ハァ……追いついた」
私はリュウのお陰でやっと少年に追いつく事が出来た。乱れる呼吸を整える様に私は大きく深呼吸をした。
「リュウ、もういいよ」
呼吸を整えた後、私がそう述べると、先程まで少年の周りで飛び回っていたリュウは私の頭の上を旋回し、そして私の肩に止まった。
「……たっく、何なんだよ」
小さな襲撃者からの奇襲が突如終わた事にホッと溜息を吐いていた少年は、此方を振り返るとギロリと私達を睨んだ。先程は走っていたので良くは確認できなかったが、少年は青い瞳をした綺麗な顔立ちをしていた。しかし、格好はというとエイペスクの住民とは思えない程、継ぎ接ぎだらけの薄汚れた服を身につけていた。
私は少年から視線を外さない様に真っ直ぐ少年を凝視した。
「それ」
「何だよ」
そして私が徐にそう述べると、少年は突然の事に身構えた。
「その果物」
「ああ、『コレ』か」
少年が抱き抱えている果物を指差しながら私がもう一度そう述べると、今度は何の事を言っているのか理解した少年はピンク色の果物を手に取った。
「ほらよ」
そう言って少年は徐ろにその果物を私に向かって投げた。
「え! ちょっと!」
投げられた果物を私は慌てて受け取った。突然投げられたので落としそうになったが、何とか両手で受け止める事が出来た。思わず少年に向けていた視線を手の中にある果実に向けてしまった。受け取った果実からは甘い香りがふわふわと漂い、その香りに思わず頬が緩んだ。
「……ったく、お嬢様の考えることはよくわからないぜ」
そう述べた少年はシャリと音を立てながらピンク色の果実を食べ始めた。私は少年が何をいているかわからず周囲を見回し、首を傾げた。
「俺が取ってきたコレじゃなくても、自分で買えばいいだろに……」
シャリシャリと果実を食べながら少年は話を続けた。どうやら少年は私がこの果実を欲しいが為に此処まで追いかけて来たと思っているらしい。
「違うの! 貴方、この果物の代金は支払ったの!?」
「いいや」
私が少年にこの果実のことについて問いただすと、嘸当たり前の様にそう述べた。
「……やっぱり。今から戻ってお店の人に謝りに行きましょう。食べてしまったそれは弁償するとして、残りの果物はちゃんと返そうよ」
「何言ってんだ、お前。何で俺がそんな事しなくちゃいけねーんだよ」
もしかすると私の勘違いかもしれないので、念の為に少年に尋ねてみたが、やはり少年はあの露店からこの果実を盗んで来たらしい。そして、その事について彼は反省するどころか、開き直っている様子であった。
「この街で犯罪を犯すとどうなるのかわかっているの?」
私が此処まで彼を追いかけてきた理由。それはトリスタンに教えて貰った『粛清』があるからだ。
『平和を脅かす者は反逆者』
トリスタンに言われたこの一言は解釈の仕様によっては、その罪の軽重に関わらず罪を犯した者は罪人として扱われる。という事である。その様な事を考えている最中に彼が窃盗を行ったのだ。もし仮に彼が捕まってしまえば…… そんな事を考えると、それを黙って見ているだけなど私には出来なかったのだ。
「ああ、知ってるさ。『処刑される』だろ?」
そんな私の心配を他所に、少年はあっけらかんとそう述べた。
「じゃあなんで!?」
彼の答えに私は食い気味で反論した。
「こっちにも事情ってのがあるんだよ」
私の言葉にプイっと外方を向きながら少年はそう述べた。
『ほぉ。その事情って奴を詳しく聞きてえもんだな』
突然、私の後ろから声が聞こえてきたので、私は慌てて振り返った。其処には前掛けを腰に巻いた恰幅の良い男性が仁王立ちで道を塞いでいた。
「……ちッ。行くぞ!」
突然現れた男性の姿を見るや否や少年は私の腕を掴み走り出した。
「え? ちょっと……」
何がどうなっているのか、分からないまま私は引かれるがまま走り出した。
『おっと! どこへ行くのかな?』
私たちが走り出すと、その正面から3人の男性が現れた。よく見ると彼らの腰には剣を差されている。しかし彼らの格好は騎士でも兵士でもない。
「……ちッ」
如何やら私たちは囲まれてしまったらしい。すぐ様私はちは足を止め、少年は身構えた。
「如何いう事なの?」
「彼奴らは『自警団』だ」
少年は先程とは異なる少し低い声でそう述べると、ぎゅっと身体を強張らせた。
「さて、何か申し開きがあるのなら聞いてやるぞ」
私たちの後ろから再び声が聞こえて来たので振り返ると、先程の前掛けを腰に巻いた恰幅の良い男性が此方に歩み寄ってきていた。先程は薄暗くて分からなかったが、よく見るとその男性は先程の露店の店主であった。
「何の事を言ってるんだ?」
「此処まで来て白を切るつもりか?」
店主の言葉に少年は首を傾げたが、店主は私たちの持つ果実を見つめながらニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ちょっと待ってください」
私は少年の手を振りほどき、そして彼の腕の中にある果実を半ば強引に奪い、店主の目の前まで歩み寄った。
「ご無礼を働き、申し訳ございませんでした。此処に彼が盗んだ果実があります。彼が盗んだのは計3つの果物です。一つは彼が食べてしまったのでありませんが、残りの二つはお返しします」
「ほぉ」
店主は私から差し出された果実を受け取ると、珍しいものを見る様な目で私を見つめていた。
「で、後の一つはどうするんだ?」
「弁償致します」
私は真っ直ぐに店主を見上げながらそう述べた。
「じゃあ、銀貨1枚だ」
「ぼっ手繰りじゃないか!」
店主は私に向かって果実の金額を提示したのだが、どうやらそれは適正価格ではないらしく少年が話に割り込んできた。
「今は嬢ちゃんと話してるんだ。邪魔するな」
顔を顰めた店主はそう述べると目の前の男性たちに目で合図をした。
「何すんだ! やめろ!」
店主から合図を受けた『自警団』と言われる男性たちは、手馴れた様子で少年を取り囲み、そして取り押さえた。
「で、嬢ちゃん。銀貨一枚、払うのか? 払わないのか?」
店主は少年が取り押さえられたのを確認すると再び私に問いかけた。
「……払えません」
正直な所、私は銀貨一枚どころか銅貨一枚すら持っていない。というよりも、生まれて此の方、お金と言うものを所有していた事がない。勿論、帳簿管理をしていたので、店主が提示する果実一つに銀貨一枚というのは相場の何百倍もあるという事は重々承知している。恐らく、店主は銀貨一枚で今回の事は不問にすると示談してくれているのだろう。
しかし、此処でトリスタンと逸れた事が仇となってしまった様だ。果実一つくらいの弁償は何ら問題ないと思っていたのだが、外出の際はいつもトリスタンに支払いをしてもらっている事をすっかり忘れていた。
「じゃあ仕方ない。『お友達』は食い逃げの現行犯になるな」
「ちょっと待ってください。兄さんに……、お金は兄さんが持ってるんです。だから兄さんに会えれば銀貨一枚、必ずお支払い致します」
やれやれと肩を竦める店主に私はすり寄って懇願した。店主は私の事をしばらく眺めてから口を開いた。
「見た所、嬢ちゃんはいい所のお嬢さんなのだろう。だから嬢ちゃんの兄貴なら銀貨一枚さらっと払ってくれるだろうな」
「だったら!」
店主は頭を掻きながら溜息を吐くと、擦り寄る私を引きはがした。
「だがな、もしかしたら嬢ちゃんもグルかもしれない。自警団の連中が帰った後に嬢ちゃんと坊主が一緒になって逃げるかもしれないだろ?」
「私はそんな事しません!」
「かもしれながいが、世の中は、嬢ちゃんみたいに善人ばかりじゃないんだよ。悪い事は言わん、身分の違う連中とは関わるのは止めておいた方がいい」
そう言って店主は少年に視線を送った。店主が私に話をしている間、自警団員たちは何やらコソコソと話をしていたようだ。
『……もしかしたら……姉御が……』
『……かもしれんな……』
何を話していたのかは聞き取れなかったが、私が振り返ると彼らは話を止めて此方に視線を戻した。
「それじゃ旦那。このガキは連れて行きますぜ」
「ああ構わんよ」
店主がそう述べると自警団員は縄を取り出し少年の手首を縛り上げた。
『ああ、そうだ』
結局、私は何も出来なかった。無力感からか私は少年の事を直視する事はできず、行き場をなくした視線を下へ下へと降ろしていった。そうしていると私の視界の中に見知らぬ靴が入ってきた。驚いた私が慌てて顔を上げると、そこには自警団の一人が立っていた。
「念の為、お嬢ちゃんにも来て貰うよ」
「え? なんで?」
突然の事に私は男性の手を振り払った。
「おっと。旦那も言ってたろ? 嬢ちゃんも『グル』かもしれないって」
そう言って男性は素早く私の腕を握ると、他のメンバーがいる所へ私を引っ張って行く。
「ちょっと待って、私はグルじゃない! 偶然、通りかかったその子を放って置けなかっただけで……」
「はいはい。そうですか、そうですか」
必死の抵抗も虚しく、私は少年と同じように手首を縄で縛り上げられてしまった。
「痛ッ……」
「そう言ったのは、領主様の所で弁解するんだな。まあ、領主様には『嘘』は通用しないけどな」
ハハハと笑う自警団員たちは私たちを連れて路地裏を歩き始めた。
そうか、一度捕まった犯罪者は領主様の所で冤罪かどうかを調べんるんだ。じゃあこのまま彼らに連れて行かれても、領主様に真実を伝えれば、私も彼も『粛清』を逃れることができるかもしれない。
暫く路地裏を進むと、一台の幌馬車が止められていた。その幌馬車は通常の貨物用の幌馬車とは異なり前方は板で区切られ、後方は扉のようなものが取り付けられていた。所謂、犯罪者の移動に使う『護送車』の様な幌馬車なのだろう。
「ほら、乗れ」
そう言って自警団員は私たちを乱暴に荷台に積み入れた。
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